6 / 22
6 襲撃
しおりを挟むその日の日暮れ前に帰ってきた男達の様子は、どこかおかしかった。
ひどく張りつめた様子で、食事時のいつもの会話もほとんどなかった。
食事が終わると、すぐにみんなが部屋へと引き払う。
けれど、何人かが屋敷の外へ出て行くのがわかった。
部屋に入ると、男が女に告げる。
「あと一週間で、ここを引き払う。少しずつ準備しておけ」
「わかったわ」
それだけなら、女も別段何とも思わなかった。
だが、さらに男は続ける。
「昼間は屋敷から離れるな。特に、門より外に一人で出るな。必ずキリと一緒に動け」
さすがに、女もおかしいと気づく。
帰ってからの様子といい、今といい、普段の男らしくない。
「何かあったの?」
声音に、不安が滲んでいたのか、男はじっと女を見つめた。
頬に手を当て、その瞳を見据える。
「何もない。ただ、用心だ。最近ここも物騒になったから、俺がいない間が心配なだけだ」
「――嘘よ。何か隠してる。あたしに言う気がないだけよ」
「――」
女は男の手を振り払い、背を向ける。
だが、男はそのまま後ろから女を抱きすくめる。
「放して――」
「少しの間でいい。大人しくしてろ」
耳元で乞われて、それ以上抗えない。
もとより大きな男だ。
抗ったとて、男にしてみれば抵抗にすらならないだろう。
優しく抱きしめられて、泣きたくなる。
余計なことを言って、自分に無用の心配をかけまいとする男の気遣いはわかる。
けれど、そんな風に守られても、心苦しくなるだけだ。
やめてほしい。
全てを預けてしまいたくなるから。
許されもしないのに、受け入れてしまいたくなるから。
どこまでも自分を守ろうとする優しい男を、女は身を強ばらせたまま頑なに拒み続けた。
男に言われた通り、次の日から少しずつ女は屋敷を片づけ始めた。
特に、厨房は細々したものが増えたため、いつもよりいる時間が多くなった。
この一週間で、貯蔵室の食材をできるだけうまく使ってしまわなければならない。
先を見据えて料理をしなければ捨てていくことになってしまう。
それだけは避けたかった。
男達の大事な稼ぎで手に入れてきたものだ。
一つたりとも無駄にはできないし、したくない。
傷みやすいものと日持ちするものを確認して、女は一週間の献立を決めていった。
二日後の夜中、窓が割られる大きな音で、女は目を覚ました。
男はすでに扉を開けて外へと向かっている。
慌てて女も服に着替えて玄関へ向かう。
屋敷の中は静まりかえっていた。
自分の裸足の足音しか聞こえない。
自分のように部屋を飛び出してくる音もしない。
玄関の大広間までくると、マルグとイオがそこにいた。
扉が開け放たれて、男が立っていた。
近づくと、屋敷に向かって走ってくるキリが見えた。
「統領、裏の窓だ。隙をつかれた。東に逃げた」
「馬を!」
「準備してある。レノが連れてくる」
すぐに蹄の音がして、レノが馬に乗ったまま、男の馬を引いてきた。
その後ろにはドガと、馬の扱いが上手く、いつも男の仕事についていくセオとテト、カーラフがついてきていた。
男はひらりと馬に跨ると、キリに向かって言い放つ。
「キリ、リュシアの傍にいろ。誰も近づかせるな」
「わかった」
そのまま、門を出て東へ向かった。
「キリ、何があったの?」
「何でもない。裏の窓に石を投げ込まれたんだ。ちょっと仕事でもめごとがあったらしい。逆恨みらしいから、何するかわかんないだろ? 念のためみんなと見回ってたんだ」
「見回ってって――そんな、危ないこと! 駄目よ!! 何かあったらどうするの!!」
その言葉に、キリは呆れたように女を見返す。
「リュシア、俺、もう十三だ。それに、男なんだぜ。剣だって使えるし、馬なら統領にだって負けない自信がある。守ってもらわなきゃいけないガキじゃねえんだ」
「あんたはまだ子どもよ!」
「俺はリュマとは違う。もしリュマだって生きてここにいたらもう十歳だろ。そんなら、お前に守られるより、守るほうを選ぶはずだ。どんなに小さくたって、男ってのは、そういうもんだ。女は黙って守られてろ」
強い言葉に、女はそれ以上の言葉をなくす。
屋敷に残っていたイオとマルグが女を宥めるように続ける。
「姐さん、キリの言う通りだ。俺達にまかせて、姐さんは大人しくここにいてくれ」
「姐さんに何かあったら、俺達が統領にぶっ殺されます。後生だから。キリはこう見えたって強いんで。俺達がずっと仕込んできたから、そんじょそこらの子どもとはわけが違う。だから統領だって、姐さんにつけたんです」
「――」
女はそれ以上何も言わず、黙って椅子に座り込んだ。
キリの言葉が、胸に刺さった。
十歳のリュマを、女は知らなかった。
二年の年季奉公で皇宮にあがって以来、リュマに会うことはなかったのだ。
勤め先の姫の嫉妬めいた悪意で、休暇も取らせてもらえず、屋敷の外に出ることさえできなかったからだ。
涙を堪えて自分を見送った、小さくて頼りなげな弟の姿――あれが、最後だった。
自分の中で、リュマは永遠に八歳のままなのだ。
愛くるしく、大人しい、本を読んでくれとせがむ――そんな我が儘しか言わなかった小さなリュマのまま、もう、決して大人にはなれない。
もしも生きて、ここにいたら――キリのような子に、なっていたのだろうか。
だが、どんなに考えても、十歳のリュマを思い浮かべることはできなかった。
男達が戻ってきたのは、それから二時間もした頃だった。
襲撃者を捕まえることはできなかったらしい。
割られた窓は、外の見回りをしていた男衆達が板を打ち付けて塞いでいた。
見回りを強化したため、襲撃はなくなった。
だが、夜ごと屋敷の周りをうろつく者達はいたらしい。
蹄の後がいたるところに残されていたと、キリが教えてくれた。
女は男に言われたとおり、外に出るときはいつも、キリとともにいた。
昼間でも、男は半分の男衆達を屋敷に残し、警戒を怠らなかった。
そうして、男の言った一週間後となった。
その日は最後の交渉に臨むらしい。
それが終われば、ここにいる必要はなくなる。
荷物の整理に、五人の男衆を残して、男は最後の仕事へと向かった。
日暮れ前には帰れると聞いていたので、昼食の片づけの後、鶏肉と野菜を挟んだパンと飲み物をすぐに準備した。
夕食を食べ終わったらすぐに出発だ。
三月以上暮らしていたせいで、屋敷には愛着があった。
厨房で料理を作ることももうないのだと思い、最後の片づけの手も自然と力が入る。
丁寧に拭き掃除をして、ぴかぴかに磨き上げる。
残った食材で保つものは荷馬車に積み終えてある。
各部屋の掃除も終えて、使わぬ家具に布をかけると、そこはもう慣れ親しんだ屋敷ではない気がした。
どこかよそよそしい、薄ら寒い空間にさえ思える。
ここも、決して自分の居場所ではないのだと、改めて思う。
ここを離れて、次に何処へ行くのか、女は聞いていない。
しばらくまた移動続きとなるのか、それともまた、このような家を借りて、商売をするのか。
「――」
聞けるはずもない。
ただ流されるまま、ついていくだけだ。
そうやって、お荷物のように生きていくのだ。
「リュシア、統領達、帰ってきたぜ」
キリの声がかかる。
「今行くわ」
「飯もう、出しといたぜ」
「いいわ。ありがとう」
キリは相変わらずだ。
言いたいことは言うし、怒るときは怒る。
冗談も言うし、いつも傍にいてくれる。
だが、どこか一歩退いている。
そんな気がした。
そうさせたのは自分だが、寂しかった。
男を拒んだ時のように。
ふと思う。
男も、今、こんな気持ちでいるのだろうか。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる