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第八章 遠つ神々
4 いく
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貴方様の対の命は、私ではないと。
大いなる意志によりて、天命を受け入れ、天降った方。
国津神となろうとも、気高さを失わぬ、孤高の方。
それでも、お慕いしておりました。
ともに在れれば、それで良いのです。
この豊葦原に、在られる限り、私は貴方の妻。
何処にでも参りましょう。
神去ったとて、黄泉返りし後までも貴方とともに。
貴方に出逢うためならば、何度でも黄泉返りましょう。
黄泉返った私を視つけてください。
愛しい方。
永遠に、ともに。
私の願いは、それだけなのです。
「建速?」
自分を呼ぶ声を聞いて、荒ぶる神は目を開けた。
「眠ってた?」
心配そうに問うのは、護るべき母神伊邪那美の現身――美咲だ。
午後の図書館は、閲覧者もまばらで、のんびりとした時間が流れている。
そのせいだろうか、文字を追うのを終え、目を閉じたところまでは覚えていたのだが。
「珍しく、眠っていた」
「珍しくって、普段は眠らないの?」
驚いたような声音に、荒ぶる神は咲う。
人と神は違うのだと、ましてや憑坐を持たず現身のまま世界に現象している建速が眠ることは珍しいのだと言うことを、神々の記憶のない美咲にわかるはずもなかった。
「ああ。神代の時なら眠りもしたが、今の俺は他の神々や人間のように眠って疲れをとるわけではないからな。どうかしたか?」
「あのね。夢の話なんだけどね」
荒ぶる神が隣の椅子を引いてやると、大人しく美咲は座った。
「何か特別な夢を視たのか?」
「よくわからないの。伊邪那美の夢ではないと思うけど、咲耶比売でもない。彼女達の夢ならすぐにわかるもの」
慎也と出逢ってから、美咲が夢を視るのは、いつも神々に関する夢だった。
「夜毎違うのか?」
「ええ。ただ、紅い色は、いつも感じるの」
「紅――? 血か?」
「そうじゃないの。宝石みたいな、濃い紅――そんなイメージがいつも感じられて」
「他には? 何を感じた?」
「怖いような、哀しいような、でも、それを待ってもいるような、何だか不思議な夢だった」
自分の感じたことを上手く説明できていないような気がして美咲はもどかしかった。
「伊邪那美も死神だから、死に近くなる夢には特別な意味があるだろう。咲耶比売も、もういないはずの姉比売の夢を視たと、心配していた」
「咲耶比売も?」
荒ぶる神の言霊に、美咲の顔色が変わる。
ずっと一緒だった自分達が、特別な夢を視た。
また、何かが起ころうとしているのではないか。
そんな不安に襲われる。
「不安がるな。不安は恐れとなって、闇を呼び込む。闇の神威が濃くなれば、死の力に呼び寄せられる。今の美咲は、俺達の神威で補っている状態だ。神威を失えば、黄泉国へ引き戻されるぞ」
「いやっ、それだけは!!」
思わず、声が高くなってしまう。
そんな自分に驚いて、周囲を見回すと、国津神達が今にも駆け寄りそうなほど心配げにこちらを視ていた。
荒ぶる神が片手をあげてそれを制すると、美咲の頬を優しく包み込み、視線を合わせる。
「そうならないために、俺達がいる。恐れるな、美咲。護ってみせる。信じろ」
「――うん」
何度も聞いた誓いの言葉。
それでも、不安なのだ。
慎也も傍にいない。
逢って、抱きしめて欲しい。
そうすれば、こんな不安は消える。
早く夜になればいいのに。
「ごめんね、建速。護ってもらってるのに、我が儘で」
「構わん。足りんくらいだ。もっと我が儘を言えばいい」
「――だって、もう十分してもらってるわ。もう何も要らない」
「まあ、慎也と同じで、美咲にも慎也がいればいいんだろう。その割には、不安がる。慎也に神威を補ってもらえ」
「補うって、一緒にいればいいってこと?」
「交合えばいい」
平然と言われた言葉に、美咲の頬が赤くなる。
「そ、そういうことは、口に出さないでもらえるとありがたいんだけど」
「何故だ? 言わねば伝わらんだろう。大体、毎夜一緒にいるくせに、交合いがないとはどういうことだ」
自分達が交合ったかどうかも、神々にはお見通しだったのだ。
あからさまに問われて、恥ずかしいことこの上ない。
「だ、だって、修学旅行中なのよ」
「だからどうした」
荒ぶる神はあくまでも真剣だ。
こういう話題を、建速とするのはいたたまれないのだと言うことを察して欲しいが、男で、しかも神である彼には通じないのだろう。
「――ホテルでなんて、嫌だもの……」
「場所が問題なのか。ならば、今夜は慎也を連れてこよう。それならいいか」
「……」
恥ずかしくて、美咲は答える代わりに小さく頷くしかなかった。
ようやく荒ぶる神の手が頬から離れると、俯いてしまう。
「美咲。神々にとって、交合いは恥ずべきことではない。命を産み出す尊い行いだ。そして、今の美咲には神威を補うために必要な行為なのだ」
その真摯な言霊に、美咲ははっと顔を上げる。
「記憶がないのだから仕方がないが、神威を補わねば、死が近づく。今夜は必ず交合え。死を寄せ付けないためにも」
「――わかった」
今度は、きちんと答えた美咲に、荒ぶる神が優しく咲う。
「今夜交合えば、死は遠ざかる。それでも、何か特別な夢を視たなら教えてくれ」
「そうする」
そうして、美咲は仕事を再開するために立ち上がった。
答えてから、ふと疑問に思う。
振り返って、読み終わった本を戻そうと席を立った荒ぶる神に声をかける。
「建速は、さっき眠っていて、何か夢を視たの?」
不意に問われて、荒ぶる神も視線を美咲に向ける。
先程の夢を思い返してみた。
あれは、神代の頃の遠い、懐かしい記憶だった。
「俺の場合、夢は記憶だ。神代を思い出しているんだ」
「それは、建速にとって幸せなこと?」
「何故、そんなことを問う?」
「さっき、目を閉じている建速は、何だか哀しそうに見えたから。だから、思わず声をかけちゃったの」
美咲の言葉に、荒ぶる神は虚を突かれたように一瞬表情を消した。
だが、すぐに安心させるように微咲む。
「――記憶だからな。視ても戻れるわけでもない。だから、眠ることはもうやめたんだ」
「――」
荒ぶる神の言霊は、どこか、哀しげに聞こえた。
美咲はもどかしいような思いに駆られ、また荒ぶる神に抱きついた。
「どうした、美咲?」
「何でもない」
「俺は嬉しいが、また国津神達が騒ぎ出すぞ」
昨日の騒ぎを思うと、遠慮したいところだが、美咲は何だか荒ぶる神から離れがたかった。
それは、昨日も感じたように、永い時を、ひたすら伊邪那美を捜すことだけに費やしたこの神が哀しくて、愛おしかったからだった。
美咲は、国津神が騒ぎ出す前に、荒ぶる神から離れた。
見上げれば、荒ぶる神は昨日と同じように嬉しそうな顔をしていた。
「建速、私を見つけてくれてありがとう」
荒ぶる神は咲った。
その咲みさえも、愛おしくて。
何故か、美咲は泣きたくなった。
夜には、約束通り、荒ぶる神が慎也を連れて来た。
「六時には迎えに来る。外には出るなよ」
それだけを伝えて、荒ぶる神はいなくなった。
一体、普段は何処にいるのだろう。
そんな疑問も、慎也に嬉しそうに抱きつかれて、中断される。
「ちょ、慎也くん」
「美咲さん、逢いたかった」
すぐに、優しいキスが降ってくる。
「今日はいいんだよね。建速も言ってたし」
「――」
そうあからさまに言わないで欲しいが、彼らにそれを求めても無駄なのだろう。
「神威を補えって、建速にも念押しされちゃったし……」
慎也に触れられるのはいつも嬉しいが、まだ恥ずかしいのが先で素直になれない。
そんな気持ちも、慎也は気づいているだろう。
「美咲さん、理由付けしないと許してくれないよね」
「――」
図星を指されて返答できないでいる美咲に、慎也は気にした風もなく笑う。
「そういう美咲さんも大好きだ」
時間が必要なのだ。
四月に出逢ったばかりで、もうこんな風になるなんて、美咲にしては異例中の異例だ。
それでも、慎也が大好きで、触れて欲しいと思う気持ちもある。
慎也が高校を卒業して、大学生になる頃には、もう少し、自分も素直になれるはず。
「明かりは、消してね」
「了解。今日はゆっくり、優しくするからね」
明かりが消えて、周囲が闇に包まれる。
すぐにルームウェアを脱がされてベッドに横たえられる。
優しいキスを受けながら、美咲は触れる慎也の手に身を任せた。
言葉通り、優しく触れられて、身体が熱くなる。
心地よさに、意識が朦朧としてくる。
そこに、するりと入り込んでくるのは、昨日のような、紅のイメージ――
「……あぁ……」
美咲は目に見えない何かが自分を引き込んでいくのを感じた。
意識が、呑み込まれる……
――愛しい比売。そなたは私の対の命。誰にも渡さぬ――
執着じみた、真摯な言霊が自分を絡め取る。
これは誰。
愛しい方、貴方なのですか。
何故、何も視えないの。
どうして、身体が動かないの。
怖い。
優しく触れられているのに、怖くて堪らない。
私に触れるこの手は、貴方の手なのですか。
私を抱いているのは、本当に貴方なのですか――
「美咲さん?」
名前を呼ばれて、我に返る。
先程までの心地よさが消えて、身体が強ばっていた。
暗がりの中でも、自分を見下ろす慎也の心配そうな表情がわかる。
「どうかした?」
「……何でもないの……ただ、顔が見えなくて、怖くなって……」
「顔が見えないのが、怖いの?」
慎也が手を伸ばしてベッドサイドのライトをつける。
明かりを絞った淡い光が、慎也の顔を見せている。
「どう? まだ怖い?」
恐怖は、急速に退いていった。
自分のものとは違う訳のわからない恐怖に、美咲自身も戸惑っていた。
これは、慎也と出逢ったばかりの頃の、触れられた時に感じていた恐怖とも違っていた。
この恐怖は、もっと幼い、少女のような慄きだった。
「もう、怖くない……」
「よかった」
慎也が美咲の上からどいて、隣に横たわる。
そうして美咲を引き寄せて、優しく抱きしめる。
背中を労るようにさすられ、何だか情けなくなってきた。
「ごめんね。面倒な女で」
「ぜんっぜん面倒なんかじゃないよ。美咲さんにかけられる面倒なら、嬉しいし」
美咲が顔を上げると、慎也は嬉しそうに笑っていた。
そのまま覆い被さるように優しいキスが何度も繰り返される。
「わかってるよね。いつでも、美咲さんが大好きなこと。いつだって、俺が欲しがってること。理由も何も要らない。前世も関係ない。今、此処にいて、美咲さんを愛してること」
「慎也くん……」
心が、震える。
「ん?」
見下ろす慎也が、現実だ。
ここで、こうして自分を抱いているのは、自分が愛する人。
「大好き――」
その言葉に、慎也が一瞬微妙な表情をし、少し困ったように笑う。
「ホンっトに美咲さんってさぁ」
「? な――」
聞き返す間もなく、慎也が深くくちづける。
そのまま美咲の足を割って身体を滑り込ませると、探るように美咲の奥へ指を入れた。
中が十分に濡れているのを確かめると、指が抜かれ、もっと熱いものが入ってくる。
「――っ!!」
唇が離れると、慎也が短く謝った。
「ごめんね。ゆっくりって言ったけど、できそうもない」
くちづけながら、深く何度も穿たれる。
美咲は抗わなかった。
慎也の背中に腕を回し、しがみついて、応えた。
苦しいぐらいに幸せだった。
幸せな何かで、満たされていく。
これが、神威なのだろうか。
美咲は、自分の中の不安が遠ざかり、消えていくのを感じた。
死が、遠ざかっていく。
あなたが、私を生に留める。
離さないで。
もう二度と。
嬉しいのに、涙が零れた。
それは幸せな涙だった。
金色の、光の雨が降る。
その夜は、日付を越えても光の雨がやむことはなかった。
月のない暗闇の中。
傍らには、意識のない神々の憑坐が倒れている。
それを視下ろす死神は、密やかにほくそ咲む。
――もうすぐだ……
闇に溶け込むように響く言霊。
さらに漆黒の外套を身に纏うかのように、濃い闇がその死神の輪郭を覆い隠している。
そろそろ、国津神々達も気づき出すだろう。
自分をおびき寄せるために、荒ぶる神が動き出す。
それこそを、待っていた。
――もうすぐ、迎えに往く。そなたを、取り戻してみせる
そなたがいれば、それでいい。
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