5 / 22
4 不可解な感情
しおりを挟む「シイナ」
かかる声に振り返ると、階段の手前にフジオミが立っていた。
足音が全く聞こえなかったことに、シイナは内心驚いた。
それとも、自分達が気づかなかっただけか?
「フジオミ――ああ、もうこんな時間なのね。シロウ、先に戻っていいわ。明日また」
「はい。では、失礼します」
一礼すると、シロウはフジオミにも一礼して昇降機に乗り込み、移動用カートと共に降りていった。
シイナも資料を抱えたまま階段へ近づく。
「彼は?」
「研究員よ。資料が必要になったので、探していたの」
扉が開いて、再び締まる音。
シロウが出て行ったのだ。
フジオミが階下に目をやり、それから、シイナへ視線を戻す。
「彼は、何だか他のクローンとは違う気がする」
「ええ。クローンの中でも知能低下の起こらない特別な存在よ。研究者としても人間に引けを取らないところは素晴らしいと思う」
フジオミは、少し奇妙な眼差しでシイナを見ていた。
「フジオミ?」
「――いや、君がクローンに対してそんな風によい評価をするなんて初めて聞いたよ」
「そうね。でも、彼は『特別』だから。他のクローンのように私を苛立たせないし、報告も質問への応答も常に適切だもの。今日の作業も、以前他のクローンと資料を探した時とは比べものにならない早さだった。文句はないわ」
「――」
「フジオミ? どうかしたの?」
「シイナ」
「何?」
一瞬躊躇ったが、フジオミは真摯な眼差しでシイナを見て言った。
「――彼とは、二人きりにならないで欲しい。今日のように作業がある時は、必ず、他のクローンを傍に置かせて欲しいんだ」
「――」
シイナは、フジオミが何を言いたいのか、最初意味をつかめなかった。
だが、一拍おいて、その意味するところがわかり、
「それは命令なの?」
辛うじて、そう問い返した。
「いいや――僕の、願いだ。君には拒む権利がある」
「――」
シイナの中に強い反感が芽生える。
拒否する権利を与えながら、半ば強制ともとれる願いを口にするフジオミが理解出来ない。
「では、拒否するわ。仕事に関してまであなたに口出しされたくない」
強く言い切って、フジオミに視線を戻すと、シイナは眉を顰めた。
フジオミが一瞬だけ、傷ついたような色をその目に滲ませたからか。
錯覚だと思いたくて、シイナは振り切るようにフジオミの脇を通り過ぎ、階段を下りようとして、
「っ!?」
最初の段を踏み外した。
「シイナ!?」
咄嗟に、フジオミは彼女の腰を片腕で引き寄せ、自分へと抱き寄せた。
書類の束が階段を滑りおりて乾いた音を立てていく。
背後から抱きしめられるような体勢に、一瞬、シイナは混乱した。
服越しに伝わる肌の温もりと感触に、背筋を掛け上がる不可解な恐怖に似た感覚。
「放してっ!!」
支えてくれているフジオミの腕を両手で引き離してから、シイナは我に返った。
振り返ると、フジオミは感情を表さないようにシイナを見ていた。
それが一層、シイナを混乱させる。
「ごめんなさい。驚いて――」
フジオミは、宥めるように微笑った。
先ほどの無表情さを消し去ったかのように。
「――いや。わかるよ。いいんだ。僕のほうこそすまない」
違う。
彼が謝る理由などない。
フジオミは足を滑らせたシイナを救けようとしただけだ。
「フジオミ――」
自分のとった行動にうろたえるシイナに、フジオミは安心させるように笑いかける。
「シイナ。もう何度も言ったけれど、いいかい、君は僕に何の負い目も感じる必要はないんだ。君も僕も、一人の人間だ。もう義務に縛られることもない。自由な存在だ。何をしても、何を言っても、誰も君を責めないよ」
「――」
フジオミは彼女を怯えさせないようにそっとその手をとった。
だが、無意識のうちに彼女の身体はびくりとした。
「怯えないでくれ。僕は君を、もう傷つけたりはしないよ」
その言葉は、確かに真実だった。
それなのに、なぜ自分はこんなにも怯えているのだろう。
フジオミは以前とは違う。
もう自分にセックスを強要したりしない。
それどころか愛しさを隠さず、壊れ物のように優しく扱う。
何を言っても、何をしても、全て受け入れる。
彼を恐れる理由など、何もない。
もう何にも脅える必要もない。
それなのに、なぜ――
一度シャワーを浴びてからフジオミと食事をする頃には、シイナの奇妙な恐怖は消えていた。
他愛のない会話をしながら、食事をするだけ。
すでにここ半年習慣のようになってしまったことを、シイナは繰り返す。
こんなことに何の意味があるのだろうと思いながら。
家族は一緒に食事をするものだが、自分達は家族ではない。
伴侶ですらない。
幼い頃は――そうだ。マナのオリジナルであるユカと、よく食事をしたものだ。
同性同士で。
ユカは優しかった。
姉のようであり、母のようだった。
傷ついた自分を慰めてくれたのはいつも彼女だった。
もし、彼女が生きていたら、こんな状況をどう打破しただろうか。
彼女は強かった。
たくさんの〈夫〉を持ち、誰をも平等に愛していた。
実験体のように扱われることに不満を抱きさえしなかった。
未来のために、自分を犠牲にすることを躊躇わなかった。
そう――彼女は愛を知っていた。
愛することを知っていた。
結局は最後の実験として試された人工授精により、ユウしか産むことができなかったが、それでも、彼女は希望だった。
自分にはできない。
フジオミに触れられるのだけでも厭わしかったのに、たくさんの男達に抱かれるなど。
ましてや自分の身体を実験体として扱われるなど。
そう言う意味でも、やはり自分は〈女〉としては欠陥品なのだろう。
それとも、欠陥品だから〈女〉として在るべき感情や性行為に嫌悪感しか持てないのか。
「――」
またしても思考は堂々巡りを繰り返す。
過去のことばかりが、思い返されるのは、これからのことを考える必要がないからか。
それともと、シイナは思い返す。
過去を思い返すのは、本能が危機を回避するためだという。
過去の経験の中から、自分の今の状況を救える事態がないか検索しているのだと。
そうだとすれば、自分は何を探し出そうとしているのか。
自分の過去から、何を教訓とすれば、今のこの状況を抜け出せるのか。
いくら考えても、この泥沼を抜け出せるはずもないのに。
失ってしまった未来を、取り戻す術がない。
それなのに、今も見苦しく足掻いている。
自分だけが。
フジオミはいいだろう。
彼は、新しいものを築いていける。
だが、自分には最初から何もなかったのだ。
十四のあの夜、全てが完膚無きまでに壊れた。
屈辱。
嫌悪。
苦痛。
怒り。
そこから、自分を立て直すまでに、さらに十四年かかったのだ。
フジオミとの性行為が義務と言う強制になってから、シイナはフジオミに逆らったことなどなかった。
常に求められれば受け入れた。
防衛本能としてか、触れられれば身体は濡れる。
だが、それだけだ。
喜びを感じることはない。
ただフジオミが熱を吐き出して満足するまで耐えるだけの時間。
マナを創り出してからは、マナが〈女〉としての成長を果たすためだけの代替の時間潰し。
シイナにとってセックスとは、それだけの意味しかなかった。
そして、マナを失い、立て直したものさえ再び崩れ去った。
今までの自分の人生は何だったのだろう。
黙って従ってきたことで何を得たのか――絶望と諦観か。
こうなるとわかっていたならば、あの夜、フジオミを受け入れなければよかった。
殺されても何をしてでも、拒めばよかった。
恐怖に泣き叫んで耐える必要が、何処にあったのだ。
十四だったフジオミにも、自分を労る余裕もないほど子供だったのだ。
誰も自分達に教えてくれなかった。
相手を思いやることを。
欲望の前に、その心を満たすことを。
愛のない自分達がしたことは、所詮無意味な行為だった。
それを、今更思い知らされるなんて。
「――」
大きく息をついて、ふと気づく。
あの夜のことを思い出したのに、いつも来るような嘔吐感がなかった。
目眩もしない。
それだけは、喜ぶべきなのか。
この変化は、フジオミの変化でもあるのだと、シイナは悟る。
そして、いかに自分がこれまで性行為の強制を嫌悪していたか、強制するフジオミを嫌悪していたかと言うことにも気づいた。
だからこそ、今日のフジオミの言動には、反感を覚えたのだ。
マナが去ってから、フジオミはシイナに対する強制を全てやめた。
強制をやめたはずの彼からの、強制に近い願い。
自分の仕事にまで口を出すなど、これまで無かったのに、何が彼にそれを言わしめたのか。
直前まで、何の会話をしていただろうと思い返して、シロウの話をしていたのだと気づく。特別なクローンであると、フジオミに話した。
そこで、シイナは奇妙な思いつきに眉を顰める。
まさか――『嫉妬』か。
「――」
気づいてから、シイナは呆れてしまった。
フジオミは、自分とシロウが二人きりでどうにかなるとでも思っていたのか。
自分がシロウを愛するとでも?
馬鹿げた思考にシイナは鼻で嗤う。
クローンを相手に恋愛感情が芽生えると、真剣に思っているのだろうか。
クローンには子孫を残すどころか、性欲さえありはしないのに。
全く以て理解することが出来ない。
それとも、それこそが愛なのか。
自分にはやはり、愛する心などないのだとシイナは自覚した。
自分はそのような嫉妬など感じることはない。
そして、安堵する。
愛など必要ない。
愛など、無意味なだけだ。
そんな錯覚が、人類を滅ぼしたのだ。
動物の生存本能を『愛』という幻想で打ち壊したために、今この時、自滅していくのだ。
愚かな人間達。
愚かな自分達。
その愚かさに、今気づいたことこそが、何らかの掲示なのか。
考えることに疲れ果て、シイナは目を閉じる。
このまま眠ってしまえたら、きっと夢さえも見ずにぐっすり眠れるだろうに。
それでも、拒絶した時の、フジオミの寂しげな表情は頭から消えてはくれない。
感じる必要のない罪悪感に、今も苛まれている。
シイナの心は、千々に乱れた。
そしてまた、眠れない夜を過ごした。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる