ETERNAL CHILDREN 2 ~静かな夜明け~

ラサ

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4 不可解な感情

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「シイナ」

 かかる声に振り返ると、階段の手前にフジオミが立っていた。
 足音が全く聞こえなかったことに、シイナは内心驚いた。
 それとも、自分達が気づかなかっただけか?
「フジオミ――ああ、もうこんな時間なのね。シロウ、先に戻っていいわ。明日また」
「はい。では、失礼します」
 一礼すると、シロウはフジオミにも一礼して昇降機に乗り込み、移動用カートと共に降りていった。
 シイナも資料を抱えたまま階段へ近づく。
「彼は?」
「研究員よ。資料が必要になったので、探していたの」
 扉が開いて、再び締まる音。
 シロウが出て行ったのだ。
 フジオミが階下に目をやり、それから、シイナへ視線を戻す。
「彼は、何だか他のクローンとは違う気がする」
「ええ。クローンの中でも知能低下の起こらない特別な存在よ。研究者としても人間に引けを取らないところは素晴らしいと思う」
 フジオミは、少し奇妙な眼差しでシイナを見ていた。
「フジオミ?」
「――いや、君がクローンに対してそんな風によい評価をするなんて初めて聞いたよ」
「そうね。でも、彼は『特別』だから。他のクローンのように私を苛立たせないし、報告も質問への応答も常に適切だもの。今日の作業も、以前他のクローンと資料を探した時とは比べものにならない早さだった。文句はないわ」
「――」
「フジオミ? どうかしたの?」
「シイナ」
「何?」
 一瞬躊躇ったが、フジオミは真摯な眼差しでシイナを見て言った。
「――彼とは、二人きりにならないで欲しい。今日のように作業がある時は、必ず、他のクローンを傍に置かせて欲しいんだ」
「――」
 シイナは、フジオミが何を言いたいのか、最初意味をつかめなかった。
 だが、一拍おいて、その意味するところがわかり、
「それは命令なの?」
 辛うじて、そう問い返した。
「いいや――僕の、願いだ。君には拒む権利がある」
「――」
 シイナの中に強い反感が芽生える。
 拒否する権利を与えながら、半ば強制ともとれる願いを口にするフジオミが理解出来ない。
「では、拒否するわ。仕事に関してまであなたに口出しされたくない」
 強く言い切って、フジオミに視線を戻すと、シイナは眉を顰めた。
 フジオミが一瞬だけ、傷ついたような色をその目に滲ませたからか。
 錯覚だと思いたくて、シイナは振り切るようにフジオミの脇を通り過ぎ、階段を下りようとして、
「っ!?」
 最初の段を踏み外した。

「シイナ!?」

 咄嗟に、フジオミは彼女の腰を片腕で引き寄せ、自分へと抱き寄せた。
 書類の束が階段を滑りおりて乾いた音を立てていく。
 背後から抱きしめられるような体勢に、一瞬、シイナは混乱した。
 服越しに伝わる肌の温もりと感触に、背筋を掛け上がる不可解な恐怖に似た感覚。
「放してっ!!」
 支えてくれているフジオミの腕を両手で引き離してから、シイナは我に返った。
 振り返ると、フジオミは感情を表さないようにシイナを見ていた。
 それが一層、シイナを混乱させる。
「ごめんなさい。驚いて――」
 フジオミは、宥めるように微笑った。
 先ほどの無表情さを消し去ったかのように。
「――いや。わかるよ。いいんだ。僕のほうこそすまない」
 違う。
 彼が謝る理由などない。
 フジオミは足を滑らせたシイナを救けようとしただけだ。
「フジオミ――」
 自分のとった行動にうろたえるシイナに、フジオミは安心させるように笑いかける。
「シイナ。もう何度も言ったけれど、いいかい、君は僕に何の負い目も感じる必要はないんだ。君も僕も、一人の人間だ。もう義務に縛られることもない。自由な存在だ。何をしても、何を言っても、誰も君を責めないよ」
「――」
 フジオミは彼女を怯えさせないようにそっとその手をとった。
 だが、無意識のうちに彼女の身体はびくりとした。
「怯えないでくれ。僕は君を、もう傷つけたりはしないよ」
 その言葉は、確かに真実だった。

 それなのに、なぜ自分はこんなにも怯えているのだろう。

 フジオミは以前とは違う。
 もう自分にセックスを強要したりしない。
 それどころか愛しさを隠さず、壊れ物のように優しく扱う。
 何を言っても、何をしても、全て受け入れる。
 彼を恐れる理由など、何もない。
 もう何にも脅える必要もない。

 それなのに、なぜ――



 一度シャワーを浴びてからフジオミと食事をする頃には、シイナの奇妙な恐怖は消えていた。
 他愛のない会話をしながら、食事をするだけ。
 すでにここ半年習慣のようになってしまったことを、シイナは繰り返す。
 こんなことに何の意味があるのだろうと思いながら。
 家族は一緒に食事をするものだが、自分達は家族ではない。
 伴侶ですらない。
 幼い頃は――そうだ。マナのオリジナルであるユカと、よく食事をしたものだ。
 同性同士で。
 ユカは優しかった。
 姉のようであり、母のようだった。
 傷ついた自分を慰めてくれたのはいつも彼女だった。
 もし、彼女が生きていたら、こんな状況をどう打破しただろうか。
 彼女は強かった。
 たくさんの〈夫〉を持ち、誰をも平等に愛していた。
 実験体のように扱われることに不満を抱きさえしなかった。
 未来のために、自分を犠牲にすることを躊躇わなかった。
 そう――彼女は愛を知っていた。
 愛することを知っていた。
 結局は最後の実験として試された人工授精により、ユウしか産むことができなかったが、それでも、彼女は希望だった。
 自分にはできない。
 フジオミに触れられるのだけでも厭わしかったのに、たくさんの男達に抱かれるなど。
 ましてや自分の身体を実験体として扱われるなど。
 そう言う意味でも、やはり自分は〈女〉としては欠陥品なのだろう。
 それとも、欠陥品だから〈女〉として在るべき感情や性行為に嫌悪感しか持てないのか。
「――」
 またしても思考は堂々巡りを繰り返す。
 過去のことばかりが、思い返されるのは、これからのことを考える必要がないからか。
 それともと、シイナは思い返す。
 過去を思い返すのは、本能が危機を回避するためだという。
 過去の経験の中から、自分の今の状況を救える事態がないか検索しているのだと。
 そうだとすれば、自分は何を探し出そうとしているのか。
 自分の過去から、何を教訓とすれば、今のこの状況を抜け出せるのか。
 いくら考えても、この泥沼を抜け出せるはずもないのに。

 失ってしまった未来を、取り戻す術がない。

 それなのに、今も見苦しく足掻いている。
 自分だけが。

 フジオミはいいだろう。
 彼は、新しいものを築いていける。
 だが、自分には最初から何もなかったのだ。

 十四のあの夜、全てが完膚無きまでに壊れた。

 屈辱。
 嫌悪。
 苦痛。
 怒り。
 そこから、自分を立て直すまでに、さらに十四年かかったのだ。
 フジオミとの性行為が義務と言う強制になってから、シイナはフジオミに逆らったことなどなかった。
 常に求められれば受け入れた。
 防衛本能としてか、触れられれば身体は濡れる。
 だが、それだけだ。
 喜びを感じることはない。
 ただフジオミが熱を吐き出して満足するまで耐えるだけの時間。
 マナを創り出してからは、マナが〈女〉としての成長を果たすためだけの代替の時間潰し。
 シイナにとってセックスとは、それだけの意味しかなかった。
 そして、マナを失い、立て直したものさえ再び崩れ去った。

 今までの自分の人生は何だったのだろう。

 黙って従ってきたことで何を得たのか――絶望と諦観か。
 こうなるとわかっていたならば、あの夜、フジオミを受け入れなければよかった。
 殺されても何をしてでも、拒めばよかった。
 恐怖に泣き叫んで耐える必要が、何処にあったのだ。
 十四だったフジオミにも、自分を労る余裕もないほど子供だったのだ。
 誰も自分達に教えてくれなかった。
 相手を思いやることを。
 欲望の前に、その心を満たすことを。
 愛のない自分達がしたことは、所詮無意味な行為だった。

 それを、今更思い知らされるなんて。

「――」
 大きく息をついて、ふと気づく。
 あの夜のことを思い出したのに、いつも来るような嘔吐感がなかった。
 目眩もしない。

 それだけは、喜ぶべきなのか。

 この変化は、フジオミの変化でもあるのだと、シイナは悟る。
 そして、いかに自分がこれまで性行為の強制を嫌悪していたか、強制するフジオミを嫌悪していたかと言うことにも気づいた。
 だからこそ、今日のフジオミの言動には、反感を覚えたのだ。
 マナが去ってから、フジオミはシイナに対する強制を全てやめた。

 強制をやめたはずの彼からの、強制に近い願い。

 自分の仕事にまで口を出すなど、これまで無かったのに、何が彼にそれを言わしめたのか。
 直前まで、何の会話をしていただろうと思い返して、シロウの話をしていたのだと気づく。特別なクローンであると、フジオミに話した。
 そこで、シイナは奇妙な思いつきに眉を顰める。

 まさか――『嫉妬』か。

「――」
 気づいてから、シイナは呆れてしまった。
 フジオミは、自分とシロウが二人きりでどうにかなるとでも思っていたのか。

 自分がシロウを愛するとでも?

 馬鹿げた思考にシイナは鼻で嗤う。
 クローンを相手に恋愛感情が芽生えると、真剣に思っているのだろうか。
 クローンには子孫を残すどころか、性欲さえありはしないのに。

 全く以て理解することが出来ない。

 それとも、それこそが愛なのか。

 自分にはやはり、愛する心などないのだとシイナは自覚した。
 自分はそのような嫉妬など感じることはない。
 そして、安堵する。
 愛など必要ない。
 愛など、無意味なだけだ。
 そんな錯覚が、人類を滅ぼしたのだ。
 動物の生存本能を『愛』という幻想で打ち壊したために、今この時、自滅していくのだ。

 愚かな人間達。
 愚かな自分達。

 その愚かさに、今気づいたことこそが、何らかの掲示なのか。
 考えることに疲れ果て、シイナは目を閉じる。
 このまま眠ってしまえたら、きっと夢さえも見ずにぐっすり眠れるだろうに。
 それでも、拒絶した時の、フジオミの寂しげな表情は頭から消えてはくれない。
 感じる必要のない罪悪感に、今も苛まれている。
 シイナの心は、千々に乱れた。
 そしてまた、眠れない夜を過ごした。




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