竪琴の乙女

ライヒェル

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七章

ひたむきな愛

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マゼッタのスパルタ教育のお陰か、頭の中はもうサーシャ姫やアンジェ王女のことでいっぱいだったけれど、表面上は問題なく、ユリアスのお妃様ロリアンと、息子のテオドールに面会する。
生憎テオドールはゆりかごで眠っており、女官がつきっきりでゆりかごを揺らしていた。ロリアンは私に対し、品定めするような視線を向けてはいたものの、表面上は友好的に接してくれた。サーシャの従姉にあたるわけだから、敵意を向けられるかと思っていたけれど、意外とそのような印象は受けなかったのでホッとする。
ロリアンは、産後2か月で実家から王宮へ戻って来た。奥宮とは別の場所に住むが、王宮敷地内なので、これからはたまに顔を合わせることになりそうだ。
眠っていたテオドールがぐずり始めた。
そろそろ退室する時間となる。
ロリアンが最後に私の手を取り、にこやかに別れの挨拶をした。
「セイラ様、今度近いうちに是非、お茶会にご一緒してくださいね」
「……お誘い、有り難うございます。楽しみにしていますね」
ほぼ自動的に微笑みかえせたところから、マナー教育も条件反射的に発動されるくらい成果が出てきた。
王宮で貴族のご婦人方が定期的に集まってお茶会をしていることは聞いていたが、当然ながら未だに一度も出た事は無い。
きっとものすごく疲れる女子会になるのだろうと、全然乗り気はしないが、逃げる事は出来ないとわかっている。マゼッタには、婚儀が終われば、王妃の私がお茶会を主催したりと女性のネットワーク作りを主導しなくてはならないとまで言われていた。
ストレスが溜まりそうな面倒な役割に、今から憂鬱になる。
心の中でため息をつきつつも、張り付いた笑顔のまま、短い訪問を終える。
「少し早いが、ガゼボに行こう。散歩にもなる」
ユリアスに手を引かれ、ぞろぞろと護衛を従えて王宮を歩く。
「そういえば、もうすぐ竪琴が届くらしいね」
「はい。明日、明後日にも到着すると聞いています」
気分が明るくなる話題に自然と笑顔になる。
カスピアンから、アンリが竪琴を復元したということを聞いた時は、心底驚いた。アンリとヘレンは、カスピアンが手配した楽器職人、護衛と共に、竪琴に必要な特別な木材がある遠地まで出向いたという。そこに3年も留まって何度も試作を繰り返し、ついにその竪琴を完成させてくれたのだ。その特別な竪琴と一緒に、彼等がまもなく王都へ戻ってくる。
竪琴を納める時、国王が勲章を与える儀式が行われるとのことで、私も出席するようにと指示があった。
その日が待ち遠しい!
落ち着き無くそわそわしている私に目をやり、くすりと笑うユリアス。
「ぜひ、君の竪琴を聴かせてもらいたいね。テオドールの夜泣きにも効果がありそうだ」
「ええ、もちろん」
明るい話題に花を咲かせながら中庭に下りると、ユリアスが護衛にそこで待機するように指示をする。
「肖像画は、完成するまでは絶対に誰の目にも触れないようにする必要がある。画師との打ち合わせの内容も然り。護衛はいつも、離れたところに待たせなければならない」
「そうなのですね。わかりました」
新しい事を教えてもらい、大きく頷いた。
第24代国王カスピアンの肖像画はすでに完成しているけれど、今度は、国王と王妃の肖像画が描かれることになり、今日は、画師と面会し、構図について話を聞く。代々の国王、王妃の肖像画は、王宮の広間に飾られており、そこに私たちの肖像画もいずれ追加される。写真という技術がないこの国では、肖像画がいわゆる記念撮影の代わりというところだろう。
「今度、カスピアンが赤ん坊の時から毎年描かれていた肖像画のコレクションを見せてあげようか」
「はい!ぜひ、拝見したいです!」
思わず素が出て即答してしまい、慌てて黙ると、ユリアスがクスクスと笑い出した。
「君は素直でいい。本当に可愛い」
有り難うございますとも言うのも変なので、黙って笑顔で対応する。
本当に気を抜いてはダメだ。
カスピアンの幼少期、少年期の肖像画。
きっと可愛いんだろうなぁ。
いや、10代に入ったあたりから、あんな怖そうな表情をしているのかもしれない。
何時頃からあんなに筋肉隆々になったんだか。
早く見たい。
彼の肖像画を想像してわくわくした。


時折、秋色に染まり色づいた落葉がくるくると舞い落ちてくる。
ラベロア王国は四季がはっきりとしているらしく、秋が終わると冬となり、かなりの雪が積もるらしい。
赤毛のリス達が、落ち葉の山の周りを忙しそうに走り回っている。彼等も、木の実を枯葉の下に隠したりと、冬支度を始めているのだろう。
ここは庭といっても、公園並みの広さだ。
こんな中庭が王宮敷地内にはいくつもある。
隣を歩くユリアスが鼻歌を歌っているのに気がつき、こっそり笑いを零した。ユリアスは短気なカスピアンとは違い、あまり感情的ではないし、のんびりした性格らしく、そういった意味では一緒にいても気が楽だ。カスピアンと口論する時だけは、別人のようだけれど……でもあれも、兄弟愛のひとつの形のような気がする。
ぼんやりと考え事をしながら、落ち葉で金色に染まる小道を歩いていると、何やら言い争うような声が聞こえてきた。
「画師はまだ着いていないと聞いたが……」
立ち止まったユリアスが首を傾げ、注意深く声のするほうに目を向けた。
声がこちらのほうへ近づき、木々の茂みの向こうに人影が見えて、ハッと目を見開く。
カスピアンと、サーシャだ。
サーシャの腕を掴んでいるカスピアンの姿が目に入る。サーシャは抵抗しようとしているように見えた。
どういうこと?!
私の頭の中は一気に混乱する。
二人は、私とユリアスが少し離れた木陰にいることには全く気がついていない様子で、やがて会話まで耳に届き始めた。
「陛下!」
サーシャが声をあげるのに構わず、カスピアンは彼女の腕を引きずるように歩きだした。
「陛下!嫌です!」
サーシャが躓くように立ち止まった。
「話は終わりだと言うのがわからぬか!」
苛立つカスピアンが、サーシャの腕を空に投げるように放した。
「どうして分かっていただけないの?私はずっと貴方を信じてたのに!」
「その話はやめろ!」
明らかに緊迫した状況に、私は血の気が引く思いで息を呑んだ。
「セイラ、あちらに行こう」
ユリアスが小声でそう言って私の手を引いたが、私の足は重りをつけたようにそこから動かない。
「セイラ」
ユリアスが厳しい声で私を呼び、強く手を引く。
こんなところで盗み見や立ち聞きをするなんて、品位を欠く行動だって百も承知だ。
後で、カスピアンに聞けばいいじゃないか。
何があったのかと。
分かっているけれど、どうしても動きたくなかった。
なのに、ユリアスが私を引きずるようにしてその場を去ろうとする。
力尽くで引っ張られ、じりじりと後ずさりするように動き出したものの、私の目は茂みの向こうの二人から離れない。
「貴方は私に、妃になれとおっしゃったわ!約束の口づけもお忘れになったのですか?!」
サーシャが泣き叫ぶような声をあげたかと思うと、カスピアンに抱きつくのが見えた。
「えっ……」
私はぴたりと足を止めた。
今、聞こえた言葉に呆然となる。
聞き間違いだったのだろうか。
ついに同じく立ち止まったユリアスが、後ろで大きなため息をついた。
「私はただの一瞬も忘れた事はありません。あの夜、一生貴方だけを愛すると誓ったのですから……」
「黙れ!それ以上続けるとおまえでも許さんぞ」
カスピアンが顔を背けて、抱きつくサーシャの腕を掴んで外そうとしているのが見えた。
次の瞬間、サーシャが背伸びしたかと思うと、カスピアンにキスをした。
鈍器で頭を殴られたような衝撃を受け、私は息を飲む。
「無礼者!この手を放さぬか!」
カスピアンがサーシャの肩を掴み、無理矢理体を離した。
「嫌です!思い出してくださるまで、離れません!どうしても離れろとおっしゃるのなら、この腕を切り落として!」
サーシャが涙を流しながらカスピアンのマントを掴み、また抱きついた。
絶対に離れまいというように、両腕をしっかりとカスピアンの背に回し、顔をその胸に埋める。
カスピアンが疲れ果てたかのように顔を上にあげ、天を仰ぐ。
そのまま、時が止まったように動かない二人。
まさか、こんな修羅場に出くわすることになろうとは。
ショックのあまり、頭の中が真っ白になる。
「やれやれ……」
ユリアスがうんざりしたように呟き、身を屈めると、小石を手に取り、10メートルほど先に投げた。小石の落ちる音が聞こえたのか、二人がハッとしたようにこちらを見た。
「今頃気がつくとは、呆れたものだ。全く面倒をかけてくれる」
ユリアスが独り言のようにそう呟くのを、まるで人ごとのような気分で聞いた。
カスピアンが再び、抱きついているサーシャの肩を掴み体を離すと、その腕を掴みこちらへとやってくる。引きずられるように歩くサーシャの真っ青な目は涙で潤み、美しく結い上げられていたはずのブロンドの髪も乱れていた。その打ちひしがれ憔悴した表情に、心臓がえぐられるような気がした。カスピアンは無表情で感情の失せた目を私に向けた後、ユリアスに視線を移す。
「ユリアス。サーシャを連れていけ」
うなだれるサーシャの腕を、ユリアスに渡すカスピアン。
「サーシャ、おいで」
ユリアスに宥められるように肩を抱かれ、サーシャは俯いたまま、ゆっくりと王宮のほうへと歩いて行く。
秋色の庭園にそぐわない、暗く重い空気が漂う。
カスピアンの顔を見る勇気もなく、ただ、去って行くサーシャとユリアスの後ろ姿を呆然と見つめる。
「セイラ」
肩に触れられ、思わずびくっとして顔を背けた。
これは、一体どういうことなの?
妃になれと言ったとか、約束の口づけとか……しかも、あの夜、貴方だけを愛すると誓った、とも聞こえた!
激しい動揺と不安のあまり、この疑問が言葉として口から出てこない。
再度、さっき聞いた事を頭の中で巻き戻してみる。
妃になれと言った。
約束の口づけ。
愛すると誓った。
復唱してみて、カッと頭に血が上る。
やっぱり、どう解釈しても、カスピアンが、サーシャに妃になれと言って、お互い愛を誓ったっていうことだ!
そうなると、私がカスピアンを横取りした悪人じゃないか。
サーシャは、あんなに泣いて、すがってた。
裏切られたという悲しみで、全身を震わせてた。
でも、これじゃぁ、私だって、裏切られた立場じゃないか。
彼は、私だけだと言ってたのに、実は、サーシャにも求婚してたわけだから。
どういうことか、説明してほしい!
言葉にならない思いで立ち尽くしていると、カスピアンが両腕を伸ばして私を抱き寄せた。いつもなら自分からその胸に飛び込むけれど、とてもそんな気分にはなれるはずはなく、身を硬直させる。
逃げてはダメ。
何故なら、私は、彼を愛しているから。
この先何があっても、彼と一緒に居たいと思っていた。
真実と向き合わなければ、彼との未来へは進めない。
呪文のように自分にそう言い聞かせ、今にも逃げ出そうとする足をかろうじて踏みとどめた。
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