竪琴の乙女

ライヒェル

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十章

二人の晩餐

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胡桃とパセリ入りクリームチーズの生ハム巻き
南瓜と人参のクリームスープ
レタス、トマト、ひよこ豆、紫玉葱のサラダ(イチジクとピスタチオのトッピング)
ゆで卵入りミートローフ
ディルの白身魚のソテー
ローズマリーポテト
フェンネルとズッキーニのチーズ焼き、フライドオニオン乗せ
パン職人さんに焼いてもらった、ラムレーズンバターを練り込んだ白パン


デザートには、カスタードのシュークリーム。
保存用にあった梨の白ワイン煮を挟んで、粉砂糖をかけてもらい、仕上げにミントの葉を一枚飾る。


厨房の料理人達が、オーブンで風船のように膨らむシュー生地を見て騒いでいた。どうやらこの世界では存在しないお菓子だったらしい。ラベロア独特のお菓子なのかと聞かれ、どう答えるか一瞬悩んだが、そうです、と返事をしておいた。ラベロアに戻り次第、シュー生地の作り方を国全体に広めておかねばと頭に留めておく。
「セイラ様、サロンにお越しになってください。陛下が大変ご立腹です」
サロンの様子を見に行っていたサリーが、焦った様子で戻って来る。
カスピアンを怒らせないよう、サリーには定期的にサロンへ顔を出してもらっていた。
機嫌が悪いカスピアンに、一体私が何をしているのかと聞かれる度に、どうしても手が離せないと、苦しい言い訳で凌いでいたサリーも、ついに限界に来たらしい。
「大丈夫、やっと終わったから」
「それでは、お召し替えをなさってから……」
慌てた様子で私の手を取ろうとしたサリーを止める。
「着替えなくていいの。私も配膳、手伝うから」
サリーが仰天したように目を剥いた。
「配膳まで手伝われるなんて、ダメです!次期王妃が、厨房に入っただけでも異例なのですから」
「ここは外国だし、今晩だけ無礼講ということで、そこをなんとか……」
「ダメです!」
こればっかりは譲らない、ときっぱり拒否するサリー。
「エプロンを外せば、そんなに汚れてないし、急がないと冷めてしまうから、このまま行きたい」
なおも食い下がる私に、サリーが疲れ果てたようにため息をつき、私の顔を見た。
頑固な私の性格を知っているだけに、説得を試みる時間も無駄だと思ったのか、サリーはついに折れた。
「では、こうしましょう。本来なら、揃って広間での夕食ですが、陛下には、セイラ様のお部屋で召し上がっていただく事にします。広間の方は、厨房スタッフに配膳させます」
私のこの作業着姿は、カスピアンしか目にしないわけだ。
もちろん、私に異論はない。
サリーが急いでサロンのほうへと戻って行った。
広間のほうはアンカール国の配膳係にお願いすることにして、カスピアンと私の分だけを別のワゴン二台に入れてもらう。
ラベロアから来ている女官二人と一緒に、ワゴンを押して厨房を出発した。
ひとつのワゴンには、温かい食事を入れて、もうひとつのワゴンには、冷たい飲み物とデザート、食器、カトラリー。
小学校時代の給食当番を思い出して、懐かしい気持ちになる。
今回、サリーに同行してきた女官達は、カタリナとローズ。
カスピアン付き女官マーゴットの直属部下で、通常はカスピアン付きとして働いている、選り抜きの女官達だ。
私にとってのアリアンナとエリサみたいな位置づけなので、私の本来の姿を見せても問題はない。彼女達は、他の女官達より更に厳しい、秘密保持義務があるからだ。王室メンバーの情報を決して漏洩しない、信頼の置ける優れた女官しか、直接王族メンバーに仕えることは出来ない。婚儀が済んだ後は、私も関わりが増える事になるので、今回こうやって彼女達と行動を共にする機会があってよかったと思った。

私が使わせてもらっている部屋の前に来ると、ラベロアの衛兵が私に気づき、敬礼して扉を開ける。ポーカーフェイスだが、きっと私の姿に驚いたに違いない。彼等もまた、王宮で私の護衛をしてくれる衛兵で、私と直接面識がある。だから、こんな格好をしていても私だと認識してくれるのだ。彼等は、私にとって、居心地のいい空間を守ってくれる大切な仲間だった。
いつの間にか、本当にラベロア王宮は私の帰る場所になっていることに気づいて、胸が温かくなる気がした。
部屋に入ると、テーブルに純白のクロスを広げ、キャンドルに火をつけているサリーの姿が目に見える。少し離れたカウチで、両膝に肘をつき、苛々した様子のカスピアンが座っているのが見えた。
眉間に深い皺が寄って、口元がきつく結ばれている。
私達三人が入って来た時、彼はちらりと視線をよこし、すぐに目を逸らした。だが、その直後、もう一度こちらを見て、私に気がつき唖然としたように目を見開いた。
「セイラ……」
「お待たせしました」
彼に向かい、女官達と一緒に並んで、きちんとお辞儀をしてから顔をあげると、困惑顔の彼が立ち上がる。恐らく何を言えばいいのか分からなくなっているらしいカスピアンに、サリーが席につくように声をかける。
目を丸くしこちらを見ながら、席についたカスピアンに、サリーが事の次第を説明する。
その間に、私達はテーブルの上に食事を並べた。
一通り配膳を終わり、私もエプロンを外してテーブルについた。
飲み物を準備する女官達を間に挟み、向かい合って座る私をまじまじと眺めるカスピアン。
「姿を見せないと思えば、おまえはずっと厨房にいたのか」
「黙っていてごめんね。言うと、止められるかと思って……」
カスピアンなら、次期王妃という立場がどうのこうのということより、刃物や火が危ないとかそういうことを心配して止めさせようとしただろう。
図星だったのか、彼は否定はせずに、やれやれというようにため息を零し、ナイフとフォークを手に取った。
私は、まだ立っていたサリーと女官二人にも広間へ行きエイドリアン達と一緒に食事をするようにお願いした。三人とも、ここの手伝いをするつもりだったのか遠慮してなかなか動こうとしなかったが、カスピアンが一言、広間に行くように命じると、即座に従った。表にいた衛兵達も同じく、カスピアンの命令で警備を中断し広間へ向かった。
やっぱり、国王の命令は絶対らしい。
まだ、打ち合わせが終わっておらず、あまりのんびり食事するわけにもいかないと聞いていたので、早速食事を始める。
彼が気に入ってくれるか気がかりだったけれど、口に合ったようだった。どんどん食べてくれるのを見ていてとても幸せな気分になる。愛する人に食事を与える行為は、美味しいものを楽しみながら食べる喜びを分かち合う以上の意味が有る。
もっと強く、もっと生きて欲しい。
そんな願いが込められている。
ヴォルガの河で溺れかけ、ようやく目が覚めた時のことは、私の中でとても鮮明な記憶となっていた。冷たい濁流で打たれた体が痛み、喉はカラカラで声もでなかった。
温かいお茶を飲もうと思っても、自分の手は思うように動かず役に立たない状態だった。
そんな時に、彼は黙って、私にお茶を飲ませてくれた。先に口をつけたのも、きっと温度の確認をしてくれたのだろう。そんな相手を思いやる気持ちほど、温かいものはない。


食事をしながら、明後日メルベクで金細工師に指輪を発注することについて相談した。彼の希望で、私の指輪には彼が選ぶ宝石をいくつか入れることになった。常にはめていることになるわけだから、石は小さいもので肌に直接あたらないよう、しっかり埋込むデザインにするとのこと。そして、私の提案で、婚儀の年月日はこの世界の暦表記で、私達の名前は、私の世界のアルファベッドを使い、Caspian & Sarah と刻んでもらうことにした。英語表記の名前を紙に書いてみせると、彼から見たら当然解読不可能な暗号のようなものだったらしいが、筆記体は気に入ってくれた。
デザートまでしっかり平らげてくれて、とても満足してくれた様子のカスピアン。
これは大成功と呼んでいいかもと、嬉しくてにこにこしていると、彼が、くすりと笑う。
「厨房がよほど楽しかったと見える」
「それは、もちろん!」
即答すると、彼は少し思案するようにじっと私を眺めた後、思わぬことを言い出した。
「国王と王妃の間はすでに改装も終わっているが、同じ階の空いている部屋を、調理が出来るように改築することも出来る」
「えっ」
驚いて目を見開く私に、彼は目を細めて微笑んだ。
「本格的な調理場ではなく、一通りの作業が出来るくらいの設備にはなるが、女官達の休憩所の隣に作れば、何かと利便が良いだろう」
「それは……もちろん、そんなことが出来るなら、とっても嬉しい……」
信じられない思いで、声がうわずってしまう。やや興奮気味でそわそわと落ち着きのない私の様子に、カスピアンが笑いながら立ち上がった。
「実際に使えるようになるまでは少し待たねばならぬだろうが、王宮に戻り次第、手配を進めてやろう」
「ありがとう……!」
打ち合わせに戻る彼を見送るために、部屋の扉のほうまで後をついていく。
扉を開ける前に彼が振り返り、両腕を広げてくれる。
いつものように抱きつこうとして、自分がまだ厨房の服を着ている事に気がついた。所々汚れている服を見下ろして躊躇していると、カスピアンは構わず私をぎゅっと抱きしめる。温かさに包まれて幸せな気持ちでいっぱいになると、ほんのひとときさえも離れ難くて胸がちくりと痛んだ。ラベロアを逃げ出し、このぬくもりからずっと離れていたなんて信じられないくらいだった。
「カスピアン?」
私は顔を上げて、彼を見上げた。優しい笑みを浮かべて私を見つめる彼に、我が儘になる自分をどうしても止められなかった。
「お願いがあるの」
カスピアンはひとつ瞬きをした。
「なんだ。言ってみろ」
「……ひとりで、眠りたくない」
声が小さくなってしまった。
まるで小さな子供のように駄々をこねている自分が恥ずかしかった。
でも、知らない場所でひとりで眠るのは心細いし、目が覚めたら本当は全てが夢で、彼がいなくなってしまうような気がして怖かった。考えただけで不安になり、少し涙が浮かんで来てしまう。
彼はじっと私を見つめていたが、やがて目を細めて微笑んだ。
「もちろんだ。後で来てやるから、先に休んでいろ。おまえも疲れただろう」
「ほんとに?ほんとに来てくれるの?朝まで一緒に居てくれるの?」
念を押すと、彼が頷いてぎゅっと私の背を抱きしめた。
「ただし、また猫が忍び込まぬよう、窓の確認をしておけ」
冗談ともつかぬその言葉に思わず笑い出すと、彼は幸せそうに微笑み、私の額に口づけを落とした。
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