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五章
5話
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空色のなびく長髪。美丈夫の造形。世界最強と謳われる男がそこへいた。
「リデル。やはり覚えていてくれたんだね」
ルドウィクが微笑む。思わず釘付けになって頭が真っ白になった。いや、ダメだ。考えろ。何が起きている? この男は何を起こそうとしている? 頭を回せ。
ルドウィクは、ハマンを斬った大剣を血振りすると背の鞘へ収めた。そして、愛馬バイコーンのシャムロックの背から颯爽と降り立つ。そこで俺はようやく気付いた。シャムロックの背にはまだ二人乗っていた。彼らもルドウィクに従って降りて来る。
「ちょっとぉ、斬っちゃうことなかったじゃないですか」
そう発した一人は、山吹色の髪で奥二重の切れ長の眼の男だ。ルドウィクへ指差して抗議の意を示している。
「同志ルドウィク……これも大いなるものの導きですか?」
こうして恐れを抱いた表情をしているもう一人は、栗色の巻毛で、丸い輪郭の顔で眼も丸い。十代前半そこそこの小さな少女だ。
「彼、ハマンは元々七剣星に相応しくないと思っていた。大丈夫さ。彼の替わりならいくらでも見付かる」
「まあ、パワーバカの破壊好きなんて、いくらでもいそうですが……でも、せっかくミムちゃんと気が合ってそうだったのに」
そう言う奥二重の男の視線の先、当のミムが歩いてやって来た。
「同志ミム、憂いているかい?」
ルドウィクが声を向ける。同志? この呼び合い。ルドウィクもエンペリオンってことか?
「いえ、同志ルドウィクが為されたことなら……」
ミムの表情は仮面のように動かなかった。不自然さを感じる。表情を動かさないでいると言った方が正しいのかもしれない。
「そうか。分かってくれて良かった。同志ミム、すまないが、リデルに治癒魔法を施して欲しいんだ。頼めるかい?」
ルドウィクの声も顔もずっと優しかった。だけど、何かがおかしい。狂ってる。上手く言語化出来ないけど、身の毛のよだつこの感覚がきっと正しい。
「……はい」
ミムは俺へ近づいて来る。ついさっき俺へ殺意を向けていたのに、本当に治癒魔法なんて施すつもりなのか? だけど、今の俺の身体の状態じゃ逃げることも出来ない。ミムが杖を俺の胸先へ突き付ける。緊迫で体中の筋肉が強張った。
「恩恵回復」
ミムが握る金属の杖の先が暖かく輝き、俺はその光に包まれた。瞬く間に痛みが消え、身体感覚が戻って来る。
本当に俺を回復させた。何を考えているんだ? 全くルドウィクの、奴らエンペリオンの意図が読めない。
「同志ネリア、同志シェイド、そこにいるね」
ルドウィクが木々の間へ向かって声をかけた。すると、そこへ二人の人間が、ふと現れた。動きが全く見えなかった。魔力の流れから察すると、魔法か?
一人は笑窪が印象的な柔和な女性だ。紫色の長い髪で、黒のゆったりとしたワンピースを着ている。
一人は少年だ。黒髪の癖毛で、黒のコートを纏っていて、その隙間から刺繍を施したスーツの上下が見える。
「これはこれは。申し訳ごさいません。こちらからご挨拶もせず。あの怖いお犬と睨み合いをしておりましたので」
柔和な女性がゼルの方をチラリと見遣り、ルドウィクへ向けて恭しく膝折礼をした。
「同志ネリア、どうして殺らなかったの? 出来たでしょ」
少年が憮然とした表情で鋭く言った。
「だって、久しぶりにルドウィク様にお会い出来ると思って、お洋服を新調したのだもの。あの感覚の鋭いワンちゃんなら、この袖ぐらいは破いて見せたはずよ。嫌でしょ? ルドウィク様にそんなみっともない姿をお見せするなんて」
「まったく、そんな理由で……」
「いいのさ、同志シェイド。大賢者エイラの命は奪えずとも、その力は封じられた。だろう?」
ルドウィクが見るように顎を動かす。その先ではアディが丁度エイラの肉体を空の狭間へ送り終えたところだった。エイラからの魔力が途絶えたからなのか、同時に精霊の兵団が霞のように消え去った。
「でも……エンシェント様が……」
シェイドと呼ばれた少年が口籠もりながらルドウィクへ言を向ける。
「エンシェント様は手段を提示なされただけさ。その目的は達成された。さて、ここからは私の頼みごとだ。同志シェイド、皆を連れてこの森を離れてくれないかい?」
ルドウィクの言葉は相変わらず優しく、表情も柔らかい。彼のこの組織での立ち位置ってどんなものなんだろう? 少なくとも、この中では一番上に見える。しかも、ルドウィクは世界最強の戦士だ。そのような人物からのお願いごとに、エンペリオン達の向ける表情は様々だった。その中に一人、丸顔の少女だけは俺へ哀しそうな顔を向け続けていた。
「それって、撤退ってことじゃ……でも……」
「ほら、同志シェイド。ルドウィク様からのお願いごとなのよ。聞いて差し上げなさいな。大いなるものの導きは、光を成す者と共に。以前エンシェント様が仰られていたことよ」
「わ、分かったよ、ネリア。それじゃ、そこの二人、ノイエスとエナもこっち来て」
ノイエスとエナとは、ルドウィクと一緒にシャムロックに乗って来た二人か。彼らが俺の前を通り過ぎる。
「……ごめんなさい。でも、きっとまた会えるから……どんな形になっても」
その時、丸顔の少女が悲しげな眼と共にそう言った。何故謝るんだ? 会えるって、なんだ?
「リデル君だっけ? まっ、頑張って」
奥二重の男が軽薄に言いながら歩いて行った。何を頑張るんだ?
「回復は終わったわ。だけど、覚悟して。同志ルドウィクはお優しい方じゃないわ」
ミムが小声で言うとシェイドの元へ歩いて行った。ルドウィクが優しいだなんて、そんなこと思っていない。だけど、何が始まるんだ?
エンペリオン達が集まり、シェイドが目を閉じる。それだけでその姿が遠く透明に見えた。魔法の発動なんだろうけど、知っている感覚とは違う。
「果てより遠」
その瞬間、エンペリオンの五人の姿が消えた。彼らの魔力の欠片も感じない。瞬間移動の類の魔法かもしれない。あんなものを自由自在に使われたら、大賢者でもタイミング次第で簡単に背後を取られてしまう。
「おっと、これの処理も頼めば良かった。君と私の間にあるべきではない」
ルドウィクはハマンの首と胴が別れた亡骸へ掌を向けた。
「燃えよ、光」
ルドウィクの掌から光球が放たれる。ハマンの骸へ落ちたそれは白い炎に変わり瞬時に燃え盛った。
「安心していいよ、リデル。その炎は対象のみを焼く。この美しい森に火を着けることはないさ」
ルドウィクが微笑む。またこれだ。完璧な造形美が俺の思考を狂わせる。きっと、光を成す者の奥底へ潜む狂気が引火するんだろう。
「さて、リデル。私は君に会いたくてここへやって来たんだ。これを見せる為にね」
言うとルドウィクは腰裏へ手をやり何かを取り出す。細長い形状のそれを彼は俺の目の前へ放り投げた。
俺は塊みたいな空気を一気に吸い込込み、しばらく吐き出せなかった。
「……人間無骨」
持ち主の魔力の籠った雷を通すことによって自在に長さを変えるそれ。昔話にも登場する伝説的なそれ。そして、母ライカが愛用していたそれだ。
長さ三十センチばかりに縮んだ十文字槍人間無骨が、俺の目の前の地面へ転がっていた。見間違えるはずはない。これに籠る母ライカの雷を僅かに感じる。
「どうして、あなたが?」
既に頭の中に浮かび上がりつつあるそれを、俺は問いかけで押し潰した。だけど、言葉に出して間違いだったと気付いた。
ルドウィクがまたあの微笑みを浮かべた。完璧な歪みのない狂った笑みだ。
「殺して奪ったのさ。君の母、ライカ・カザクを殺してね」
俺の中を衝動が駆け巡った。双穂槍弐禍喰を構える。その雷の刃の切先をルドウィクの喉元へ向けた。分かっている。衝動のままに動いてはいけない。母から教えられた武が理性を繋ぎ止めてくれる。
「……嘘だ」
信じたくない。でも、目の前に突き付けられた十文字槍がそれを打ち消して来る。
「ああ、至高の時間だったよ。あの刃の重み、鋭さ。たった一槍でも私の命は奪われていただろう。凄まじい武の錬磨だった」
ルドウィクは恍惚とした表情を浮かべていた。この男、歪んでいる。
「……止めろ」
こいつを殺す。そんな言葉が頭を埋め尽くす。ダメだ。感情に支配されるな。
「敢えてこの身に受けていればと後悔すらしている」
上気したルドウィクの顔。原初的な癖が発露している。俺の腹から吐き気が込み上げて来る。
「止めろ。母さんの武を汚すな」
殺す殺す殺す、殺してやる。分かっている。分かっているんだ。だけど、どうしたらいいんんだ? この憎悪を。息をするたびに膨れ上がっていくようだ。
「君の父、ミハイル・フォン・ヴェルテの魔法も素晴らしかった。荘厳で強大、その奏すらも美しかった。夫婦揃ってこの手で葬る。ああ、なんという幸運。大いなるものへ感謝だ」
ルドウィクは天へ向けて手を合わせた。
今、この男なんて言った? 頭の中がグシャグシャになる。
「……父さんを……」
荒々しい呼吸で言葉が上手く出ない。
「ん? 聞いていなかったのかい? 道理で君が私に向ける眼に憎悪が足りないわけだ。そう、君の父ミハイルも、私が殺したよ」
ルドウィクが微笑む。完璧な造形美で。突き崩された。そう思った時には既に、俺はルドウィクへ向けて双穂槍を振るっていた。言葉とはほど遠い奇妙な雄叫びも一緒に上げていた。
力任せな俺の一撃をルドウィクは難なく躱す。それでも俺は止めなかった。何度も何度も、槍を振うたびに雄叫びを上げるたびに、憎悪が膨らんで俺が俺から遠去かっていった。
(いいのか? もう、俺でも抑え切れんぞ)
闇神の声が頭の中へ響いた。
「いい! こいつを殺せるなら、それでいい!」
(なら、味わえ。その身を焦がす、己が愚かさを)
俺の肉体から魔力の柱が立ち昇る。周囲の風が荒波のようにぶつかり合って廻冥の森の大木を揺らした。地が呻きを上げて激震が起きる。
「リデル!」
アディとゼルが叫んでいるのが見えた。吹き飛ばされないようにと必死に木へしがみ付いている。
「やはり私の目に狂いはなかった! さあ、その憎悪、存分にぶつけろ!」
ルドウィクが大剣を抜いて構える。そこへ俺は斬りかかった。刃のぶつかり合いの衝撃だけで木々が傾く。
待て。どうして俺はこの様を外側から見ている? 俺はあそこへいる。周囲の木々を薙ぎ倒しながら、ルドウィクへ向けて凄まじい速度と力で槍を繰り出している。
「まさかここまでとはな」
隣へ闇神が立っていた。腕組みをして半ば呆れた顔をしていた。
「これは……俺はどうなったの?」
「武蔵の肉体から俺達の魂が抜け出たようだ。魔力の爆発的な高まりの影響だろうな」
「まったくもう、君達までこっちへ来ちゃったの?」
聞き覚えのある声だった。目を向けると、そこへ大賢者エイラが立っていた。
「なるほど、貴様があの剣で貫かれても滅びなかったのは、こちらへ魂を移したからか」
「そゆこと」
「え、待って。ここって何処?」
「んと、空の狭間だよ。でも、道具とか物質を仕舞っておける場所じゃなくて、えと、あの世でもこの世でもない場所って言ったらいいかな」
「でも、俺の体は動いている」
俺が槍を振るうたびに凄まじい雷が巻き起こった。その熱と衝撃で木々を炭に変え薙ぎ倒す。ルドウィクは薄く笑いながら、大剣でそれを受け流していた。はしゃいでいるようにも見える。
「凄まじい感情の爆発と魔力だからね。どっちも肉体の一部だから、それに動かされてるの。あんま、感情の昂り感じないでしょ?」
「確かに……」
さっきまでの憎悪が嘘のようだ。感情は肉体の一部なのか。
「でも、ルドウィクって本当イカれた奴だよね。こんなことになるなら、もっと早くに手を打っておくべきだったよ」
「あの……母さんがルドウィクに討たれたのって……」
「うん。多分、本当。持ち主の特別な想い入れのある道具って、魔力と魔力で常時繋がり合って見えるんだけど、今の人間無骨からはそれが感じられないからね。まさか、想い入れが突如なくなったなんて考えられないし」
「そんな……」
エイラはなんの気負いもなく言ってくれる。これも魂だけの存在だからか。俺も激しい悲しみが湧き起こって来ない。悲しみたがっているのに、薄っすらとした感情がある。そんな不思議な感覚だ。
「それより、闇神さんもだよ。なんで、神威融合発動しなかったの。あれは使う場面でしょうが」
エイラが指を差して闇神へ詰め寄った。
「武蔵に感情の囚われが起こるとどうなるか、思い知ってもらおうと思ってな。結果は俺の予想外だった」
「あのままだとどうなるか分かってるでしょ?」
「ああ。武蔵の肉体は滅びる。この廻冥の森も焼き尽くされるだろうな」
「え?」
闇神は軽く言った。まるで小石でも投げるかのように。
「なら、速く君達の魂戻すよ。で、すぐに神威融合発動。いい?」
「ああ」
改めて大賢者エイラってすごいよな。闇神だって一応神なんだろう。それに対して指示している。
「リデルちゃん。肉体へ戻ったらまた激しい感情に呑まれると思うけど、なんとか踏ん張って例の言霊唱えてね」
「うん。あ、あの。エイラさんはどうなるの?」
「私のことはアディちゃんに任せてるよ。たまになら、こっちの世界から助けて上げられると思うし。っと、そろそろヤバイね」
俺の肉体が弐禍喰を薙いだ。雷撃が迸り巨大な閃光と轟が起こった。一瞬で見える範囲の木々が炭に変わる。闇神が廻冥の森が焼き尽くされるって言ってたことも大袈裟じゃない。
「ハハハハッ! 素晴らしい! 素晴らしいよ、リデル!」
その雷を喰らっても、ルドウィクが大笑いを上げていた。その肌にも纏う鎧にも煤一つついていない。
「うへ……ありゃ大変態だね。このままだと、リデルちゃんが自ら滅びるよりも、ルドウィクに斬られる方が速いかも。神威融合でようやく互角ってところかな」
「互角であれば充分だ。速く戻せ」
「分かってるって。んじゃ、リデルちゃん。またね」
エイラは俺へ掌を掲げた。その顔はまた明日会おうって、そんな笑顔だった。
「リデル。やはり覚えていてくれたんだね」
ルドウィクが微笑む。思わず釘付けになって頭が真っ白になった。いや、ダメだ。考えろ。何が起きている? この男は何を起こそうとしている? 頭を回せ。
ルドウィクは、ハマンを斬った大剣を血振りすると背の鞘へ収めた。そして、愛馬バイコーンのシャムロックの背から颯爽と降り立つ。そこで俺はようやく気付いた。シャムロックの背にはまだ二人乗っていた。彼らもルドウィクに従って降りて来る。
「ちょっとぉ、斬っちゃうことなかったじゃないですか」
そう発した一人は、山吹色の髪で奥二重の切れ長の眼の男だ。ルドウィクへ指差して抗議の意を示している。
「同志ルドウィク……これも大いなるものの導きですか?」
こうして恐れを抱いた表情をしているもう一人は、栗色の巻毛で、丸い輪郭の顔で眼も丸い。十代前半そこそこの小さな少女だ。
「彼、ハマンは元々七剣星に相応しくないと思っていた。大丈夫さ。彼の替わりならいくらでも見付かる」
「まあ、パワーバカの破壊好きなんて、いくらでもいそうですが……でも、せっかくミムちゃんと気が合ってそうだったのに」
そう言う奥二重の男の視線の先、当のミムが歩いてやって来た。
「同志ミム、憂いているかい?」
ルドウィクが声を向ける。同志? この呼び合い。ルドウィクもエンペリオンってことか?
「いえ、同志ルドウィクが為されたことなら……」
ミムの表情は仮面のように動かなかった。不自然さを感じる。表情を動かさないでいると言った方が正しいのかもしれない。
「そうか。分かってくれて良かった。同志ミム、すまないが、リデルに治癒魔法を施して欲しいんだ。頼めるかい?」
ルドウィクの声も顔もずっと優しかった。だけど、何かがおかしい。狂ってる。上手く言語化出来ないけど、身の毛のよだつこの感覚がきっと正しい。
「……はい」
ミムは俺へ近づいて来る。ついさっき俺へ殺意を向けていたのに、本当に治癒魔法なんて施すつもりなのか? だけど、今の俺の身体の状態じゃ逃げることも出来ない。ミムが杖を俺の胸先へ突き付ける。緊迫で体中の筋肉が強張った。
「恩恵回復」
ミムが握る金属の杖の先が暖かく輝き、俺はその光に包まれた。瞬く間に痛みが消え、身体感覚が戻って来る。
本当に俺を回復させた。何を考えているんだ? 全くルドウィクの、奴らエンペリオンの意図が読めない。
「同志ネリア、同志シェイド、そこにいるね」
ルドウィクが木々の間へ向かって声をかけた。すると、そこへ二人の人間が、ふと現れた。動きが全く見えなかった。魔力の流れから察すると、魔法か?
一人は笑窪が印象的な柔和な女性だ。紫色の長い髪で、黒のゆったりとしたワンピースを着ている。
一人は少年だ。黒髪の癖毛で、黒のコートを纏っていて、その隙間から刺繍を施したスーツの上下が見える。
「これはこれは。申し訳ごさいません。こちらからご挨拶もせず。あの怖いお犬と睨み合いをしておりましたので」
柔和な女性がゼルの方をチラリと見遣り、ルドウィクへ向けて恭しく膝折礼をした。
「同志ネリア、どうして殺らなかったの? 出来たでしょ」
少年が憮然とした表情で鋭く言った。
「だって、久しぶりにルドウィク様にお会い出来ると思って、お洋服を新調したのだもの。あの感覚の鋭いワンちゃんなら、この袖ぐらいは破いて見せたはずよ。嫌でしょ? ルドウィク様にそんなみっともない姿をお見せするなんて」
「まったく、そんな理由で……」
「いいのさ、同志シェイド。大賢者エイラの命は奪えずとも、その力は封じられた。だろう?」
ルドウィクが見るように顎を動かす。その先ではアディが丁度エイラの肉体を空の狭間へ送り終えたところだった。エイラからの魔力が途絶えたからなのか、同時に精霊の兵団が霞のように消え去った。
「でも……エンシェント様が……」
シェイドと呼ばれた少年が口籠もりながらルドウィクへ言を向ける。
「エンシェント様は手段を提示なされただけさ。その目的は達成された。さて、ここからは私の頼みごとだ。同志シェイド、皆を連れてこの森を離れてくれないかい?」
ルドウィクの言葉は相変わらず優しく、表情も柔らかい。彼のこの組織での立ち位置ってどんなものなんだろう? 少なくとも、この中では一番上に見える。しかも、ルドウィクは世界最強の戦士だ。そのような人物からのお願いごとに、エンペリオン達の向ける表情は様々だった。その中に一人、丸顔の少女だけは俺へ哀しそうな顔を向け続けていた。
「それって、撤退ってことじゃ……でも……」
「ほら、同志シェイド。ルドウィク様からのお願いごとなのよ。聞いて差し上げなさいな。大いなるものの導きは、光を成す者と共に。以前エンシェント様が仰られていたことよ」
「わ、分かったよ、ネリア。それじゃ、そこの二人、ノイエスとエナもこっち来て」
ノイエスとエナとは、ルドウィクと一緒にシャムロックに乗って来た二人か。彼らが俺の前を通り過ぎる。
「……ごめんなさい。でも、きっとまた会えるから……どんな形になっても」
その時、丸顔の少女が悲しげな眼と共にそう言った。何故謝るんだ? 会えるって、なんだ?
「リデル君だっけ? まっ、頑張って」
奥二重の男が軽薄に言いながら歩いて行った。何を頑張るんだ?
「回復は終わったわ。だけど、覚悟して。同志ルドウィクはお優しい方じゃないわ」
ミムが小声で言うとシェイドの元へ歩いて行った。ルドウィクが優しいだなんて、そんなこと思っていない。だけど、何が始まるんだ?
エンペリオン達が集まり、シェイドが目を閉じる。それだけでその姿が遠く透明に見えた。魔法の発動なんだろうけど、知っている感覚とは違う。
「果てより遠」
その瞬間、エンペリオンの五人の姿が消えた。彼らの魔力の欠片も感じない。瞬間移動の類の魔法かもしれない。あんなものを自由自在に使われたら、大賢者でもタイミング次第で簡単に背後を取られてしまう。
「おっと、これの処理も頼めば良かった。君と私の間にあるべきではない」
ルドウィクはハマンの首と胴が別れた亡骸へ掌を向けた。
「燃えよ、光」
ルドウィクの掌から光球が放たれる。ハマンの骸へ落ちたそれは白い炎に変わり瞬時に燃え盛った。
「安心していいよ、リデル。その炎は対象のみを焼く。この美しい森に火を着けることはないさ」
ルドウィクが微笑む。またこれだ。完璧な造形美が俺の思考を狂わせる。きっと、光を成す者の奥底へ潜む狂気が引火するんだろう。
「さて、リデル。私は君に会いたくてここへやって来たんだ。これを見せる為にね」
言うとルドウィクは腰裏へ手をやり何かを取り出す。細長い形状のそれを彼は俺の目の前へ放り投げた。
俺は塊みたいな空気を一気に吸い込込み、しばらく吐き出せなかった。
「……人間無骨」
持ち主の魔力の籠った雷を通すことによって自在に長さを変えるそれ。昔話にも登場する伝説的なそれ。そして、母ライカが愛用していたそれだ。
長さ三十センチばかりに縮んだ十文字槍人間無骨が、俺の目の前の地面へ転がっていた。見間違えるはずはない。これに籠る母ライカの雷を僅かに感じる。
「どうして、あなたが?」
既に頭の中に浮かび上がりつつあるそれを、俺は問いかけで押し潰した。だけど、言葉に出して間違いだったと気付いた。
ルドウィクがまたあの微笑みを浮かべた。完璧な歪みのない狂った笑みだ。
「殺して奪ったのさ。君の母、ライカ・カザクを殺してね」
俺の中を衝動が駆け巡った。双穂槍弐禍喰を構える。その雷の刃の切先をルドウィクの喉元へ向けた。分かっている。衝動のままに動いてはいけない。母から教えられた武が理性を繋ぎ止めてくれる。
「……嘘だ」
信じたくない。でも、目の前に突き付けられた十文字槍がそれを打ち消して来る。
「ああ、至高の時間だったよ。あの刃の重み、鋭さ。たった一槍でも私の命は奪われていただろう。凄まじい武の錬磨だった」
ルドウィクは恍惚とした表情を浮かべていた。この男、歪んでいる。
「……止めろ」
こいつを殺す。そんな言葉が頭を埋め尽くす。ダメだ。感情に支配されるな。
「敢えてこの身に受けていればと後悔すらしている」
上気したルドウィクの顔。原初的な癖が発露している。俺の腹から吐き気が込み上げて来る。
「止めろ。母さんの武を汚すな」
殺す殺す殺す、殺してやる。分かっている。分かっているんだ。だけど、どうしたらいいんんだ? この憎悪を。息をするたびに膨れ上がっていくようだ。
「君の父、ミハイル・フォン・ヴェルテの魔法も素晴らしかった。荘厳で強大、その奏すらも美しかった。夫婦揃ってこの手で葬る。ああ、なんという幸運。大いなるものへ感謝だ」
ルドウィクは天へ向けて手を合わせた。
今、この男なんて言った? 頭の中がグシャグシャになる。
「……父さんを……」
荒々しい呼吸で言葉が上手く出ない。
「ん? 聞いていなかったのかい? 道理で君が私に向ける眼に憎悪が足りないわけだ。そう、君の父ミハイルも、私が殺したよ」
ルドウィクが微笑む。完璧な造形美で。突き崩された。そう思った時には既に、俺はルドウィクへ向けて双穂槍を振るっていた。言葉とはほど遠い奇妙な雄叫びも一緒に上げていた。
力任せな俺の一撃をルドウィクは難なく躱す。それでも俺は止めなかった。何度も何度も、槍を振うたびに雄叫びを上げるたびに、憎悪が膨らんで俺が俺から遠去かっていった。
(いいのか? もう、俺でも抑え切れんぞ)
闇神の声が頭の中へ響いた。
「いい! こいつを殺せるなら、それでいい!」
(なら、味わえ。その身を焦がす、己が愚かさを)
俺の肉体から魔力の柱が立ち昇る。周囲の風が荒波のようにぶつかり合って廻冥の森の大木を揺らした。地が呻きを上げて激震が起きる。
「リデル!」
アディとゼルが叫んでいるのが見えた。吹き飛ばされないようにと必死に木へしがみ付いている。
「やはり私の目に狂いはなかった! さあ、その憎悪、存分にぶつけろ!」
ルドウィクが大剣を抜いて構える。そこへ俺は斬りかかった。刃のぶつかり合いの衝撃だけで木々が傾く。
待て。どうして俺はこの様を外側から見ている? 俺はあそこへいる。周囲の木々を薙ぎ倒しながら、ルドウィクへ向けて凄まじい速度と力で槍を繰り出している。
「まさかここまでとはな」
隣へ闇神が立っていた。腕組みをして半ば呆れた顔をしていた。
「これは……俺はどうなったの?」
「武蔵の肉体から俺達の魂が抜け出たようだ。魔力の爆発的な高まりの影響だろうな」
「まったくもう、君達までこっちへ来ちゃったの?」
聞き覚えのある声だった。目を向けると、そこへ大賢者エイラが立っていた。
「なるほど、貴様があの剣で貫かれても滅びなかったのは、こちらへ魂を移したからか」
「そゆこと」
「え、待って。ここって何処?」
「んと、空の狭間だよ。でも、道具とか物質を仕舞っておける場所じゃなくて、えと、あの世でもこの世でもない場所って言ったらいいかな」
「でも、俺の体は動いている」
俺が槍を振るうたびに凄まじい雷が巻き起こった。その熱と衝撃で木々を炭に変え薙ぎ倒す。ルドウィクは薄く笑いながら、大剣でそれを受け流していた。はしゃいでいるようにも見える。
「凄まじい感情の爆発と魔力だからね。どっちも肉体の一部だから、それに動かされてるの。あんま、感情の昂り感じないでしょ?」
「確かに……」
さっきまでの憎悪が嘘のようだ。感情は肉体の一部なのか。
「でも、ルドウィクって本当イカれた奴だよね。こんなことになるなら、もっと早くに手を打っておくべきだったよ」
「あの……母さんがルドウィクに討たれたのって……」
「うん。多分、本当。持ち主の特別な想い入れのある道具って、魔力と魔力で常時繋がり合って見えるんだけど、今の人間無骨からはそれが感じられないからね。まさか、想い入れが突如なくなったなんて考えられないし」
「そんな……」
エイラはなんの気負いもなく言ってくれる。これも魂だけの存在だからか。俺も激しい悲しみが湧き起こって来ない。悲しみたがっているのに、薄っすらとした感情がある。そんな不思議な感覚だ。
「それより、闇神さんもだよ。なんで、神威融合発動しなかったの。あれは使う場面でしょうが」
エイラが指を差して闇神へ詰め寄った。
「武蔵に感情の囚われが起こるとどうなるか、思い知ってもらおうと思ってな。結果は俺の予想外だった」
「あのままだとどうなるか分かってるでしょ?」
「ああ。武蔵の肉体は滅びる。この廻冥の森も焼き尽くされるだろうな」
「え?」
闇神は軽く言った。まるで小石でも投げるかのように。
「なら、速く君達の魂戻すよ。で、すぐに神威融合発動。いい?」
「ああ」
改めて大賢者エイラってすごいよな。闇神だって一応神なんだろう。それに対して指示している。
「リデルちゃん。肉体へ戻ったらまた激しい感情に呑まれると思うけど、なんとか踏ん張って例の言霊唱えてね」
「うん。あ、あの。エイラさんはどうなるの?」
「私のことはアディちゃんに任せてるよ。たまになら、こっちの世界から助けて上げられると思うし。っと、そろそろヤバイね」
俺の肉体が弐禍喰を薙いだ。雷撃が迸り巨大な閃光と轟が起こった。一瞬で見える範囲の木々が炭に変わる。闇神が廻冥の森が焼き尽くされるって言ってたことも大袈裟じゃない。
「ハハハハッ! 素晴らしい! 素晴らしいよ、リデル!」
その雷を喰らっても、ルドウィクが大笑いを上げていた。その肌にも纏う鎧にも煤一つついていない。
「うへ……ありゃ大変態だね。このままだと、リデルちゃんが自ら滅びるよりも、ルドウィクに斬られる方が速いかも。神威融合でようやく互角ってところかな」
「互角であれば充分だ。速く戻せ」
「分かってるって。んじゃ、リデルちゃん。またね」
エイラは俺へ掌を掲げた。その顔はまた明日会おうって、そんな笑顔だった。
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