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2章.妹君と少年伯は互いを知る
39.妹君はもう一つの秘密を知った
馬車はゆっくりと動き出す。
心地よい揺れなのは、舗装された道が続くことに加え御者の腕がいいからだろう。
しかしその揺れとは裏腹に、車内には重苦しい沈黙が続いていた。
馬車の端と端、ちょうど対角に座った二人の視線は交わらない。
(さてはデボラの差し金か……)
ユリウスは内心ひとりごちた。
今日、彼は市内の視察に出るつもりだった。
いつもは馬車の中から街並みを眺めるだけで、肝心の市民とは直接話したことはなかった。
今までは幻影魔法で誤魔化していたため、当然のことだ。
エル曰く、今の成長した姿はまだしばらく続くという。
これを機会に市民と触れ合うのも悪くはないだろう、今ならばバレにくいとユリウスは考えた。
その視察ついでに買い出しに行くデボラを乗せるという話だったのだが──。
(また変な気を回して……)
彼が小さくため息をつくと、リーゼロッテはぴくり、と身体を震わせた。
こちらにちらちらと視線を送ってくるのは感じるのだが、ユリウスは話しかけるきっかけが掴めない。
というよりも、何をどう話せばいいか分からなかった。
(……キスを交わした相手と何を話せばいいのだ……)
彼の脳裏にあの時の出来事が蘇る。
あの時、リーゼロッテは気を失っていたはずだ。
相手は覚えていない。そもそも助けるために不可抗力だった。
そうは思っていても、寝込みを襲った罪悪感のようなものがこびりついて取れない。
他の使用人たちにリーゼロッテを寄せ付けないようにと言い含めたのも、後ろめたさと気恥ずかしさからだ。職権濫用も甚だしい。
現に顔すらまともに見れない。
挙げ句の果てに、婚約者候補だと言って無理やり彼女を抱き寄せるなど、貴族としてあるまじき行為だと身悶えていた。少なくとも昨夜はそれで眠れなかったほどだ。
微かに心の奥底で燻る気持ちがあることは感じていたのだが、それが何なのか、女性と極端に関わりが少なかった彼には適切な言葉が見当たらない。
少なくとも彼が言語化できたのは、ロルフが呼びに来た時に一瞬でも躊躇しなければ、彼女にあんな悲しそうな顔をさせなかったのではないか、という後悔だ。
自分にも大切な形見があるため、彼女の形見への想いはわかるつもりだ。
母の形見だという彼女の声で、目の前が真っ赤になり、あの不躾なメイドに対してまるで自分の敵のような感覚に陥ってしまった。
(私とした方が……あの時は冷静さを欠いていた)
リーゼロッテを盗み見る。
金色の魔力について聞きたいことは山ほどあったが、それを聞いてしまうと話の流れにもよるがキスまでの顛末を話す必要も出てくるだろう。
藪蛇は御免だ、しかし女性の唇を奪った責任は重い、正直に告げなければ、いやしかし──と、彼は出口のない問答を延々と続けていた。
「あ、あのっ」
最初に口を開いたのはリーゼロッテだった。
「昨日は……ありがとうございました」
礼を述べた彼女に、「ああ」と短く返す。
素っ気なく聞こえてしまったかと声を発した後に気付いたが、もう遅い。彼女は再び口を噤む──と思っていた。
項垂れかけた彼女は再び姿勢を正すと、彼の真正面に座席を移した。
「ユリウス様が来てくださって……その、信じてると言ってくださって、嬉しかったんです。今までそんなことを言ってくれる人……いなかったので、嘘でも嬉しかったです」
ほんの少し寂しそうに笑う彼女からユリウスは目を離せない。
今までの彼女からはこんな行動は考えられない。
拒絶されれば引く、殻に閉じこもる臆病な人間かと思っていたが、案外そうでもないようだ。
(……いや、成長したと考えるべきか)
少なくとも屋敷に来た当初はそうだったはずだ。ここでの生活が彼女に変化をもたらしている。
微かな勇気を彼女の瞳に感じた。
しかし自分は身体が成長しただけで中身は大した成長もない──自分こそが臆病者だ。
自嘲気味に笑うと、彼は小さく「嘘ではない」と呟いた。
「え?」
藪蛇が何だというのだ。そんなものはただの脛に傷を持つ者の言い訳だ。
彼は声をひそめた。
「……今から話すことは他言無用。屋敷の者にも言っていないことだ」
そう言うと、彼は身を乗り出し両手を組んだ。
「……辺境伯領を長くシュヴァルツシルトが治めていることは知っているな?」
「ええ……確かその長さは二百年を優に越すと……」
「そうだ」
彼は頷いた。森沿いの街道に差し掛かった馬車に影がかかる。
その瞳は鈍く光った。
「その秘密、というほどのものではないのだが、代々ある能力を有している……この目だ」
「目……?」
「ああ、『直感』とも呼ぶ。簡単に言えば……悪人か否かを見ただけで判別できる。悪人は黒いもやに包まれる。性根が悪であればあるほどそのもやが濃い」
紫電の瞳が彼女を見つめる。
綺麗、と思わず口にしそうになったリーゼロッテは慌てて口を閉じた。
見ただけで悪人かそうじゃないか判断するなど、荒唐無稽な話だ。とても現実的ではない。
しかし、彼がこのタイミングで冗談を口にするとも思えなかった。
「険しい山が連なる領内北部はともかくとして、この辺りは肥沃な大地、とまではいかないがそれなりに広大な土地もある。農作酪農だけじゃなく、今から向かう市内は貿易の要所ともいえる。他国からしたら喉から手が出るほど欲しい領地だ」
滑らかに言葉を紡ぐ彼は、一旦息をついた。
内心、リーゼロッテへの後ろめたさを抱える今の自分を見たらおそらく真っ黒に見えるだろう、と思いながら。
「……昔は間者も掃いて捨てるほどいたという。それを素早く見分ける能力を持つ者に、速やかに間者を処分でき得る地位を与えた……それが何世代か前の私の祖先だ」
「……」
「それからずっと、私の代まで辺境伯の地位にいれたのも、一時領地返上してもすぐに領地を賜われたのも、『直感』のおかげだ。リーゼの無実を最初から見抜けたのも、な」
語り終えたのか彼は背もたれに身体を預けた。
その姿が、何故かとても孤独に見えたリーゼロッテは、彼の手にそっと自分の手を添えた。
「……ユリウス様はそんな目の力がなくとも、きっと立派にご領主をされていると思います」
「!」
「私は屋敷でのユリウス様しか存じ上げませんが、使用人たちはみなユリウス様を慕っております。それに、辺境伯に返り咲いたのはユリウス様の多大な戦果によるものと伺っております。ユリウス様はご自分の力で今の地位を勝ち取ったのだと思います」
流れ込むような彼女の言葉に、ユリウスは今まで抱えていた胸のつっかえが取れていくような気持ちになった。
本音では便利な反面、厄介な能力だと思う面が大きい。
任意で扱える魔法と違って『直感』は常時発動しているようなものだった。
見た者全ての善悪を見抜いてしまう。それがたとえ使用人や奉公人であってもだ。
黒いもやがただ見えるだけならいいのだが、あまりに近くにいると自身の健康が害される。かといって、能力のことを大っぴらに話すのは憚はばかられる。
故に遠ざけるしか対処のしようがなかった。
だからこそ屋敷の使用人は最小限の人数に抑え、もやの見えない信頼できる人間と付き合うようにしている。
しかし彼のところに来る奉公人はどういうわけか今まで全員、黒いもやに包まれていた。普通に見るだけでは顔の判別ができないほどの人間もちらほらいた。
釣書で品行方正な淑女だと書かれていようが、人を雇い、奉公元の令嬢を見張らせようが、結果は同じだった。
前評判が最悪だったリーゼロッテのみが、はっきりとその顔を見ることができた奉公人だったのだ。
(まったく……リーゼは……いつもこうして私を励ましてくれるな……)
「……リーゼ……ありがとう」
彼は微笑むと、重ねられた手を両手で優しく包み込んだ。
「……ああっ、私、すみません、お手を」
「いい。着くまでこうしていてくれ」
そう言うと彼はリーゼロッテの手をしっかりと握った。
「……その、私も、同じ気持ちだからな」
「?」
首を傾げるリーゼロッテの仕草に、微かに頬を染めたユリウスは恥じらいながらも続けた。
「その……『直感』など無くとも……私はリーゼのことを信じていたに違いない、と、いう、気持ちだ」
言ってるうちにさらに恥ずかしくなったのか、「今までの働きを見れば分かる」と付け加えて車窓を眺め始めた彼に、彼女はくすりと笑みを漏らした。
森を抜け、徐々に明るくなってきた車内は二人を優しく照らしていた。
心地よい揺れなのは、舗装された道が続くことに加え御者の腕がいいからだろう。
しかしその揺れとは裏腹に、車内には重苦しい沈黙が続いていた。
馬車の端と端、ちょうど対角に座った二人の視線は交わらない。
(さてはデボラの差し金か……)
ユリウスは内心ひとりごちた。
今日、彼は市内の視察に出るつもりだった。
いつもは馬車の中から街並みを眺めるだけで、肝心の市民とは直接話したことはなかった。
今までは幻影魔法で誤魔化していたため、当然のことだ。
エル曰く、今の成長した姿はまだしばらく続くという。
これを機会に市民と触れ合うのも悪くはないだろう、今ならばバレにくいとユリウスは考えた。
その視察ついでに買い出しに行くデボラを乗せるという話だったのだが──。
(また変な気を回して……)
彼が小さくため息をつくと、リーゼロッテはぴくり、と身体を震わせた。
こちらにちらちらと視線を送ってくるのは感じるのだが、ユリウスは話しかけるきっかけが掴めない。
というよりも、何をどう話せばいいか分からなかった。
(……キスを交わした相手と何を話せばいいのだ……)
彼の脳裏にあの時の出来事が蘇る。
あの時、リーゼロッテは気を失っていたはずだ。
相手は覚えていない。そもそも助けるために不可抗力だった。
そうは思っていても、寝込みを襲った罪悪感のようなものがこびりついて取れない。
他の使用人たちにリーゼロッテを寄せ付けないようにと言い含めたのも、後ろめたさと気恥ずかしさからだ。職権濫用も甚だしい。
現に顔すらまともに見れない。
挙げ句の果てに、婚約者候補だと言って無理やり彼女を抱き寄せるなど、貴族としてあるまじき行為だと身悶えていた。少なくとも昨夜はそれで眠れなかったほどだ。
微かに心の奥底で燻る気持ちがあることは感じていたのだが、それが何なのか、女性と極端に関わりが少なかった彼には適切な言葉が見当たらない。
少なくとも彼が言語化できたのは、ロルフが呼びに来た時に一瞬でも躊躇しなければ、彼女にあんな悲しそうな顔をさせなかったのではないか、という後悔だ。
自分にも大切な形見があるため、彼女の形見への想いはわかるつもりだ。
母の形見だという彼女の声で、目の前が真っ赤になり、あの不躾なメイドに対してまるで自分の敵のような感覚に陥ってしまった。
(私とした方が……あの時は冷静さを欠いていた)
リーゼロッテを盗み見る。
金色の魔力について聞きたいことは山ほどあったが、それを聞いてしまうと話の流れにもよるがキスまでの顛末を話す必要も出てくるだろう。
藪蛇は御免だ、しかし女性の唇を奪った責任は重い、正直に告げなければ、いやしかし──と、彼は出口のない問答を延々と続けていた。
「あ、あのっ」
最初に口を開いたのはリーゼロッテだった。
「昨日は……ありがとうございました」
礼を述べた彼女に、「ああ」と短く返す。
素っ気なく聞こえてしまったかと声を発した後に気付いたが、もう遅い。彼女は再び口を噤む──と思っていた。
項垂れかけた彼女は再び姿勢を正すと、彼の真正面に座席を移した。
「ユリウス様が来てくださって……その、信じてると言ってくださって、嬉しかったんです。今までそんなことを言ってくれる人……いなかったので、嘘でも嬉しかったです」
ほんの少し寂しそうに笑う彼女からユリウスは目を離せない。
今までの彼女からはこんな行動は考えられない。
拒絶されれば引く、殻に閉じこもる臆病な人間かと思っていたが、案外そうでもないようだ。
(……いや、成長したと考えるべきか)
少なくとも屋敷に来た当初はそうだったはずだ。ここでの生活が彼女に変化をもたらしている。
微かな勇気を彼女の瞳に感じた。
しかし自分は身体が成長しただけで中身は大した成長もない──自分こそが臆病者だ。
自嘲気味に笑うと、彼は小さく「嘘ではない」と呟いた。
「え?」
藪蛇が何だというのだ。そんなものはただの脛に傷を持つ者の言い訳だ。
彼は声をひそめた。
「……今から話すことは他言無用。屋敷の者にも言っていないことだ」
そう言うと、彼は身を乗り出し両手を組んだ。
「……辺境伯領を長くシュヴァルツシルトが治めていることは知っているな?」
「ええ……確かその長さは二百年を優に越すと……」
「そうだ」
彼は頷いた。森沿いの街道に差し掛かった馬車に影がかかる。
その瞳は鈍く光った。
「その秘密、というほどのものではないのだが、代々ある能力を有している……この目だ」
「目……?」
「ああ、『直感』とも呼ぶ。簡単に言えば……悪人か否かを見ただけで判別できる。悪人は黒いもやに包まれる。性根が悪であればあるほどそのもやが濃い」
紫電の瞳が彼女を見つめる。
綺麗、と思わず口にしそうになったリーゼロッテは慌てて口を閉じた。
見ただけで悪人かそうじゃないか判断するなど、荒唐無稽な話だ。とても現実的ではない。
しかし、彼がこのタイミングで冗談を口にするとも思えなかった。
「険しい山が連なる領内北部はともかくとして、この辺りは肥沃な大地、とまではいかないがそれなりに広大な土地もある。農作酪農だけじゃなく、今から向かう市内は貿易の要所ともいえる。他国からしたら喉から手が出るほど欲しい領地だ」
滑らかに言葉を紡ぐ彼は、一旦息をついた。
内心、リーゼロッテへの後ろめたさを抱える今の自分を見たらおそらく真っ黒に見えるだろう、と思いながら。
「……昔は間者も掃いて捨てるほどいたという。それを素早く見分ける能力を持つ者に、速やかに間者を処分でき得る地位を与えた……それが何世代か前の私の祖先だ」
「……」
「それからずっと、私の代まで辺境伯の地位にいれたのも、一時領地返上してもすぐに領地を賜われたのも、『直感』のおかげだ。リーゼの無実を最初から見抜けたのも、な」
語り終えたのか彼は背もたれに身体を預けた。
その姿が、何故かとても孤独に見えたリーゼロッテは、彼の手にそっと自分の手を添えた。
「……ユリウス様はそんな目の力がなくとも、きっと立派にご領主をされていると思います」
「!」
「私は屋敷でのユリウス様しか存じ上げませんが、使用人たちはみなユリウス様を慕っております。それに、辺境伯に返り咲いたのはユリウス様の多大な戦果によるものと伺っております。ユリウス様はご自分の力で今の地位を勝ち取ったのだと思います」
流れ込むような彼女の言葉に、ユリウスは今まで抱えていた胸のつっかえが取れていくような気持ちになった。
本音では便利な反面、厄介な能力だと思う面が大きい。
任意で扱える魔法と違って『直感』は常時発動しているようなものだった。
見た者全ての善悪を見抜いてしまう。それがたとえ使用人や奉公人であってもだ。
黒いもやがただ見えるだけならいいのだが、あまりに近くにいると自身の健康が害される。かといって、能力のことを大っぴらに話すのは憚はばかられる。
故に遠ざけるしか対処のしようがなかった。
だからこそ屋敷の使用人は最小限の人数に抑え、もやの見えない信頼できる人間と付き合うようにしている。
しかし彼のところに来る奉公人はどういうわけか今まで全員、黒いもやに包まれていた。普通に見るだけでは顔の判別ができないほどの人間もちらほらいた。
釣書で品行方正な淑女だと書かれていようが、人を雇い、奉公元の令嬢を見張らせようが、結果は同じだった。
前評判が最悪だったリーゼロッテのみが、はっきりとその顔を見ることができた奉公人だったのだ。
(まったく……リーゼは……いつもこうして私を励ましてくれるな……)
「……リーゼ……ありがとう」
彼は微笑むと、重ねられた手を両手で優しく包み込んだ。
「……ああっ、私、すみません、お手を」
「いい。着くまでこうしていてくれ」
そう言うと彼はリーゼロッテの手をしっかりと握った。
「……その、私も、同じ気持ちだからな」
「?」
首を傾げるリーゼロッテの仕草に、微かに頬を染めたユリウスは恥じらいながらも続けた。
「その……『直感』など無くとも……私はリーゼのことを信じていたに違いない、と、いう、気持ちだ」
言ってるうちにさらに恥ずかしくなったのか、「今までの働きを見れば分かる」と付け加えて車窓を眺め始めた彼に、彼女はくすりと笑みを漏らした。
森を抜け、徐々に明るくなってきた車内は二人を優しく照らしていた。
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