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5章.妹君と辺境伯は時を刻む
210.王太子は弁明する②
「……な、何をおっしゃっているのかよく……マリーが叫んだのは侵入者が入ったからで……」
「だ、そうですがいかがでしょうか? マリー様」
「そうだよね? マリー」
二人はマリーの方をほぼ同時に振り返る。
テオの後ろに隠れるようにいた彼女は、両の拳を握りしめると一歩前に踏み出した。
「……私は……フリッツ様に頼まれました。ある時間になったら悲鳴を上げろと」
震える愛らしい唇から、今まで押し殺してきた感情が入り混じった声が出ると、フリッツはこの状況を拒否するように小刻みに首を振った。
「なんで……」
「……だってさ。ああ、マリーの部屋の見張りは全てデボラが倒してくれたよ。さすが熊殺しのデボラだね」
からり、と言ったテオの奥で、熊殺しの二つ名が不服なのかデボラは努めて無表情を貫いている。
「…………なんで、マリー……兄上に従ってるんだ……こっちに来るんだ……」
必要以上に優しげな声音を出すフリッツから、マリーはまた隠れるようにテオの背後に退いた。
強張りの取れない彼女の表情をテオは一瞥すると、人知れず小さなため息をつく。
「どうして……兄上に何か唆されたのかい? それともこの新しい聖女に何か吹き込まれたのか? 私と君の絆はこんな……簡単に崩れるものではないだろう……?」
「絆……ねぇ……」
あり得ない、と呟き続けるフリッツをテオは呆れ混じりに見つめていた。
するとそれまで黙していたエルが口を開く。
「ああ、あの下品な隷属紋のことかえ? アレならすぐ解除できたぞえ。まったく、年頃の女子の肌に趣味の悪い隷属紋など刻むものではないわ」
「な……?! いつ……」
「お主が婚約に浮かれていた頃かの。お主の兄者は人使いが荒いのぉ。ここにきて遊び歩く暇もなかったぞえ」
「そんな……」
彼女の剣呑な言葉に、フリッツは動揺を隠せない。
(隷属紋……ってことは……マリー様はフリッツ様に……奴隷化させられていたということに……?!)
これにはリーゼロッテも嫌悪感を滲ませた視線を彼に向けた。
この場の誰もが生まれるより遥かに、奴隷制度は撤廃されている。
故に彼女も本物の奴隷を見たことがなく、知識としてしか知らない。
(確か隷属紋は腹部に…………あ………)
彼女はマリーが度々、腹部を押さえているのを見かけていた。
クリスタも言っていたはずだ。
『マリー様は湯浴みがどうしても一人でないと落ち着かないと言われて、お一人でされるようになりましたし……急にそのような要望をおっしゃられたので驚きましたもの』と。
おそらく、誰にも見られたくなかったのだろう。
それかフリッツが隷属紋を刻んだことを秘匿したいがためにマリーの要望として言わせたか──。
後者の可能性が高いように思われ、リーゼロッテは長年、彼に縛られ続けた彼女の気持ちを憂いた。
「そういうこと。マリーが全部話してくれたよ。年端も行かないうちに君に隷属紋を刻まれてしまい、逃げることも歯向かうことも出来なかったと」
「だって、僕に従うって言ってくれたじゃないか! なんでも教えてほしいって……! あの言葉は嘘だったのか!?」
「もうやめてください! それは子供の時の話です!」
激昂するフリッツの声をかき消すようにマリーは声を荒げた。
今まで彼女に一度も反抗されたことがないであろうフリッツは、初めて浴びせられた彼女の大声にこれでもかと言うほど目を見開いている。
テオの後ろからゆっくりと姿を見せると、彼女は呆けた情けない姿を晒すフリッツを強く見据えた。
「……ずっと、自分の意見を言えなくて苦しかった……やっと、ディートリンデ様と結婚されると聞いて、彼女にいじめられても我慢して……それなのに隷属紋は消してくださらないばかりか、そのまま婚約しようとしたではありませんか……!」
「そんな……嘘だったのか? 私と結婚すると言ってくれたのも……嘘だと言ってくれ……マリー、愛してる……」
縋るように両手を伸ばしたフリッツから、マリーは逃れるように半歩下がった。
しかし彼はそれ以上彼女に近づけない。
ユリウスの剣とテオの腕が、マリーを遮るように彼に向けられたからだ。
一度感じた恐怖心を吐き出すように深呼吸をしたマリーは、小さく呻き声を上げたフリッツに静かに言った。
「……私がお慕いしている方は、別におります……あなたではありません」
「……ぁ……」
フリッツの碧眼に、明らかな絶望感が宿る。
伸ばしていた両手をそのままに、ゆっくりと崩れ去るように彼は膝をついた。
「……隷属紋が刻まれてるうちは支配主の言うことは絶対、だからのぉ……残念じゃが結婚しろと言われたら拒否できないだけじゃ。それすら知らなかったのかえ?」
エルの声色に、若干の憐れみが混じる。
意中の女性に拒否された男への同情というよりも、隷属紋の効果を自分への好意と勘違いしていた男への呆れの方が強い。
しかしもはや、フリッツには彼女の問いかけすら答える気力はなかった。
結婚を考えていた女性が実は自分のことを好きでもなかった──そのあまりの衝撃に彼は身じろぎひとつできそうにない。
「だ、そうですがいかがでしょうか? マリー様」
「そうだよね? マリー」
二人はマリーの方をほぼ同時に振り返る。
テオの後ろに隠れるようにいた彼女は、両の拳を握りしめると一歩前に踏み出した。
「……私は……フリッツ様に頼まれました。ある時間になったら悲鳴を上げろと」
震える愛らしい唇から、今まで押し殺してきた感情が入り混じった声が出ると、フリッツはこの状況を拒否するように小刻みに首を振った。
「なんで……」
「……だってさ。ああ、マリーの部屋の見張りは全てデボラが倒してくれたよ。さすが熊殺しのデボラだね」
からり、と言ったテオの奥で、熊殺しの二つ名が不服なのかデボラは努めて無表情を貫いている。
「…………なんで、マリー……兄上に従ってるんだ……こっちに来るんだ……」
必要以上に優しげな声音を出すフリッツから、マリーはまた隠れるようにテオの背後に退いた。
強張りの取れない彼女の表情をテオは一瞥すると、人知れず小さなため息をつく。
「どうして……兄上に何か唆されたのかい? それともこの新しい聖女に何か吹き込まれたのか? 私と君の絆はこんな……簡単に崩れるものではないだろう……?」
「絆……ねぇ……」
あり得ない、と呟き続けるフリッツをテオは呆れ混じりに見つめていた。
するとそれまで黙していたエルが口を開く。
「ああ、あの下品な隷属紋のことかえ? アレならすぐ解除できたぞえ。まったく、年頃の女子の肌に趣味の悪い隷属紋など刻むものではないわ」
「な……?! いつ……」
「お主が婚約に浮かれていた頃かの。お主の兄者は人使いが荒いのぉ。ここにきて遊び歩く暇もなかったぞえ」
「そんな……」
彼女の剣呑な言葉に、フリッツは動揺を隠せない。
(隷属紋……ってことは……マリー様はフリッツ様に……奴隷化させられていたということに……?!)
これにはリーゼロッテも嫌悪感を滲ませた視線を彼に向けた。
この場の誰もが生まれるより遥かに、奴隷制度は撤廃されている。
故に彼女も本物の奴隷を見たことがなく、知識としてしか知らない。
(確か隷属紋は腹部に…………あ………)
彼女はマリーが度々、腹部を押さえているのを見かけていた。
クリスタも言っていたはずだ。
『マリー様は湯浴みがどうしても一人でないと落ち着かないと言われて、お一人でされるようになりましたし……急にそのような要望をおっしゃられたので驚きましたもの』と。
おそらく、誰にも見られたくなかったのだろう。
それかフリッツが隷属紋を刻んだことを秘匿したいがためにマリーの要望として言わせたか──。
後者の可能性が高いように思われ、リーゼロッテは長年、彼に縛られ続けた彼女の気持ちを憂いた。
「そういうこと。マリーが全部話してくれたよ。年端も行かないうちに君に隷属紋を刻まれてしまい、逃げることも歯向かうことも出来なかったと」
「だって、僕に従うって言ってくれたじゃないか! なんでも教えてほしいって……! あの言葉は嘘だったのか!?」
「もうやめてください! それは子供の時の話です!」
激昂するフリッツの声をかき消すようにマリーは声を荒げた。
今まで彼女に一度も反抗されたことがないであろうフリッツは、初めて浴びせられた彼女の大声にこれでもかと言うほど目を見開いている。
テオの後ろからゆっくりと姿を見せると、彼女は呆けた情けない姿を晒すフリッツを強く見据えた。
「……ずっと、自分の意見を言えなくて苦しかった……やっと、ディートリンデ様と結婚されると聞いて、彼女にいじめられても我慢して……それなのに隷属紋は消してくださらないばかりか、そのまま婚約しようとしたではありませんか……!」
「そんな……嘘だったのか? 私と結婚すると言ってくれたのも……嘘だと言ってくれ……マリー、愛してる……」
縋るように両手を伸ばしたフリッツから、マリーは逃れるように半歩下がった。
しかし彼はそれ以上彼女に近づけない。
ユリウスの剣とテオの腕が、マリーを遮るように彼に向けられたからだ。
一度感じた恐怖心を吐き出すように深呼吸をしたマリーは、小さく呻き声を上げたフリッツに静かに言った。
「……私がお慕いしている方は、別におります……あなたではありません」
「……ぁ……」
フリッツの碧眼に、明らかな絶望感が宿る。
伸ばしていた両手をそのままに、ゆっくりと崩れ去るように彼は膝をついた。
「……隷属紋が刻まれてるうちは支配主の言うことは絶対、だからのぉ……残念じゃが結婚しろと言われたら拒否できないだけじゃ。それすら知らなかったのかえ?」
エルの声色に、若干の憐れみが混じる。
意中の女性に拒否された男への同情というよりも、隷属紋の効果を自分への好意と勘違いしていた男への呆れの方が強い。
しかしもはや、フリッツには彼女の問いかけすら答える気力はなかった。
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