カラスの恩返し

阪上克利

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社会人としての一歩

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 初日の仕事は挨拶周りだった。
 総務で名刺をもらって、すぐに外回りに行くことになった。

『石岡さんもついに後輩ができたんですね。』
 総務の二階堂は石岡と同期らしい。
 二階堂は義弘の名刺をすでに発注していてくれたようだ。
 仕事が早いなあ……と義弘は感心する。

 自分も早く一人前の社会人になりたい。仕事のことでストレスを感じず、毎日を楽しく過ごしていければいい。仕事に関しては特にこんな仕事をしたいとかはないのだから、それならなるべくストレスの感じないところで、自分が好きな本や音楽、そしてゲームをやりながら毎日を過ごしていたい。

『そっちも後輩ができたじゃん』
『まあね』
 二階堂と石岡が何かを話しているのを聞きながら義弘の視線は自然と奥の机でパソコンに向かって何か作業をしている葉山に向けられていた。

 もう仕事を任されたのか……。
 すごいなあ……。
 素直にそう思った。

 義弘は長くて艶やかな髪の毛を後ろに一つにたばねた葉山にみとれた。
 美人で有能な女子。まるで小説か漫画かに出てきそうなだ……。

『じゃあ……行こうか』
 ぼんやりと物思いにふけっていた義弘を石岡は呼んだ。
『あ……はい』
 ふと我に返り義弘は返事をした。

 取引先には車で回る。
 営業車は幸いなことに軽自動車だったから運転には困ることはなさそうだ。
 マニュアルかな……と少し心配したが、オートマだった。
 それで、義弘は自分が運転することを申し出たが『いいよ。初日だし疲れるだろうから、オレが運転するよ』といってくれたのでお言葉に甘えることにした。
『これ、今日行く取引先のリスト。1日20件回るからよろしくね』
『はい』
『ちなみに遅くなったらそのまま残業だから早めに回るようにがんばろうな』
『はい。がんばりましょう』
 石岡は残業が嫌なのだろう。なんとなく話があうような気がする。

 車は東戸塚から環状2号線に出た。
『今日は横須賀と三浦を先に回って、午後からは南区と保土ヶ谷、そして会社近くの取引先を回るからね。普段は主任と吉田さんの担当区域なんだけど、今日は植竹くん初日だから近いところと変えてもらったんだよ。まあ……いずれにせよすべての取引先には挨拶に行かなきゃだから、遠くも行くようになるんだけどね』
『一番、遠いところはどこなんですか?』
『たぶん……秦野かな。ボクらの担当地区だけど、秦野に行く時は直行することにしているから、
 その予定の時はまた言うよ』
『はい』

 環状2号は混んでいたが、時間はあっという間にすぎた。
 気が付けば車は国道16号に出て、横須賀の町についていた。

 最初の取引先は大きなホームセンターだった。
 義弘は、今までの生活の中で家具を買いに行ったことがない。
 当り前の話だが、実家にいたのですべて両親がそろえていてくれたからである。
 今回の引っ越しに当たっても、アパートには家具がついていた。
 だから家具がどこで売っているのかピンと来なかったのだ。
 でも……なるほど。
 確かにホームセンターには家具が売っている。

『吉武さん。Togenezumiの石岡です』
『おお。石岡くん、久しぶりだね』

 石岡は吉武という担当に義弘のことを紹介してくれた。

 義弘は慌ててポケットの中の名刺を出して挨拶した。
 なんだか……社会人としての一歩を踏み出したような気がした。
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