県立T高校ミステリー研究部の日常

阪上克利

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ある教師の死

傾聴

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『こんにちは……』
 昭義は団地の3階にある部屋のチャイムを押してから小声で言った。
 先日、担当のケアマネジャーに話を聞いて野島久恵を紹介してもらった時には、軽い衝撃を受けた。人間どんな場所でも生きていけるのだと、なんだか不思議な感覚に陥ったことが斬新だった。

 一人暮らしの久恵の部屋はお世辞にも綺麗とは言えない。
 いや……はっきり言ってしまうと、非常に汚い。
 とにかく床は埃だらけ。敷いてある絨毯じゅうたんには飼っている猫の毛がいっぱい落ちている。
 テーブルの上には食べかけのお菓子がそのまま散乱しているし、台所に目を向けると、洗っていない食器がそのままになっている。
 一応、定期的には掃除しているのか、なんとかコバエは沸いていないようだが、見るにえない。
 まるでゴミの中で生きているような感覚にさせられる。
 一緒に行った佐藤と言う名前のケアマネジャーは平気なようだった。
 慣れてしまうのだろうか。
 それともこの人もこんな性格なのだろうか……。

 ケアマネジャーが若い女性だったので、昭義は少し意識してしまったところもある。

 彼女は昭義に野島久恵を紹介して、その日は世間話をして帰ることになった。
 久恵もいなくなった猫を探すのは急いではいない様子だった。
 のんびりとした口調で猫の話をして、気が付けば佐藤と久恵の会話に1時間も付き合わされたのだ。

 今日は猫について聞かないといけない……。

 昭義は扉があく数秒の間にそんなことを考えた。

『はあい……』
『あ、T高校の渡辺です』
『どうぞ――』

 お年寄りというのはなぜにもこうのんびりと無警戒でいられるのだろうか。
 確かに昭義は先日、ケアマネジャーと一緒に最初の挨拶をしたが、だからと言ってそんな簡単に信じてもいいものなのだろうか?
 そんなことが昭義の頭の中を駆け巡るが、今はそんなことを考える前に、依頼された問題の解決の方が先である。

 玄関に通されるとすでに悪臭が漂う。
 よくもまあこんなところで生活できるものだ。
 昭義はそんなにきれい好きではないが、なんなら大掃除したいという気持ちに駆られてしまうぐらいの汚い部屋である。
 鼻をつまみたいぐらいの悪臭だがそんなことを顔に出すわけにも行かず、素知らぬ顔をして話をする。
 ゆっくり奥の部屋に通されて、久恵はいつものテレビの前の長いすに腰掛ける。
 歩く動作は緩慢かんまんで膝がうまく曲がっていないようだ。
 昭義は薦められて長いすの横の小さな椅子を勧められてそこに座る。座布団が敷いてあるが、やはり猫の毛だらけで、座るのも躊躇するぐらいに汚れている。

 後日、制服のズボンはクリーニングに出した方がいいな……などと余計なことを考えながら昭義は言った。
『どうですか? 野島さん。ネコちゃん見つかりました?』
 久恵が飼っているネコは2匹。
 1匹はキジトラでもう1匹は三毛。
 いなくなったのは三毛の方で2匹とも名前はつけていない。
 2匹とも久恵は『ネコちゃん』と呼ぶ。
『見つからないのよ……いつもなら黙ってても帰ってくるのにねえ……』
 のんびりした口調で久恵は話す。
 心配しているか否かと言われれば心配しているのだろうけどそれにしては悲壮感と言うものが全く感じられない。
『別宅が見つかったのかもしれませんね』
『別宅??』
『ネコって犬に比べて自由度が高いからいろんなところ行けちゃうじゃないですか。自宅以外でもエサをくれる人間見つけてそっちに行っちゃうなんてこともあるらしいですよ』
『そうなの? 無事ならそれでもいいのだけどね。お茶でも飲む?』
『あ、いや……大丈夫です』
 遠慮したわけではない。
 部屋の悪臭から出てくるお茶の衛生を疑ったからだ。

『ところでどう? 渡辺くん。学校は楽しい?』
 ネコの話がまだ終わっていないのに久恵はそんなことを聞いてくる。彼女は話が長く最初にケアマネジャーと一緒に同行して訪問したときもそうだった。
 ただ聞いていてそこまで嫌な話でもないので特段苦痛でもない……
『学校ですか? う――ん……つまらなくはないけど、そんなに楽しくもないですね』
『へえ……その辺はあたしらの頃と同じねえ』
『え? そうなんですか??』

 世代が違えば考え方も変わる。
 つまらなくはないがそんなに楽しくもない……なんて世代の違う人間には分かるわけもないと昭義は思っていた。ところが目の前の高齢者にはそれが分かると言う。

『そりゃそうよ。行きたくて行くわけではないからね。みんなが行くから行かないと……てな感じで行くものだからね、学校なんて』

 言われてみればその通り。
 さすがは年の功。
『中学までは義務教育ですしね。高校も行っておかないといけないような焦燥感しょうそうかんみたいなものはありました。でも行きたくないってのはないんですけど』
『懐かしいなあ……あたしもそんな頃があったのよ』
『はあ……野島さんのお若い頃ってどんなんだったんですか?』
『若い頃? まあ、あなたたちと変わらないわよ。時代や背景は随分違うけどね。考えることなんかそんなに変わらないから』
『何かスポーツはしておられたんですか?』

 話が長くなるので適当に相槌打って早めに切り上げてくださいね……というケアマネジャーの言葉を昭義は思い出した。それでもなんだか話が切れない。適当に相槌を打てば話も止まるのだろうけど、なんとなくそれはやってはいけないような気がしたからだ。

 とりとめのない話が1時間以上続く……

 不思議と退屈ではない。
 久恵の時代も昭義と同じように若者は悩みを抱えていた。
 その悩みは人それぞれで答えがない。答えがないどころか若い頃は何に悩んでいるかさえ分からないことがある。そんな話を延々と久恵は続けた。

『なんで悩んでいたのか……後になって分かったりしました?』
 昭義の問いかけに久恵は少し微笑んだ。
『ところがね。そんな悩みは大人になってしまうとどこかに消えてしまうのよ』
『え? そうなんですか?』
 久恵は黙ってうなづいた。
『不思議なものよねえ』
『そうですね……』

 しばらく沈黙が続く。
 つけっぱなしのテレビの音が流れる。
 夕方のニュースが流れており、キャスターが午後5時になったことを告げた。
 そう長居するものではない。
 昭義は腰を上げて帰ることにした。

『ネコちゃんの件ですけど、一応、T小とM小、そしてS中に協力してもらって張り紙してみますね』
『ありがと。この年齢になるとネコちゃんがいないと夜が寂しくてね』
『ですよね……いなくなった三毛ちゃんの写真とかってありますか?』

 帰り際に昭義はいなくなったネコの写真を久恵から預かった。

 歳をとって歩くことも不自由になってからの一人暮らしというのはどんな感じなのだろう……
 久恵の家を出た昭義はそんなことを不意に考えてみた。
 一人暮らしさえしたことのない昭義には想像もつかない。
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