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2章 カタハサルの決闘

16.逃亡

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 次の日、計画について説明すると、王女は迷いを見せた。

「今ですか? カタサハルに着いてからでは…」

祖国そこくに近づけば近づくほど、父上や兄上の戦力が増えてしまいます。周辺国の影響も強くなるでしょう。海上では手を出せなかったものが、動きやすくなっています。すでに追手がこの街にも派遣はけんされている可能性もあります。」

「しかし、それでは祖国そこくに帰れなくなります。」

「ヴァルテリーナ姫、オレ一人では護衛を続けるのは無理です。姫のコールを増やし、姫の軍隊を作らなければ、祖国そこくに帰る前に姫が捕まってしまいます。」

「軍隊…。」

 物騒な言葉だった。だが、力が無ければ何もできない。平和的な、という言葉は力を持ってこそ使える言葉だ。
 ローヌ国は非戦を望み、軍隊を持たなかった。100年以上もの長期間それが維持できたのは、地形的優位があったからだ。きれい事だけで守ることなどできない。
 相手が力を行使してくる以上、対抗する力が必要なのだ。

「姫が守りたいのは、祖国そこくと家族ですよね? それには、父上と兄上の軍勢に勝たねばなりません。それだけでは終わりません。周辺の国々とも戦わなければならないと思います。サロスに来られた時に、それは決まっていたと思います。ちがいますか?」

「……。」

 ヴァルテリーナにとって、戦いという言葉は怖かった。強い決意をして城を飛び出したとき、なんとなくわかっていたつもりだったが、今思えば深くは考えてなかったように感じる。
 ダオスタに優秀な奴隷どれいを分けてほしいと相談したとき、彼は絶句していた。今思えば、彼も私が戦うつもりだと思ったのかもしれない。

「そうでした。私は戦わなければならないのでした。ルカに会ったことで安心しきっていました。愚かでした。
 まだ、終わりではありません。ルカの言うとおりです。」

  ◇

 カタサハルへ帰国するために新しい衣装が必要だ。ということで、他の護衛を伴って王女とオレはラタンジュの街に出かけた。
 王女が大きな仕立て屋を見つけて中に入った。女の服選びには時間がかかると、オレ以外の護衛は外に待たせた。護衛や侍従はなんの疑い持たなかった。オレが従う以前は侍従だけは王女に付きそっていたが、サロスから戻る帰路からはオレがその役目も引き受けていたので不自然には映らなかったようだ。

 店の者に前払いと称して金品を渡し、王女とオレは急用ができたと、裏口に案内させた。
 裏口から出ると、用意していた黄色いフードを王女にかぶせた。王女のトレードマークともいうべき純白のフードは、すれ違う通行人に渡した。通行人の女は一瞬驚いていたが、美しいフードに目を奪われ喜んでいた。彼女がフードを使用してくれれば、撹乱かくらんに役立つだろう。
 オレのほうは、露天ろてん販売されていた緑色のローブを購入して、羽織はおった。いつもベージュの服装だったので、この色であれば印象が違って見えるだろう。

 王女を伴って鍛冶屋や防具屋を探した。シュブドー兵団街時代のころの話になるが、鍛冶屋や防具屋には大抵たいてい使われてない部屋があり、手伝いや見習いの職人が下宿げしゅくできるようになっていた。隠れ家にするなら適していると思ったのだ。
 だが、予想に反して、なかなか空き部屋を貸してくれる店は見つからなかった。王女を妻として紹介すると、皆、一様に抵抗を示したのだ。女付きは、仕事をしない、面倒事が多い、と毛嫌いされたようだった。
 そこで妹だということにした。乱暴な亭主から逃げているということにすると、哀れに思ったのか、ようやく下宿げしゅくを認めてくれる防具屋を見つけることができた。
 7件目の店だった。
 ありがたいことに部屋には鍵が付いていた。店は午後しかかず、老店主は別の場所に住んでいる。つまり夜と朝は、店の店主もいない防具屋ということになる。人間ではない王女をかくまうには最適の場所だった。
 オレは、旅人にもらったと言ってアメクモの糸の束を老店主に渡した。老店主は、目を丸くしてホクホク顔になっていた。これで、しばらくは好意的に下宿げしゅくを提供してくれるだろう。
 
 防具屋の2階に部屋に落ち着くと王女も疲労と緊張からの解放された。小さな部屋の粗末なベットに横になると、彼女はすぐに寝息を立てはじめた。主が神経質な性格でなくて、ルカはありがたく思った。
 しばらくすると、日が暮れて、一階の防具屋の主人が店を閉めて家路いえじにつくのが見えた。

 王女に声を掛けたが、目を覚まさない。オレはしかたなく置き手紙を残して、防具屋を出ることにした。部屋の鍵はもちろん、防具屋の合鍵も店主から預かってたので、しっかり施錠せじょうして出かけた。
 王女を一人にするのは不安だったが、オレは一刻いっこくも早くレシーに会う必要があった。

 レシーは、港近くの酒場の入り口付近で待っていた。昨夜のシュブドーの隊服姿ではなく、この地域の服装にしっかり着替えていた。さすがは元秘密工作部隊の人間だと感心した。
 酒場で軽い食事と飲み物を注文し、二階席のすみのテーブルに座った。まだ、日が暮れたばかりの時間だったので、空席のほうが多かった。
 
「怪我をされたそうですが、もう大丈夫なのですか?」

 開口一番、レシーはオレの腕を見ながら言った。
 
「だいぶん良くなった。痛みはない。」

 オレは左腕を振ってみせた。

「よかった。心配でした。ルカ様が決闘に出場されたときも驚きましたが…。」

 つい1ヶ月前のことなのに、随分昔の話に感じる。

「ナイヤ様が心配されてました。報告によると、ルカ様が志願されて旅に出られたということになっていますが、奴隷どれい商人に売られたのですよね?」

 ローヌ戦後、ガラ家の地位は向上したが、ギュネスのほうは自ら役職を辞退しただけで失脚しっきゃくにはいたらなかったらしい。
 ギュネスの陰謀いんぼうを感じたガラ家は、秘密工作隊に似た組織をガラ家に創設そうせつすることにした。そこでやとわれたのがレシーだった。
 ルカの捜索そうさくについてはガラ家の中でも意見が別れたが、最終的にレシーが志願しがんし、ここまできたということだった。
 
「シュブドーへの帰国を望むのであればもちろん、他のことでもルカ様が困っているようなら『力になるように』と、ナイヤ様から直々じきじきに命じられています。今は私一人ですが、報告すれば私以外にも私兵を派遣はけんされると思います。」

「それは、ありがたいな。」

 ナイヤの協力は心強かった。だが、同時に目立つ行動はできないとも思った。
 シュブドーでギュネスが目を光らせている以上、下手に動けば、ナイヤが危なくなる。ギュネスは間接的とはいえ、ナイヤの命を狙っていた。
 ガラ家が今はローヌを統治しているが、たとえばギュネスの手の者が統治者になったら、ローヌの人々にも危険が及ぶ可能性がある。
 それに、異国の争いに加担すれば、シュブドーと南方諸国との国際的な問題にもなりかねない。
 心配なのは、シュブドーだけではない。
 外国勢力の介入によって、南方諸国の反感を買うことになれば、ヴァルテリーナを今以上に危険な状況にしてしまう可能性もある。
 背に腹は変えられない状況ではあるが、慎重に行動する必要があった。早計な協力要請は返って危険を招くことになる。

「レシー、悪いんだが頼みがある。」

 レシーの目が輝いた。

「なんなりと、私はそのためにここにいるのです。」

 嬉しい答えだった。

  ◇
 
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