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あかり

17話 残された絵日記

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「え?」

 あかり君は今後帰ってこない、ヌーは確かにそう言った。
 何かの冗談を言うような雰囲気でもない。
 ヌーの顔は真剣そのものだ。

「自分の家にもどるって。」
「――そうか」

 来るべき日が来てしまった、という事なのだろうか。
 それにしたって唐突だ。
 昨日まであんなに楽しそうに笑って、一緒に朝までゲームだってしていたのに。
 それとも、やっぱり俺との付き合いに嫌気がさしたのか?
 全部、演技で、気を使わせて──

「小森。たぶん的外れなこと考えてる。」
「……何か知っているのか?」
「あかりは日記をつけてた。部屋に行ってみるといい。」
「日記……」

 気付けば、俺は立ち上がっていた。
 今朝感じていた心の解放感はすでにない。
 霧がかかったような思考の中、足だけがふらふらとあかり君の部屋を目指していた。

 そして扉の手前で、いま一度考える。

 部屋に入れば、見たくないものを見てしまうかもしれない。
 俺はまた、暗いものを胸のうちに溜め込んでしまうかもしれない。
 そんな俺の背中を押してもらいたくて後ろを振り返ったが、ヌーの姿はなかった。

 無性に寂しくなる。孤独には慣れたはずだったのに。

 ――とにかく、行かなければ始まらない。

 何度か深呼吸を繰り返したあと、俺はあかり君の部屋の扉を開いた。

「失礼する……」

 部屋には当然誰もいないのだが、女性の部屋に入室する罪悪感から不慣れな言葉が出てきてしまった。
 期待していたわけではないが、あかり君の部屋は実に質素だった。
 何の飾りっ気もなく、ベッドと机、それからノートとパソコンくらいしかモノが無い。
 というか、俺が配置したままの状態だった。

 それが俺の不安をひどく掻き立てた。
 はやく真実にたどり着きたい一心で、机の上のノートを手に取った。

 表紙には色々なイラストがかかれていて、特に目を引いたのはウェディングドレスをアレンジしたような独創的な鎧をまとった女性の絵だった。どちらかというとコミカルなタッチで描かれており、あかり君らしい明るい印象を受ける。

 少し拍子抜けしたが、そのままページをめくった。
 どうやら絵日記風のつくりになっているようで、1日につき丸々1ページつかって動きのある絵が添えられている。

『○月×日。快晴。異世界初日です。私が何故ここに来たのかはわかりません。何故こんな姿になっているのかも。でも、ちょっと疲れていたので良いかなと思います。それよりなにより! 小森さんという素敵な方と出会えたのが本当に嬉しく思います。死にそうなところを助けてくれたのもそうなのですが、彼はなんというか、波長が合うのです! ……無理を言って住まわせてもらう事になりましたが、このご恩は絶対にお返ししなければなりません。とりあえず不摂生せっせいな生活を送ってらっしゃるようなので、家事全般は率先しようと思います。金銭面については……本当に頭が痛いです。なにせキャッシュカードが使えないっ! お財布の中も二千円しか入ったなかったんですよ! でもがんばれ私!』

 イラストは赤いマントを着た吸血鬼(美形)に平伏するウェディングアーマー娘といった感じだ。
 内容的に、押し問答をしていた俺とあかり君の構図だろう。というか絵上手いな。

 色々気になることはあるが、俺の知ってるあかり君そのままといった感じだ。
 次のページをめくろう。

『二日目です。実は初日の日記は今日書いたやつです。じゃあこれを書いたのは三日目かというと違います。今日書いてます。初日はお掃除やら何やらでドタバタして日記を書ける環境ではなかったのです。突然泊めてくれなんて言えば、ドタバタするのは当然ですよね。小森さんには感謝してもしきれません。なんとっ、今日はお部屋を用意していただいたのです! 机も椅子も! パソコンまでっ! ……本当にこれでいいのでしょうか? 私はまだ何も代価を支払うことができていません。お金は大事です。お金が無ければ何もできません。なのに、私はお金が無いにも関わらず、小森さんに甘えてしまって……。貯金おろしたいです(切実)』

 読んでいると申し訳なさばかりが積もっていく。
 いちいち彼女の秘密をすべてあばく必要はないのだ。
 あかり君はあかり君だった。確かにそれは確認したかったひとつの事実ではある。
 だけど今必要なのは何故出ていったかだけだ。それを知るには最後のページだけを読めばいい。

『○月×日。雨です。ヌーさんから異世界と異物の話を聞きました。異物同士は共鳴し、現世界を捻じ曲げるという事。私がこの世界にきた時間と、小森さんがルーンストーンを設置した時間が同じという事も。もしかしたら、この石を使えば戻れるかもしれません。少しの間、借りたいと思います。出発は雨が強くなる前に』

 最後の日記は妙に短い。イラストもまだ描かれていなかった。

 まだ書き途中という事だろうか?
 初日の日記を飛ばさずに二日目に書くようなあかり君だ。こんな中途半端な日記で終わらせるとは考えづらい。
 それに、石を少しの間借りると書いている。これはすぐに返すつもりがあるということだ。
 つまり、あかり君は戻ってくる気があるという事になるんじゃないか。

 しかし、もうすでに夜は遅い。
 戻る気があるなら、とっくに戻って夕食を作り終えて、皆でテーブルを囲んでいる時間だ。

 だとするなら、戻れない場所にいるということか。
 人さらいか、誘拐か。

 ――いや、ここまできて目を閉じているわけにはいかない。
 最初から書いあてるじゃないか。って。

 俺はノートを元の位置に戻して、部屋を出た。
 すると、キッチンの方から懐かしい音が響いてきた。
 ジュウジュウとフライパンで調理をしている音だ。

 俺は走った。家の中だから、走ろうが歩こうが大した時間の差にはならないというのに。
 心のままに走り、すぐにキッチンにたどり着いた。

「あかり君!」
「ぬう……。ちょっと焦げた。」

 しかし、そこにいたのはあかり君ではなく、慣れない手付きでフライパンを動かしているヌーだった。

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