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異・世界革命Ⅰ 空港反対闘争で死んだ過激派が女神と聖女になって 1

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 ー 一九七八年三月二五日 ー
『三里塚を闘う青年学生共闘』を担う最も尖鋭的な部分が、朝倉団結小屋に結集した。三十人ほどいただろうか。オレもその中のひとりだ。
「全員集まったな?」
 今日まで三里塚現地に常駐して闘争を指導してきた現闘団の幹部が切り出した。
「最後の会議を始める」
「⋯⋯明日二六日からの開港阻止決戦は、組織の総力を挙げて取り組むことを政治局が決定した。我々が掲げる空港包囲・突入・占拠は、単なるスローガンではない。我々は断固として人民抑圧空港の開港を粉砕する!」
 水を打ったように静かだ。全員が固唾をのんでいる。
「空港突入部隊は、確実に逮捕され、数カ月か、あるいは数年間投獄されることになるだろう。重傷⋯⋯。死ぬ可能性もある。⋯⋯担いきれないと感じた者は、この場から離れ一般部隊に加わってくれ」
 今さら逃げるやつなんか、いるはずもない。オレも逃げない。この期におよんで日和ってたまるか。
「敵は、全国からかき集められた一万四千人の権力・機動隊だ。我々は、インター・プロ青・戦旗の赤ヘル三派で共闘し、全国から結集した大衆とともに空港を包囲。ゲリラ戦闘で敵を揺さぶり、鉄パイプと火炎ビンで武装した大衆的実力闘争と、特別編成コマンド部隊の戦いを結合させ、空港に突入し占拠する。ターゲットは管制塔だ」
 
「よしっ!」
「異議なしっ!」
 パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ!
 しばらく拍手が鳴り止まない。
 
「すでに先発部隊が、空港管制塔近くに潜入している」
 本当だろうか? 本当なのだろう! 再び拍手が鳴り止まない。
「我々はこの無線機⋯⋯」
 
「秋葉原で買ったんだろっ!」と、ちょっとおどけた野次が飛ぶ。 
 
「ふふっ⋯⋯この高出力無線機を、革命的科学技術を駆使して改造し、警察無線を完全に無効化することに成功した」
 おぉーっ! と、どよめく。
 パチパチパチパチパチパチ!!
「機動隊を何万人集めたところで、指揮がとれないなら烏合の衆だ。さらに我々は、装甲改造トラックにドラム缶を⋯⋯⋯」
 

 ー 翌朝 一九七八年三月二六日 ー
 
 オレは、装甲車に改造した二トントラックの荷台にドラム缶を乗せ、満杯になるまで百キロ近いガソリンを流しこんだ。注入が終わったら、トラックと共に藪に潜んで出番を待つ。
 空港管制塔は、T字路のちょうど縦と横がぶつかった部分に建っている。後ろは滑走路だ。滑走路一本だけで四キロもあるバカみたいに広い空港だ。管制塔周辺には数千人の機動隊が警備している。
 反対派は、二カ所で同時に集会を開いた。空港の向こう側で一万人。『T字』の下の部分にある小学校跡地で三千人の集会だ。分裂集会になってしまうが、空港突入のためには、どうしてもこの場所で集会を開かなければならない。
 この三千人の集会場から数キロ先に横堀要塞が見える。日本中から一億円のカンパを集めて建設された鉄筋コンクリート製のでっかいサイコロみたいな要塞だ。この要塞に立てこもった五十人の部隊が、アドバルーンを飛ばし火炎ビンを投げつけて機動隊の精鋭部隊を引きつけた。今も戦闘が続いている。
 へへへ⋯⋯。集会が終わると同時に、こっちも祭りが始まるぞっ!

 最初に異変に気づいた警察官は、管制塔の隣にある空港管理ビルに設けられた警備本部の無線係だった。
 同時に複数の機動隊検問所に火炎ビンのゲリラ攻撃が加えられ、増援を求める通信が相次いだ。どうやって厳重な検問をかいくぐったのだろうか。小学校跡地の反対集会が切り上げられると同時に、監視していた機動隊部隊から「鉄パイプと火炎ビンを満載したトラックと過激派が合体し、約五百人が武装を完了して空港に向かった」という悲鳴のような通信が入った。その後すぐに歌謡曲『ペッパー警部』が大音量で混信し、警察無線は通信が不可能となった。
 一万四千人の機動隊を指揮するはずの警備本部は、その機能を停止した。

 集会会場から出撃した五百人の部隊が進撃を始めると同時だった。鉄パイプと火炎ビンで武装した二十人の部隊が二台の装甲トラックの荷台に分乗し、機動隊の設置したバリケードをはね飛ばして空港内部に突入した。停めてある機動隊車両やパトカーは、たちまち火炎ビンの餌食となり黒煙を上げて炎上する。ピストル警官隊が発砲を始めた。






 銃撃を受けながら警察の設置したバリケードを突破し、トラック部隊は管制塔直下に到達した。荷台の二十人は、火炎ビンを投擲し鉄パイプを振りかざして管制塔前を警備していた機動隊に突撃した。機動隊は、催涙銃からピンク色のソーセージに似た強化プラスチック弾を乱射する。
 警備本部のすぐ下で燃え上がる火炎ビン。過激派と機動隊の乱闘の様子が手に取るように見える。窓に張り付いた警察官僚どもの目は釘づけだ。電話を使って「機動隊は全て空港内に戻れ」と伝達するのが精いっぱいの有様となった。混乱をきわめる中で、誰かがこの場所は危険だと悲鳴をあげた。恐怖にかられた官僚どもは、重要と考えているらしい書類を抱えて我先にとエレベーターに乗り込み警備本部から『退避』し、消え失せてしまった。

 その時、前日に潜入を完了していた十五人の部隊が、地下の下水道をたどって管制塔の至近まで到達していた。トラック部隊と機動隊の戦闘音が地の底にまで聞こえる。
「いくぞっ!」
 渾身の力をふるってマンホールをこじ開け、部隊は地上にはい上がる。煙の立ち上る管制塔方面を呆然と眺めていた制服警官たちが地下部隊に気づき、腰のピストルを抜いた。
「ううう動くな! 撃つぞっ!」
 管制塔に鉄槌を下すためのハンマーまで装備した十五人全員がマンホールから地上に出るには、時間がかかる。鉄パイプとピストルが数分間にらみ合う。そして⋯⋯。
 
「よしっ。走れっ!」
 
 ピストル警官が悲鳴を上げた。
「いっ、いかん!」 
 
 地下部隊が、一斉に管制塔に向かい疾走した。


 
 管制塔入口は、ちょうど戦闘が終わった間隙の時間だった。トラック部隊の戦士たちが、血だらけになって引きずられて行った直後だったのだ。まだ何人かの仲間は、リンチされ両手錠をかけられ転がっている。機動隊員にも負傷者が続出し、その場で座り込んでいる者もいる。
 火炎ビンの残り火がくすぶっている戦闘直後の瞬間に、地下部隊が突っ込んできた。トラック部隊の仲間が、立ち上がって両手錠のまま合流しようとする。
 手をこまねいている機動隊をしり目に、部隊は正面入り口を突破し管制塔内部に突入する。十五人は、一階を制圧して時間を稼ぐ部隊と最上階に向かう部隊の二手に分かれた。制圧部隊が投擲した火炎ビンが燃え上がり乱闘が始まった。制服に火がついた警官が転がり回る。五人で最後まで戦った制圧部隊には、凄惨なリンチが加えられた。「殺してやる」と額に傷ができるまでピストルの銃口を押しつけられる者。取り囲まれ気絶するまでジュラルミン盾で袋叩きにされる者。鉄パイプで何度も殴りつけられる者……。
 突入部隊は、鉄パイプで機動隊を蹴散らし、エレベーター前に達した。降りてきたエレベーターのドアが開くと、なんと警備本部の警察官僚どもが転がり出てきた。『過激派』と鉢合わせするや、真っ青になって「ヒィーッ!」などと悲鳴を上げ、頭を抱えて床に這いつくばる警察官僚までいるありさまだ。
 命からがら逃げ散った官僚どもと入れ替わりに、突入部隊が乗りこんだ。扉が閉まる。十人の突入部隊を乗せて、エレベーターは管制塔を上がってゆく。
 ところが、最上階に到達した部隊は、立ち往生してしまった。最後の階段が防護扉で閉鎖されており、侵入が不可能になっていた⋯⋯⋯⋯はずだった。
 管制室への進入路を探している間に、下階の機動隊が階段を上ってきた。阻止部隊が張りついて、手当たり次第にあらゆる物を投げつけ、最後の火炎ビンを投擲、炎上させる。もっと投げる物はないかと周囲を見回すと、壁面塗装用のペンキ缶が放置されている。そいつを投げ落とすと火炎ビンの炎が引火し、下階は火の海になった。どす黒い煙が噴き上がってくる。機動隊は、完全に足止めされた。
 一方、突入部隊は、やおらハンマーを取り出し、強化ガラスの窓を叩き割った。やがて開放された窓から出て外壁に取りつく。そこから命知らずにも地上四十メートルのパラボラアンテナに飛び移り、空港中枢の管制室めがけてよじ登っていった。
 権力悪の象徴である空港管制塔に、赤旗が翻った。

 その頃、鉄パイプと火炎ビンを満載したトラックとドッキングし武装した五百人の部隊も、呆然としている機動隊を尻目に空港内部に突入していた。
 ここでもハンマーを持った仲間が、次々と空港設備を破壊していく。先頭の部隊は、九州からかき集められた管区機動隊や制服警官隊を蹴散らした。道路脇に逃げた制服警官が、ピストルを抜き発砲を始めた。膝を撃ち抜かれた仲間が転倒する。ヘリコプターの拡声器の誘導で、警視庁機動隊の精鋭部隊が接近してくる。
 とにく少しでも、突入部隊が管制塔を破壊する時間をかせがなければならない。
 
 よおーし! オレの番だ!! 暗い内から隠れていたから、待ちくたびれたぜ!
 ガソリン満載トラックで、管制塔前に突入する。大量のガソリンをぶちまけ火の海にして、機動隊の侵入を阻止するのだ! 先行したトラック部隊は二十人だったが、今度は、オレと運転手同志の二人だけ。ゲリラ戦闘だからな。だが、重要な任務だぞ。
 トラックが動き出し、管制塔に向かう道路に入る。目標地点の管制塔の方を見ると、黒煙が立ちのぼっている⋯⋯。

 その時、オレは、見た。管制塔に赤旗が翻った瞬間を見た。

 パラボラアンテナをよじ登って最上部にたどり着いた仲間が、管制室に突入するため、ハンマーを振るって窓を叩き割っている。足場は四十センチもない。転落したら即死だろう。
 
 命がけでたたかっている同志に、オレも負けてられないなっ! 突入した同志が、管制室を破壊する時間をかせぐんだ。
「いくぞーっ! 突入!!」 
 ガソリン満載トラックが、ばく進する。
 制服警官の悲鳴のような声が聞こえる。 
「うわーっ。また来たぞー!」 
 へへへ⋯⋯何度でも来てやるぜっ!
 憎ったらしい機動隊車両やパトカーに火炎ビンを投げつけ、炎上させてやった。ビンが割れた瞬間、火球が上がって燃え上がる。
 
 パリーン! ボァン! ボアアアア⋯⋯
 
 パン! パン! パンッ!
 
 爆竹がはぜるような音がする。???
 制服警官がピストルを抜き、発砲している。なんだ? オレが、撃たれてんのか? へえええ。射線を向けて頭を狙ってやがる。はっ、そんな腰の入らないヘロヘロ弾なんかにゃ当たらねえよ。
 なんだか腹が立ったので、お返しに火炎ビンを投げつけてやる。



 パリン! ボァン! 
  
 制服に火がついた警官が、転げ回っている。
「ひいいっ!」
「消火器! 消火器っ! どこだっ!」
 
 パン! パン! パン! パン! パン! パンッ!
 
 この先は、管制塔直下まで機動隊はいない。ならここだ。機動隊の進入路を大炎上させてやる。
「トラック止めろーっ。火をつけるぞ」
  
 パン! パン! パンッ!
 
 ドラム缶をひっくり返し、路上にぶちまけたガソリンに点火すれば任務完了だ。キレーに焼きはらってやるぜぇ。⋯⋯まぁ、逃げ場は無いから、オレも半殺しにされて逮捕だろうな。
 うーーーーーっ⋯⋯重いな⋯⋯あと⋯⋯すこし⋯⋯⋯。
 ドラム缶と格闘していると金属音が響いた。
 
 カィィィーン ボボボボ⋯⋯⋯⋯⋯
 
 んん?
 ドラム缶に小穴があいて⋯⋯⋯⋯火を噴いてる! ピストル弾が当たったのか!
 次の瞬間、ドラム缶が爆発・炎上し、オレは火だるまになった。
 
 ──────────────────
 
 気がつくと、静かな花畑に立っていた。これが話に聞くあの世の花畑か⋯⋯。
 ついさっきまで火炎につつまれて転がり回っていたのに? 少しガッカリして、「これは唯物論的な状態ではないぞ⋯⋯」なんて考えていた。気がつくと花畑を抜け、河原に立っていた。三途の川なんて本当にあったのかよ⋯⋯。
 岩が転がっており、男が座っている。半跏思惟というのだろう。腰掛けた姿勢で左足を下ろし、右足を上げて左膝に置いている。そいつが顔を上げてオレを見た。?!?! 知った顔だ!
「おい。弥勒じゃんかよ。おまえも死んだのかぁ? 大丈夫か?」
 三年ほど前に予備校で知り合った弥勒五十六(みろくいそろく)である。二浪して東京大学のインド哲学科なんていう浮き世ばなれしたところを目指していた。年は二つ離れていたが、徹夜で酒を飲みながら、討論に興じたものだ。オレは、東大をスベって東北の田舎大学に進んだが、弥勒は見事!三度目の正直で印哲(ひどく難しいらしい)に合格した。空港反対闘争に熱中していたこともあって疎遠になっていたのだが、弥勒はインドに旅に出たとか風の便りで聞いた。
「よう、嶺風。ちょっと手伝ってくれ」
 あいかわらず端的にものを言う男だ。
「死人には、手伝いはできない。へへ⋯⋯」
「たしかに、新東 嶺風という男は死んだ」(オレの名は『しんどう れふ』という)
 やっぱりオレは死んだのか。
「だが、異世界で革命や面白い仕事ができるぞ」
 ?
「おまえ、なにやってんの?」
「インドの山奥で、修行して、解脱した」
 なにやってんだ!
「解脱して、菩薩になった」
 菩薩とは、如来になろうと思えばなれるけど、人びとを救うためにあえて人界に残り修行している仏様の候補生だ。
「オレは、弥勒菩薩だ」
 へええっ?
「五六億七千万年後に現れて、全ての衆生を救うんだっけ? おいおい、こんな所でずーっと五六億年も人を救う方法を考えてるのか? 革命の方がいいぞ」
「正しくは、五億七千六百万年だけどな。経典を翻訳した坊さんが書き間違えたんだ。ガハハハ!」
 弥勒は難しい顔になった。
「⋯⋯全人類を救うことは、困難を極める」
 そりゃそうだ。
「いくら思索を巡らしても、思考が発展しない」
 そうだろうなぁ。
「そこで、新東 嶺風くんに手助けしてもらいたい」
 菩薩の手伝い? オレは、革命的左翼でトロツキストで唯物論者なんだぜ。
 元の世界には、戻れないそうな。まあ、もう死んでるしな。政府や運輸省や空港公団や機動隊や⋯⋯ブルジョワ社会は、あらゆるものが忌々しいから異世界ってのは、ちょうどいい!
 弥勒の受け売りだが、全ての人は、四つの大きな苦しみを抱えている。『生苦』『老苦』『病苦』『死苦』の四苦だ。弥勒に言わせると、『生苦』『老苦』『死苦』の三つは、人であるからには消しようがない。鉱物のようなものに変えないかぎり不老不死にはできない。でも、人を石や鉄のたぐいに変えたら、人ではなくなってしまう。
 しかし『病苦』は、神通力で取り除くことができる、と弥勒は言った。四苦のうち『病苦』のない世界。それを実現するため、オレをその異世界に派遣したいという。四苦から三苦になった異世界を観察して、衆生済度の参考にしたいんだとさ。
 まぁ、派遣される場所によるよな~。労働条件をきいてみた。
 セレンティアという異世界で、地球に似た場所だ。しかし、海が多く陸地面積は地球の四分の一程度。気候は温暖。総人口は一億数千万人。文明の水準は、おおむね中世末期を抜けて近世初期にさしかかったくらい。だいたい三百年前のヨーロッパの発展段階だとか。国同士の小さな紛争のたぐいはあっても、大きな戦争は百年以上無かった。魔法や魔術のたぐいは「ほぼ無い」そうな。
 宗教は、国によって多少の違いはあるが、『女神セレン』を祀る一神教で、大層な戒律や教義はない。多神教ではなく女神の一神教が発展したのは、五十年に一度くらいの頻度で女神セレンが顕現しているからだ。女神を顕現させているのは⋯⋯弥勒だろうな。
「なんで女のカミサマなんだ? 近世初期なのに母系制社会なのか? エンゲルスは、生産力の増大に伴って富の蓄積が可能になると相続制度が生じ父系制社会に⋯⋯」
「いやいや。可愛い女の子の神様の方が、喜んで信仰してくれるかと思ってさ。見てみろって。オレの芸術だっ!」
 金の粒を混ぜた美しい銀の光球が現れ、人型になった。空中に浮かんでいるその少女は、古代ローマ風の白い衣をまとい、輝く金髪で空のような青い目をしている。華奢な細身体型で、十六歳くらいに見えた。
「大層な美人だな。だーけーどー、白人コンプレックスみたいなのが、気にくわないな」
 大層な美人どころか、完璧な美少女である。しかしっ、金髪碧眼を無条件に美しいと感じる自分の内面を意識させられ、癪にさわる。
「そう言うなよ。セレンティア人の『女神セレン』のイメージを具現化させて、すこーしオレの好みを加えたらこうなった」
「神って、人間の内面を理想化し外界に投影したもんだろ? 女神は、普通は豊饒の象徴だよな? なら、もっとこう豊満な体型じゃないのか?」
「オレの好みは、スレンダー美少女なんだよ。はっはっはっ! それでだ。嶺風には、女神セレンの中に入ってもらいたい」
「中に入れって⋯⋯うぅっ⋯⋯女かぁ。なじめないなぁ」
「心配ご無用! 女神セレンのカラダは、素粒子やらエネルギーやらを集めて固定したものだから、生物ですらない。ウンチやオシッコもしないし、二十四時間ずっと働けるし、酸素すら無くて大丈夫っ!」
「うーん⋯⋯。それで、女神はなにができる?」
「一番は、病気の癒しだな。一度に二千人くらいだったら『女神の光』を浴びせれば、たちどころに治る」
「へえ、拝みババアを高級にしたようなもんか?」 
「本当に治るからな。インチキ拝み屋と違うぞ。ペストや癌だってたちどころに治る。ちぎれた腕も生えてくる。知恵遅れは知恵が進むし、精神病も治る。死んですぐなら、死人を生き返らせることすらできる! それに、空を飛ぶこともできる。神々しさを演出するオーラが出てるし、発光することも可能だ」
 この女神力を使って、セレンティアから病気や怪我をなくし、病苦が原因の悲惨を取り除けってわけだ。でもよぉ⋯⋯。
「鉄パイプ⋯⋯火炎ビン⋯⋯。武器はないのか?」
「武器? なぜだ??」
「無力な者は蔑まれ、誰もいうことをきかないね」
 弥勒は、少々考えた。
「救済に強制力を使いたくないんだよ。自立した人間が病苦から解放され、いかにして他苦に立ち向かうか?」
 女神セレンに入って異世界に降臨し、ひたすら病気を治すのがオレの任務か⋯⋯? 闘争の方が、いいんだがな~。 
「女神セレンの顕現は、いろんな奇跡で宣伝してある。ほら、大衆が待ってるぞっ!」
「まあ、やってみるか⋯⋯。最後に教えろ。なんでオレを選んだ?」
「おまえは、オレが知っている人間の中で、最も純粋で正直で正義感が強い男だったからさ」

 !
 そうかなぁ?
「まぁ、やってみる。でもな、世界を変えるのはきっと暴力だ」
 
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 イタロ王国、聖都ルーマ。この地を中心に、数カ月前から女神の奇跡が頻発しはじめた。
 女神神殿の壁に、女神セレン降臨を予言する文字が浮き上がる。
 工事現場で掘り出した岩の模様が、女神セレン降臨を予言する言葉だった。
 いつの間にか子どもに流行っているわらべ歌が、女神降臨の予言歌みたいだったり⋯⋯。
 こんな現象が続けざまに数十件も起きたのだからイタロ王国国民は、ほぼ全員が女神降臨が間近いと信じた。網にかかった魚の腹に降臨の日付と場所まで具体的に書いてあるのだから、これでは信じない方がどうかしている。
 その日は、三月二六日だった。場所は、四万人を収容できる円形闘技場だ。もちろんその日は超満員になった。国王すら臨席している。
 普段は見世物でライオンとトラを戦わせたり、死闘こそ禁じられていたものの奴隷剣闘士が動けなくなるまで戦うなど、神殿や敬虔な信者からは不浄な場所として忌避されている場所だ。しかし、たしかに聖都ルーマで最も人が入る所ではある。
 
 その時がくると、闘技場の真ん中、三十メートルほどの高さの空間に輝かしい銀と金の光の塊が現れた。群衆が静まりかえる。光の球は人の形となり、次の瞬間、空中に女神が顕現した。不思議なことに、遠くの者にも女神の顔がハッキリと見えた。その姿は、彼らのイメージする『女神』そのもので、美の化身のようだ。
 金の粒をちりばめ白銀色に輝く航跡を残し、古代ローマ風の白い衣をたなびかせ、女神は闘技場に舞い降りた。国王を含めほとんど全ての者が、女神に平伏していた。全員の頭に女神の神秘の声が直接響いた。

「私は、女神セレンです」
 
 最後に女神セレン様が降臨されたのは、五十年以上前に外国だったはず。まさか生きているうちに、この目でお姿を拝し御言葉を聴くことができようとは⋯⋯。感激と畏怖のあまり多くの者がふるえている。なかには泣いている者までいる。

「全ての病者と傷者を癒やすため、私は顕現しました」

 なんとっ! なんとありがたいことだ!
 女神セレンが腕を伸ばし天を指さすと、銀と金の光の球がその指先に現れ、急速に脹らみ闘技場を覆い尽くしていった。その間、水を打ったような静けさであったが、しばらくして爆発的な叫び声が闘技場を覆った。そこにいる全員の病気が治り、古い傷さえ消えたのだ。子供時代に失った片足がみるみるうちに生えてきた者は、仰天して気絶したようになってしまった。奇跡を体験した四万人の中で、女神セレンの神力を疑う者は、一人もいない。
 騒ぎがおさまるまで十分以上はかかっただろうか。再び女神セレンの声が頭に響いた。
「女神は、血を好みません。闘技場を廃し、この場所に癒しの神殿を建てなさい」
 群衆の中にいた何人かの建築家の脳に、『女神セレン神殿聖本堂』の設計図が焼きつけられた。
 再び女神セレンが、空中に上がっていった。白銀色の光跡を残しはるか高みまで登るにしたがい輝きを増し、最後に銀と金の光に包まれて消えた。
 
 国王直々の命令が下った。その日の内に軍隊が派遣され、闘技場を取り壊し始めた。奇跡を目のあたりにしてその場から動けなくなった群衆も、そのまま手伝いを始めた。
 もう翌日には、女神セレン正教大神殿聖本堂の建設は、イタロ王国の国家事業となった。聖都ルーマどころか王国中から人びとが集まり、少しでも功徳を積ませていただきたいと「石の一個でも置かせてくれ」「土の一握りでも運ばせてくれ」と夜を徹して働いた。このセレンティアでは驚異的な早さ。わずか四週間で巨大な神殿を建ててしまった。
 二八日間もほとんど眠ることもせずに神殿建設に働いたバロバという元強盗犯が、女神セレンに指名され大神殿長に就任した。バロバは、不信心な男だった。ところが強盗の刑罰で切断された腕が『女神の光』で再生した奇跡を受けて、改心と回心を果たしたのだった。元は荒くれ盗賊団を率いていたような男なので、リーダーシップと組織力はたいしたものだった。
 女神セレンは、毎日二回この神殿に顕現し、昇天するまでの二年間で三百万以上の人びとを癒した。
  そのあとを継ぐことになる『聖女マリア』は、奇跡の力で眠ることなく人びとを癒し続け、昇天するまでの一年間で三万以上の人びとを救った。

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 女神聖典 聖コマルによる福音書 聖女マリア伝より
 聖女マリアは、自らの心臓を指差して「ここを貫きなさい」と言われた。悪魔の入った者が、獣の叫び声をあげ、剣で聖女マリアの心臓を貫いた。他の黒い者たちも獣の叫び声をあげ、何回も聖女マリアを刺した。聖女マリアが昇天しないことを恐れた黒い者が、「悪魔よ、去れ」と叫んだ。何本もの剣に貫かれた聖女マリアは、天を仰ぎ「彼らは、自分がなにをしているか分からないのです」と言われた。恐怖にかられた黒い者は、悪魔の力を振るって聖女マリアの首を剣ではねた。
   
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「痛ってー! 冗談じゃないよっ! めった刺しにされてブッ殺されるの、二度目だぞっ!」
 脇に立っていた弥勒が、沈痛な表情をしている。
「ああ、ダメだったな。ファルールは、また地獄だ⋯⋯」
「オレ、人助けしかしてないだろ? マリアは三万人くらい癒した。なんで串刺しのあげくに、首をすっ飛ばされるんだよっ! 意味ない人殺しを止めたら殺されるとか、フザケてんのかっ! 人間は変わらねぇなあっ!!」
 二度目ともなると、悟りすましていた弥勒も少しはあわてた。
「いや、嶺風。そう怒るな。聖女の死体は、崇められてたぞ? ほら、映像をみろよ。行列つくって拝んでる。泣いてる者もいるし~」
「エヘヘヘ」と笑う。菩薩らしくない野郎だ。
「マリアの死体を、見世物にしていやがるのかっ! あっ! 棺桶を立てて見やすくしてやがる。首が転がり落ちたらどうするっ! アタマくるな~。罰だっ! バチを当てろ。『女神の火』で、ルーマを焼き払えっ!」
「まあまあまあ。マリアの体は回収したよ。頭と胴体はくっつけといた。罰は、再び『ファルールの地獄』だ⋯⋯。人間がここまで度し難いとはな⋯⋯」
「棺桶なんか拝んでやがる。物神崇拝かっ! 勝手に苦しんでりゃいいっ。あんな馬鹿どもは、もうオレは知らん!」
「そう言わずに、もう一度たのむよ~」
「おまえなぁああぁぁ⋯⋯。剣で頭をすっ飛ばされた時に、どんな気持ちになるか分かるか? 気が狂いそうになるほど痛えんだぞ」
「聖女マリア殺害から二十年経って、少しは人類は反省してるんだって。聖女マリア信仰も流行してるしなぁ」
 えぇっ! 二十年? 聖女マリアとして死んでから、二十年も経っているのか? 一瞬で戻ってきたように感じたが⋯⋯。
「いま観ているのは、二十年前の映像だ。新東 嶺風の精神体を二十年かけて修復したんだ」
 西洋では、肉体は魂の容れ物という宗教や哲学が主流だが、仏教では、肉体と精神は分かちがたく結びついていると考える、⋯⋯と弥勒が言ってた。
「これを色心不二という」
 聖女マリアの肉体がズタズタにされたから、入ってたオレの精神もズタズタに傷ついたんだな。それで二十年もかけて修復したのかぁ。うーん。責任感あるじゃん。
「でもよ~。一年間ほとんど寝もしないで、毎日二十四時間寝食を忘れて病気治ししたり、チョン切れた脚を生やすまでしても、聖女を拒否して殺しにくるんだぜ。病気や怪我を治しても、殺し合いを始めるし。レミングみたいだ。衆生済度なんて、無理だな」
「あぁ。もう病気治しはやめだ。生きている間だけでも、それなりに豊かで平和に暮らせるように社会を変革する。路線変更だ。社会改革のためには、ある程度の強制力の行使は、やむを得ない」
 菩薩っぽくない台詞だが、それだよ。ソレっ! 異議なしっ!
「革命的マルクス主義っぽいな。待ってたぜ。暴力こそ社会を変革する原動力だ⋯⋯」
「今度は、男として降りてもらう。セレンティアにも男女差別があるからな。男の方が仕事をしやすかろう。権力者との繋がりの手筈も整える」
「オレの任務は?」
「自由だ。好きに動けばいい。でも、今回は超能力のたぐいは無い。もともと持ってる現代知識。ちょっとした傷が治る程度の『女神の光』。他人が考えがなんとなく分かる力くらいは、渡しておくよ」
「暴力は? 実力闘争や武装闘争は?」
 顔色も変えず弥勒菩薩は言った。
「自由にしろ。それで三度目の『ファルールの地獄』を防ぎ、セレンティアが良くなると思うなら、殺しでもなんでも好きにすれば良い。おまえは、もう二回もテロられてるしな」
 モリモリとやる気が出てきたぞ! マルクス・レーニン・トロツキー主義の旗の下、セレンティアで世界革命を完遂し、真の共産主義社会を実現するのだ! ひょう!
「まてまて。このままじゃあ確実におまえは、また死ぬ。性格にちょっと加えさせてもらうぞ。『冷酷』『残忍』『狡猾』それに『偽善』をくっつけとくからな」
「まてい! おいおい、オレの性格を変えるなよな。『冷酷』『残忍』『狡猾』『偽善』ってなんだよ? 相当ワルいぞ!」
「今度の路線では、これがないとすぐに殺されちまうよ。くっつけるだけで性格自体を変形させるわけではない。戻ってきたら外すからよ」
 この菩薩、マキャベリストになっていやがる。
 現世より三百年も遅れているセレンティアでは、権力の持つ『暴力を伴う強制力』がいっそう露骨なのかもしれない。法治国家とか称していた⋯笑わせるよなぁ⋯日本ですら、戦闘的な組合活動をしたり空港反対闘争や原発反対運動とかで権力に歯向かったら、当たり前のように殺されたり殴られたり投獄されたりしていた⋯⋯。
 
 ──────────────────

 マルクス男爵家では、熱病で死んでからもう三日たった三男、レオンの葬式の準備をはじめていた。少年時代はヤンチャな暴れ者だったのに、二六歳の早死にだった。
 家族と使用人が、棺を置いた大部屋に集まっていた。葬儀の際に特有の湿った静かな雰囲気の中で、花を捧げ、人を迎え、女神セレン様に祈り、明日は埋葬する。
 異変に気づいたのは、末の妹だった。長い台に置かれた棺を見つめ、大きく目を見開いた。中でゴソゴソと音がしたのだ。やがてゆっくりと棺の蓋が持ち上がり、「ゴン!」と音を立てて床に落ちた。その場の全員が腰を抜かし、四つん這いで逃げようとする者など、大騒ぎになった。
「キャーッ!」「ヒィーッ!」「うわーっ!」
 ドンガラガッシャーン!
 間違いなく死んだはずの『レオン』が、棺から起き上がって言った。
「やれやれ⋯⋯。こんなとこで死んでたのか⋯⋯。女神に会ってきたよ」
 驚愕から我に返った家族は、泣いたり笑ったりしてレオンに近づいたが、生き返った本人であるレオン本人は、やけに醒めている。
 呼ばれてきた医者も、口もきけないほど驚いていた。一度死んだレオン・ド・マルクスは、完全な健康体となって生き返ったのだ。
 死ぬ前のレオンは、主家筋にあたるランゲル侯爵領で騎士をしていた。がっちりした体格で肩幅と胸板があり、身長は一七七センチ、この国の男性としては平均より少し高い。黒髪で黒眼。好みは分かれるだろうが、なかなかに『いい男』であるとは言えそうだ。動物で例えれば、ちょっと熊に似ていて無精ひげが似合うタイプだ。新東嶺風に、容貌がかなり似ている。
 三日も死んでいたのだ。しばらくはおとなしく寝ているかと思ったら、ガバと起き上がったレオンは、突拍子もないことを言いだし、再び家族を唖然とさせた。
「せっかく生き返ったんだから~、聖地巡礼の旅に出る! 遺産はいらないから、オレは死んだと思って旅費を少しいただきたい⋯⋯。いやいや、カネを下さい。二度とねだりませんから。父上」
 相続放棄がどうとかいう書類に散々サインをして二百万ニーゼのカネを受け取り、数日後にはもう旅支度ができた。死んだショックで、少しおかしくなったと思われていた節があったが~。まぁ、すぐに旅に出られるのは、ありがたかった。死ぬ前は、領主領の騎士団所属だったので、たまに遠征をすることもあった。それなりに装備は整っていたので、すぐに旅装ができた。
 ちなみに一ニーゼは、現代日本の感覚で、一円といったとこだ。二百万ニーゼ = 二百万円が尽きるまで、バックパック旅行をしてセレンティアを見てまわる計画だ。日本でもリュックサックを担いだ貧乏アジア旅行が流行っていたっけなぁ。


 セレンティアの武装は、でっかい太刀の一本差しが普通だ。だがオレは、細剣と日本刀みたいな脇差しの二本差しにした。この世界では、かなり珍しい格好だろう。
 転生前は、小学校から高校卒業まで剣道をやっていたので、オレには細くて軽い細剣の方がはるかに扱いやすい。
 生き返ったマルクス男爵家は、フランセワ王国の端の侯爵領主領にあった。国境に近く、イタロ王国の聖都ルーマにも近い。街道を歩けば八日。間道の山道を通れば六日でルーマに到着する。もちろんオレは、山道六日コースをとった。
 山道とはいっても山中を歩くのは二日くらいで、道も場所によっては馬車がすれ違えるほどの幅がある。旅人が一日歩く距離の間隔ごとにちょっとした宿が建っており、泊まって食事もとれる。しかし、街道の宿場町の方が設備が整っていて遊び場もある。それにセレンティアは、平地が多くて山が少ないので、ちょっとした登りでも嫌がる人が多い。
 旅も三日目。夕方の薄暗くなった頃に、今度の旅で一番の山奥に位置する宿屋に着いた。馬車が通行できる道が目の前にあるのだから、実際には山奥というほどでもない。木造二階建てのなかなか立派な建物だ。十部屋以上はある。
 オレは、泊まる部屋の位置をいつも決めている。
「二階の角部屋にしてくれ。晩メシはもらうよ」
 権力や内ゲバ党派の襲撃を警戒して、下宿はいつも二階の角部屋だった。その癖が抜けないのだ。ドロボーが入りにくい部屋なので、それはそれでよいのだろう。明日は山を下って国境を越え、イタロ王国に入る。

 ゴロゴロしていると、宿屋の前にえらく高級そうな馬車が止まった。なにやらただならぬ騒ぎぶりである。剣を腰ベルトに差して降りてみた。十数人が集っていた。
「おう、どいてくれや」
 えらく高級な馬車に、なん筋も太刀傷がついている。こりゃあ、野盗のたぐいに襲われたな。馭者は⋯⋯斬られて死んでらぁ。宿屋にたどり着いて、安心して力尽きたか⋯⋯。
 高級馬車から女が降りるのを誰かが手伝っている。へぇ? こんな所に貴族娘と侍女だぜ。「ひ、姫さまっ」とか言って、侍女の方が貴族娘にすがりついてふるえている。おいおい、普通は逆だろ?
 真っ青になってガタガタふるえているけど、二人とも美人だ。二十歳くらいか? 特に『姫さま』の方は、「女神セレン様のように美しい」という、この世界の最上級のほめ言葉を使っても嫌みになるまい。金髪で青緑の眼のシュッとした美人だ。貴族でなくても顔でメシが食える水準だなあ。
 馬車から降りると、二人とも地面にへたり込んでしまった。この場で武装している者は、オレしかいない。出番だろう。
「おまえら。女を宿に運んでやれ!」
 数人がかりで女を担いで運び込む。同時にかすかな蹄の音が聞こえてきた。
 ⋯⋯⋯⋯馬が、二頭か⋯⋯。
「聞けっ! 野盗の追っ手が来た。すぐここに着く。殺されるぞ。隠れてろ!」
「ひいっ!」
「うわぁ!」
 野次馬の連中が、悲鳴を上げて転がるように宿屋に逃げ込んだ。オレは、細剣を抜き高級馬車の中に入る。すぐ前の席で、血だらけの馭者が死んでいる。オレは、突きの姿勢で剣を構え、後部座席の隙間に潜りこんだ。
 すぐに騎馬の野盗どもが来た。⋯⋯やはり二人だ。二人とも馬車の近くで馬から降りてくれた。一方が残って逃げられたら面倒だからな。
「こんなとこまで逃げてやがったぜ」
「おう、馬車を調べるぞ」
 扉を開けて座席をのぞき込んだ野盗の喉を、思い切って剣で突いてやった。
 ヒョ───ッ という音をたて血を噴き出しながらあお向けにぶっ倒れる野盗。すぐに馬車から飛び出すと、もう一人の野盗が仰天して固まっている。戦おうともせずに背を向け、乗ってきた馬の方へ逃げようとした。追いかけて、剣で太腿を払う。転倒した野盗は、なにやら命乞いを始めたが、逆手にした剣を下ろし背中から心臓を貫いた。即死だろう。
「おう。野盗どもは始末したぞ。出てきな」
 宿屋の連中が、おそるおそる出てくる。
「ちょっと忙しいぞ。死体を隠してくれ」
 野盗が乗ってきた馬の尻をちょっと剣で突いてやって、この先に走らせる。高級馬車も、ここに置かれると野盗どもの目印になってしまう。高級馬の尻を突っついて、こちらも先に行ってもらう。馭者の死体を降ろす時間は、無いな。宿の連中が数人がかりで野盗どもの死体を、道路脇の藪に放り込んでくれた。
「よしよし⋯⋯。いいか、よく聞け! この野盗どもは斥候だ。すぐに本隊が来る。死にたくなければ、逃げろ!」
 すぐにバラバラと宿屋から人が飛び出してきた。
「ほっ、本当ですかっ?」 
 本当だよ。
「いいい、いつ来るんです?」
 そんなこと知るかよ。
「道沿いに逃げたら駄目だ。すぐ追いつかれて殺される。脇の藪に入って逃げろ。逃げられるだけ逃げて動けなくなったら、その場で隠れてろ。すぐに夜だ。真っ暗になる。朝まで隠れていれば助かる」
 藪に入ったら枝やトゲのたぐいで傷だらけになるだろうが、殺されるよりはマシだ。そうだ、忠告しておこう。
「いいか。下に逃げるなよ。山の上に向かって逃げろ」
 キューバ革命の英雄、カストロとゲバラのような山岳ゲリラの真似をして、かなり登山をしていたのが役に立つ。登山で道から外れて迷った時には、下ったらいけない。山は下に扇型に広がっているから、ますます迷う。沢にでも迷い込んだら命が危ない。逆に上に登ったら、いずれ見晴らしの良い尾根に出るので自分の居所が分かる。

「すぐ野盗が来るぞ。急げっ!」
 十数人の宿泊客や従業員が、脱兎のごとく藪に飛び込んで逃げていった。あの勢いなら猟犬にでも追い立てられなければ、捕まらないんじゃないかな。かなり暗くなってきたし、たぶん助かるだろう。
 こんな所で野盗と斬り合うつもりは無い。オレも荷物を持って早くずらかろう。急いで宿屋らしいデカい玄関に入ると、「ひいっ!」という女の声が聞こえる。
「なんだ?」
 玄関から五メートルばかり廊下が続き、突き当たりに食堂の入り口がある⋯⋯。食堂の隅で、超美人の姫サマと美人侍女ちゃんが抱き合ってふるえていた。
「バカっ! なにやってんだ。殺されるぞっ! 早く逃げろ!」
「ひひ姫さま、お逃げくださささささ⋯⋯。ああああ、あし⋯⋯足が動かなくって⋯⋯」
 侍女ちゃんの方の腰が抜けたか~。普通は姫サマが足手まといになるもんじゃないのかなぁ?
 あ、かすかだが馬のヒズメの音だ。野盗がきた。
 オレだけ逃げれば逃げられるが、女を見捨てるのは、⋯⋯ちっ! したくねえな。仕方ない。殺るか。
 かなり大きな宿屋の食堂だ。二十人は入れる。見ると奥に裏口がある。裏庭に出られそうだ。外は月がでており、もう夜だ。
 まず、厨房に駆け込んだ。包丁のたぐいが五本ばかり立ててある。こいつらを持ち出して、食堂の入口と裏口の壁にぶっ刺して突き立てる。残りの包丁は、さりげなくテーブルの上に置いておくか⋯⋯。
 あとは女だ。侍女ちゃんは⋯⋯腰を抜かしていて役に立たねぇな。姫サマの方に包丁を突き出す。
「ほら、受け取りな。こんなモノしかなくて悪いな。すぐ裏口から逃げろ。もし野盗どもに捕まったら⋯⋯」
「これで戦うのですね!」
 この姫サマ、おそろしく気が強いな!
「バカっ! 強姦されるか、これで自殺するか。自分で決めるんだ」
「ううっ⋯⋯⋯⋯」
「ためらうと、かえって痛いぞ。自殺するなら思い切っていけよ」
 包丁をマジマジと見つめる姫サマ。
「王族が、こんな物で⋯⋯」
 しかし、決意の表情だ。その時がきたら、きっと自殺を選ぶだろう。
「でもな。たぶんオレは勝つ。早まるなよ!」
 包丁を握らせ、そのまま腰の立たない侍女を引きずって裏口から外に放り出した。それと同時に宿屋の目の前に野盗どもが来た。
「馬車がねぇな。先に逃げたのか」
「馬で追いかけた野郎どもが、戻ってこねぇ。おい、おめえらも様子を見てこい」
 馬が駆けていく音がする。野盗が通り過ぎてくれれば、姫サマたちは命拾いできるのだが⋯⋯。
 オレの方は、大忙しだ。天井から火のついたランプが二つぶら下がっていた。外してひとつは食堂の入り口近くに、もうひとつは裏口近くの物陰に隠した。
 ちょっと探すと厨房に置いてある大瓶に、ランプ用の油が入っていた。玄関に運んで、油をブチまける。蹴って瓶を転がらせて廊下の半分くらいまで油浸しにしてやった。
 開けた場所で敵に囲まれたら、簡単に殺されてしまう。勝機があるとしたら、狭くて天井が低く大刀を振れない廊下だろう。窓が小さいので月明かりが入らず、暗くてゲリラ戦に都合がよい。
 細剣と太目で短い脇差しを抜き、脇差しは食堂の入口に突き立てておく。外は夜といっても月があって明るい。廊下は真っ暗だ。その場に座り込んで、暗さに目を慣らす。
 どうやら野盗どもは、通りすぎてくれそうな気配だったのだが⋯⋯。
「待ってくだせえ。これ、血じゃないすか?」
 さっきぶっ殺してやった野盗の血か。
「⋯⋯人の血だな。宿屋を調べるぞ」
 ちっ! 来やがるか! 戦闘開始だな。
 野盗どもに、玄関と裏口の二手に分かれて来られたら、まず助からなかった。そこまで知恵の回る山賊はいない。
「うわっ! ⋯⋯油だぁ。すべりますぜ」
「気をつけろよ」
 野盗が転んだ音がする。待ち伏せに気づかない。わざわざ死ににくるとは、バカな野郎どもだ⋯⋯。
 先頭の野盗が薄く見えてきた。ろっ骨の間を通るように剣を水平にして、屈んだ姿勢から心臓を狙って思い切って突いてやった。このやり方は、寄せ場労働運動で暴力団とたたかっていた日雇い組合の人に教えてもらった。闘争で逮捕歴のあるオレを雇うブルジョワ企業はない。いずれ大学もクビになるだろう。権力とたたかうというのは、そういうことだ。日雇い労働者になるのは、選択肢のひとつだった。
 心臓を貫かれた野盗は、仰向けになってひっくり返った。ジタバタしながら転がっている。間髪入れずその横で棒立ちになっている野盗の喉を突き、さらに横に薙いでやった。ヒュ────ッ と笛を鳴らしたような血が吹きだす音をたて、ぶっ倒れる。血の滴が飛んできた。
「だれか、いやがる!」
「気をつけろ!」
 皮兜をした野盗がデッカい太刀を振り上げるが、剣が天井にぶつかり振り下ろせない。丸見えの手首を薙いでやった。細剣なので切断は出来ないが、両手首から凄まじい勢いで血が吹き出してきた。背中を向け這って逃げようとしたので、両脚が露わになる。足を殺すために太股を突いた。
 少しは実戦経験のあるような野盗が、太刀で突いてくる。手甲をしていやがるので、小手を狙えない。だが、粗悪品だ。覆っているのは上だけ。突きをしのいで、手首を下から斬り上げた。刃が手甲に当たった感触があったが、手首をかなり傷つけることができた。太刀を落として倒れたので、首筋に刃を当てて頸動脈を切断するように削いだ。
  この狭い廊下では、野盗どもは突き技しか使えない。とはいえ、このまま突きでやり合っても、いずれは突き殺される。人数が多い野盗どもの方が有利だ。食堂入り口まで後退し、細剣を食堂に放り込み、立てておいた脇差しに持ち替える。細剣より短いし太いから、廊下でも思いきり振れる。
 滑りながら油浸しの廊下を抜けた野盗が、太刀を腰に構えて体当たりするように突っ込んできた。
 ガイン!
 火花が散る。細剣だったらヘシ折られていたが⋯⋯。いなして隙だらけになった胴を、斜めに叩き斬った。
 訓練を受けたことのある野盗がいた。体勢を整え狭い廊下で二人が並んで太刀で突いてくる。これは厄介だ。ひとりを斬っても、残ったもう一方に突かれる。せっかくの脇差しだが、投げ槍のように投げつけてやった。一方の土手っ腹に突き刺さり、倒れてジタバタともがく。
 後ろの野盗が、なにかわめきながら突っ込もうとして、油ですべって転んだ。廊下の戦闘は、ここまでだ。食堂に撤退する。すかさず床に置いていたランプを拾った。勢いをつけて、
「ほーれ。火炎ビンだ。受けとりな!」
 火のついたランプを廊下に投げ込んでやった。
 パリーン! ボアン! メラメラメラ~ゴオオォォ~!
 懐かしい音だなぁ。
「ギャアアアアアアアアア!」
「ギェアアアアアアアアア!」
「グエアアアアアアアアア!」
 複数の悲鳴がひびく。乱戦で、野盗どもにとどめを刺す余裕はなかった。まだ息があるやつがいたなあ。
 さっき食堂に放り込んだ細剣を拾う。血脂でベトベトだ。
 火だるまになった野盗が二人、食堂に飛び込んできた。もう戦闘力は無いだろうが、入口で待ち伏せて二人とも斬ってやった。死ぬために逃げ込んできたようなものだ。
  ドガラン! ガシャーン!!
  ものすごい音がして壁がぶち破られた。戦装束の皮兜・手甲・皮鎧をつけた大男が、破った壁から入ってきた。バカでかい大刀を持っている。装備からみて、コイツが頭目だろう。
 待ち伏せされているのを察知して、壁を破壊して侵入してきた。体格だけのやつではないようだ。それなりに頭が切れるのだろう。服の一部には小さく火がついており、かなりの火傷を負っている。しかし、まだやる気だ。
 細剣では、鎧や兜を斬ることはできない。防具の隙間を狙うしかない。だが、そんな悠長なことをしていたら、脳天に太刀を叩き込まれる。受けても剣を折られるか弾き飛ばされる。なにより、十人も斬ったせいで、もう疲労が限界にきている。立っているだけで膝が笑う水準だ。⋯⋯圧倒的に不利だな。
 斬り合ったら圧倒的に不利なら、斬り合わなければよい。厨房から持ち出してテーブルに置いていた出刃包丁を、顔面に投げつけた。
 ガイーン!
 太刀で弾かれる。おら、もう一本!
 ガイィーン!
 また弾かれた。だったら⋯⋯。
「火炎ビンでも食らいなっ!」
 裏口近くに隠していたランプを、顔面に投げつけてやった。普通ならば避けるだろう。だが、今さっき出刃包丁を弾いた意識が残っている。頭目は、太刀でランプを受けた。ランプが割れ、火のついた油を頭からかぶる。
 人間タイマツになって頭目がひるんだ隙に、細剣で太股を突いてやった。これもヤクザとたたかっていた寄せ場労働運動の活動家にきいた。太股は、神経や血管が入り組んだ人体の急所らしい。なにより敵の足が動かなくなる。
 頭から火をかぶり太股を突かれても、頭目は太刀を離さない⋯⋯。こんな野郎の近くに寄ったら危険だ。あの世の道連れにされる。
 疲労しすぎで力を入れると目の前が黒くなった。どうにか力を振り絞り、でっかいテーブルを持ち上げて、頭目の頭にぶん投げた。
 ガンンン! グシュ!
 この頭目野郎は、もう這いずることもできないだろう。こいつは、このまま焼け死ぬ。
 廊下から食堂に、火が吹きだしてきた。逃げないとオレも丸焼けになる。ヨレヨレの状態で裏口から裏庭に出ると、あぁぁぁ⋯⋯! なにやってんだ? 姫サマと侍女ちゃんが、裏出口の目の前でヘタリ込んでいる。⋯⋯逃げろよおお!
 火事で崩れた建物の下敷きになったら危険だ。剣を鞘に収め、二人の襟をつかみ、さささいごの力でえぇぇぇ⋯、裏庭の端まで引きずった。もうカンベンしてくれぇ! そこで力つきて座り込み、木に背をもたせ剣を抱いた姿勢のまま、なかば気絶してしまった。
 宿屋が、盛大に燃えている。

 気がつくと、まだ宿屋は勢いよく炎上している。のびていたのは、十数分程度か。
 裏庭といっても、藪を切り開いて物干しや薪やらの置き場にしているちょっとしたスペースだ。境界の塀や垣などはなく、歩けばそのまま山の中に入ってしまう。
 侍女ちゃんが、すがりついてきていた。どうした? 腰が抜けたのは、治ったのかな?
「ぞっ、賊です!」
 どれ? 馬のいななきと男どもの声がする。高級馬車を追いかけていった連中が、戻ってきやがったようだ。
「おい。派手に焼けてやがるぜ」
「オカシラは、どこへ行った?」 
 はっ! あの世に行ったよ!
「裏じゃねえのか。早く見つけねぇと、ぶっ飛ばされるぜ」
 ⋯⋯三人かぁ。やっかいだな。
 よっと、立ち上がる。いつの間にか切り傷を負っているし、身体の節々が痛むぞ。
「どどど、どこへ行かれるのです? ハアハアハアッハッハッハッハッ⋯⋯」
 侍女ちゃんは、過呼吸気味だ。
「オレは、隠れる」
「こ、ここにいて下さい」
 へへへ⋯⋯。殺されるためにかい? 冗談はやめてくれや。
「アリーヌ、お止めしてはなりません」
 姫サマの方が、聞き分けがいい。
「隠れ場所の方をジロジロ見てくれるなよ」
 抜き身の剣を持って、庭と藪の境に立っている木の裏に隠れる。すぐにドヤドヤと野盗どもが来た。
「よぅ、オンナだ」
「おう、いいオンナじゃねぇか」
「ヘヘヘヘヘ、まだ手を出すなよ。お頭に殺されちまうぞ」
 捕まえてなぶろうとでも考えたのだろう。野盗どもが女に飛びついた。もみ合ってる。貴族娘のくせに野盗三人相手に抵抗する度胸があるのは、たいしたもんだ。
「離しなさい! 無礼者っ!」
「いてぇっ! このアマ、光りモンを持ってやがる」
 姫サマが、さっきの包丁で切りつけたみたいだ。止せと言ったのに⋯⋯。殺されるぞ。
「キャアアアアアアアアア!」
「姫さまっ!」
 木の陰からうかがっていると、姫サマの顔面が血だらけだ。侍女ちゃんが、かばって覆いかぶさっている。さっきまで腰を抜かしてたのに、忠誠心が強い。主人と一緒に死ぬ気か?
 強姦しようと野盗どもが女に覆いかぶさった時に、背中から寄って殺るつもりだったんだが。このまんまじゃあ、今すぐ女たちが殺されちまいそうだ。
 そろっと木から離れ、ダンゴになってもみ合っている連中に近づいた。背中から肩甲骨の下あたりを狙い、思い切って剣で心臓を貫いてやった。「ギャッ!」と叫ぶと、血を吹きながら野盗が女の上でもがき回った。
 女を殺す気になっていたのだろう。すでに太刀を抜いていた野盗が、あわてて斬り返してきた。受けずに引く。二対一、かぁ⋯⋯。姫サマの包丁攻撃で、ひとりは結構な負傷をしているようだ。これならいけるか?
 負傷してない方の馬鹿な野盗が、馬鹿なことをした。血だらけの姫サマを楯にすると、首筋に太刀をあてる。侍女ちゃんが、野盗の足にむしゃぶりついて蹴り飛ばされ、吹っ飛んだ。きれいな顔をしてるのにやっぱり忠誠心が強い。
「この女の命が惜しければ⋯⋯」
「くっ、くくっ⋯⋯プッ!」
 おかしくって、嗤っちまったよー。
「な、なにがおかしいんだっ!」
 野盗のくせに、甘っちょろいよなあ。
「オレが剣を捨てたら、オレを殺して、その女も犯して殺すんだろ? だいたい、知らねえ女が死んだところで、オレは痛くもかゆくもなーい」
 いまさらペテンなヒューマニズムに引っかかるかってんだよ。せせら笑いながら真っ直ぐ剣を向け、躊躇せず前をつめる。女を楯にして隠れているつもりでも、体格が違う。急所が丸見えだ。腰のあたり。肝臓をやるか⋯⋯。
 女と串刺しにして殺すつもりだとでも思ったのだろう。野盗は、姫サマを投げつけてきた。姫サマには悪いが、抱きとめない。そんなことをしたら、二人重ねて殺される。飛んできた姫サマをよけて、女を投げて体勢が崩れた野盗の肘を斬った。返す刀で喉を切り裂いて、とどめを刺す。見ると姫サマは地面に転がっている。打ち身で死ぬことはあるまい。
 おっと。最後のひとりは、どこへ行った? 姫サマに切られた怪我をかばいながら、背中を向けてヨタヨタと逃げていく。また仲間を連れてこられたら面倒だ。地面に落ちていた姫サマの包丁を拾って、背中にブン投げた。真っ直ぐキレイに突き刺さり、その場に倒れる。でもまだ、致命傷を与えたかは分からない。うつ伏せに倒れている足の方から近づき、ふくらはぎを突いてみた。「ギャッ!」。悲鳴をあげ太刀を振り回し悪あがきしてきた。手首を叩き斬って太刀を落とし、目を突いた。剣先は、脳まで達しただろう。
 十四人も斬り殺したら、もう体力の限界を超えている。死体の横でひっくり返り、オレはそのまま意識を失った。
 ぶっ倒れていたら、誰かにどこかに運ばれた。くたくたのモーロー状態なので、そのままどこかの床に転がって寝た。
 (続く)
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