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第1章 天地開闢(その2)

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 8月12日。
 いつも通り、ドックフードとミルクを持ち寄った俺は、校舎の倉庫裏で小犬にご飯を食べさせていた。

 栞菜はいない。
 傾向的に、栞菜は早朝と午後にいる確率が高く、俺は正午と夕方によく来る。

「ふっ。やはり俺は、世界で一番幸運で不幸な男……」
「――その自己紹介、まだ使ってるのぉ?」
 間延びした声が後ろから掛けられ、俺はおそるおそる振り向く。

「……なんだ、灯里か。この自己紹介は5年前に俺の弟を救ってくれた人がだな――」
「はいはい、その話はもう聞き飽きたよぉ」
 ジャージ姿のショートヘア、癖っ毛とバンダナがトレードマークの女子生徒――俺の幼馴染の、星野灯里だ。他人が目を見張るほどデカい俺よりも、さらに一回りデカいのが特徴的だ。

「アンタがデカいって……寝言は寝てから言いなぁ?」
 俺の頭をポンポンと叩く灯里。
「おいやめろッ」
 せっかく成長期に入っている俺の身長が、止まってしまうではないか。
 いつか俺が追い抜いた時に、絶対やり返してやる。めちゃくちゃ頭ポンポンしてやる。

から聞いたよぉ? 最近、出歩くことが増えたって。こんな日にこんなところでなにしてんのさぁ? アンタ、学校に来る用事なんてそうないでしょぉ?」
「ふん。俺の偉大な一歩はたとえ家族といえど理解されにくいものだ」
「あれぇ? 小犬じゃなぁい! かぁわいいぃッ!♡」
「おい聞けよッ」

 灯里が座り、小犬を覗き込む。
 ――ワンッ!
 小犬は新顔の登場にも怯まず、興味深そうに近寄ってくる。
 ……ずいぶん人懐っこいな。

「おぉ元気だなぁ。ワンコロぉ、お手! お座り! チンチン!」
「おい、ヘンなことを吹き込むなよッ」
 灯里は俺のクレームをものともせず、小犬を可愛がる。

「ねぇ、名前なんて言うのぉ?」
「足立克樹だ」
「そのツマラないボケはクーリングオフするわ」
「名前はまだない」
「……夏目漱石?」
「あっちは猫だろッ」
「名無しのワンちゃんかぁ」
「ちなみに俺は『ブラックダークネスシャドウ』って呼んでる」
「車道ちゃん? 変わった呼び名だねぇ」
「言語が違うッ」
「――んぅ? 名前がないのに、呼び名はあるんだぁ?」
「ああ。今は里親探し中だ。いずれ俺たちの手元から巣立つから、名前を付けると別れが悲しくなるだろ」
「……捨て犬だったんだぁ?」
「そうだ」
「ってことはぁ、見つけてまだ数日って感じ? 夏休みが終わるまで、自分たちで面倒見れるから、それがタイムリミットかなぁ?」
「……そうだ」
 コイツはずぼらな見た目やのんびりとした口調と異なり、意外と鋭い。

「ふぅん。よく先公にバレなかったねぇ」
「まぁな。ここは穴場だ。用がなきゃ来ない場所だ。言っておくが、お前も口外するなよ?」
「分かってるって――」

「――誰ですか?」

 俺と灯里が振り向く。
 立っていたのは、栞菜だった。

「ああ。コイツは俺の幼馴染――星野灯里だ」
「あっそうなの。良かった~。誰かに見つかったのかと……」
 ホッとする栞菜に分かりやすく事情を説明する俺。見知らぬ外国人にもよく話しかけられ、道案内をしてきた俺にとっては朝飯前だった。

「――誰?」
 今度は灯里が俺に話しかけてきた。
 割と目が据わったリアクションをする灯里に若干、意外に思いつつも同様に説明した。
「ああ。コイツは――」

 かくかくしかじか。

「ふぅん、栞菜……ちゃんね。よろしくぅ」
「よろしくね」
 俺を間に挟み、まったく歩み寄らずに挨拶をする2人。なんだか2人とも表情が固い。

「あっ、栞菜。コイツ、もう立ち上がって走り回れそうだ。段ボール箱から飛び出してきそうだぞ!」
「あっ、早太郎♡ 元気だったな~?♡」
「俺の話を聞け」
 4日ほど共同作業をして分かったが、コイツは結構前に前に出るタイプだ。

「う~ん、ここに置いておくのも限界か……克樹くんは何か案でも思い浮かんだ?」
「浮かんでないぞ。いくら俺がIQ5000といえど、限界がある」
 俺と栞菜が段ボール箱から出ようと前足を掛ける小犬について話していると、灯里が俺たちの間に顔を割り込ませて会話に混ざってくる。

「――栞菜ちゃんと克樹の2人で面倒を看ているのぉ?」

「おっ、おお、そうだぞ」「……ええ、まあ」

 灯里は栞菜を一瞥すると、
「――灯里ん家で預かろうかぁ?」
「「え!」」

 灯里は腕を組み、上体を反らしつつ言う。
「既に灯里たちは飼っているし、ずっと飼うとなるとムリだろうけど、夏休み中くらいなら、1匹増えるくらい、問題ないと思うよぉ」

「ほ、ほんと?」
「……うん」
 栞菜が嬉しそうに反応して、灯里が頷く。

「いいのか?」
「もちろん。灯里も面倒見ることにしたから」
「「え!?」」
 俺も栞菜も驚いた。

「なにぃ? 灯里がいるとダメなのぉ?」
 むくれる灯里。
「いや、そんなことないぞッ! ありがとうッ! 灯里はいいヤツだなぁッ!」
「別にそんなことないし……」
 偉大な俺がせっかくお礼を言っているのに、灯里は顔をそむけてボソボソ呟くだけだ。なぜだ。

「あっ――なるほどね」
「? なにか言ったか?」
「いや、なんにも」
 栞菜が小声で言ったが、よく聞こえなかった。

「善は急げぇ。早く灯里ん家に行こー」
「行こうって……お前、部活動はどうしたんだよ」
「終わってからでいいよ。私たちここで待ってるから」
 キャンキャン騒ぐ小犬をあやす栞菜。

「そうだな。あと1時間程度で終わりだろう?」
「……そうだけどぉ」
 灯里は俺と栞菜を交互に見遣る。

「どうした?」「……ごめんね」
「なんでもない!」
 灯里はむくれて走り去ってしまった。

「なんなんだ、アイツ?」
「……ヤレヤレ、仕方のない男ね」
「本当にな……って、男? 俺のことか?」
「あら、聞き違いじゃない? そんなことより――」

 栞菜は小犬を抱き上げる。
 ――キャンキャンッ!
 小犬は喜んで彼女の顔を舐める。

「あっ、こら! そんなところ舐めちゃダメだよ!」
 言葉とは裏腹に笑顔を浮かべる栞菜。小犬に本当に懐かれているようだ。

「まったく、見せつけてくれるぜ。お前でこの懐き具合なら、俺に対してはどうなるんだろうなッ!」
 栞菜から小犬を受け取る俺。

「きっと美女になって夜に現れて恩返しをしようとイッタァッッー-!!??」
 俺は突然の痛みに小犬を地面に下ろす。
 俺は痛みを覚えた“手”を見る。犬の歯形が残っていた。幸運にも血は出ていない。

「…………」
「…………」
 ――気まずい空気が流れる。

「か、噛まれた……?」
 衝撃のあまり、言葉が続かない俺。

「きっと間違えたんじゃない? アナタがふざけて挙げた例は『鶴の恩返し』だもの。犬なのだから、そこは『花咲かじいさん』でしょうに」
「そこッ!?」
 栞菜が小犬を再び抱き上げる。心なしか、小犬も申し訳なさそうに、クーン、と鳴く。

「血が出ていないけれど、念のため、病院に行ってきたら? この懐き具合から飼われていただろうし、狂犬病予防法があるからほぼ心配しなくていいと思うけど、念のため、ね」

「――ち、ちくしょうッ! これも未来の英雄たる俺に降りかかる試練なのかッ! ブラックダークネスシャドウめッ…………ふふ、フフフ、ふふふふ。さすがは世界で一番、幸運で不幸な男……ッ!」
 時間が経つにつれショックが大きくなり、涙がちょちょぎれる俺。
 栞菜はそんな俺を見て声を掛けてくれた。

「ところでアナタのその自己紹介、破綻していない? 幸運の対義語は不運で、不幸の対義語は幸福なのだから、文としては成立していても頭の悪さが露呈しているわ」
「泣きっ面にハチィッ!」
 俺は悔し涙を心に浮かべ、病院に向かった。



 ――そして、そうこうして2日後の夜、8月14日。

「――つづく、と。今日の日記も面白くなったッ! 第4章もそろそろ終わりそうだが、そろそろ“転”が欲しいな……」

 、俺は親と病院に向かったが、何事もなかった。良かった。
 小犬は無事に灯里ん家に預けられた。灯里の家族への説明や交渉も紆余曲折あったが、俺の活躍が少なかったため、そこは割愛する。

 小犬は順調に元気になり、今や灯里ん家の庭を駆け回り、朝昼晩の散歩を俺と灯里と栞菜が持ち廻りで行うほどだ。それでも小犬は体力が有り余っているようで、灯里の弟たちも遊び相手が増えたと喜んでいた。
 灯里が協力する姿勢を見せた時は動揺したが、結果オーライだった。

 現在時刻は23時。あと1時間で8月15日だ。

「……そろそろ寝るか」

 明日午前中は灯里と栞菜が部活動であるため、俺が散歩に連れて行く手筈だ。早起きするために寝てしまおう。
 既に入浴などを済ませパジャマに着替え、寝支度を済ませている。

 俺は日記を勉強机の引き出しに入れ、ベッドに入ろうと椅子から立ち上がる。

 ふとカーテンが掛かった窓を見ると――
「ん?」
 ――チカリと何か光った気がした。

「…………」
 カーテン、もとい窓を見ていると、閉じられたカーテンの隙間から光がチカチカと漏れ出す。

「……なんだ? ……近所の子供の悪戯か……?」
 注意をしようとカーテンを開くと――、


『目覚めたな、我が勇者よ』


 ――金色に光る白い大型犬が宙に浮いていた。
 窓から顔を出した俺を少し上から見下ろしていた。



「――――」
『どうした? 我が勇者よ』
「――え? あ、えーと……こんばんは?」

 ……いかんいかん。IQ5000の俺としたことが……目の前の光景を受け入れられずに呆然としてしまうとは……なんたる失態。
 俺は気を取り直して、大型犬をジロジロと見る。

 鳥のような翼や、ロケットのような噴射口もない。それに、サイヤ人のような舞空術を使っているわけでもなさそうだ。

 未知の力で浮いている……という表現でいいのだろうか。いや、いかん。分からないモノを分かろうとしても、その知識と心の余裕が足りない。今はやめよう。

 すー、はー。

「……オホンッ。えー、アナタはいったい……?」

『その話をする前に、場所を変えよう。ここでは人目を防ぐ手間がいるのでな』
 大型犬は空中で身を翻し、背中を俺に見せる。

『乗りたまえ。共に行こう』
「――え?」



「――ハッ!? ここはどこだッ!?」
『むっ、目が覚めたか』
 いつの間にか地面に寝転がっていた俺は、ガバッと身体を起こす。

 周囲を見ると、木々が鬱蒼と茂っている。奥に鳥居が見えた。後ろには社がある。
 真夜中に訪れることが少ないためすぐに分からなかったが、ここは地元の神社の敷地だろうか。

 俺は立ち上がり、パジャマを叩き、付着していた土や砂を落とす。
 俺はまだパジャマを着ていた。自分の姿を見ると変わったところはない。

『記憶がおぼろげか? 貴様は我の背中に乗った際、我の乗り心地の気持ちよさに放心していたのだ』
「え、ほんと?」

『ああ。やめてくれと全力で叫びながら、涙を流して喜んでいたぞ』
「それ、喜んでないヤツッ!」

も目を覚ましたようだ。本題に入る前に状況説明をしておくように。我は準備をしてくる』
 大型犬はそう言って、大ジャンプで夜空に消えていった。

 俺は俺以外に、ここにいることに気が付いた。

 はゆっくりと身を起こす。
「灯里!? 栞菜!?」
 俺は幼馴染と心の友の名前をそれぞれ呼ぶ。

「――ん、え? あれ、ここどこぉ?」
「…………」

 灯里は寝惚けた様子で目を擦り、まだウトウトとしている。栞菜は目覚めが良い方なのか、目を見開いた驚愕の表情で周囲を見回していた。

 ベッドに着く直前だった俺とは異なり、2人とも既に就寝中だったようだ。

 灯里はアイマスクとナイトキャップを付けており、半袖半ズボンの軽装に、膝上まで届く長靴下を履いていた。
 栞菜は可愛いキャラクターを模した着ぐるみパジャマを着ていた。

 俺はひとまず、寝惚けている灯里は置いておいて、栞菜に話しかける。
「――栞菜、何が起こっているかわかるか?」
「……克樹くんのソックリさんが喋ってる……」
「本人だよッ!」


かくかくしかじか。


「し、信じられないよぉ。これは夢なんじゃあ……」
「で、でも、この土や風、草木の匂い、優しく涼しげな月の光――そして、克樹くんのボケとツッコミっぷりは真に迫っているわ……」
「俺を基準にするなッ」
 灯里は自分の頬を引っ張ったり、栞菜は地面を踏みしめている。2人は2人なりに現実を受け入れようとしていた。

「ねぇ、やっぱり、克樹が灯里たちを誘拐したと考えるのが妥当だよぉ」
「やはり……いつかやると思っていたけど、こんなに早く起こすとは」
「ちげぇって! 本当に光って大きくて白い犬が空を飛んでだなぁッ! お前らは寝ていたから――!」

『お、お待たせしましたッ』

 灯里と栞菜に疑惑の目を向けられていた俺は、ようやく本人の登場かと喜んだ。

 だが、その姿を見て――、
「――だれ?」
 と、腑抜けた質問をしてしまった。

『あ、改めましてッ。貴方たちを連れだした大型犬ですッ。今は、人間モードに変わりまして……紛らわしくてごめんなさいッ』
 深々と謝罪する女がいた。

「……犬じゃないじゃんッ」
『す、すみませんッ。姿を勝手に変えてしまってッ』
 元“大型犬”の女は、ペコペコと頭を下げる。

 片目を隠すほどの赤い長髪。灯里よりも一回りデカい身長。真夜中でも目立つ深紅の着物。そして、物腰柔らかな――いや、弱腰ともいえるほどの口調。

 ……正直信じられない。

『あっ、ああっ。う、疑われているッ。私、疑われていますぅッ。そ、そうですよね、急に現れて怪しいですよね、私ッ』
 女はプルプルと震え、顔を手で覆う。
 真夜中の深夜に、女の情緒不安定な言動を見て、彼女たちが動揺する。

「え、な、なに? だれなの、結局? 克樹くんのお姉さん?」
「俺にこんな姉貴はいねぇよ!」
「あっ、灯里知ってるよぉ。この人、不審者の顔してるぅ」
「こらっ、不審者に指を差してはいけませんッ」

『ふ、不審者じゃ……って、ハッ』
 女は急に夜空を見上げる。

『いけないッ。そうだった、時間が足りないんだった』
 女は慌てて俺たち3人に向き直る。
『私、ここ数週間、お世話になりました。“ブラックダークネスシャドウ”、またの名を、“早太郎”、またの名を、“ろっくん”でございますッ。御三方の甲斐甲斐しいお世話のおかげで、神通力を取り戻すことができました。此度は皆さんにをしたく深夜に参ったのです』

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