どうも、邪神です

満月丸

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冒険者編

日常とは良いものですね1

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…宵闇の帝都。闇に包まれるそこは、昼間より遥かに薄暗い只中だ。

この時代の街灯はまだ質が悪く、煌々と漏れ出る明かりもさして遠くまでを照らし出すわけもない。同じく、人通りの多い場所にランタンが下げられていたとしても、一歩通りを逸れた小道に入ってしまえば、そこはもう闇夜の別世界だ。薄暗く、入り組んだ裏路地など、地元の人間でも夜間では迷ってしまうほどだろうか。

その、少しだけ表通りから逸れた中通り。

そこを歩くのは、一人の男性だ。
ランタンを手に持ち、武器を携帯しながら夜の闇を闊歩している。
彼は、灯し人なのだ。
灯し人は、街灯の明かりをつけて回る巡回者であり、夜間の見回りを行う衛兵と同じ権限を与えられている職の者だ。昨今の魔物の増加や大々的な人口減少に伴い、人手の足りなくなった帝都が苦肉の策で作り出した、民間の自警団でもある。
その自警団の一人である男は、宵闇の中をランタン片手に、いくつかの通りを巡回しているのだ。

「お疲れ様です」
「ああ、おつかれ」

職人だろうか、男が一人、灯し人と通り過ぎる。
こんな夜中まで仕事をする者はあまり居ないが、職人や貴族、街娼、その手の者ならば珍しくもない。外の都市で夜間の外出など自殺行為かもしれないが、帝都の少なくとも表側は治安が良いため、こうして出歩く者は後を絶たない。
職人は、雑談代わりにこう言った。

「頑張ってくださいね。最近、物騒な事も多いですから」

物騒なこと、という言葉に、灯し人は笑って答える。

「なあに、この通りで事件なんか起きないさ。噂の断ち切り男が出たとしても、我々がなんとかしてみせるさ」

それに職人はホッとしたように肩を下ろしてから、笑って去っていった。

…最近、帝都を騒がせている殺人鬼。
犠牲者は皆、子供か若い女性。犯行時刻は昼間もあれば、夜間もある。
まちまちな時間帯、ハサミで刻まれた犠牲者達。
これらの状況から、人々は犯人を帝都の断ち切り男と呼び、恐れていた。
帝都も治安を騒がす相手に本腰を入れたらしく、人出は少なくとも昼間の巡回兵が増え、夜間の外出も出来るだけ行わないように、と勧告した。結果、今の帝都は酷く物々しい空気に包まれている。
当然だろう。犠牲者も、もう20人を超えるのだから。
これでは、帝都の威信に関わるのだ。

………灯し人が巡回を続けていると、ある通りの奥で、子供に出会った。
その子供は薄汚れたボロを纏い、通りの隅で蹲っていた。
浮浪児か。
裏通りならばたまに見られるが、それでも帝都では珍しい。修道孤児院から逃げ出してきたのか。

「坊や、どこから逃げてきたんだ?」

ランタンを掲げた灯し人が声を掛けるも、少年は答えず、瞳を向けてくるだけ。
そんな少年に、灯し人は安心させるように笑顔を見せ、少年を保護するために近づいた。

「ここは危ないぞ。親御さんは?友達か誰かが一緒なのか?」
「…家族は、もういない。一人だよ」
「そうか、それじゃ孤児か?」

頷く相手に、灯し人は笑顔で頷いた。
そして周囲を見る。
人気のない、民家よりも廃屋の多い地区。つまりは、表から離れた通り。
灯し人は、ランタンを腰に下げ、少年の肩に手を置いた。

「ともかく、坊や。今は危ないから、一緒においで。衛兵の元まで連れて行こう。なんといっても、今はこわーい殺人鬼が彷徨いているからね」
「殺人鬼?」
「そうさ、殺人鬼。断ち切られて、抉り取られてしまう、怖い怖い相手さ」
「へぇ、そりゃ怖いね」
「だから、一緒に行こう。一人じゃ危ないぞ」
「なぁおじさん。その殺人鬼って」

不意に、少年が動いた。
少年の思いの外強い腕は、灯し人の後ろ手に隠されていた、それを掴み、晒していた。

「そのハサミで殺したんだろ?」
「っ!!」

灯し人が咄嗟に身を捻り、晒された鋭いハサミの切っ先で少年を斬りつける。
しかし、スルリとそれはすり抜け、傷を付けることが敵わない。
これには男も仰天した。

「なっ!?ば、化物!?」
「酷い物言いだな。けどま、似たようなもんだよ、っと!」
「ぎっ!?」

少年の腕が振るわれれば、灯し人のハサミを持つ手が微かに揺れた。
浅く傷つけられたそれは、まるで獣にでも引っかかれたかのようだ。

「このクソガキッ…!!」
「ビン・フレム!」
「なっ!?」

一瞬で魔法陣が閃き、灯し人を燃やす火柱が立ち上る。

「やはり、貴方でしたか。灯し人や衛兵の巡回ルートと時間を把握し、その合間を縫って犯行を行える者。つまり、内部犯なのはすぐに検討をつけましたが、相手が誰かまではわかりませんでしたから。…やはり、ギムナさんは優秀な方です」

悲鳴をあげる灯し人へ、通りの向こうから一人の男が歩いてくる。それは、先程の職人であった。
職人は杖を掲げて突きつけながら、少年と共に並んで言った。

「観念なさい。帝都の断ち切り男」
「おとなしくお縄を頂戴せよ、ってな!」

火柱が散り、火傷を負った灯し人…否、帝都の断ち切り男は、憎々しげに二人を見る。
こいつらは冒険者だ。荒事で解決する何でも屋。当然、戦いも相手の方が上手だ。
暗殺と戦闘は戦いのフィールドが違いすぎる。故に、断ち切り男が選んだのは至極、当然の選択であった。

断ち切り男は、咄嗟に懐から何かを取り出し、それを地面に叩きつけた。
それは、錬金術の閃光弾。
凄まじい光を発するそれを尻目に、怯んだ相手を突き飛ばしながら男は路地裏に入り込み、駆け出した。背後から追いかけてくるが、路地裏は断ち切り男の領域だ。当然、追いつくはずもない。
しかし、

「いたぞ!こっちだ!!」

前方から誰かの声。衛兵が待機していたのか。
舌打ち混じりに別の路地に入り、その先でも人の声。曲がりくねった道を走り、汚泥を踏み飛ばし、路地を塞いだ木板を乗り越え、断ち切り男は逃げ続けた。

…おかしい。

男は思う。
人の数が多すぎる。路地裏に衛兵が屯していたとしても、まるでこちらの居場所を把握しているかのようではないか。路地裏など入りもしない連中が、ここの道を網羅しているわけがない。
その違和感は、開けた広場に出て、ようやく理解した。

「…よぉ、待ってたぜぇ」

そこは、旧い通りの広場だったのだろう。今はただ朽ち果てたモニュメントがあり、ゴミや瓦礫が散らばっている、うらぶれた場所だ。
そのモニュメントの前に、どっかりと木箱に座って酒瓶を呷る女が居た。

金の髪、小さな体躯、翠の瞳。

ニヤリと柄悪く笑みを浮かべ、女が指を鳴せば、ワラワラと各所の路地から人々が出てくる。その全員が全員、小汚くもどこか実用的な服を身に纏い、険しい人相をしていた。
退路を断たれ、断ち切り男は悟る。
ここに誘い込まれたのだ、と。

動揺する断ち切り男に、女は酌をさせながら口を開いた。

「で、お前…なんだっけか?断ち切り男?女子供を甚振って悦に浸るクズ野郎ってことでいいんだよなぁ?」
「そうです、ボス」
「あぁ~まぁ、アタイは興味ねぇんだけどなぁ…殺人はしねえ主義だが、それでも他人の縄張りうんぬんでそれを言い出すつもりはねぇよ。けども、人のシマでやられたのなら話は別だが…おい」

女の声に、傍に居た一人が何かを持ってくる。
それは箱だ。小さな箱。
しかしその中に入っているものは、骨だった。

「覚えてるかぁ?お前が16番目に殺した獣種の情報屋だ。いいヤツだったんだけどなぁ…そうそう、サービスとか言ってうまい酒の店を教えて来たり、獲物の情報を仕入れてくるのが上手な奴だった…まあ、外面はネズミだったんだがな。獣種らしく」

ネズミの頭骨が空虚な眼窩を晒しながら虚空を見ている。それに、女は酒瓶の残りをバシャバシャとかけていた。
この獣種は小さな体躯で子供にも見えるために狙われたのだろうが、あいにくと成人男性であった。当人は今頃冥府で泣いているだろう。

「裏街道を歩く連中なんざ、ごろつきって相場が決まってるもんだ。いつ死んでも文句は言えねぇ。それがこの世界の掟だ。命は金よりも軽い。…だからまぁ、こいつが死んだのは自業自得だ。警戒が足りなかった。あとは運。ま、それだけだ」

酒瓶を放り捨て、女は睨めつける。
翠の瞳が、危ない光を帯びている。

「だから、これは別に敵討ちってわけじゃない。ただ、お前は…アタイらの世界に侵犯した。同類を傷つけ、奪った。なら…それ相応の制裁が必要だよなぁ?」
「あ…あんたは…誰だ!?何者だ!?」
「あぁ?…どうでもいいだろ、んなことは。一つ言えるのは…なぁ、断ち切りよぉ。お前、やりすぎたんだよ」

女の傍で、男たちが獲物を抜く。
その目は危険で、薄暗く光っているかのよう。
そんな中でも、女は気にした風もなく、指折り数えている。

「貴族、平民、商人、職人、おっと!我らがトンコーサマからも依頼が来てるぜぇ?誰もがお前の破滅を願ってる。だからアタイ達に話が来た。だから、まぁ、悪く思うなよ?」

女はニヤリと笑い、手を上げた。
それは、処刑宣言でもある。

「安心しろ、殺しゃしねーよ。アタイは殺しはしねー主義だ。だが…死んだほうがいい状態って、あるよなぁ?」
「ひっ…!?」
「おいおい、そう怯えるなよ。これは自業自得、帝都で騒ぎを起こした、お前の不始末が原因なんだからなぁ?でも、指の一本や二本で終わるとは思ってねえよなぁ?こいつらみんな、お前の所業に苛ついてたんでな。手加減はしてくれそうもねーぜ。…じゃ、そういうわけで」

女の腕が、振り下ろされた。

次いで、断ち切り男の元へ、無慈悲な裏世界の制裁が襲いかかる。


…帝都の夜闇に、殺人鬼の悲鳴だけが木霊した。


※※※

「…ちぇっ!依頼は横取りされて失敗かぁ…あ~あ、もうちょっとだったのにな~」

ゲッシュの宿にて。
ハディとケルトは失敗に終わった依頼に肩を落としてしょげ返り、結局タダ働きになった昨日を振り返って反省会をしていた。
ブータレたハディの横では、ネセレがどっかりと座り込んで、酒瓶を煽っている。
ネセレはニヤニヤ笑いながらハディを小突いている。

「はっ!仕留められなかったお前らがとろくせーからだろーが。こっちはこっちで仕事してんだ。悪く思うなよ」
「だからって!なんで同じパーティなのに敵を取り合ってんだよ!?っていうか、なんでネセレが裏世界のトップみたいなことやってんだ!?」
「あぁ?別にアタイは連中の仲間になったつもりはねーし。まあ、昔は大層やんちゃをしたって自覚はあるけどな」
「敵対組織を壊滅させるレベルで根こそぎ奪い取っていた大盗賊の割には、言うことが殊勝ですね」
「あぁ?なに当然の事を言ってんだ。アタイに盗めねーもんはねえよ。組織だろうがドラゴンだろうが、アタイの前ではみんな等しく獲物だ。獲物は必ず盗む。相手が皇帝であろうともな」
「メル姉の前では言うなよ、それ。また怒るから」

…事の次第は、一通の依頼だった。

帝都の殺人鬼を捕まえてほしい、という依頼が届き、それにハディとケルトが受諾し、殺人鬼の正体が灯し人の一人であると看過した。そして、犯人が現れる通りをギムナ婆さんに占ってもらい、待ち伏せをしたのは良かった。
問題は、その獲物をネセレ率いる裏世界の住人に掻っ攫われた事だろうか。ネセレはハディ達の依頼内容を盗み聞きし、ギムナ婆さんの占い結果も覗き見て、ハディたちとは別に手を回して獲物を掻っ攫う気でいたのだ。当然、あの通りにはネセレの手の者が何人も隠れていて、邪魔する手筈だったわけである。そして哀れ殺人鬼はひどい目に合い、口では言えない状態で表通りに晒されていたところを、翌日発見されたのであった。

ともあれ、この件で人々は殺人鬼の脅威が去ったことを知り、同時に帝都の裏世界の悍ましさを周知することになったのである。
逆に信用を無くしたハディは大いに怒り顔。
しかし大盗賊にはそんな子供の顔も暖簾に腕押し糠に釘。毛ほども気にせず酒とツマミを呷るのである。
ぶーぶーするハディとは裏腹に、サバサバしているケルトは話題を変える。

「しかし、やはりギムナさんの占いは凄まじいですね。8割の確率で当てるのは驚異的な数値ですよ」
「まあな。あのクソババア、守銭奴だが腕は確かってことで、金持ちに誘われまくるのはいいが、だんだん不都合ばかり知られることに危機感を覚えた連中に狙われるようになったらしくてな。で、そんな世俗に嫌気が差して、森の中で隠居してたのをアタイが引っ張り出してきた。大変だったんだぜ?あのババアを雇うのに帝国の宝物庫の半分くらいは引っこ抜いてきたからな」
「あれ、なんだろう。俺、今聞いちゃいけないことを聞いた気がする」
「奇遇ですね、私もです。きっと風の音ですよ」
「そうだよなー風の音だよなー」

悟った顔で窓の外を眺めて現実逃避する二人。誰だって命は惜しい。

「それじゃネセレ、占い料金として銀貨1枚払いな」

ずいっ、と急に間に割って入るのは、噂のギムナ婆さんである。相変わらずの魔女のような姿だが、彼女の噂は帝都中で広まっている。恋愛相談に来る若い女の子に人気なようで、男臭いゲッシュの宿にやたら女性客が入ってくるのは、この婆さんのおかげである。
手を出して催促するギムナに、ネセレはペッとツバを吐く。

「だぁれが払うか守銭奴クソババア!金はもうこいつらが払っただろうが!」
「あんたも聞いたのならあんたも払う義務がある。ほれ、銀貨1枚」
「あぁ~知らんな。アタイは占いなんざ聞いてないね~」
「あんたがワシの占いを聞いてたか、って占ってみてもいいんだよ小娘。次からは10倍の価格にするよ」
「…くたばれクソババア」

悪態つきながら、しぶしぶ銀貨を放り投げるネセレ。
その銀貨を器用にキャッチし、ギムナ婆さんはひぇっひぇっ!と笑い声を上げた。

「まいどあり!いやぁ、銀貨の音はいつ聞いてもいいねぇ!心躍るよ!」
「…なぁ、ギムナ婆さん。婆さんはそんだけお金を溜めて、どうするんだ?」
「あん?」

ハディの言葉に、ギムナはキョトンとしてから、次いで笑い出す。

「ひぇっひぇっひぇっ!面白い事をいう子じゃねぇ。別になんにもしやしないよ。ワシはねぇ、金を貯めるのが好きなのさ。別に使う予定なんて無いんじゃよ」
「え、そうなのか?」
「そうそう。少しずつ溜まっていく金貨を積み上げるごとに、ワシの心は満たされるんじゃよ。嗚呼、金貨の輝きはいつ見ても素晴らしい!あの鉄臭さはまるで初恋の味じゃ!」
「齧るなよ」

余談だが、ギムナ婆さんは一定の貯蓄を得ると、どこぞの孤児院に匿名寄付しているようだ。老い先短いババアが貯め込むよりも、未来ある子供らの為に使ってほしい、とメッセージを添えて。なので、婆さんは帝都の足長おじさん…否、足長婆さんなのである。
ちなみに、当の本人はそれを周知するのは恥ずかしいということで内緒にしているつもりだが、どこぞのジジイには既にバレていたりする。

「そんじゃ、ワシは今日も占いで忙しいからね。次もちゃんとお金持ってくるように。…さ~て、仕事仕事~」

ゲッシュの宿に来てからというもの、何やら腕が鳴る様子で生き生きとしている、とはネセレの言である。どうやら占い相談そのものが好きな様子で、長らくそれが行えなかった生活ではフラストレーションが溜まっていたようだ。
るんるん気分で宿の隅に向かう婆さんを見送り、ハディとケルトは顔を見合わせる。
なんとも、変わったご老人である。いや、どこかの神様よりはマシなのだが。
一方、ネセレは一本取られて怒り気味である。

「けっ!強欲ババアめ…冥府の底にでも堕ちちまえってんだ」
「お冠ですね、ネセレ。流石の貴方でもギムナさんには頭が上がらないと見えますが」
「あぁ!?ぶっ殺されてぇのか半人前!アタイの訓練で未だに転がされてる身で生意気言ってんじゃねぇぞ!」
「そうですねぇ、もう少し手加減していただければ弟子としても嬉しいのですが」
「知るかバーカ!ターコ!次の訓練は半殺ししてやるからなぁ!」

などと言いながら、ネセレはプンスカしながら行ってしまう。どうにも、弱味を見られたのが悔しい様子だ。

「子供みたいですよねぇ、外見通りに」
「ネセレって20代後半なんだっけ?…見えないな~、せめてメル姉みたいに落ち着けばもっと大人っぽく見えるんだろうけども」
「他人種に紛れてると、リングナーは子供扱いされやすいですからね。自然と反抗的になるか、子供相応の精神に落ち着くのかも知れません」

もっとも、ネセレの場合は素の性格なのだが。

「あら、ハディ。帰ってらしたのね」
「あ、メル姉」

次にやってきたのはメルサディールである。帝都なので、帽子を被って片眼鏡で変装しているが、雰囲気までは誤魔化せていない。当の本人は楽しげだが。
メルはハディの様子を見てから、笑顔で頷いた。

「怪我は無いようですわね?…結構。仕事は残念だったようですけど、あなたが無事で良かったですわ」
「うん、心配してくれてありがとな。メル姉も、今日は家庭教師してたんだろ?どうだった?」
「ええ、なかなか筋の良い子でしたわ。庶子ではありますが、あれほどの才ならば数年経てば魔法学園から声がかかるでしょうね。…まあ、世情が世情ですから、行かない方がいい可能性もありますけど」

嘆息しつつ椅子に座るメルに、ハディとケルトも苦笑する。メルとしては、火種が燻る帝国の現状は不安なようである。
なので、ハディは元気づけるように話題を振った。

「ま、仕事の話は置いといて。メル姉、今日は帝都で散策しないか?ほら、前に言ってた美味しいお菓子屋のお店があるって言ってた」
「あら、宜しいですの?」
「いーよ、俺も今日は仕事は受けないつもりだし。貯蓄はそこそこあるしね」
「うふふっ、嬉しい限りですわね。それじゃ、エスコートして頂きましょうかしら?」

楽しげなメルとハディの姉弟な様子に、ケルトも微笑んで眺めている。


…ハディ、ことハディール・ヴェシエント・セラヴァルスの驚愕の出生について、それはもうメルが荒れに荒れた。一時、本気で皇帝の座を簒奪してやろうか、と冗談交じりに見える手紙を上の兄に送りつけたりする程度には、本気であった。メルに協力的な兄皇子もこれには驚いたようで、思わず使者を送ってきたほどである。

もともと、ハディールの母親ティーナは、帝都の後宮付きの女官の一人であった。つまりは、伯爵位を持つ家の娘であったのだが、運の悪いことに好色として有名な皇帝に見初められて手を出され、結果としてハディールを身籠ることになったのだ。故に、世間体の問題でティーナは愛妾、つまり側妃(帝国の皇家は一夫多妻・一妻多夫である。それでも今代は多すぎると評判であるが)として後宮に迎え入れられることになったのだが。

問題はハディールの容姿であった。帝国は始祖ヴァルスの子孫である事を重要視しており、黒髪黒目の特徴を持つ子供は優先的に帝位継承権が上がるという仕組みになっている。名目上、始祖の末裔というのが建国時の他部族を取り纏めた建前だからだ。そして現在、黒髪黒目を持つのは第一皇子と第二皇女、そしてメルサディールのみ。黒髪、もしくは黒目だけを持つ皇子皇女は多いのだが、よりにもよってハディールもまた黒髪黒目の子供として生まれてしまった。
…そう、現在吸血鬼に変貌した後遺症か、ハディは赤い瞳をしているのだが、もともとは黒目であった。そんな特徴であったからこそ、王位継承権を持ちうる他皇族や、それを擁立する侯爵・伯爵から邪魔に思われ、行楽で移動中に馬車襲撃を受けて崖から母子共々落とされることとなったのである。ハディールが5才の時の話であった。
そして、魔法を嗜んでいたが故に、崖から落ちても生きていたティーナの決死の逃亡により、母子は身を隠したまま逃げ切ることに成功した。が、その怪我が元でティーナは死亡し、残されたハディールは名を隠し、孤児として悪辣な孤児院へ送られることとなる。…そう、命を狙われるくらいならば、名を隠し身分を隠して逃げなさいと母に言われ、その通りにしたが故だったのである。

その話を聞いて、メルはそれはもう怒り狂った。宮中での貴族同士の派閥争いや牽制、皇族同士での爵位を巡った暗殺劇やらアレやらソレは、彼女も十分に経験していた出来事であったから、尚の事。そもそも、彼女も王位継承狙いの連中に毒を盛られ、罠を仕掛けられ、性悪な姉にいびり倒されて修道院送りにされたこともある。その時の悔しい思いを思い出して、より怒り狂ったのであろう。
歳の離れた弟の事はメルは知っていても、既に勇者の身であったが故に容易には近づけず…というか、そもそもハディールが生まれた頃は家出中だったため、知ってはいても顔を合わせたことすら無かったのである。
なので今、歳の離れた異母弟に対し、メルは非常に親身に接していた。というか、顔を合わせても他人行儀な宮中の作法とか、暗殺やらなんやらで荒んでいたメルにとって、ハディとのふれあいは、初めて普通の姉弟としての試みだったのである。

よくよく考えなくともハディの存在は爆弾に等しいのだが、まあ赤目な時点で彼がハディール皇子だとわかる筈がないとケルトは思っているので、特に問題は無いと推察していた。そも、吸血鬼という半異形になっていると知られた方が厄介だ。消されるのは目に見えているので、この事は墓まで持っていくつもりである。

まあ、そんな感じで姉弟仲良く親睦を深める様子を見つつ、ケルトもぼんやりと思う。

そういえば、歳の離れた弟なら自分にも居たはずだが…もう魔法都市に入学している年齢のはずである。できれば、あそこには近づきたくないものだなぁ。

などと思いながら、午後の穏やかな日差しに癒やされつつ、安らかな一時を過ごすのであった。


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