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中編

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 あれ……ここはどこ?
 なんだかすごく煌びやかで、見たこともないお部屋。
 ここは天国?

「気が付いたかい」

 私の視界に入ってきたのは、ワインレッドの髪に深い藍色の瞳をした、悲しげに微笑むお兄さんの姿だった。

「えっと……だあれ?」
「……僕は、ルカスだよ。この国の第一王子だ」
「王子様? 私は……わたし、は……?」

 私は……誰?
 自分の名前がわからなくて、首をひねってみたけど出てこない。

「思い出せないか?」

 王子様の言葉に、私はこくんと頷いた。

「……君の名前はトリエルだよ」
「とりえる……変な名前」
「そんなことないよ。僕は、君の名前を呼ぶのが大好きだった」
「ふうん」
「僕のことは、ルカスと呼ぶといい」
「るかす……さま?」
「うん」

 そう言って、ルカス様は私の髪をふんわり撫でてくれた。

 生活は保障するから、心配しなくていいと言うルカス様。
 でも、その瞳が寂しそうに見えるのは、どうしてだろう?
 どうして私は、何もわからないんだろう。

 ルカス様は、記憶のない私に礼儀作法や勉強を教えてくれた。
 私は子どもなのだろうか。ルカス様の私に対する態度は、子どもにするようなもので、私は自分の姿とのギャップに違和感を覚える。

 私の過去を尋ねると、ルカス様はこう教えてくれた。
 私は十五歳になる少し前に、両親を事故で亡くしたらしい。
 町で働いていた私を、ルカス様が見つけて城に連れてきたのだと。
 でもショックなことがあって私の記憶は消えてしまったと、まつ毛を伏せていた。
 ショックなことが何かは、教えてもらえなかったけど。

 ルカス様は優しかった。私に優しくすると、周りの人たちはいい顔しなかったけど。
 でもみんな、「これくらいは仕方ない」とかなんとか言って、ルカス様のやることを黙認していたみたいだった。
 私はたくさん勉強した。どうしてだか、知っていることの方が多かったけど。
 難問を解いてみせると、ルカス様は「トリエルはすごいね」ってたくさん褒めてくれる。それがたまらなく嬉しい。
 私はここを追い出されたら、天涯孤独の身だ。だからルカス様も、同情で置いてくれているってわかっている。

 ルカス様が、婚約者のアイメリア様と出かける時は、心がざわついた。
 お腹がぷっくり膨れていて、赤ちゃんがいるんだなと思うと、さらにお腹の底から黒いものが溢れ出しそうになる。
 周りは早く式の日取りをとうるさく言っているみたいだったけど、ルカス様が首を縦に振ることはなかった。

 ある日、ルカス様がアイメリア様に詰め寄っている姿を見た。
 妊娠は嘘だったのかとか、薬で昏倒させた間に既成事実を作っただけじゃないのかとか、みんなグルだったんだなとか、今までに見たことのないほどルカス様は怒りを露わにしていた。

 いつまでも赤ちゃんが生まれないのはおかしいと思っていたけど、『流れた』と平気な顔をしていうアイメリア様への不信感が、爆発したんだろう。

 何があったのか、私には詳しくわからない。
 だけど、ルカス様が苦しんでいる姿を見ると、私まで泣きそうになってしまう。

「トリエル……すまない、トリエル……」

 私のいない場所で、私に謝っているルカス様。
 多分、謝っているのは今の私にじゃない。記憶のあった頃の私にだ。
 勝手にお部屋に入ってはダメだと思いながらも、私はゆっくり扉を開けた。

「トリエル……っ」
「ルカス様……何があったのか、教えてもらえないでしょうか」
「……幼い君に話すには、酷なことだ」
「私はもう、知識を取り戻して大人のつもりでいます」
「……おいで」

 促された私は、中へと入ってルカス様を見上げる。

「トリエルの記憶が失われる前の話だ」
「はい」

 ルカス様は教えてくれた。
 私に一目惚れをしたこと。
 庶民である私を強引に婚約者にしたことで、周りからの反感を買ってしまったこと。
 みんなに認められるため、私もルカス様も毎日勉強をしていたこと。
 その合間に、二人で幸せな時間を過ごしていたことを。
 だけど、聖女修行と称して、私は泉の神殿へと追いやられてしまった。
 本来なら、神殿での修行なんてない。平民の出だからと理由をつけられ、引き離されただけだった。

「それでも、我慢するのは一年だけだと思っていたんだ。これさえ乗り切れば、君と結婚できると……」

 けれど、実際は違った。
 聖女の呼び声高いアイメリア様と、パーティーで踊ることになったそうだ。
 そのあとお酒を飲まされ、気づいたら裸のアイメリア様とベッドの中にいたのだと。

「嵌められたのかとは思ったが、責任を取るしかなかった……何もしていないはずだが、記憶が曖昧で自信もない。妊娠したと言われると侯爵家を敵に回すことはできず、周りに僕の味方はいなかった……」

 かわいそうなルカス様。
 もうどうすることもできないと悟ったルカス様は、他に愛する人ができたと言って、私との婚約を破棄したらしい。
 アイメリア様のことを本当に好きだったわけじゃない。
 ただ、そう言うことで私を諦めさせ、通常の幸せを手に入れてほしかったのだとルカス様は言った。
 そして私は、その言葉を聞いた後、自分で自分の記憶を破壊したという。

「まさか、そんなことをするとは思っていなかった……すまない……っ」
「私は……それだけ、ルカス様を愛していたんですね……」
「トリエル……」

 ルカス様が、私の瞳を覗き込む。
 ああ、でも見ているのは、私ではない私だ。
 ルカス様が愛した、昔の私。

「ルカス様……私を見てください……!」
「……見ているよ」
「見ていません! ちゃんと、今の私を見てください!!」

 私が声を張り上げると、ルカス様は驚いたように……だけど痛いところを突かれたように、奥歯を噛み締めている。

「私ではダメですか……私は、私も、ルカス様が好きです! 愛して、います……!」

 昔の私がルカス様を縛っている……くやしい。
 私はこんなにも、こんなにもルカス様を愛しているというのに。

「誤解だよ、トリエル……。記憶のある君も、今の君も、僕は変わらず愛しているんだ。トリエルは僕の唯一無二の存在……それをわかってほしい」
「ルカス様……」
「それよりも、記憶をなくしても僕を愛していると言ってくれて嬉しいよ。どうか、もう一度……僕と婚約してくれないか」

 ルカス様の真剣な藍の瞳が、私を貫いていく。
 私はきっと、何度記憶を失ってもあなたに恋をする運命なのね。

「君と一緒なら、この国を出ることだって厭わない。苦労をかけることになると思うが……」
「はい……私……ルカス様と一緒にいられるならば、他は何もいりません……!」
「トリエル……!」

 私は、泣きそうになりながら微笑むルカス様の胸へと飛び込んだ。
 耳元で聞こえる「一生大切にする」という声が震えている。
 私たちは、そのまま惹かれるようにキスをした。
 その瞬間、私の体から聖女の力が溢れ出すように光を放ち始める。

「これは……トリエル!?」

 ああ……思い出した。
 私は記憶操作に制限をかけていた。
 ルカス様と、彼に関わる記憶を、破壊ではなく封印すること。そして、もしもお互いに愛し合ってキスしたときには、封印を解除すること。
 こうして無事に思い出せたということは、心から愛し合えていたということ。

「トリエル、聖女の力が溢れているように見えるんだが……」
「はい……全部、全部思い出したのです」

 私は、記憶を封印すると同時に聖女の力も封印していた。
 私が記憶を失っている間、聖女の力を悪用されることを恐れて。
 これは完全な副産物だけれど、一度聖女の力を封印すると、制限解除された時には力が増幅されるようだった。
 今までにない、大きな力を感じる。
 私はそれらを全部ルカス様に話すと、彼は驚いていた。普通は記憶の操作は破壊や封印を含め、そんなにうまくいくものではないらしい。ましてや制限付き解除を組み込むなんて、不可能だと。

「元々、トリエルのコントロール力は規格外だったんだろう。そこに制限解除の副産物で聖女の力が増した。これは、誰にでもできる増幅の仕方じゃない。トリエルだからこそだ」
「あの、ルカス様……申し訳ありませんでした」
「え?」

 いきなり謝った私に、あなたは不思議そうに目を広げている。

「私……あの・・時、ルカス様を悲劇のヒーローぶっていると思っていたんです」
「はは、そうか……間違ってないよ」
「いいえ、ルカス様は本当に悲劇のヒーローでした……周りに嵌められ、味方はおらず、私にまで疑われて……本当にごめんなさい!」

 気にしてないというように、ルカス様は優しい瞳で私の髪をそっとかき上げてくれる。
 本当にこの方は、どこまでも優しい人だ。

「私、悔しいです……私たちを引き離し、こんなにもルカス様を苦しめた方々が……」
「じゃあ、トリエル」
「はい」

 ルカス様は言った。

 君の聖女の力を見せつけてやらないか?

 と──。
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