「僕が望んだのは、あなたではありません」と婚約破棄をされたのに、どうしてそんなに大切にするのでしょう。【短編集】

長岡更紗

文字の大きさ
145 / 173
婚約破棄されたら聖女になりました。今さら破棄は誤解と言われましても。

04.庭園

しおりを挟む
 ラズロは、すべてを失った。
 爵位も財産も、そして名誉も。
 彼を庇う者は、ただのひとりもいなかった。

 一件の報告を受けた国王は、即座に処罰を命じた。
 ラズロは侯爵家から籍を抜かれ、身一つで辺境の僧院へと送られた。表向きは『修行』と名づけられたが、実際には王都からの永久追放に他ならない。

 私のことを終わったと言った、ラズロの方が終わりを迎えた。

 だけど、胸に残ったのは怒りや憎しみじゃない。
 あの夜、絶望の底で差し出された、温かな手のひら。
 寄り添い、守ってくれた彼の声が、心の奥に深く刻まれていた。

 カイン王子殿下──いえ、彼という一人の男性への想いだけが。
 夕暮れの星のように、胸の奥で静かに光り続けていた。


 ***


 カイン様と私は、共に政を学び、共に戦い、幾つもの難題に立ち向かった。
 時に声を荒らげて言い争い、時に他愛もないことで肩を揺らして笑った。

 ある日、山岳の魔獣討伐の帰り、激しい雨に遭い、私たちは洞窟に身を寄せた。
 濡れた外套を火のそばに掛け、焚き火の明かりが壁に揺れている。
 湿った空気の中、カイン様がぽつりと呟いた。

「……貴女が笑うと、俺は本当に救われるんだ」

 ただの言葉以上の重みを感じて、私の胸はきゅうと締めつけられた。

 カイン様の隣にいると、自分は自分でいられる。
 誇り高く、まっすぐに、恥じることなく──。

 火がぱちりと弾ける音がした。
 しばらくの沈黙のあと、彼はふいに言った。

「……実はな。貴女がラズロと婚約していた時から、ずっと気になっていた」

 その言葉に、私は思わず顔を向ける。

「え……?」

 彼は焚き火を見つめたまま、ほんの少し目を伏せる。
 横顔が、どこか寂しげだった。

「社交の場で見かけた。貴女はいつも完璧だった。言葉遣いも、立ち居振る舞いも、貴族の理想みたいだった。でも……その奥に、無理をしているような目をしていた」

 あの頃の私は、婚約者として振る舞い、ただ正しくあろうとしていた。
 婚約者として、家の誇りを背負って、失敗の許されない立場で。
 誰にも、弱さを見せずに。

「でも、そんな中でも困っている人にはさりげなく手を貸して、笑っていた。貴女のそういうところが、ずっと気になって──忘れられなかった」

 ゆっくりと、彼の視線が私に向けられる。

「だから……婚約破棄された時、胸が痛んだ。どうして、君が傷つかなきゃならないのかと」

  その瞳に宿るまっすぐな想いに、息が止まりそうになった。

「聖女として目覚めた貴女が、誰より強く、美しく見える今でも。……俺にとっては、あの時からずっと変わらない、特別な存在だ」

 胸の奥が、あたたかく、じわりと滲む。

 見せたことのなかった私を、
 気づかれないと思っていた私を、
 彼は、ずっと見ていてくれた。

「……そんなふうに思ってくれていたなんて、知らなかった」

 震えた声が、火の揺らめきに紛れて消える。
 それでも、彼は穏やかに微笑んだ。

「ようやく言えたよ。あの頃は、立場が許さなかったからな」

 当時言えなかった想いが、今ようやく繋がって──。
 私たちの間にあった距離が、そっと縮まった気がした。

 いつしか私は、誰より深く、彼の隣にいたいと願うようになっていた。



*** 



 出会ってから一年の春。
 王宮の庭園が柔らかな光に包まれる季節、カイン様は夜の帳の下、私を呼び出した。

「セリア。……貴女に見せたい場所がある」

 カインに連れられて辿り着いたのは、宮廷の奥にひっそりと残された古い庭園。
 かつて王妃の私的な空間として使われていたと聞いていたけど……そんなところになんの用が?

 そう思った瞬間、私は目を疑った。

 そこには風に揺れる白と紫の花々──アーモンドとアイリスが咲き乱れている。

「わぁ……素敵……」

 ほうっと漏れる感嘆の息。
 誰の記憶にも留まっていないその場所はもう、『忘れられた場所』ではなかった。
 まるで夜空の星々と共に、私たちの歩みを祝福してくれているよう。
 なんて、言い過ぎかしら。

「一年かけて、こっそり庭師たちに頼んで整えた。……最初から、貴女と見ると決めてたんだ」
「一年前って……もしかして」

 カイン様が静かにうなずく。
 その眼差しがあまりにも優しくて、胸の奥がじんと熱くなった。

 一年も前から、この日を思い描いてくれていた。
 一年後の未来にも、私が隣にいると、信じてくれていた。

 白と青の花々に囲まれながら、カイン様はゆっくりと向き直る。
 風にそよぐ花の香りの中、真っ直ぐな声が響いた。

「俺は王になる。けれど、未来を語る前に、まず一人の男として言わせてくれ」

 その手に握られていたのは、王家に代々受け継がれる誓いの剣──
 王太子が婚約を申し込むとき、ただ一人に捧げる証。

 カイン様はその剣を地に伏せ、片膝をついた。
 夜風が花々を揺らす中、カイン様の声が静かに響く。

「セリア。俺は、貴女を心から尊敬している。強くて、誠実で、誰よりも優しい貴女を。……どうか、俺の隣に立ってほしい。王としてではなく、一人の男として、人生を共に歩んでほしい」

 瞳の奥に、熱が溢れた。
 胸の奥からせり上がる想いが、止められない。

「セリア、愛している」

 胸がつまって、息ができなかった。
 ずっと、聞きたかったはずなのに。
 言葉があふれそうで、なのにうまく出てこなくて。
 
「……そんなの、ずるいです。あなたばっかり、全部言ってしまって」

 私はいつも貴方に救われている。
 何度も支えられ、励まされ、笑わせてもらった。
 いつの間にか、心はすっかり──カイン様のものだった。

「私があなたの隣に立っていいのかと、ずっと悩んでました。けど……」
「いいに決まっている」

 カインが私の手を優しく取る。
 温もりが、指先から心へと広がっていく。

「貴女じゃなきゃ……駄目なんだ」

 カイン様……やっぱり、ずるいです。
 そんなこと言われたら、涙が我慢できないではないですか……。
 私の頬から滑り落ちていく、涙。

 そんな私を、愛おしい瞳で見つめてくれるカイン様が……大好きなんです。
 私の方こそ、あなたでないと、駄目なんです。

 私は涙を拭うと、愛する人に最高の笑みを向ける。

「……はい。生涯、あなたの隣に立たせてください」

 その瞬間、風が丘を包み、花びらがふわりと舞い上がった。
 星々がそれを照らし、私たちの誓いを静かに見守っている。

 そっと、優しく、温かい腕が私を抱きしめた。
 心の奥まで、静かな光が満ちていくようで──言葉なんて、もういらなかった。

 見上げると、カイン様が柔らかく微笑んでいた。
 その笑みに、すべてが報われた気がして、胸がきゅっと熱くなる。

 星空の下で、ふたつの影がゆっくりと、ひとつに重なる。

 きっとこの先も、私はこの手を離さない。
 あなたとなら、どんな未来も歩いていけるから。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

これで、私も自由になれます

たくわん
恋愛
社交界で「地味で会話がつまらない」と評判のエリザベート・フォン・リヒテンシュタイン。婚約者である公爵家の長男アレクサンダーから、舞踏会の場で突然婚約破棄を告げられる。理由は「華やかで魅力的な」子爵令嬢ソフィアとの恋。エリザベートは静かに受け入れ、社交界の噂話の的になる。

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

【完結80万pt感謝】不貞をしても婚約破棄されたくない美男子たちはどうするべきなのか?

宇水涼麻
恋愛
高位貴族令息である三人の美男子たちは学園内で一人の男爵令嬢に侍っている。 そんな彼らが卒業式の前日に家に戻ると父親から衝撃的な話をされた。 婚約者から婚約を破棄され、第一後継者から降ろされるというのだ。 彼らは慌てて学園へ戻り、学生寮の食堂内で各々の婚約者を探す。 婚約者を前に彼らはどうするのだろうか? 短編になる予定です。 たくさんのご感想をいただきましてありがとうございます! 【ネタバレ】マークをつけ忘れているものがあります。 ご感想をお読みになる時にはお気をつけください。すみません。

婚約破棄された氷の令嬢 ~偽りの聖女を暴き、炎の公爵エクウスに溺愛される~

ふわふわ
恋愛
侯爵令嬢アイシス・ヴァレンティンは、王太子レグナムの婚約者として厳しい妃教育に耐えてきた。しかし、王宮パーティーで突然婚約破棄を宣告される。理由は、レグナムの幼馴染で「聖女」と称されるエマが「アイシスにいじめられた」という濡れ衣。実際はすべてエマの策略だった。 絶望の底で、アイシスは前世の記憶を思い出す――この世界は乙女ゲームで、自分は「悪役令嬢」として破滅する運命だった。覚醒した氷魔法の力と前世知識を武器に、辺境のフロスト領へ追放されたアイシスは、自立の道を選ぶ。そこで出会ったのは、冷徹で「炎の公爵」と恐れられるエクウス・ドラゴン。彼はアイシスの魔法に興味を持ち、政略結婚を提案するが、実は一目惚れで彼女を溺愛し始める。 アイシスは氷魔法で領地を繁栄させ、騎士ルークスと魔導師セナの忠誠を得ながら、逆ハーレム的な甘い日常を過ごす。一方、王都ではエマの偽聖女の力が暴かれ、レグナムは後悔の涙を流す。最終決戦で、アイシスとエクウスの「氷炎魔法」が王国軍を撃破。偽りの聖女は転落し、王国は変わる。 **氷の令嬢は、炎の公爵に溺愛され、運命を逆転させる**。 婚約破棄の屈辱から始まる、爽快ザマアと胸キュン溺愛の物語。

『生きた骨董品』と婚約破棄されたので、世界最高の魔導ドレスでざまぁします。私を捨てた元婚約者が後悔しても、隣には天才公爵様がいますので!

aozora
恋愛
『時代遅れの飾り人形』――。 そう罵られ、公衆の面前でエリート婚約者に婚約を破棄された子爵令嬢セラフィナ。家からも見放され、全てを失った彼女には、しかし誰にも知られていない秘密の顔があった。 それは、世界の常識すら書き換える、禁断の魔導技術《エーテル織演算》を操る天才技術者としての顔。 淑女の仮面を捨て、一人の職人として再起を誓った彼女の前に現れたのは、革新派を率いる『冷徹公爵』セバスチャン。彼は、誰もが気づかなかった彼女の才能にいち早く価値を見出し、その最大の理解者となる。 古いしがらみが支配する王都で、二人は小さなアトリエから、やがて王国の流行と常識を覆す壮大な革命を巻き起こしていく。 知性と技術だけを武器に、彼女を奈落に突き落とした者たちへ、最も華麗で痛快な復讐を果たすことはできるのか。 これは、絶望の淵から這い上がった天才令嬢が、運命のパートナーと共に自らの手で輝かしい未来を掴む、愛と革命の物語。

婚約者様への逆襲です。

有栖川灯里
恋愛
王太子との婚約を、一方的な断罪と共に破棄された令嬢・アンネリーゼ=フォン=アイゼナッハ。 理由は“聖女を妬んだ悪役”という、ありふれた台本。 だが彼女は涙ひとつ見せずに微笑み、ただ静かに言い残した。 ――「さようなら、婚約者様。二度と戻りませんわ」 すべてを捨て、王宮を去った“悪役令嬢”が辿り着いたのは、沈黙と再生の修道院。 そこで出会ったのは、聖女の奇跡に疑問を抱く神官、情報を操る傭兵、そしてかつて見逃された“真実”。 これは、少女が嘘を暴き、誇りを取り戻し、自らの手で未来を選び取る物語。 断罪は終わりではなく、始まりだった。 “信仰”に支配された王国を、静かに揺るがす――悪役令嬢の逆襲。

【完結160万pt】王太子妃に決定している公爵令嬢の婚約者はまだ決まっておりません。王位継承権放棄を狙う王子はついでに側近を叩き直したい

宇水涼麻
恋愛
 ピンク髪ピンク瞳の少女が王城の食堂で叫んだ。 「エーティル様っ! ラオルド様の自由にしてあげてくださいっ!」  呼び止められたエーティルは未来の王太子妃に決定している公爵令嬢である。  王太子と王太子妃となる令嬢の婚約は簡単に解消できるとは思えないが、エーティルはラオルドと婚姻しないことを軽く了承する。  その意味することとは?  慌てて現れたラオルド第一王子との関係は?  なぜこのような状況になったのだろうか?  ご指摘いただき一部変更いたしました。  みなさまのご指摘、誤字脱字修正で読みやすい小説になっていっております。 今後ともよろしくお願いします。 たくさんのお気に入り嬉しいです! 大変励みになります。 ありがとうございます。 おかげさまで160万pt達成! ↓これよりネタバレあらすじ 第一王子の婚約解消を高らかに願い出たピンクさんはムーガの部下であった。 親類から王太子になることを強要され辟易しているが非情になれないラオルドにエーティルとムーガが手を差し伸べて王太子権放棄をするために仕組んだのだ。 ただの作戦だと思っていたムーガであったがいつの間にかラオルドとピンクさんは心を通わせていた。

真実の愛を見つけた婚約者(殿下)を尊敬申し上げます、婚約破棄致しましょう

さこの
恋愛
「真実の愛を見つけた」 殿下にそう告げられる 「応援いたします」 だって真実の愛ですのよ? 見つける方が奇跡です! 婚約破棄の書類ご用意いたします。 わたくしはお先にサインをしました、殿下こちらにフルネームでお書き下さいね。 さぁ早く!わたくしは真実の愛の前では霞んでしまうような存在…身を引きます! なぜ婚約破棄後の元婚約者殿が、こんなに美しく写るのか… 私の真実の愛とは誠の愛であったのか… 気の迷いであったのでは… 葛藤するが、すでに時遅し…

処理中です...