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01.恐怖侯爵と激かわ娘。①
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「レディア。俺が君を愛することはない」
私にとって初夜となるはずの日に、旦那様となったばかりのイシドール様はそう言った。
長身で人を見下すような氷の瞳に身震いする。
無愛想な上にこの威圧感。自然と体がこわばってしまうのは、仕方がないというもの。
──君を愛することはない──
イシドール様がそう言う気持ちもわからなくはない。
ブラックウッド侯爵家に嫁に来たと言っても、私は二人目の妻。いわゆる後妻というやつだし。
それにイシドール様には……
「パパー!」
夫婦の寝室が無遠慮に開けられた。そこにはイシドール様の愛娘であるシャロットの姿。
まだ五歳の彼女は、父親であるイシドール様に突進するように抱きついている。
「パパ、はやく来て! さみしいよぉ!」
シャロットの言葉に、イシドール様は笑みを見せながら優しく抱き上げていた。
巷では“恐怖侯爵”と呼ばれるくらいに恐れられる人……のはずなんだけど、娘に見せるこの甘い顔はどうなの。
恐怖侯爵どころか、ストロベリー侯爵とでも命名してあげたいくらいだわ。
甘い……甘いのよ、そのお顔!
「シャロット様! そちらに行かれてはなりませんと………!」
シャロットのお付きのメイドが、扉の向こうから声を掛けている。中に入れずに困っているみたい。
「ああ、構わない。俺が連れて行く。下がっていい」
「はい、申し訳ございません。失礼致します」
メイドが下がると、イシドール様はまたストロベリー侯爵となって、シャロットとおでこをこつんと合わせた。
「寂しくさせてすまなかった」
「パパ、いっしょにねてくれる?」
「もちろんだ、シャロット」
「わぁい!」
シャロットの喜ぶ顔を見て、とろけそうな笑顔になるイシドール様のお顔。けれど私に向けられた瞬間、恐怖侯爵へと変貌する。
「そういうことだ、レディア」
「わかりました」
「ばいばい、おねえちゃん!」
シャロットがほんわかした笑顔で手を振ってくれたので、私も手を振り返した。
“おねえちゃん”じゃなくて、“お母さん”なんだけどね、一応。
シャロットは見事な金髪を揺らすと、イシドール様と一緒に出て行った。あの髪は母親譲りなんだろう。イシドール様の色はライトブラウンだから。
「ふう」
私は息を吐いてごろんと大きなベッドに転がった。
落ち目の子爵令嬢であった十七歳の私に舞い込んできた縁談なんて、ろくなものじゃないだろうとはわかってた。
しかも相手は恐怖侯爵と呼ばれる、二十七歳の子持ち。あっちは体裁を繕うために新しい妻を娶っただけと理解してるから、覚悟はしてたけど。
前の奥さんはラヴィーナさんといって、一年前に雲隠れしてしまったらしい。
恐怖侯爵の威圧に耐えられずに逃げ出したのだろうと、もっぱらの噂だ。
まぁ確かにイシドール様は怖い顔をしていて、愛想なんてものは皆無。前の奥さんにもずっとあんな顔をしていたのだとしたら、いなくなったのも理解できる。
シャロットに向けるような甘い顔を、少しでも見せてあげればよかったのに。
私は広くて高い天井を見つめた。
たくさんの空気を独り占めできる空間は、春だというのに薄ら寒く感じてぶるりと震える。
両親は不仲で、兄との関係もうまくいっていなかった私は、温かい家庭というものにとにかく憧れていた。
不仲の原因はうちにお金がないせいだと思っていた。だから、ブラックウッド侯爵家の奥さんになれば、お金にも困らず夫婦円満になれるかもしれないと思っていたけど。
まぁ不仲にもいろんな原因があるわよね。
でも、せっかくお金持ちの家に嫁いできたっていうのに、愛されないなんて酷くない?
私は……私は、愛したいし愛されたい。
イシドール様のことも、シャロットのことも。
誰もが羨むような家庭を作りたいって、ずっと思ってきたんだから……
だからいつか絶対、理想の家族にしてみせるわ!
私は心でそう誓うと、大きなベッドの上で一人眠った。
***
「おねーえちゃん!」
ズギュンッ。
私はシャロットにそう呼ばれるたび、胸が矢で射られたようになる。
シャロット、かわいいの……かわいいのよ!!
あの恐怖侯爵がストロベリー侯爵になっちゃうのもわかるわ!
ぽよぽよしたほっぺに、大きくてキラキラした空色の瞳!
小さなおててに、これまた小さくてかわいい爪、白くてすべすべなお肌!
ニコッと微笑まれたらもう、世界中の大人は腰砕けよ!!
「お庭、おさんぽにいこう! シャルがあんないしてあげる!」
「シャロットが? ありがとう!」
ここにきて一ヶ月、実はこの散歩は毎日の日課。
毎日毎日、シャロットが『あんないしてあげる!』と連れ出してくれる。
もう全部覚えちゃってるんだけどね。でも嬉しいから、私はシャロットと手を繋いで大きな庭に出た。
庭なら護衛も必要ないし、二人で楽しめるから気楽だわ。
恐怖侯爵……もといイシドール様は、お仕事で出かけている。
相変わらずイシドール様との距離は詰められないけど、シャロットとはかなり打ち解けたと思う。
まぁ“お母さん”としてじゃなく、“お姉ちゃん”としてではあるけど。
それにそても、ここの園庭は本当にすごい。
整備された花壇に、四季で姿を変える木々。それに古代の彫刻がところどころに配置されている。
まだ咲いていないけれどロータスの池まであるし、うちの実家の庭とは大違い。
「おねえちゃん、こっちこっち!」
私はシャロットに手を引かれて、ジャスミンのアーチをくぐった。
純白の小さくてかわいいお花が、なんだかシャロットみたい。ここは彼女のお気に入りで、今では私もお気に入りの場所だ。
「ふふっ! 今日もいいにおいするね、おねえちゃん!」
「本当ね。甘くて優しくて、素敵な香り」
「ママもこの香り、大好きなんだよ!」
「……そう」
たまに出てくる、ママという単語。もちろんシャロットの本当の母親であるラヴィーナさんのことだ。
「ねぇおねえちゃん、ジャスミンって天国にもある?」
「そうだなぁ、あるんじゃないかな? うん、きっとあるはず! だって天国だもの」
「わぁ、よかった! じゃあママも、この香りを天国で楽しんでるよね!」
「……うん、きっとそうだね」
ラヴィーナさんがいなくなった時、シャロットはまだ四歳だったはずだけど、母親の記憶はしっかりとあるみたいだった。
それにしても、巷では“雲隠れ”って話だったけど……シャロットには亡くなったってことにしてるみたいで釈然としない。
シャロットに伝えていることが真実で、本当は亡くなっているんだろうか。でもお葬式をしたという話は聞かないし、幼いシャロットに『ママはどうして死んだの?』なんて聞けるわけもない。
使用人に話を聞こうにも、ラヴィーナさんの名前を出した途端にみんな急用を思い出して去ってしまう。どうやら口止めをされているみたい。
一体誰が、どうして、なんの目的で?
私にとって初夜となるはずの日に、旦那様となったばかりのイシドール様はそう言った。
長身で人を見下すような氷の瞳に身震いする。
無愛想な上にこの威圧感。自然と体がこわばってしまうのは、仕方がないというもの。
──君を愛することはない──
イシドール様がそう言う気持ちもわからなくはない。
ブラックウッド侯爵家に嫁に来たと言っても、私は二人目の妻。いわゆる後妻というやつだし。
それにイシドール様には……
「パパー!」
夫婦の寝室が無遠慮に開けられた。そこにはイシドール様の愛娘であるシャロットの姿。
まだ五歳の彼女は、父親であるイシドール様に突進するように抱きついている。
「パパ、はやく来て! さみしいよぉ!」
シャロットの言葉に、イシドール様は笑みを見せながら優しく抱き上げていた。
巷では“恐怖侯爵”と呼ばれるくらいに恐れられる人……のはずなんだけど、娘に見せるこの甘い顔はどうなの。
恐怖侯爵どころか、ストロベリー侯爵とでも命名してあげたいくらいだわ。
甘い……甘いのよ、そのお顔!
「シャロット様! そちらに行かれてはなりませんと………!」
シャロットのお付きのメイドが、扉の向こうから声を掛けている。中に入れずに困っているみたい。
「ああ、構わない。俺が連れて行く。下がっていい」
「はい、申し訳ございません。失礼致します」
メイドが下がると、イシドール様はまたストロベリー侯爵となって、シャロットとおでこをこつんと合わせた。
「寂しくさせてすまなかった」
「パパ、いっしょにねてくれる?」
「もちろんだ、シャロット」
「わぁい!」
シャロットの喜ぶ顔を見て、とろけそうな笑顔になるイシドール様のお顔。けれど私に向けられた瞬間、恐怖侯爵へと変貌する。
「そういうことだ、レディア」
「わかりました」
「ばいばい、おねえちゃん!」
シャロットがほんわかした笑顔で手を振ってくれたので、私も手を振り返した。
“おねえちゃん”じゃなくて、“お母さん”なんだけどね、一応。
シャロットは見事な金髪を揺らすと、イシドール様と一緒に出て行った。あの髪は母親譲りなんだろう。イシドール様の色はライトブラウンだから。
「ふう」
私は息を吐いてごろんと大きなベッドに転がった。
落ち目の子爵令嬢であった十七歳の私に舞い込んできた縁談なんて、ろくなものじゃないだろうとはわかってた。
しかも相手は恐怖侯爵と呼ばれる、二十七歳の子持ち。あっちは体裁を繕うために新しい妻を娶っただけと理解してるから、覚悟はしてたけど。
前の奥さんはラヴィーナさんといって、一年前に雲隠れしてしまったらしい。
恐怖侯爵の威圧に耐えられずに逃げ出したのだろうと、もっぱらの噂だ。
まぁ確かにイシドール様は怖い顔をしていて、愛想なんてものは皆無。前の奥さんにもずっとあんな顔をしていたのだとしたら、いなくなったのも理解できる。
シャロットに向けるような甘い顔を、少しでも見せてあげればよかったのに。
私は広くて高い天井を見つめた。
たくさんの空気を独り占めできる空間は、春だというのに薄ら寒く感じてぶるりと震える。
両親は不仲で、兄との関係もうまくいっていなかった私は、温かい家庭というものにとにかく憧れていた。
不仲の原因はうちにお金がないせいだと思っていた。だから、ブラックウッド侯爵家の奥さんになれば、お金にも困らず夫婦円満になれるかもしれないと思っていたけど。
まぁ不仲にもいろんな原因があるわよね。
でも、せっかくお金持ちの家に嫁いできたっていうのに、愛されないなんて酷くない?
私は……私は、愛したいし愛されたい。
イシドール様のことも、シャロットのことも。
誰もが羨むような家庭を作りたいって、ずっと思ってきたんだから……
だからいつか絶対、理想の家族にしてみせるわ!
私は心でそう誓うと、大きなベッドの上で一人眠った。
***
「おねーえちゃん!」
ズギュンッ。
私はシャロットにそう呼ばれるたび、胸が矢で射られたようになる。
シャロット、かわいいの……かわいいのよ!!
あの恐怖侯爵がストロベリー侯爵になっちゃうのもわかるわ!
ぽよぽよしたほっぺに、大きくてキラキラした空色の瞳!
小さなおててに、これまた小さくてかわいい爪、白くてすべすべなお肌!
ニコッと微笑まれたらもう、世界中の大人は腰砕けよ!!
「お庭、おさんぽにいこう! シャルがあんないしてあげる!」
「シャロットが? ありがとう!」
ここにきて一ヶ月、実はこの散歩は毎日の日課。
毎日毎日、シャロットが『あんないしてあげる!』と連れ出してくれる。
もう全部覚えちゃってるんだけどね。でも嬉しいから、私はシャロットと手を繋いで大きな庭に出た。
庭なら護衛も必要ないし、二人で楽しめるから気楽だわ。
恐怖侯爵……もといイシドール様は、お仕事で出かけている。
相変わらずイシドール様との距離は詰められないけど、シャロットとはかなり打ち解けたと思う。
まぁ“お母さん”としてじゃなく、“お姉ちゃん”としてではあるけど。
それにそても、ここの園庭は本当にすごい。
整備された花壇に、四季で姿を変える木々。それに古代の彫刻がところどころに配置されている。
まだ咲いていないけれどロータスの池まであるし、うちの実家の庭とは大違い。
「おねえちゃん、こっちこっち!」
私はシャロットに手を引かれて、ジャスミンのアーチをくぐった。
純白の小さくてかわいいお花が、なんだかシャロットみたい。ここは彼女のお気に入りで、今では私もお気に入りの場所だ。
「ふふっ! 今日もいいにおいするね、おねえちゃん!」
「本当ね。甘くて優しくて、素敵な香り」
「ママもこの香り、大好きなんだよ!」
「……そう」
たまに出てくる、ママという単語。もちろんシャロットの本当の母親であるラヴィーナさんのことだ。
「ねぇおねえちゃん、ジャスミンって天国にもある?」
「そうだなぁ、あるんじゃないかな? うん、きっとあるはず! だって天国だもの」
「わぁ、よかった! じゃあママも、この香りを天国で楽しんでるよね!」
「……うん、きっとそうだね」
ラヴィーナさんがいなくなった時、シャロットはまだ四歳だったはずだけど、母親の記憶はしっかりとあるみたいだった。
それにしても、巷では“雲隠れ”って話だったけど……シャロットには亡くなったってことにしてるみたいで釈然としない。
シャロットに伝えていることが真実で、本当は亡くなっているんだろうか。でもお葬式をしたという話は聞かないし、幼いシャロットに『ママはどうして死んだの?』なんて聞けるわけもない。
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