森蘭丸外伝─果心居士

春野わか

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 城から見て東南には松永の家臣森秀光と海老名友清が籠る支城の片岡城、西の方角には松永金吾が守る柳本黒塚砦が位置している。
 そして見下ろせば、間違い無く敵の戦意を削ぐであろう無数の曲輪群が、美しい紋様を描いていた。
 籠城の備えは万全な上に、信貴山城を落とすには先ず片岡城、黒塚砦を先に制圧しなければならない。

 それなのに信長はまだ一兵すら差し向けておらず、生温い説得を試みるばかりだ。

 この堅城ならば大軍が押し寄せても半年は持ち堪えられるだろう。

 冷静になり覇気を取り戻した松永は三郎に笑い掛け、抱き寄せると唇を重ねた。

 廻縁で抱き合う二人の姿が赤く燃える逆光で一つの影になる。

 その後は湯殿に移りたっぷりと睦み合い、尚も火照りが鎮まらぬ二人は褥に縺れ込んだ。

───
 
 無という純白の風景。
 快楽を極めた者にだけ見える無限の広がり。
 究極の生か死か。
 相反する事物は境無く一体化し、個を失っするが故に辿り着ける境地。
 共に生き、死に、また生き、そして──

「蛇の粉を」

「使い過ぎては却って──」

「三郎!!」

 松永が荒々しく吼え、一瞬目玉が獣じみた光を帯びた。
 三郎は眉を潜め、仕方なく寝所に据えた棚を探る。

「もう……ございませぬ」

 憮然とした面持ちで告げた。
 
「何じゃと? 」

 声に苛立ちが混じり、三郎の手から小壺を毟り取ると中を覗き込む。
 松永が名付けた蛇の粉とは、果心が与えた精力増強剤のようなものだ。
 一度口にしてその悦楽を知れば、それ無しでは生きていけなくなる魔薬でもある。

 壺は明らかに空だった。
 粉に取り憑かれた松永は舌を突っ込み、微かに付着する粉を無我夢中で舐め取った。

「果心!かしーーん」

 狂気の光を宿した目を虚空に向け、松永は叫んだ。
 始めは良かった。
 疲労も一舐めすればたちどころに回復する。
 故に養生に努めてきた松永は何時しか粉に依存し、寧ろ不摂生を平気で重ねるようになっていた。
 お馴染みの白い靄が霧のように広がり果心が姿を現す。

「相変わらずじゃのう」

「粉を寄越せ! 」

「猛るな……くく……用事はそれだけか? 」

「それ以外にお前の醜い姿を見たい理由など無い」

 果心の顔が獰猛に歪む、が直ぐに嘲笑に変わった。

「仕方が無い……大事に用いよ。これから大戦となるのじゃからな。過ぎれば却って命を縮めるぞ」

 そう忠告すると空の壺が白い粉で満たされた。

 人差し指で粉を掬うと松永はぺろりと舐めた。
 次の瞬間、瞳は力強く輝き出し、覇気が身体中から陽炎のように立ち上った。

「おお!やはり凄い凄い」

 果心は満足気に、にたりと笑う。
 醜いと罵倒されても大して動じないのは、己よりも持たざる者と松永を認識しているからだ。
 粉に頼らずば生きる事も叶わぬ傀儡と化した嘗ての梟雄。
 人を操るのが大好きな果心の自尊心を大いに満足させてくれる存在。

『信長も何れ、この男のように儂の前に跪かせてやる。乱法師──』

 裸身だけなら乱法師の目を通して見る事は叶うが、近頃は生々しい匂いを直に嗅げず鬱憤が溜まっていた。

 信長の弱点は乱法師だ。
 目の前で乱法師を犯してやったらさぞかし──と下劣な妄想に耽る。

「信長はこの城を攻めあぐねているようじゃな」

「当然じゃ。簡単に落とせる訳が無い」

「だが何れ出てくる」

「ふん!力攻めなら向こうの被害も甚大となろう。奴は必ず手詰まりになる」

 籠城側を正攻法で攻め落とす為には三倍の兵力が必要と言われていた。
 信貴山城の兵力は凡そ八千である。

「くく……頼もしいな。ともかく此処で待っていれば信長を引摺り出せるという事か」

「何か企んでいる様子はあるか?森のお乱を使い首を掻ければ一番良いが」

 三郎が松永の顔をはっと見上げた。

「おお、子供じみた策じゃ。松永弾正の言葉とは思えぬ。信長を殺すだけが目的では無かろう?強者共の拮抗が大事じゃ。信長という敵に対して纏まっている者達が、死んだ途端ばらばらになってしまう。味方と思っていた輩が牙を剥いてくるぞ」

「珍しくまともな事を言うでは無いか。そういえば女はどう始末した? 」

 最早、射干の生死などどうでも良かった。
 ふと思い出して聞いてみただけである。

「捻り潰してやった。烏共の餌じゃ」

 射干が毒で苦しんでいる現状を知るが故の嘘である。

「信長自ら出陣するにせよ、諸将に攻められ籠城するにせよ、安土を離れるしか無い」

「造り掛けの城に籠る事は出来ぬからのう。安土を離れたら、というのはどういう意味じゃ。安土に何がある? 」

「まあ良いでは無いか。信長が安土を離れたら、それこそ儂が奴を生け捕り、目の前に据えてやろう。三郎……」

 果心は三郎に意味深な視線を送った。

「…………」

「そなたは真に味が良い。弾正を通して感じるそなたの肉の震え、窄まり……堪らぬ」

 三郎は顔を顰め無言で睨み付ける。
 果心は松永とも繋がりを持つ為に肉の快楽を間接的に感じているのだろう。

 淫らな挑発に一瞬だけ眉を潜めたが、直ぐに面から感情が失せた。

「さて面白くなってきた。そろそろ御暇するとしよう。弾正よ、何度も言うが粉に頼り過ぎれば命を縮めるぞ」

「分かっている」

───

「大分顔色が良くなったのう」

「心配掛けて済まないねえ」

 射干は起き上がり、粥を啜りながら話しが出来るまでに回復していた。

「若も随分元気そうじゃないか」

「そちが代わりになってくれているようで何だか申し訳無い」

「年寄り臭あい。何でも自分のせいにしてると早く老けるよ。あ、そうだ!鏡を見せておくれよ」

 女としての自然な要求に乱法師と六助は慌てて顔を見合せた。

「鏡……鏡は無い」

「今は見ねえほうが……」

 正直者の六助が余計な一言を洩らしてしまう。

「何で見ない方がいいんだよ!鏡を持って来ておくれよ」

 側でやり取りを聞いていた侍女が気を利かせて鏡を取りに行く。

「あ……儂はそろそろ勤めに行かねば。六、後は頼んだぞ」

 乱法師が逃げるように部屋を出る際、侍女と擦れ違った。

 その後、背後で凄い悲鳴が聞こえた。

────

「七尾城主の春王丸は既に死去し、遊佐と長との間で対立があり、そこに上杉が調略を仕掛けているようでございます。修理亮殿(柴田勝家)は相変わらず一揆に苦戦しておられ───」
 
 乱法師が信長の側に侍している時、各地からの戦況報告が度々寄せられた。
 耳にする限りでは厳しい状況である。

「長連龍に与えた援軍到着まで持ち堪えられると良いが。七尾城が落とされたら次は末森城を狙うであろうな」

 畠山家の重臣、長続連の息子の連龍が織田の援軍を引き連れ加賀の七尾城に向かっているぐらいが現状、上杉に対する最大の策である。
 風前の灯の七尾城にとっては一刻を争う。

「は……」

「雑賀に潜ませた間者を呼べ」

 加賀の戦況は緊急を要するように思えたが更なる策を審議する事無く次に移った。

 連れて来られたのは薄汚い身形の男であった。
 紀伊国雑賀の民を用いた郷間である。

 只の郷人を間者として用いているのだから佇まいや訛りに作り込まれた嘘が無い。

「話せ! 」

 単刀直入に信長が命じると、男は訛りのきつい言葉で報告を始めた。

 差し向けた佐久間信盛を総大将とした織田軍が奇襲に苦しめられ敗走する中、宗教的理由で本願寺と対立する根来衆と雑賀衆宮郷の籠る太田城は激しい攻防戦を繰り広げ、持ち堪えているという。

「佐久間め!腑甲斐無い! 」

 信長が激怒するのは無理も無い。
 佐久間軍は八万人もいたのだから。
 今年の二月にも十万もの大軍で雑賀を制圧に掛かったが、一旦降伏、また半年後に反乱というしぶとさである。

 乱法師は傍で聞いていて違和感を覚えた。

 郷間の話しは敵対する雑賀に仕掛ける調略に及んだ。
 どうやら単に探るだけでは無く敵対する雑賀荘と十ヶ郷の内に不和の種を落とすという役割を担っているようだった。

 共和国雑賀は五つの組に分かれ、更に一つの組は数十の家で形成されている。
 一枚岩で無いという事は仲間割れが生じ易いという事だ。

 実際に三対二に分かれて戦う雑賀衆は、農業が盛んな肥沃な地と、土に恵まれず海運、貿易、製塩を生業とする地とで以前から土地争いがあり、味方となった三組は信長と利害が一致しているだけである。
 郷間の語る所によれば、調略は上手く進んでおり、雑賀荘と十ヶ郷を分裂させ、一部の家を味方に引き入れられそうだという。

「良し!ならば雑賀から兵を退かせ信貴山攻めに充てられるな」

 信長は満足気に頷いた。

「上様、お待ち下さいませ」

 乱法師は違和感の正体に気付き口を開いた。

「どうした? 」

 その場にいた者達の視線が彼に集まる。

「御耳を──」

 日頃控え目な寵童が、この場で口を出すからには余程の事と耳を寄せる。
 乱法師はそっと唇を近付け何事かを囁いた。
 聞いた後も信長の表情に変化は無く、郷間からの報告は続いた。

────

「乱、流石である。そなたの申す通りであった」

 暫くして、そう告げると乱法師を抱き締め頭を撫でた。
 告げた通りであった事に対しては、やや複雑な心境であったが役に立てて嬉しかった。

 乱法師が囁いたのは『その者は反間(二重スパイ)の恐れがございます。話し方に些か不審な点が』という内容であった。

「良く気付いたな。あの者は郷人に間違い無い筈じゃが」

 信長が驚いたのは、乱法師が紀伊国の里言葉の僅かな違いに気付いた点に対してである。

「私は雑賀特有の訛りは存じませぬ。真実を話す時と嘘を吐く時の話し方に違いを感じたのでございます。郷人である事は間違いなさそうですが、敵に命じられて言わされた箇所のみ、己の言葉では無い為不自然な話し方になってしまったのでしょう」

「ふうむ、成る程!大したものじゃ」

 と、しきりに感心し頭を撫で、やはり、というべきか高まる愛情を抑えきれずに唇を重ねてきた。

「油断は出来ぬな。そなたが気付かなければ策を誤るところであった。真に得難い家臣である」

 信長の称賛は乱法師を勇気付けた。 
 同時に自身も果心の『反間』であるという事実を大いに活用しなければと、頬を桜色に染めた儘思案した。

 陽がやや西に傾き掛けた頃、勤めを終え一旦自室に戻って後、見舞う為に射干が寝ている部屋に足を向けた。
 手には献上品のおこぼれに与った甘い豆菓子を携えている。
 朝は粥を啜っていたから、今頃腹を空かせているだろう。

 声を掛けて襖を開けると、室内にいる者達の深刻な顔が彼に向けられた。

「射干さんが──」

 六助の悲痛な面持ちに最悪の事態を予想し、射干の側に駆け寄る。

 ──生きていた。

 息遣いは荒く目は虚ろで妙に白眼の部分が黄味を帯びている。
 良く見れば肌も黄色く、何よりも意識が朦朧としていて乱法師の事が分からぬようであった。

 素人目に見ても深刻な状況であると窺えた。

「何時から? 」

「若様が出仕されてから怠い言うて横になって、直に手足が痛い言い出したんで揉んだり擦ったりしちょったんや。粥やせめて水だけでもって勧めても気持ち悪いって。段々元気無うなって、話し掛けても聞こえねえのか、名前呼んでも呻くだけで……うう」

 六助は涙目である。

「曲直瀬殿は呼んだのか? 」

「へえ、勿論……浮腫んじゅーき、しょっぱいものは食べさせるなっ言うてらしたが、今の状況じゃあ。ともかく薬は飲ませたけど……どいてこがな事になっちまったんや」

 一旦回復したのに急に症状が悪化した事が周囲の不安を誘った。

「乱法師様、お戻りでしたか。射干は強い女子です。きっと──」
 
 三郎が部屋に入って来た。

 射干の容態は毒によるものと知る三郎は己の言葉の軽さを感じながらも、そう慰めるしかなかった。

「六!果心の記憶を何としてでも探り当てるぞ! 」

 乱法師が唐突に立ち上がる。

「射干さんの事が果心と関係あるっ思うちゅーんやか? 」

「儂の周囲で度々悪い事ばかり起きるのを奴の呪いのせいでは無いとも言い切れぬ。それに射干に儂は何もしてやれぬ。大事なのは呪いを打ち破る事。奴の名を知るのは奴自身しかおらぬ」

 果心が姿を現さぬが故に肝心の事を怠っていたのかも知れない。

「六、本日より手加減は無用じゃ! 」

 手加減と言うのは乱法師を労る余り、退行催眠を行う際何時も止めてしまっていたからだ。
 六助は己自身に言い訳していた。
 徐々にで良い、無理したら却って上手くいかないのだと。
 乱法師が涙すると、それ以上先に進むのを躊躇ってしまうのは単に彼の優しさからだった。
 乱法師は記憶の更に奥深く、果心の記憶という千尋の谷に身を投じる覚悟を決めた。

───

 淡黄色の炎が揺れている。
 その細やかな揺れに微かな気の動きを見る。
 退行催眠を行うのに大した準備は必要無いが、強いて言うなら心身が寛げるように焦らない事が肝心であろう。
 とはいえ、これから行うのは己との戦いである。
 人外の者の記憶に触れた時一体何が起こるのか、六助は不安で仕方無かった。
 此方が深奥を覗き込もうとすれば気付かれてしまうのではないか。
 それにしても当の本人が気合い十分過ぎて一向に寛いでいない。

「若様、灯り見て何も考えず楽しい事考えて身体の力抜いてくれんと上手ういかねえ」

「力を抜けと言われると益々力が入ってしまう」

 首を回したり伸びをしてみたりする。

「何ともなれば~ならるるものを~とやしらかくやしら~ああただただ~~」

 突然歌い出した。








 



 




 


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