森蘭丸外伝─果心居士

春野わか

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「松永討伐……少将様……」

 何を聞いても六助は虚ろで生気に欠けていた。

「六助──信貴山城じゃ。そちも存じておろう。総大将の織田少将様が上様にご挨拶する為に参られるのじゃ」

 三郎は六助の覇気の無さを訝しく思ったが、まだ疲れが取れていないだけかと詳しく告げた。

「え?それは何時でごぜえますか? 」

 これまた少し呆けた六助の反応である。

「明日か明後日には参られるであろう。暫く滞在されるとの事じゃ。宴の日取りは決まっておらぬが、そちの芸を上様は非常に楽しみにしておられる」

「じゃあ……射干さんは? 」

 漸く六助は本当に聞きたい事を口にした。

「武蔵守様と共に戻るであろう」

 それを聞いて六助の表情が目に見えて生き生きと晴れやかになる。

「射干さんは元気……やろうか? 」

 だが次の瞬間には暗く翳り、怖々と訊ねる。

「射干の事じゃ。食い過ぎていなければ元気に決まっておる」

 藤兵衛が三郎と顔を見合せ笑う。
 六助は二人の様子を見て、やはり射干の身には何も起きていないのだと安堵した。

 何かあれば報せてくる筈だ、と。

「じゃあ、藤吉郎連れてこんと。出し物の稽古せんと」

 射干にも猿曳の芸を楽しんで貰いたい。
 そして、それが終わったら──
 そう思うと途端に活力が漲ってきた。

───

 織田信忠が与力を率いて安土に凱旋したのは、その翌々日の事であった。

 先に送られていた松永久秀の首級は筒井順慶が引き取りを申し出て、大和国の北葛城郡の達磨寺に供養を依頼した。
 順慶は真の悪人になれる男では無かった。
 
 乱法師は小姓務めを再開し、自領に戻る前に挨拶に立ち寄る武将達の対応に追われていた。

 無論、その中には兄の森長可の姿もあった。

「兄上、此度は信貴山城攻めでのご活躍おめでとうございます」

「先陣の順慶の手柄には到底及ばぬ。存外簡単に落ちて物足り無かったな。まあ、それでも我が軍も首級は幾つか上げる事が出来た。犠牲が少なくて済んだのは幸いやも知れぬが」

 大将の癖に自ら槍を振るいたい長可は不服そうである。

「まだまだ兄上の御力を必要とする戦場は数多ございましょう。御怪我が無く御無事で何よりでございます。安土には何日ぐらい滞在されるのですか? 」

「少将様が近日中に御上洛されるが、儂は随行せず美濃に戻る。明日には此処を発つ予定じゃ。何か母上に伝言はあるか? 」

「元気でおります、と」

 弟の言伝てに対して長可は頷いた。

「そういえば兄上の軍に射干も加わっておりましたが、至急私が話したい事があると伝えて頂けないでしょうか? 」

「射干は死んだ」

 告げる長可の表情は変わらなかった。

「え──? 」

 乱法師は何を言われたのか理解するのに時を要した。
 いや、正確に言えば理解出来無かった。

「どうやら松永の残党に斬られたらしい。確かな事は分からぬが」

 弟の呆然とした顔付きに、もう少し説明が必要と流石に感じたのか言葉を足した。

 乱法師の顔から血の気が引き、唇まで青褪める。

「そんな馬鹿な──信じられませぬ──」

 長可は人としては問題があり過ぎるが嘘を付くような人間では無い。
 寧ろ嘘を付けない所が問題なのだ。

 長可の姿が見えなくなる程、目の前が暗くなった。

「あ……兄上は……射干の……骸を見たのですか?死んだと誰かから聞いただけでございますか? 」

 一縷の望みを託して問い掛ける。

「射干は二太刀で仕留められていた。一太刀目は恐らく右胸から肩まで斬り上げられ、次に左胸の下を突かれていた。急所がやや外れていた為、暫く這って進み息絶えた。森家の者達が発見したのじゃ」

 長可の答えは有無を言わせぬ詳細さで、弟の望みを打ち砕いた。

「それが真であるなら……射干の亡骸は今……何処に? 」

 堪えられず、とうとう乱法師の瞳から涙が溢れた。

 如何に明確な答えを得ようとも、あの元気で快活な彼女が既に此の世におらぬなど信じられる訳が無い。

「荼毘に付した。伴家には申し訳なく思っておる。度々力を貸して貰いながら死なせてしまった。遺骨は壺に入れて持ち返った故、伴家に渡そうと思っておる」

「ぐ……おお……ううーーうぁぁーー嘘じゃ」
 
 非情な顛末を長可からはっきりと突き付けられれば、彼女の死を認めざるを得ない。
 乱法師は取り乱し、泣き叫ぶ己の声で辛い現実を掻き消そうと足掻いた。

「たわけ!! 」

 長可には弟の取り乱し様は見苦しく、大音声で一喝すると、弟を思いきり張り倒した。
 乱法師の唇の端が切れる程の加減の無さは、流石長可と言えただろう。

「兄上ーー兄上は射干を斬った曲者を捕らえたのでございますか?捕らえたのであれば──私にお引き渡し下さい! 」

 長可とはまるで正反対な、物腰優雅で可憐な花香る風情の乱法師だが、納得いかぬと兄以上に退かぬ質である。

「下手人は分からぬ。数多いる残党の一人であろう」

「ならば、その残党の中から私が射干を斬った者を見つけ出し成敗致します! 」

 乱法師は殆んど兄を睨むように見据え、下手人を突き止め無かった事を明らかに非難していた。

「いい加減に致せ!死んだもんは死んだんじゃ!諦めろ!この甘ちゃんが! 」

 長可の怒りに火が点いたが最後、九割五分は血を見ずには収まらない。
 此処は一応血を分けた弟に対し刀こそ抜かなかったが、拳を振り上げ殴って黙らせようとした。

「御屋形様ーーお静まり下さいませ!何卒何卒ーー」

 襖が勢い良く開いて、各務兵庫を始めとした森家の家臣達が飛び込んできた。
 諍う声が何分大き過ぎたのが幸いだったのかも知れない。

 こうした場合悪いのは長可で間違いないと心得、入って来た家臣達五人のうち五人が長可を取り抑えに掛かった。

 長可の怒りはそれでも収まらず、家臣達の制止を鬼のように振り切り乱法師の前に仁王立ちした。
 対して此度厄介なのは、乱法師も睨み返した事である。

 仮御殿の一室で火花を散らす兄弟喧嘩は信長の耳にも入ってしまった。
 並の家臣の諍いならば下の者に見に行かせるところ、長可が騒いでいるのであれば己しか止められる者はいないと自ら出向く事にした。

「控えよ!上様の御前じゃ。これは一体何の騒ぎか? 」

 信長の側近、堀秀政が一同に響き渡る声で喧騒を鎮めた。

 傍若無人な長可も、信長の登場に頭を下げて平伏する。
 信長は乱法師に目を遣り、双眸をくわっと見開いた。
 痛々しくも唇の端が切れ、血が滲んでいたからだ。

「武蔵守(長可)よ。事の次第を説明致せ! 」

 声に怒気が混じる。

「はっ!兄として弟を躾ていただけにございます。上様が御出ましになるような大事にはございませぬ」

 と、怯む事なく申し述べた。

 信長は只の兄弟喧嘩かと思ったが、乱法師の涙目を見てしまっては捨て置けなかった。

「乱、如何した?何があったのじゃ? 」

 長可に対するのとは比べ物にならぬ優しい声音で問い掛ける。

「うう……あああ」

 乱法師の瞳から一旦怒りで引いた筈の涙が止め処なく溢れる。
 信長は乱法師の側に寄ると、優しく肩に手を置きながら長可の方を向いた。

「武蔵守、乱が何をしたのじゃ」

 長可を直ちに責めるつもりはないが、乱法師を明らかに庇いつつ再び問う。

「伴家の忍び、射干が松永の残党に斬られたのでございます。某にとっても痛みはございますが、戦場における死は已む無き事。それを弟は取り乱し、下手人を捕らえられなかったと某を責めるような物言いをした為、打ち据えたのでございます」

 信長の双眸が一瞬だけ見開かれた。
 だが直ぐに元に戻る。

 その後乱法師に向けた眼差しには、深い憐憫の情が込められていた。

 長可の言い分は良く理解出来た。
 長可と己とは、謂わば同じ立場なのだ。
 一兵卒に過ぎない者の死を引き摺るなど有り得ない。

 それに長可は果心の一件を知らされていない。

 どれ程乱法師の為に射干が尽力し、彼の支えになったかという事実を知らないのだ。
 射干に対する弟の思い入れを、未熟で柔弱と見たのだろう。

 しかし私的な場面では信長と彼女は同士であった。

 公の立場での身分の差は天と地程もあるが、六助、三郎、藤兵衛とも親しく言葉を交わし、秘密を分ち合った同士としての絆が出来上がっていた。

「なるほど、だが武蔵守よ。乱は初陣もまだ済ませておらぬ。射干は乱を熱心に看病しておった。乱は確かに未熟じゃが、儂の側で厳しく訓育し、日々成長しておる」

 長可の目には厳しく訓育しているようには映らなかった。

『寧ろ甘やかし過ぎじゃ』

 と、腹の内では思ったが、己の言い分を受け入れて貰った事で怒りは鎮まった。

「兄上……お願いがございます……骨壺を……私にお渡し下さい。お願いでございます」

 乱法師は涙ながらに訴えた。

「伴家に返すと決めてある。そちに渡して何とする? 」

 そう問われても、具体的な考えが浮かばなかった。

「待て!その壺、儂に寄越せ。射干は良う働いてくれた。どう弔うかは儂が決める」

 いきなり割って入った信長を、長可は呆然と見詰めた。
 余りにも見え透いていた。
 しかし取り敢えず主命である。
 逆らう場面でも無い。

「承知致しました」

 乱法師は瞳を潤ませ、心の底から信長に感謝した。

「では仲直り致せ。武蔵守は明日には発つ。今度会う時には、それこそ壺に入っているやも知れぬのじゃからな」

 信長に諭され乱法師は素直に長可に手を付いた。

「兄上、生意気な事を申しました。御許し下さいませ」

 長可は大きく鼻を鳴らしたが、父のいない兄弟の長として弟達には彼なりの愛情があった。

「上様の温情に報い、それに甘えず死ぬ気で精進致せ! 」

 兄としての矜持を保ちつつ弟を許す態度を示し、これで場は丸く収まった。

───

 小さな瀬戸焼の骨壺を前にして、乱法師はただただ見詰めるばかりで触れる事さえ無かった。

 遺骨が嘗て親しく言葉を交わした射干の物である事は認識している。

 だが、これは最早射干では無い。
 只の遺骨なのだ。

 本当に彼女が逝ってしまったのだという実感が強く沸き起こる。
 彼の前に据えられるまで、どれだけ彼女の死を胸の内で否定したか分からない。

 なれど否定する材料がもう無い事を、骨壺が彼に知らしめていた。

「そなたの思うように供養してやると良い。射干もそれを望んでいるであろう」

 脱け殻のように虚ろな乱法師に、信長が静かに語り掛けた。

 そう言われても、どうするのが射干にとって最善なのかが分からない。

 彼女の事を余り知らない事に思い至った。
 やはり伴家に任せるのが良いのだろうか。

「三郎や藤兵衛、六助にも相談致します」

 その言葉は半ば無意識に発っせられた。
 彼等は射干の死をまだ知らないのだろうか。

 己の口から伝える時、また彼等と共に悲嘆に掻き暮れなければならぬのかと思うと気が重かった。
 一人で背負うよりは良いのかも知れないが、彼等の哀しむ顔を見るのは辛過ぎる。

「──であるか」

 ぶっきらぼうな信長の口癖が何故か胸に響いた。
 瞳から零れた涙が、ぽつりと手の甲に落ちた。

「う……うう……うう……」

 信長の前で醜態を晒すまいと必死に声を押し殺すが、目の前が涙で白く霞む。

 信長はそんな彼をそっと抱き締め、泣き顔を己の胸に凭れさせ、只黙って頭を撫でてやる。

「私のせいで──射干が──」

「そなたのせいであろう筈が無い。射干は利口な女じゃ。迂闊に斬られたとは思えぬし、詰まらぬ奴に殺られたとも思えぬ。何か為すべき事があったのであろう。それについては知る術は無いが、恐らく為した上で斬られたと儂は考える」

 乱法師は俯けた顔を上げて信長を見た。

 己は悲しみに暮れるばかりであったが、そのような考え方もあるのだと涙が退《ひ》いた。

「為すべき事」

 乱法師は愚かではない。
 射干にとって重要な事であったとしても他の者にとってもそうだったとは限らない。

 それ故に長可にも告げずに出て行ったのだろう。

 彼女にしか為せなかった何かがあったのだ。
 射干はむやみに危険に近付く女ではない。

「乱、そなたは今、何奴が射干を殺め、何故向かう先を告げずに行ったのか知りたいと思っているであろう、が、それは知るべきではないように思う」

「何故にございますか? 」

 乱法師の声は再び震えた。

「射干は為すべき事を為し死んだ」

 信長の言葉が非情に思えた。

「為すべき事を為した上で生きている事は叶わなかったのでしょうか?何故、射干が斬られねばならなかったのか納得出来ませぬ」

「斬られた事が為すべき事であり、何故告げなかったかと言えば、そなたや武蔵守を巻き込まぬ為であろう。相手を知れば、そなたは仇を討とうとする。それは、すべきではない。射干は望んではおらぬ。己が死ぬ事で全てを終わらせたのじゃ」
















 

 
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