人形を愛する国

春野わか

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 毎日、毎日、尾形は自分の心を切り刻んだ。

 抑え難い殺意に襲われる事がしばしばあった。
 もう、いっそこんな苦しみを味わうぐらいならば園田を殺して自分も死のうか。

 だが妻や長女の麗香を置いては逝けない。
 
 彼は夜も朝も恐れた。
 どんなに辛くとも、食事をし風呂に入り夜は寝るというサイクルには従うしかない。

 綾乃は家事を変わらずこなした。
 
 ベランダで洗濯物を手に、ぼぉっとしている妻の後ろ姿に危険を感じ慌てて駆け寄る。

「俺が干すよ」

「ううん……何もしていないと気が変になりそう」

 綾乃の言葉に涙が溢れた。

 彼の心は短針か長針のように3時16分で止まった儘なのに、容赦なく1日1日時が刻まれていく。

チッチッチッチッ──

 秒針の音が眠るな眠るなと毎晩責め立ててくる。

 眠る事にすら罪悪感を覚えた。
 当然十分な睡眠は取れていない。

 長女の麗香には出来る限り傷を負わないように愛美の死について伝えたが、学校で妹は悪い人に殺されたのかと聞かれて以来、頻繁に魘されるようになってしまった。

 両親に挟まれ真ん中で、手を握ってやらないと寝付けない。

 だが、まだ小さく柔らかい手の感触が唯一尾形にとっての生きる支えとなり、なけなしの勇気を奮い起たせる原動力となっていた。

 愛美──

 布団に入り、暗闇の中でじっとしていれば愛美の事を考えてしまう。

 どんなに怖かっただろう。

 恐怖の中、幼い命を奪われた我が子を思うと眠る事さえ罪深く思えた。

 抱き締めた時に触れる柔らかい頬。
 小さな手。
 無邪気に笑う愛らしい声。
 希望に満ちた澄んだ瞳。

 布団の中で声を押し殺し嗚咽する。
 繰り返される悲哀と殺意と憎悪。

 抗えない疲労が彼を不可思議な夢に誘う。
 常に悪夢だった。

 しかし、必ず愛美の姿はそこにあった。
 夢の中では愛美に会える。

 ところが同時に園田も現れ愛美を汚そうとする。
 切り刻む度に悪夢から目覚めるという繰り返しだった。

──


「パパ、サンタさんがプレゼントくれたよ」

 朝、麗香の嬉しそうな声が、虚ろな意識を現実に引き戻した。

「ああ、良かったね」

 だが、今日果たさなければならない重大な責務の事で、尾形の心は再び暗く打ち沈んだ。

「愛美の分もあるかなあ」

 自分だけが貰っていたらという罪悪感と姉としての思いやりが伝わってくる。

「きっとあるよ」

 麗香は仏壇の前に行くと嬉しそうに声を上げた。

「パパ、あったよ!愛美の分も!ちゃんとサンタさん置いてくれてた」

 仏壇に飾られた写真は、一番可愛く撮れていると愛美がお気に入りのものだった。
 
 カメラに向かって楽しそうに笑う──

 尾形は遺影を見つめ、幸せな思い出に暫し耽った。

 今日は公判の為、法廷が開かれる日だった。

 二年前に被害者参加制度が出来てから、法廷で被害者や遺族が加害者に対して証人尋問、被告人質問、論告などをおこなうことができるようになった。

 何も言う事の出来ない愛美の為に何をしてやれるのか。
 傷を負った家族の為に、父親として男として何をすべきか。

 そう考えた結果、尾形は法廷に立つ事を決意した。

 一番重要だと考えているのは心情意見陳述である。
 遺族としての苦しみ、そして何よりも愛美の思いを伝えたい。

 尾形はサンタクロースはいると信じた儘、天国に旅立った愛美の遺影に手を合わせた。

 綾乃が後ろから腕を回し尾形を抱き締めた。
 か細い腕。

 守るべき存在と思っていた彼女から伝わる温もりが尾形を包み込み、逆に守られていると感じた。

「行ってくるよ」

────

 街も電車内も皆がクリスマス気分一色で浮き足立っている。

 幸せそうに笑い合う恋人達。
 幼い子供の手を引く仲の良い家族。

 一年前には気に止める事も無かった風景の中、自分だけが取り残されていると感じた。

 尾形は地方裁判所に向けて足を進めた。

 ───

「尾形さん」

 被害者遺族としての心情意見陳述を行う為に、被害者参加弁護士の声に促され、尾形は立ち上がった。

 大きく息を吸い、顎を上げ真っ直ぐ前を見る。

「愛美は優しい子でした。まだ幼いのに妻を手伝う賢い子でした。父の日にクレヨンで描いてくれた似顔絵は私の一生の宝物です。子供とは不思議なものです。小さな身体に無防備で見るからにか弱い。そのか弱い存在が、私の腕の中で笑顔を向ける度に勇気と大きな力を与えられてきました。もっと一緒にいてやりたかった。愛美が結婚し、自分の手を離れていくまで、ずっと守っていこうと誓っていました。それなのに──」

 尾形は涙ぐみ声を詰まらせた。

『パパ……』

 愛美の声が聞こえた気がした。
 尾形は拳を握り締め、気持ちを奮い起たせた。

「女の子が汚い欲望の犠牲になる事は仕方がないんでしょうか?良くある事だから、目を離した親が悪いんだと世の中には心ない事を言う人間がいます。それなら全ての犯罪に言える事ですが、世の中には悪人がいる。用心していなかったから殺されて当然なんだと、そういう事なんでしょうか?この国は、加害者の人権ばかりで、幼い子供が犠牲になっても再犯を防ぐ為の対策を真剣に考えてはくれない。被害者の側にばかり責務を押し付け、刑務所に入れても、ほとぼりが覚めた頃に出所して悪事を繰り返す。園田は前科者ではないですか。何人もの女の子に傷を負わせた──気を付けろと言うが、そんな人間が近くにいると知らされていたら気を付けましたよ。何処に潜んでいるか分からない危険に怯えながら暮らしていけとでも?善良な人間は常に怯えて暮らし、誰かが犠牲になっても運が悪かったと、女の子だから仕方ないねと納得しろと?特に子供に対する性犯罪は再犯率が高いと聞きます。何故、そうしたデータがありながら野放しにするのか。罪を償い更正させる事が大事なのは頭では分かります。でも──遺族としたら、今!この手で絞め殺してやりたいというのが本当の気持ちです。
一人の人間を更正させる為に、一体被害者が何人必要なんでしょうか!愛美が殺されなければ、その男によって更に犠牲者が生まれていたでしょう。余りにも命を軽視していないでしょうか?人権、人権と叫ぶが、それは加害者の事ばかりだ!遺族や被害者には人権はないのか?愛美は未来を奪われ、此の世にはいないから、どうでもいいのか!法とは、人々の健全な暮らしと命を守る為のものではないのですか?それなのに、この国は真剣に国民を守ろうとはしてくれない」

 尾形は手元の紙を見ずに話し続けた。

「愛美が何を望むかずっと妻と一緒に考えてきました。夢の中で愛美が言っていました。愛美は……愛美は……お友達を助けてあげて……と。愛美は小さな体で命懸けで園田の暴挙を食い止めたんだ!お前はずっと檻から出て来る事は出来ない。例え死刑は免れても、二度と女の子を傷付ける事は出来ない。男の力は弱者を守る為のものであって弱者をいたぶる為のものじゃない!お前は社会の中で最も弱い者にその力を向けたクズだ!愛美のような小さな女の子が持つ優しさと勇気がお前にはないのか!愛美はお前にとって都合の良い人形じゃない。泣き叫んだから殺しただと?当たり前だろう!!人間なんだ!人間なんだ!血の通う人間なんだよ!! 」

 最後の方は絶叫していた。
 尾形は息を整え、勇気を振り絞って訴えた。

「──二度と愛美のように、幼い子が殺されるような悲劇があってはならない。一人の女の子の死が、この国を変える力となって欲しい。小さな女の子にも、この国を変える力があるんだ!愛美の死を無駄にしないよう私は遺志を継ぎ、他の子供達を守る法を成立させる為に訴えていくつもりです。このような悲劇が繰り返されない事、それが愛美の願いであり、私達遺族の願いです! 」



                   完
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