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本編

最終話_待ち続けた男の瞳

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葉月ハヅキ宅から外出した影斗エイト蒼矢ソウヤは、バイクで少し国道を走らせ、川幅の大きな河川敷へ辿り着いていた。
バイクを停めると少し散策しながら歩き、アーチの美しい陸橋の見える、景色の良いところで二人並んで腰を下ろす。
「体、キツくないか?」
「大丈夫です。…そもそも痛みがあったらバイク乗ってませんよ」
事あるごとに脇腹の辺りを眺めてくる影斗へ、蒼矢は息をつきながら笑みを返した。
「折角リフレッシュしようって、景色のいいところに来たのに…、さっきからその話ばっかりですね」
「あ? あぁ、まぁ」
「心配し過ぎです」
「いや…それだけじゃねぇしさ。…リンのこととかも含めて」
「…そうですね…」
そう少し遠慮がちに漏らす影斗の横顔を見、視線を足先へ落とした。
[マダラ]との一戦を終え、週が明けてから数日後、怪我の痛みが引いてきてようやく大学へ顔を出せるようになった蒼矢を真っ先に襲ったのは、"違和感"だった。
二度目となる1,2年生の合同研究で、蒼矢のグループの人数が5人・・になっていた。
誰かが欠けたわけではなく、学部の1年生の数が2年生より元からひとり足りなかったためだということだった。
戸惑いながら確認し、説明を受けても納得していない様子の蒼矢へ、友人の川崎カワサキ沖本オキモトは眉を寄せ、同グループの1年生2人もぽかんとした面持ちで彼を見やっていた。
念のため学生課にも問い合わせてみたが、この年に入学した1年生で、休学になっている者や復学した者はいないと、首を傾げながら回答された。
「…誰も、彼のことを覚えていない…というか、存在したこと自体が無かったことになってました」
「"幻惑"のせいかもしれねぇな。あいつが関わった人間は、あいつを知った時点でその前後の記憶を書き換えられてた。で、いなくなったらその部分が頭からすっぽり抜けちまったと」
「書き換えの必要になった時期が元の記憶ごと消えて、あやふやになっているようでした」
「少なからず被害は残ったってわけか。まぁたいした悪影響はねぇと思うけどな。…あいつが直接手を下した件・・・・・・・・、以外は」
「…俺たちの記憶が消えてないのは、『セイバー』として接触したからでしょうか。それとも…彼の最期を見たからでしょうか」
「…さぁな、わかんね」
考察を試みる蒼矢を置き、影斗は投げるように話題を締めると、河川敷の草むらに寝転がった。
そのまま目を閉じ、深く息を吐き出す影斗へ、蒼矢は視線を注ぐ。
「――先輩は、立羽タテハに何か言われたんですか?」
ぽつりと呟かれたその質問に、影斗は片目だけを彼へ向ける。
「…何かって?」
「その…、彼が先輩に対して特別な思いを寄せていたような、…少し執着しているように見えたので」
蒼矢は、鱗に攻められた時に彼が口走った言葉、『転異空間』へ転送する直前の彼の影斗への言葉、そしてその場面場面で彼が表出していた面差しの、それら一つひとつを思い出していた。
…立羽は、影斗先輩に"恋愛対象"としての、好意を寄せていたんじゃないだろうか。
「――だったら、お前はどう思う?」
「え?」
気の抜けた声が漏れた蒼矢を、いつの間にか影斗はにやりと笑いながら見上げていた。そして、彼の腕を引っ張って姿勢を崩す。
「なんだなんだ、鱗に妬いてんのか? お前」
「!? 何でそんな話にっ…ちょっ、やめて下さい、汚れるっ…!」
「女にも男にもモテる俺が、誰かに取られちまわねぇかって不安なんだろ? 隠すなって」
「いっ…! そんな、こと…」
転がされて頭を草むらに軽く打ち、思わず目をつぶって瞼を開けると、その一瞬暗転した間に影斗の身体が上から覆い被さっていた。
「…そんなこと?」
少しハスキーな低い声が耳に響く。
数秒前までの揶揄からかうような空気はかき消えていて、静かな面差しが真上から見下ろす。
「そろそろはっきりさせねぇか? 俺たち」
「…? せんぱ…」
「先輩じゃねぇよ。俺は、自分を"先輩"だって思ったことねぇし、お前のことも"後輩"だとは思ってねぇからな。初めて会ったお前の入学式の日から、一度も」
「…っ」
口をつぐみ、思わず息を飲む大きな瞳を、奥二重の涼やかな瞳が正面から見つめる。
「出会った時から、お前が好きだ。ダチンコとか、仲間とか、そういう類のもんじゃねぇ。お前を、俺の恋人にしたい。そういう"好き"だ。わかるよな?」
「……!」
影斗は蒼矢の眼鏡を外し、目を見張るその頬を、唇を、優しく撫でる。
「4年半、ずっと好きだった。もう俺は十分待った…お前にとって、俺は何だ?」
愛おしさの滲み出る眼差しが、少しずつ蒼矢へ近付いていく。
「今ここで、お前の答えを聞かせろ。蒼矢」

長い陸橋を電車が越える音が、遠くに聞こえていた。


― 終 ―
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