11 / 21
【11】旧い神話
しおりを挟む
警備や諸々の都合もあり、本屋を含めた街の視察は一週間後にねじ込まれた。
もともと、表向きは蜜月ということで領都の外へ出る仕事を抑えた時期である。そのため調整は容易だとグレイオットは言っていたが、その真偽についてマイロナーテが知る手段はない。
――そして、視察当日。
目的の店は大きな三階建ての建物で、うち一階部分を広々と占有していた。
薄暗い店内の入口から所狭しと並べられた本棚には古本がぎっちりと並び、溢れた本は積み重なっている。
よく見れば、店の奥の奥に新本のコーナーが設けられていた。
市井の店舗で取り扱える程度のものとはいえ、本そのものはまだまだ高級品に分類される。
それでもここまでの数が揃っているのは、店主の力か辺境伯領の領都という立地ゆえか。何にせよ、素晴らしいものだ。
「まあ……すごい、実家の書庫よりも豊富そう」
「光栄でございます。もちろん、貴族の書庫には質という点では決して敵いませんが……これらの豊富な書物はご領主様の治世のたまものにございます」
「最近は物流も安定しているからな。国外から入ってきたものは?」
「はい。こちらに――」
マイロナーテは、はしたないと思いつつも店内中にきょろきょろと視線を巡らせてしまう。
夜会用のドレスを誂えるため王都のメゾンに足を運んだことなら何度かあるが、雑多な街の店に足を踏み入れたのは初めてなのだ。
視察で街を訪れることもあるグレイオットは慣れたもので、挨拶もそこそこに店主と話を進めている。
若き辺境伯グレイオット・クラウデンが爵位を継承したのは、ヨルド子爵家の娘との結婚が決まった昨年ではあるが、領主代行として手腕をふるいだしてからはもう十年になるらしい。
その十年前に何があったかというと、前辺境伯夫人――つまりグレイオットの母――が、病に倒れたのだ。もともと身体が強くなかった彼女は、三人の娘とひとりの息子を産んでから更に体力が落ちてしまった。
それからは愛妻家であった前辺境伯――グレイオットの父――は、妻の体調が気がかりで仕方なく、次第に息子へ執務を押し付けるようになった。
勉強中にも関わらずどんどん積み重なっていく仕事に埋もれつつ、周囲の大人たちの助けも借りてグレイオット少年は目の前の仕事に食らいついた。
そうしてがむしゃらに突き進むこと十年、ようやく息子が未婚なことに気がついた前辺境伯が持ってきた縁談相手が、ヨルド子爵家だった。
グレイオットと雑談を重ねたマイロナーテが聞いた事情は、この程度である。
なお、前辺境伯夫妻は、別邸で静かに暮らしているらしい。伝聞系なのは、マイロナーテが彼らと話せたのは、結婚式で挨拶をした一度きりだからだ。
ヨルド子爵家が選ばれたのは秘密の恋人などの事情を押し付けやすい家格だから――と思っていたが、辺境伯家の事情を鑑みれば案外ただ適当に選んだだけなのかもしれない。マイロナーテは最近そんなことを思うようになった。
なにせ、結婚式から二週間近く経っても、グレイオットに恋人がいる気配はまったく見えてこないのだ。
マイロナーテが卑屈さからうがって見てしまうだけで……この心配は、思い過ごしの可能性が非常に高くなってきた。
うまく欺かれているだけという可能性は、この際横においておく。マイナローテは、他人の機微に特別敏いわけではないと自覚している。
しかし、それなりに身近にいる相手を欺きつづける労力は、随分と骨が折れるだろう。大抵どこかでボロがでるはずである。
「――マイロナーテ、気になる本でも?」
「あっ………………あの、読めない文字が気になって……」
「……ああ、これは芸術都市に接する海を挟んだ国の文字だったか? 俺も読むことはできないが、この形に見覚えがある」
「ええ、はい。そちらは、そのような触れ込みのものにございます」
マイロナーテがぼうっと考え事をしていたことを、目についた本で誤魔化したら、思いがけず面白そうなものを見つけてしまった。
店主いわく、その本は遠い国の旧い神話の本らしい。
表紙はシンプルな装丁の革だが、ぱらりとめくれば優れた職人が施したエングレービングによる、緻密で壮大な挿絵がふんだんに使われていることがわかる。
「――――――あら、ミモザ……」
数多の神が登場するその神話の中に、女神にミモザの冠を捧げる男神の挿絵が目に入った。ミモザを中心にしたその冠は、カスミソウやカモミール……その他にもマイロナーテの知らない植物が編み込まれている。
文字が読めないため想像でしかないが、これはおそらく女神への求婚シーンだ。
隅から隅へと視線を動かし、それでも挿絵から目が離せないマイロナーテは、ぽつりと言葉をこぼした。
「………………すてきね」
「……そうか。店主、この本をもらおう。ユフィータ、あとは頼んだ」
「かしこまりました」
マイロナーテが緻密に描かれた挿絵を指でそっと撫でると、凹版画特有のインクの感触が伝わってくる。
挿絵そのものは芸術都市でつけられたものかもしれないが……遥々と海を渡って来た旧い神話に、目を閉じて思いを馳せた。
もともと、表向きは蜜月ということで領都の外へ出る仕事を抑えた時期である。そのため調整は容易だとグレイオットは言っていたが、その真偽についてマイロナーテが知る手段はない。
――そして、視察当日。
目的の店は大きな三階建ての建物で、うち一階部分を広々と占有していた。
薄暗い店内の入口から所狭しと並べられた本棚には古本がぎっちりと並び、溢れた本は積み重なっている。
よく見れば、店の奥の奥に新本のコーナーが設けられていた。
市井の店舗で取り扱える程度のものとはいえ、本そのものはまだまだ高級品に分類される。
それでもここまでの数が揃っているのは、店主の力か辺境伯領の領都という立地ゆえか。何にせよ、素晴らしいものだ。
「まあ……すごい、実家の書庫よりも豊富そう」
「光栄でございます。もちろん、貴族の書庫には質という点では決して敵いませんが……これらの豊富な書物はご領主様の治世のたまものにございます」
「最近は物流も安定しているからな。国外から入ってきたものは?」
「はい。こちらに――」
マイロナーテは、はしたないと思いつつも店内中にきょろきょろと視線を巡らせてしまう。
夜会用のドレスを誂えるため王都のメゾンに足を運んだことなら何度かあるが、雑多な街の店に足を踏み入れたのは初めてなのだ。
視察で街を訪れることもあるグレイオットは慣れたもので、挨拶もそこそこに店主と話を進めている。
若き辺境伯グレイオット・クラウデンが爵位を継承したのは、ヨルド子爵家の娘との結婚が決まった昨年ではあるが、領主代行として手腕をふるいだしてからはもう十年になるらしい。
その十年前に何があったかというと、前辺境伯夫人――つまりグレイオットの母――が、病に倒れたのだ。もともと身体が強くなかった彼女は、三人の娘とひとりの息子を産んでから更に体力が落ちてしまった。
それからは愛妻家であった前辺境伯――グレイオットの父――は、妻の体調が気がかりで仕方なく、次第に息子へ執務を押し付けるようになった。
勉強中にも関わらずどんどん積み重なっていく仕事に埋もれつつ、周囲の大人たちの助けも借りてグレイオット少年は目の前の仕事に食らいついた。
そうしてがむしゃらに突き進むこと十年、ようやく息子が未婚なことに気がついた前辺境伯が持ってきた縁談相手が、ヨルド子爵家だった。
グレイオットと雑談を重ねたマイロナーテが聞いた事情は、この程度である。
なお、前辺境伯夫妻は、別邸で静かに暮らしているらしい。伝聞系なのは、マイロナーテが彼らと話せたのは、結婚式で挨拶をした一度きりだからだ。
ヨルド子爵家が選ばれたのは秘密の恋人などの事情を押し付けやすい家格だから――と思っていたが、辺境伯家の事情を鑑みれば案外ただ適当に選んだだけなのかもしれない。マイロナーテは最近そんなことを思うようになった。
なにせ、結婚式から二週間近く経っても、グレイオットに恋人がいる気配はまったく見えてこないのだ。
マイロナーテが卑屈さからうがって見てしまうだけで……この心配は、思い過ごしの可能性が非常に高くなってきた。
うまく欺かれているだけという可能性は、この際横においておく。マイナローテは、他人の機微に特別敏いわけではないと自覚している。
しかし、それなりに身近にいる相手を欺きつづける労力は、随分と骨が折れるだろう。大抵どこかでボロがでるはずである。
「――マイロナーテ、気になる本でも?」
「あっ………………あの、読めない文字が気になって……」
「……ああ、これは芸術都市に接する海を挟んだ国の文字だったか? 俺も読むことはできないが、この形に見覚えがある」
「ええ、はい。そちらは、そのような触れ込みのものにございます」
マイロナーテがぼうっと考え事をしていたことを、目についた本で誤魔化したら、思いがけず面白そうなものを見つけてしまった。
店主いわく、その本は遠い国の旧い神話の本らしい。
表紙はシンプルな装丁の革だが、ぱらりとめくれば優れた職人が施したエングレービングによる、緻密で壮大な挿絵がふんだんに使われていることがわかる。
「――――――あら、ミモザ……」
数多の神が登場するその神話の中に、女神にミモザの冠を捧げる男神の挿絵が目に入った。ミモザを中心にしたその冠は、カスミソウやカモミール……その他にもマイロナーテの知らない植物が編み込まれている。
文字が読めないため想像でしかないが、これはおそらく女神への求婚シーンだ。
隅から隅へと視線を動かし、それでも挿絵から目が離せないマイロナーテは、ぽつりと言葉をこぼした。
「………………すてきね」
「……そうか。店主、この本をもらおう。ユフィータ、あとは頼んだ」
「かしこまりました」
マイロナーテが緻密に描かれた挿絵を指でそっと撫でると、凹版画特有のインクの感触が伝わってくる。
挿絵そのものは芸術都市でつけられたものかもしれないが……遥々と海を渡って来た旧い神話に、目を閉じて思いを馳せた。
0
あなたにおすすめの小説
冷徹公爵の誤解された花嫁
柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。
冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。
一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。
身を引いたのに、皇帝からの溺愛が止まりません ~秘された珠の還る場所~
ささゆき細雪
恋愛
五年前、内乱の混乱のなかで姿を消した最愛の妃・白瑤華(はくようか)。
彼女を失った皇帝・景玄耀(けいげんよう)は、その後ただ一人を想い続けながら執務に追われていた。そんなある日、書類に彼女の名前を発見し、居ても立っても居られなくなる。
――死んだはずの彼女が、生きている?
同姓同名かもしれないが確かめずにいられなくなった彼は地方巡察を決行。そこで、彼によく似た幼子とともに彼女と再会、地方官吏として働く瑤華と、珠児(しゅじ)を見て、皇帝は決意する――もう二度と、逃がさないと。
「今さら、逃げ道があると思うなよ」
瑤華を玄耀は責めずに、待ちの姿勢で包み込み、囲い込んでいく。
秘された皇子と、選び直した愛。
三人で食卓を囲む幸福が、国をも動かすことになるなんて――?
* * *
後宮から逃げ出して身を引いたのに、皇帝の溺愛は止まらない――これはそんな、中華風異世界ロマンス。
ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています
紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、
ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。
「もう君は、僕の管理下だよ」
退院と同時に退職手続きは完了。
住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。
外出制限、健康管理、過保護な独占欲。
甘くて危険な“保護生活”の中で、
私は少しずつ彼に心を奪われていく――。
元社畜OL×執着気味の溺愛社長
囲い込み同棲ラブストーリー。
虐げられた私、ずっと一緒にいた精霊たちの王に愛される〜私が愛し子だなんて知りませんでした〜
ボタニカルseven
恋愛
「今までお世話になりました」
あぁ、これでやっとこの人たちから解放されるんだ。
「セレス様、行きましょう」
「ありがとう、リリ」
私はセレス・バートレイ。四歳の頃に母親がなくなり父がしばらく家を留守にしたかと思えば愛人とその子供を連れてきた。私はそれから今までその愛人と子供に虐げられてきた。心が折れそうになった時だってあったが、いつも隣で見守ってきてくれた精霊たちが支えてくれた。
ある日精霊たちはいった。
「あの方が迎えに来る」
カクヨム/なろう様でも連載させていただいております
狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します
ちより
恋愛
侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。
愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。
頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。
公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。
十年越しの幼馴染は今や冷徹な国王でした
柴田はつみ
恋愛
侯爵令嬢エラナは、父親の命令で突然、10歳年上の国王アレンと結婚することに。
幼馴染みだったものの、年の差と疎遠だった期間のせいですっかり他人行儀な二人の新婚生活は、どこかギクシャクしていました。エラナは国王の冷たい態度に心を閉ざし、離婚を決意します。
そんなある日、国王と聖女マリアが親密に話している姿を頻繁に目撃したエラナは、二人の関係を不審に思い始めます。
護衛騎士レオナルドの協力を得て真相を突き止めることにしますが、逆に国王からはレオナルドとの仲を疑われてしまい、事態は思わぬ方向に進んでいきます。
十年間虐げられたお針子令嬢、冷徹侯爵に狂おしいほど愛される。
er
恋愛
十年前に両親を亡くしたセレスティーナは、後見人の叔父に財産を奪われ、物置部屋で使用人同然の扱いを受けていた。義妹ミレイユのために毎日ドレスを縫わされる日々——でも彼女には『星霜の記憶』という、物の過去と未来を視る特別な力があった。隠されていた舞踏会の招待状を見つけて決死の潜入を果たすと、冷徹で美しいヴィルフォール侯爵と運命の再会! 義妹のドレスが破れて大恥、叔父も悪事を暴かれて追放されるはめに。失われた伝説の刺繍技術を復活させたセレスティーナは宮廷筆頭職人に抜擢され、「ずっと君を探していた」と侯爵に溺愛される——
【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。
朝日みらい
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。
宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。
彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。
加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。
果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる