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プロローグ〜開幕〜

第六話

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「たっだいま~……」

 秋花が朝食を食べている時、会議に参加していた菫と七が疲れた様子でちょうど部屋に戻ってきた。

「お帰りなさい」
「お嬢!! 起きたんだねー! 今日も愛らしい!!」

 障子を開けて秋花を見るなり、菫は疲れが吹っ飛んだように彼女に飛びついた。食事真っ只中の秋花に抱きつき、頬擦りまでして邪魔するも、慣れた様子で秋花はあしらう素振りもなく、そのまま朝食の卵焼きを頬張った。

「会議お疲れ様です」
「もう嫌だった! 険悪もいいとこ! それにあんなとこにお嬢を出せとか言う馬鹿がいたせいでクソジジイがその気になっちゃって、大変だったんだから!」
「ホント、冷や冷やしたわ。あのまま引き下がらなかったらどうしようかと思った」

 そう深いため息を吐いて肩に入った力を抜きながら、七が後ろ手で障子を閉めようとした、その時だった。

ガシッ!

「!!」

 何かの力が邪魔して、障子がびくりとも動かなくなった。異変に気づいた七が咄嗟に振り返ると、そこには障子の端をガッツリ掴む男の手が見えた。

「ふーん、やっぱり」
「お前は!」

 気配もなく姿を現した恵那和に、妖達は騒然とし始めた。なんせ、野良の妖が屯するこの部屋に、好んで神が近づくことなどあり得ないからだ。
 それも天照大御神の子息ともあろう神が、武装も護衛も付けずに身一つで足を踏み入れているのだ。正式な訪問ではなく、彼の独断の行動であることに間違いなかった。

「これはこれは……恵那和様ではないですか。こんなところに何の御用でしょう?」

 他の妖達が状況に混乱している中、菫だけは違った。彼女だけは冷静さを保ち、作った笑顔で恵那和の前に立った……秋花の存在を隠すように。

「ここは我々の休憩場でございます。貴方様のような高貴なるお方が易々と来て良い場所ではございません」
「退け」
「は!? ちょいとお待ち!」

 しかし、恵那和は菫に見向きもせずに彼女を押し退けて、秋花の前で立ち止まった。
 面をつけようとした彼女の腕を掴んで面を取り上げると、彼は静かに言った。

「やはり、君は人間だったのか」

 怒っている様子ではない。もちろん、喜んでいるわけでもない。ただ知っている事実を確認するように、彼は天狗界で人間を目の前にしても眉ひとつ動かさなかった。

______人間が神の領域に踏み行ってはならない。

 それは誰しもが、呼吸をするかの如く当たり前のように思っていることだろう。故に神と人との住む世界に境界が敷かれ、今日までその境界は守られて来たのだ。
 境界の向こう側に住む見えない絶対的存在に、人間は敬意を払い信仰し続け、神はそんな人間を管理し、六道の均衡を保って来た。

 本来、神は人間の信仰により作られ、信仰され続ける限り生き永らえるとされる。ならなぜ、神は神の祖たる人間を管理下に置き、境界を引くことになったのか_____。

 人間の性質を理解していれば取るに足らない疑問であり、領域を犯した人間を神が裁く理由も頷ける。

「返してください」
「この面で人間の気配を誤魔化したか。通りで妖の気配が頭部からしか感じられないわけだ」
「天照大御神に報告しますか?」
「それは君次第だ」
「お嬢から手を離して頂けますか?」

 秋花の腕を掴む恵那和の手首を掴み、輝が仲裁に入った。笑顔で丁寧な断り方をしているが、表情には怒りが満ち溢れ、血管が浮き出ている。彼の様子を見て、他の妖達は内心、衝動的に腕を吹き飛ばさなかっただけよく我慢したと思った。
 そして恵那和も、状況を察して静かに秋花から手を離した。

「野良が人間にここまで従順になるとは面白い。契約か、それとも呪術でも使ったか」
「従属じゃない。みんな、私の家族です」
「それは失礼。しかし、従属だろうと家族だろうと、妖と人間のここまでの強い結びつきを神が見逃すと思うか?」
「大御神に報告するのならご随意に。その代わり、百足の委託は契約の続行が不可能となった旨を僧正坊様にご報告致します」

 恵那和の脅迫を諸共せずに、秋花は淡々と言った。
 僧正坊はともかく、百足が絡めば彼であっても簡単に動くことができないことを理解した上での的確な言い返しだった。
 僧正坊が神の管轄下である人間に、勝手に手を出した事で彼の非を責める機会ではあるものの、今ここで動けば百足の件を逆手に取られて打つ手がなくなる。

「それは困った。今大御神に報告するのは、お互いにメリットがない……ならば、一先ずは見て見ぬふりをするとしよう。その代わり、少し君と話がしたい」
「そろそろ当番の交代時間なので、それまでならいいですよ」

 僧正坊がここ数年、百足の件に関して高を括っていたのはこの野良達……延いてはこの娘の存在。この娘が僧正坊とどれほどの関係なのかを見定め、こちら側に引き込み利用した後、娘諸共大御神の前に差し出しても遅くはないと、恵那和は目論んだ。
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