フジの数え歌

小烏屋三休

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 しかし現実は当然甘くなかった。西のはずれの区画には、人が通ることが滅多になかったのだ。少なくとも開店準備中は墓地のような静寂に包まれていた。そしてどういう偶然か、向かいの紫色のテントはフジと同業の、占いだった。相手のテントはフジたちのものより若干大きく、外からちらりと見えた限りでは中の机には別珍の立派な布と、立派な水晶代が置いてある。透かし彫りの看板には大きな文字で、「当たる!恋占い」と書いてあった。一方のフジの白いテントの内はというと、茣蓙ござの上にいくつかの魔法の植物の種と栄養剤、ビーズのアクセサリーが並んで売られている。机代わりに逆さに置かれた木箱と、その上の小さな水晶、フジが持って来た木彫りのイルカの置物が一つ。どれもこれも間に合わせ、といった雰囲気をかもし出している。看板はそこらの板に、ひょろひょろした適当な文字で「魔法の植物の種と、占い(探し物みつけます)」と書かれている。
「看板を書きなおしますか?」
 ニッキが言うので、何枚か木切れを探してきて看板を書きなおしてみたが、どれも良くなかった。ニッキも一枚書いてみたが、ちんまりとした、不恰好な文字になってしまった。
「霧の国の文字にはわたくし、まだ慣れておりませんので……」
 結局、最初の看板を使うことになった。
 小さな店の準備などはすぐに終わってしまったので、フジは最後に変身魔法をかけ、元気のなさそうな中年女性の姿になった。後は客を待つだけだ。
 朝早い時間で、陽が徐々にテントを温めている。まだ誰も来そうにない。そこで二人は向かいの店の主人に挨拶に行くことにした。
 テントの外から声をかけるものの、返事がない。フジは入り口にかけてある布を掻き分け、中を覗いた。留守のようだ。
 ニッキが止めたが、フジは興味が湧いてきてテントの中に入って行った。大陸中央の砂漠地帯で見られる絨毯じゅうたんが敷いてあり、鼻につんとくるお香がかれていた。水晶に触れると、フジのものより一回り大きく、吸い付くような感覚があった。
「フジ様、いけませんよ。泥棒と思われたらどうなさいます。早くおいでください」
 ニッキが急かす。フジはもう少し、と水晶の前の椅子に腰かけて、じっとテントの中を見回した。
 足の指がくすぐったくなったので下を見ると、茶色い、大きい、丸いものが足元でうごめいている。フジは思わず足を蹴り上げた。茶色いものは危ういところで直撃をかわし、少し後ずさってから再びもぞもぞと寄ってきた。
「ニッキ!何かいるよ!」
「フジ様!」
 ニッキがテントに飛び込んでくると、入り口の幕が大きくめくれて光が入り込んだ。その明かりの中で見ると、それは背中にとげがびっしり生えた、ハリモグラだった。灰色のぴょんと尖った口吻こうふんが小刻みに動いて、光から逃れるよう、足元の穴に体を埋めた。
「ここは、あたしの店だよ」
 小さい体に似合わず、ずいぶんと低くざらついた声だった。穴の中から黒い爪と、口吻を伸ばして、再びフジのサンダル履きの足の指の臭いを嗅いだ。
「あん、くすぐったい」
「おばちゃん、占いのお客かい?ここは恋占いの館だよ」
 おばちゃんというのは変身したフジのことだ。少しでも神秘的な感じを出そうとイメージして魔法をかけたためか、精彩を欠いた生白い顔つきになっていた。
「いや、挨拶に……あのぅ」
 フジは勝手に入ったことを詫び、改めて挨拶の言葉を述べようとした。しかしハリモグラはフジの挨拶の途中で話し出した。
「あたしの、トゲ」
「はい……?」
 フジは言葉を止めて、ハリモグラの言葉を待ったが、一向に続きを言わない。フジはどうしたらいいかわからず、あたりを見回したり、椅子から腰を浮かせて座席を見てみたりした。座席に一本、ハリモグラのはりが落ちている。ベージュのはりで、先端が黒かった。これのことかとつまみあげると、ハリモグラがようやく話し出した。
「あたしの、トゲは、カフェオレ色でしょ」
「あ、はい。おいしそうですね」
 ハリモグラは「ふん」と言ったきり、再び穴に顔を埋めてそれきり何も言わなくなった。ずいぶんと変わった性格の持ち主のようだ。フジとニッキは中途半端に挨拶をすると、テントを後にした。ニッキは勝手にテントに入ったフジのことは棚に上げ、ハリモグラが最後まで挨拶をしなかったことを非礼だと憤っていたが、フジはしゃべるのが苦手なのだろうと考えていた。
 それからは、てんで暇になった。フジは使われることのない客用の茣蓙の毛羽を撫でながら、手持無沙汰に客を待ち続けた。やがて、二人も店番は必要ないから、交代で市の散策に行こうとニッキに持ち掛けた。もちろん、ただ漫然と散策するのではなく、店先で自分たちの店の宣伝をする、という任務を抱えて。まずはニッキが出かけた。
 一人でいるとますますやることがない。テントの外で紙屑がカサカサと音を立てて転がるのが聞こえる。ごみ捨て場まであと少しなのにも関わらず、そこまで行くのを億劫がった誰かが、そこらに捨てていったものだった。
 フジは、売り物の魔法の種を指先でいじり始めた。サンプルとして置いてある花は小ぶりで、色も淡い。ニッキはけちって、火を噴く花や色を次々と変える花など、珍しく高価な観賞用植物はサンプルにしなかった。発芽させて鉢に入れてしまうと、かさばって持って帰れなくなるからだ。
 でも、とフジは思った。魔法の種をいくつか成長させて、店を飾ってみたらどうだろうか。きれいな花、香りのいい花、不思議な植物がテントの前に並んでいたら、ここを通る数少ない人が、興味を持つかもしれない。店構えが期待されないだけで、売っているものは悪くはないのだ。開花の魔法なら、ニッキが使っているのを見たことがある。自分程度の魔力であれば、失敗しても何も起こらないか、悪くても種が数個だめになるだけだ。
「確か……」
 目を閉じ、耳を澄ますと、ぼんやりとニッキが開花の魔法をかけている姿が思い出されてくる。
 むぅん、と手を合わせてうろ覚えの呪文を唱えると、急に体が浮いた。驚いて手を振ってバランスをとっていると、どうもズボンのポケットが熱い気がする。ポケットの中に手を突っ込んで中のものを取り出すと、橙色に光る水の石だった。取り出してしまうと石の光は青白く変わった。その光に鼓舞されるように、テントの中の種という種から芽がにょきにょきと伸びてきて、どんどん高くなっていく。そうしてあっという間にテントを突き破ると、いくつかの細い木が絡まり、溶け合うように背丈を伸ばして、一本の巨大なユーカリになった。
 フジは表情を失って、巨木の根元に転がっていた。木の成長が落ち着くと、水の石も光を徐々に失って元通りの色になった。石の力にフジの魔法が触発されて、育成の魔法が度を過ぎてしまったのかもしれない。おそるおそる、元の色に戻った石を指先でつついたが、何事もおこらなかった。フジはそれを再びズボンのポケットにしまいこんだ。
 辺りを見回すと、ユーカリになってしまった種以外のいくつかは、フジの背丈とちょうど同程度の高さの花になった。色も形もまちまちだが、どの花も花びらが妙にぶわぶわと厚い唇のようで、触れたとたんに茎ごと揺れ、けたたましい声で笑い出した。驚いて後ずさって他の花の葉や茎に触れたら、その花もケケケ、と笑い出す。
 それまでフジがいたテントは、ユーカリのてっぺんの方の枝に、ちぎれた茣蓙の半分と一緒にひっかかっている。売り物の入った木箱は近くに転がっていたが、種はすべて発芽したらしく、一つも残っていない。大きな音もしたし、誰かが駆けつけてもいいはずなのに、あいかわらずその区画に人気はなく、向かいのテントの主すら様子を見に出てくることはなかった。フジはふっとんでしまっていた看板を探してきて木に立てかけ、座って店番の続きをした。
 正午を過ぎたころ、ようやく一人だけ人が歩いてきた。赤ちゃん連れの若い母親だったが、ハリモグラに恋占いをしないかと執拗につきまとわれ、迷惑していた。しつこい勧誘を避けるため、反対側にあるこちらの店の方へ移動しながら、きょろきょろと何かを探しているようなので、フジはもしかしたらと思って声をかけた
「探し物ですか?」
 しかし聞いてみると占うまでもない、おむつを替えるために人気のない場所に来て、適当な場所を探しているという。
「よければ、ここを使ってください」
 フジはちぎれて半分だけ残った茣蓙の上でおむつを替えるように勧めた。母親は感謝し、ビーズの指輪を一つ購入して戻って行った。その後は誰も来なかった。初秋の木漏れ日は優しく、まったくのどかだった。やがてニッキが戻ってきた。
 ニッキはしばらくフジの前で立ち尽くし、言葉を探している様子だ。
「おかえり、ニッキ」
「フジ様?こんなところに木がありましたっけ?それに、このぶくぶくした花はどうしたんですの?テントはどこですか?」
「ニッキ、あのね、怒らないで聞いてほしいんだけど。いや怒っても仕方がないんだけど……」
 ポケットの中の水の石の魔力に触発されて、妙な魔法がかかった、と説明した。ニッキが色を失いながらも育った植物を一つずつ確認している間、フジは正座をしてうなだれていたが、ふといいことを思いついたというように、
「でもニッキ、この木だって相当素敵だし、花だって面白いじゃない?全部違う声で笑うよ。売れるんじゃない?」
 と、明るい声を出してみた。
「こんな栄養のない土に一旦根付いてしまったもの、掘り返したら数時間しか保ちません。そんなものを売るなんて、それこそ詐欺ですわ」
 ニッキにぴしゃりと言われた。
「そっかぁ。でも本当に、みんな違う声してるんだよ。試してみてよ……」
 夕風が、ゴミ捨て場から早速一日分の臭いを運んでくる。生ごみもあるが、さびた器具や古いソファまで捨てられていた。そういったものたちの悲しい臭いが漂い流れてきて、フジは眉毛を下げた。そんな風に途方に暮れている間に、宿に帰る時間になっていた。
「フジ様、明日もお客さんが来なければ帰りましょうか。お店の場所代は一週間分払いましたが、宿代がいたずらに消えていくよりも、帰っていつもどおり仕事をした方が良いですわ」
 ニッキがぽつりと言うと、フジは頷いた。
「うん。そうだね……明日も来なければ、そうするしかないよね」
 二人はお互いに言葉少なに、手早く店じまいをして宿に帰った。

 翌日もその区画には客らしい客が来なかった。それどころか、突如育った巨木に対して、運営局からの調査などが入るかと思われたのに、これもなかった。いったい徹底的に忘れられた区画であるようだった。悲壮感が漂う中、閉店間際に最後の占い客が来た。そのとき、薄暮に赤く染まる茣蓙の上には老婆姿のフジ一人だった。午前中は若い女に化けていたのが、客がこないまま店番をするうちにだんだん年を取って、すっかり九十歳を超えたような姿になっていた。背中をまるめて夕焼けに光るユーカリの葉を眺めていた。
 客はウォリウォリの町にも来たことのある、銀糸の刺繍マントの男だった。今度はマントではなく、リボンのたくさんついたシャツに、裾の長い華やかな上衣を羽織っている。上衣もベストもパンツも、すべて桜色で仕立ててあった。まっすぐにフジを見据えて滑るように破れた茣蓙に座った。前回会った時、フジの姿は大男だった。今日は憂いを両肩にどっさりと背負った老婆の姿だ。自分がウォリウォリの占い師だと知れることはないだろう。フジはポケットに入っている水の石にそっと触れた。滴のイヤリングもなければ、お金もない。今はまだ、何も返せるものはないのだ。そ知らぬふりを通すしかない。
 男は長い脚を畳んで茣蓙に胡坐を組み、静かに話し出した。
「やぁ、久しぶり。満月の後に来るようにと君が言ったから、また来たんだよ。虹の市は楽しんでいる?」
 残念ながら、正体がばれている。フジは慌てるあまり、薄笑いを浮かべながらしばし呆けた。そしてポケットの中で石をもてあそんだ。その間も、男は穏やかに何事かを話し続けている。やがて男がフジの応答を待つために言葉を切った。フジは我に返り、声を詰まらせた。
「はい?えー。えっと……」
 そうだ。探し物の話だ。探し物が何かはわからないけれど、満月の後にもう一度占えばわかると告げたのだった。
「ああ、探し物の占いですね」
「前回の続きなんだけれど。お金はたっぷりもってきたよ」
「はあ。では、じゃ、まあ、占いましょう。いーち、にい、さん、し」
 おざなりに目を閉じて、耳を澄ませる振りをした。しかし習慣とは役立つもので、そうしている間に神経が集中してくる。やがて静かに鈴のような音がして、求めているものの在り処がわかってくる瞬間が近づいてくる。
 冷たい水底から何かが浮かび上がるように、確信が心に生まれ、占いの結果がでた。フジは目を半分開き、しゃがれた声で告げた。
「あなたの探し物は、あたしが持っています、とさ」
 言ってみてから、フジは息を飲んだ。男は前と同じように、楽しそうに瞳を揺らした。フジは、ニッキが男のことを見目良いと誉めていた理由がなんとなくわかる気がしてきた。
「ああそう、良かった。それは、さっきからよく手を入れているそのポケットの中にあるのかな?」
「これはだめ!」
 フジはこの姿の老人にはついぞ似つかわしくない軽快さで立ち上がり、そのままもたもたと転んだ。
「それは、わたしのヘメラの耳飾りだったものだね?」
「だめったらだめだよ!」
 男はゆっくりと立ち上がって、距離を詰めてくる。覆いかぶさられるような圧迫感に、フジは石を強く握った。
「ただでくれと言っているわけじゃない。いくら欲しいの?」
「え?買ってくれるの?いくらで?」
 張りつめていた気を緩めた。男は同じ言葉を繰り返した。
「いくら欲しいの?」
 フジはしばし考えた。結局、ウォリウォリでの調べでは相場はわからないままだったのだ。仕方なく思い立った数字の、「五千ゾル」と呟いた。自分は五という数字が好きだなぁと思った。
 男はにっこり笑い、上衣の裾を軽く両手で後ろに払った。手品のように、次の瞬間には両手に一つずつ、重たげな袋を持っていて、片方をフジに渡した。
 フジは袋の重さにたじろいだ。男を上目使いで見ると、男がもう片方の袋もそっと上に積んだ。ずっしりとした重さが伝わってくる。目を見張っていると、上に積まれた袋の口がするすると自分からほどけ、中から金貨が顔を出した。これで五千ゾルあるということか。金貨の束を見るのは初めてだ。
「安売りしちゃいけないよ、小さな魔女さん。わたしの名前はサリーザウィチ。サリーと呼べばいいよ。君がまた水の石を作ってくれると信じて、ヘメラをもう一つ置いていこう。また来月、ウォリウォリの店に行くからね」
 男はきらきら光る石のついた指輪を机に置くと、ユーカリの木陰から出ていった。こんなに色とりどりの光を発するヘメラは初めて見る。
 入り口でニッキとサリーが鉢合わせした。ニッキはまず、サリーのびらびらしたリボンにぎょっとし、次に顔を確認したときにとうとう驚きの声をあげたが、後ろ姿を数秒見送っているうちに消えてしまった。夜霧が出始めていた。
「フジ様、あの男がまた来たのでございますね。わざわざここまで探し当てるとは、ちょっと不気味じゃございませんか?でも、耳飾りがなくなってしまったことについて、きちんとご説明なさいましたか?」
「いやまぁ、これをくれたよ」
 フジはヘメラの指輪をニッキに渡して、何が起こったかを話した。ニッキは卒倒しそうなほどに驚いた。それから二人でお金を数えた。
「なんと、なんと、一万ゾルございますよ。こんな大金をすんなり渡すなんて、怪しい男ですわ」
 ニッキはわななきながら五千ゾルずつ入った袋を手に取り、どこに隠そうかと右往左往した。結局店の中には大した隠し場所もないので、仕方なく自分たちの荷物の下に埋めた。
「海賊かもしれませんわ」
「そうかなあ?」
「でも、その男の人はおばあさんに化けたフジ様が、フジ様だとよくわかりましたわね。この間は、ええと、そうそう、ムラサキシキブの髪の毛の大男だったんですのに」
 真剣な顔で思案するニッキを横に、フジは思い出し笑いで肩を震わせた。
「あの髪の毛と、眉毛ったら、本当におかしかったね」
「フジ様、それどころじゃのうございますよ。もっと真面目に考えてくださらないと。あの男がフジ様を付け回しているんだとしたら、危険かもしれませんもの」
 ニッキがたしなめるも、笑いはますます大きくなり、フジは体を大きくゆすり出した。
「フジ様!」
「うん、うん。でもさ、お金は十分あるから、これで市が終わるまでウォリウォリに帰らなくてもいいね。さっそく明日はお休みして見世物小屋に行かない?」
 とんでもない!とニッキは雷を落とした。無駄遣いなんてもっての他!
 そうして協議の結果、若干の自由時間が毎日の時間割に組み込まれただけで、翌日からもきちんと働いた。働くと言っても、交代で市中に宣伝に行く以外には、店で新聞を読みながら来ない客を待ち続けるだけだったけれど。
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