フジの数え歌

小烏屋三休

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十四

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 翌朝、カリオペ女史は早くに目をさましたので、窓辺で考え事をしていた。ふと気配を感じて、霧の中に目を凝らすと、小さな人影が走って行く姿が見えた。枯葉のように軽いのか、風に流されて飛んでいくような感じだった。
「ややっ。あれは」
 どたばたしながら部屋を横切り、扉を開けると、そこにピムロー審議官が立っていた。
「おはようございます」
 朝五時だというのに、きちんと薄化粧をして澄ましている。用事があるのだろうに、何も言わないで、カリオペ女史の刺繍入りの寝間着を観察していた。
「あんたね、女性の寝間着をじろじろと見るもんじゃないよ。それより、小人が走って行くのを見たよ。海賊について報告があったんじゃないのか」
「ええ。ここにもまだもう一人います」
 ピムローは長い指の中に、大切そうに小人を囲っていた。ガラスの帽子をかぶった小人で、手のひらと同じくらいの背丈だった。
「おお。めずらしいね。どれ、わたしの手においでよ」
 カリオペ女史が太い手を伸ばすと、ピムローは隠すように手を遠くへやった。
「わたし以外には慣れていませんのでね」
 そして手の中を覗き込んで、ヒソヒソと小人と話している。
「ちぇっ。なんだい、見せびらかすように連れてきたくせに。にやにや、するもんじゃないよ」
「見てみたいかと思いまして。これは、動物の扱いが上手な小人でしてね。この小人なら、猛獣にも慣れているので情報官にも怯えないかと」
「失敬な男だ。しかし、どれ、じゃあ、ちょっと見るだけ」
 カリオペ女史が身を乗り出した途端、ピムローは再び手を高く持ち上げた。カリオペ女史はその手を掴もうとしたが、ピムローの動きが素早かったのと彼の方が背が高いので空振りした。
「残念ながら、小人が面会を拒否しております。間近で見ると、情報官の迫力は想像以上だったようですね」
「ええい。そのにやけた顔をどうにかして、さっさと報告しないか。」
 カリオペ女史は頭をむしゃむしゃとかきむしった。ピムローは手の中の小人にさらにヒソヒソと呟いてから、大切そうに小人をポケットに入れて、髪とネクタイを整え、気を付けの姿勢をして話し始めた。
「では、報告します。ビーズの原材料はやはり、あの店の占い師が作ったものでした。魔法をかけて砕けた石をビーズ工場に持ち込んだそうです」
「やはり、そうか」
「驚くべきことに、なんと、あの占い師は女性でした」
 ピムローは重大なことを告げるように声を震わせ、カリオペ女史の反応を待った。しかしカリオペ女史は淡々と聞いているだけで、特に驚いた様子もない。ピムローは肩透かしを食らった気分になったが、報告を続けた。
「そしてその素性は、秋の谷の魔女王の第九子、フジヤマ・デンキテキ姫です」
「ふぅむ!」
 ここで初めてカリオペ女史は唸った。なるほど、秋の谷の王家のものならば、筋もいいはずだ。辺境すぎて名前さえ一般にはあまり知られてこなかったものの、あそこは代々優れた魔女を生み出す土地だという。何らかの方法で険しいオフニ山脈の向こう側に行き来する術を持ち、大陸の北方と国交のある唯一の南方国家でもあった。オフニ山の北側の国々は、魔法の技術がけた違いに発達しているという。しかし、オフニ山に南で接する北方の大国が水に沈み、三年前に秋の谷も沈んでからは、長く連なる山脈に阻まれ、情報がほとんど入ってこなくなってしまった。北方の魔法技術さえ手に入れば、南方の国々はどんなに助かるだろうか。カリオペ女史はもう一度唸った。
 それにしても、フジがあんなに日焼けして顔の造作がわかりづらくなっていなければ、自分だって顔を見ただけで秋の谷の出身者だと気付けたものなのに。秋の谷の、特に王家の人間はつんとした鼻や顎が特徴的だから……。女史が考え込んでいると、ピムローは満足そうな様子で口角をあげて鼻を鳴らした。カリオペ女史は、どんぐり眼でじろりと睨んだ。
「フジヤマ姫は、実兄である香る国のユメハジーム公に保護された後、ここ数年消息を消していました。当初は宮廷内の権力争いの側杖による死亡説もありましたが、ユメハジーム公がそうなる前に国外に逃がしたと考えるのが妥当なようです。虹の市の運営事務局に調べたところ、ウォリウォリのはずれに居を構えているそうです」
「ユメハジーム公……。ニタカ殿下か。殿下は確かに数週間前から失踪中だったね。まだ見つかっていないんだろうね」
「まだです」
「フジヤマ姫のこちらでの宿はわかっているのか」
「はい」
「ここで秋の谷の姫を見つけられるとは、この市での一番の掘り出し物だね」
「秋の谷は沖合にあるため、海賊に荒らされる可能性も低い第三度警戒区画です。対策は後回しになっています。」
「状況は変わりつつある。今後は沿岸地域の警戒を割いてでも、秋の谷に回さなければならなくなりそうだ。そういえば、フジヤマ姫は来年成人だろう。ニタカ殿下の後見を抜けたら、どうするんだろう」
「成人ですか?確かに見た目よりも年齢はいっていますが、それでもまだ今年で、」
 ピムローが年齢の確認のために調査書を繰っている間に、カリオペ女史は言葉を重ねた。
「姫は今数えで十五歳だ。秋の谷では十六歳で成人だ」
 女性というのは、子供のうちから年齢不詳ですね、と頷くピムローに、カリオペ女史はくぎを刺した。
「仮にも姫だからね。変な真似をするもんじゃないよ。言うまでもないが、ね」
 ピムローは神経質そうに耳を動かした。
「ご心配なさらずとも、わたしは年上にしか興味はございませんのでね」
「あれ、だからわたしの寝間着を見ているのかい!まったく油断も隙もないわね。着替えるんだから、出ていきなさい。とっとと宿に行って、改めてご本人にお会いしようじゃないか」
 ピムローは心外だとばかりに勢い込んで何かを言おうとしたが、カリオペ女史が彼にクッションを投げつける方が早かった。顔に直撃したクッションを恨みがましく見つめ、手近な椅子にぽいと投げおくと、部屋を出ていったのだった。
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