フジの数え歌

小烏屋三休

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二十六

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 情報官室には目くらましの魔法がかかっている、という噂があった。そこに入ると、げじげじ眉でヘの字口、怒ると雷様になる情報官が、三割増しにかわいらしく、愛想よく見えるらしい。おそらく、部屋を飾る情報官私物のメモ帳、付箋、クッションなどがピンクなどのかわいい色や柄物であるのと、自分の好きなものに囲まれているカリオペ女史の表情が穏やかになるからだろう。
 しかしピムローは、その噂には懐疑的だった。わざわざ目くらましの魔法を使うくらいなら、身だしなみや立ち居振る舞いを改善すればよかろう。改善の余地は十二分にある。魔法など、かかっているものか。大体、誰に対してめくらましがしたいんだ?周囲に迷惑きわまりないじゃないか。
 ピムローは情報官室の扉の前で、昨日銀色に染めたばかりの髪を両手で整えると、ちょっとしゃれたリズムで四回ノックした。
「おはいり!」
 普通の調子で喋っているのだろうが、どうしても怒声としか形容できない声が返ってくる。カロリーの無駄遣いだ。部屋に入ると、カリオペ女史がメガネをはずしてごしごしと目をこすっているところだった。
「老眼かな……?まったく、もう」
 その姿を見てピムローも同じように目をこすりたくなった。やはり、この部屋には魔法がかかっているかもしれない。メガネをはずしたカリオペ女史の瞳が、円らで、可憐に見える。
「……。髪の色を変えたね」
 女史の大声にピムローは我に返り、報告を始めた。
「ハーテムの喫茶店に居座っていた海賊の件です」
「ふむ。航路がわかったかね」
 女史がテーブルから引っこ抜いたフォークについていた切れ端から、海賊が見ていた海図は海千山千社より出ている。『カメ平野水路』だということが分かっていた。
「まず、目的地は、やはりといいますか、秋の谷です。途中、魔女の島と呼ばれる、静かの国はベリンゴンの町を経由するようですが。ベリンゴンは、御承知の通り、海賊たちに水の石もどきを供給している大元の島です。ここで新たに受け取った水の石もどきで、秋の谷を浮かび上がらせるものだと考えられます。なお、情報官が写し取ったデバイダーの穴の跡から調査し、ベリンゴンまでのイタチザメの航路は割り出しております。奴はすでに霧の国の港を出航しているようです」
 ピムローの渡す資料を、カリオペ女史は机にへばりつくようにして確認した。
「無謀な航路だ。しかし、やはり次の標的は秋の谷だったか。大量に保管されているらしい水の石が狙いだね。これは、すぐに我々も船を出して止めなきゃいかん。しかし、ベリンゴンから先はどういう道筋で行くんだろうな」
 カリオペ女史はチン、と鼻をかんだ。連日遅くまで仕事をしていたため、少々風邪気味なのだった。大量の鼻水が出るので鼻紙に収まりきらず、カリオペ女史は「おっとっと」と言いながら鼻紙を追加で箱から抜き取ろうとしたが、紙はなくなってしまっていた。ピムローは自分の懐から出した新しい鼻紙をカリオペ女史に渡した。香水をしみこませた、光る糸を随所に縫い込んだ自慢の鼻紙だったが、カリオペ女史は一瞥いちべつしただけで無造作に再び鼻をかんだ。
「あっ。もったいない」
  ピムローは思わずそう言って、耳をぴくりと動かした。
「だって、そのためにくれたんだろう?」
  カリオペ女史は鼻紙を折りたたんでとどめの鼻をかんだ。
「そうそう、海賊対策の、水の石を使った魔法の実験がね、成功したよ」
「は?何の実験ですか?」
「おっと失礼、あんたにゃ、まだ伝えてなかったことだね。魔法省が進めている極秘案件だったんだ。本物の水の石を用いて、水面下で活動している精霊を眠らせてしまう魔法になる。精霊さえぐっすり眠ってもらえば、海賊が水の石もどきで精霊を怒らせようとしても無駄骨で、土地は浮かび上がってきやしないってわけさ。この魔法はもともと、北方の国々で行われていた魔法らしいけどね。似たような魔法が、秋の谷で行われたこともあったらしい」
 立場上カリオペ女史が教えてくれないことはたくさんあるが、小人の情報網を持っているピムローは、大抵の情報を収集できていた。しかしこの件に関してはまったく寝耳に水で、自分が全く知らないままに実験が終了までしていたことにピムローは鼻白んだ。彼は最近、小人を持て余すようになっているのだ。従来のように以心伝心の交流ができなくなっている。それというのも、フジヤマ姫の追跡以来、帰ってこない小人が一人いるせいだ。どうも、姫を追いかけているうちに海賊船に一緒に乗りこんでしまったようなのだが、仲間が行方知れずでいるためか、残った小人が反抗的な態度をとったりして、すこぶる働きが悪い。さぼったりいい加減な調査をしたりして、情報収集がはかどらない。ピムローは袖口のレースをいじくりながら、耳をぴくぴくと動かし続けた。
「精霊が覚醒したときに、土地はどうなるのでしょうか」
「うむ。まず、これまでの南大陸の水没被害から統計的にみると、土地の一番長い水没期間は三百五十年程度だ。ただこれは稀なケースで、たいていは三年から七十年で水から上がってくる。七十年の間、静かに沈んでいた地域が、無傷で、つまり人が生きている状態で浮上する確率は四割。三年の場合は一分、百五十年の場合は七割だ。海賊行為や地震などの邪魔がまったくない場合、長く沈んでいる方が、無事に浮かび上がる可能性は高い。そして、この魔法を使った場合の精霊の活動停止時間はおよそ百年。ぐっすり眠って起きた時には精霊も落ち着いて、即座に自然に土地を放してくれるんじゃないか。あくまで可能性の話になるが。幸い秋の谷には地震がない。百年の時間稼ぎの間に、新たな海賊対策をしていこうじゃないか、とこういう話」
 カリオペ女史は分厚い資料集をピムローの前に積み上げた。それが魔法省の研究レポートのようだ。
「やれやれ。これまで、秋の谷が海賊に浮上させられる前に、何とかして、保管されているだろう水の石を押収、運搬するかってことに焦点を合わせて話が進んでたけど、もうそういった話題はなくなるでしょう。沈んだ地域に眠る人々は安心だわね。後は無事に浮かび上がってこられるかどうかは、天に任せるのみ。ただ、精霊の眠りは長くなる。水没から逃れた人々が存命中に故郷に帰れる機会はなくなるだろう。だから、まあそれでいいかどうかを国の代表者にでも承認してもらってから、実施していかにゃならん」
「では、ユメハジーム公に判断を仰ぐのですね。フジヤマ姫同様、失踪中なのを探し出さなければなりませんな。しかし、本当にあの人物が国の代表者でいいのか、疑問は残ります」
 ピムローの耳は小刻みに動き、止まる気配がない。
「うむ、あんたの耳は、実に不思議だ。わたしにはそんな風に耳を動かすことはできない。どうなってるのか、ちょっと見せておくれよ」
 カリオペ女史が身を乗り出したので、ピムローは慌てて一歩退いた。バランスを崩した女史は、手を机について、星の模様の筆立てを派手に倒した。
「情報官。耳を見るなら有料ですよ」
「じゃ、いいや。まだそれに金を払う気持ちにはなりません。ええと、何の話だっけ?ま、こんなこと、たとえ王様だからといって一人で決めていいというわけではなかろうがね。しかしこのケースは、早くに決めなければ、いずれ海賊か、どこかの強欲な国に荒らされるだけだからさ。唯一の王位継承者のフジヤマ姫か、姫の後見であるニタカ殿下にご判断を仰ぐしかないじゃないか。まったく、この兄妹は二人そろって、それぞれてんでばらばらなところに失踪中とは、仲が良いんだか悪いんだか」
「海賊が秋の谷を浮上させた後に奴らを蹴散らせば、水の石はすべて我々のものになりますね」
 ピムローは赤い唇と目を三日月型に笑わせた。ピムローの母親は、首都から遠く離れたクーロンの町に住んでいる。そこの隣町が先年突如として水に沈んでしまってから、クーロンもいつ沈むかわからないとして、住民に避難勧告が出されている。母親はあこぎな地主で、派手に飾り立てた屋敷に暮らしているのだが、こちらに呼び寄せるとなるとピムローの小さなアパートに同居することになる。母親は息子の小さな部屋に住むのも、自分の所有地をあきらめるのも嫌だと言い張った。そこで町で頑張り続けて、水対策をもっとするように国に嘆願書を書き続けている。ついでに息子にも日々の憤懣を書き連ねている。
 今日もピムローには母親からの長い手紙が届いていた。返事を出さないとたいそうお冠になるので、ピムローも気が進まないながらも手紙を読まざるを得ない。曰く、借地人たちが賃料を納めずに避難していくが、これは恐ろしい罪であるから、きちんと処罰されるべきであるとのこと。母が飼っている、村で一番の早鳴きの鶏、実際のところほぼ真夜中に鳴くため、老いぼれて体内時計がおかしくなっているとピムローには思われるのが、最近死んだとのこと。だが、これは実は死んだのではなく、逃げていく際のどさくさのうちに借地人に殺されたということ。鶏は死ぬ間際に「コケッコー。全部、魔女様のせいだ」と騒いだこと。それを魔女に聞きつけられたか、家畜小屋の屋根が台風の日に飛ばされてしまったこと。そのほか、薪にも不自由しているから寒くて足の人差し指の先が痛いこと、誰も掃除してくれない部屋の灯のかさに虫が溜まっていることなどが、つらつらと綴られていた。察するに、最初は首都での同居を断ったものの、一人、また一人と町の住人が去っていく状況にだんだんと心細くなってきて、もう一度息子に同居を申し出てもらいたいようだ。しかし、ピムローの方でも気ままな一人暮らしをしているものを、母親と狭い室内で遠慮しながら暮らすのは気が進まない。当初に同居を申し出て断られたことを免罪符として、以後は巧みに話をかわしている。
 霧の国が秋の谷の水の石を押収すれば、余剰の石を使ってクーロンの町の水対策もしてくれるかもしれない。まあ、それはさすがに都合が良すぎるだろう。それにしても、秋の谷という、水の魔法に関して重要な場所が浮かび上がれば、調査のために赴任になる可能性が高い。そうなれば、任地に新しい部屋を用意してもらい、母親を現在自分が住んでいる家に呼べばよい。めでたしめでたし、とりあえず同居の危機は解決だ。ああ、とっとと秋の谷が浮かび上がればいいと、寝る前などに考えていたのだ。
「馬鹿もん。それじゃまるっきり海賊と一緒だ。国連憲章の三番目を言ってごらんなさい」
 カリオペ女史が渋い顔でピムローに迫った。ピムローは内心舌打ちしながらも、思い出そうとするそぶりもみせず、淀みなく文言を口にした。
「経済的、社会的、文化的または人道的性質を有する国際問題の解決につとめること、です」
「その通り。ただし、国連議長がアライグマのテゴッシー氏になってからは、人道ではなくて生物道と改訂されている。つまり、生物道にもとる行為を見逃さない、ということ。秋の谷に沈んだまま眠っている人々を、自国かわいさに台無しにするなんて、非道なことは許しません」
「その通りです」
 しゃあしゃあと頷くピムローを、カリオペ女史は胡散臭げに見やって、机を指先でこつこつと叩いた。
「いったい、あんたは何が楽しくってそうしょっちゅう薄笑いしてるんだか。まあいい、ニタカ殿下がどうしても見つからないなら、未成年でもフジヤマ姫に判断してもらうことも考慮しよう。都合良くイタチザメの船にいまだに乗船していたら、探す手間が省けるんだが。海賊は女性を乗船させるのを嫌うから、どうだろう」
 カリオペ女史は棚から「カメ平野水路」を出し、机に広げた。その地図には、魔女の島と言われる旧ベリンゴンの町も載っている。
「そうか、ベリンゴンから秋の谷へか。ふむ、ふむ。ただでさえ精霊のいる沈んだ水域に囲まれて危険な上、ベリンゴン周辺は島をとりしきるヤガーの強い結界がかかっていることが予測される。許可された者以外はおいそれと入れないようになっているに違いない。これはしかるべき救出船を用意しなきゃだが、ただいまそれが軍に残っているかな」
 カリオペ女史は早速受話器を取ると、内線電話をかけた。思い立ったら早急に行動をとることが原則なのだ。
「なに!?すべて予約済みで貸せる船はないだと?ゲッポがあるじゃないか。ゲッポをよこしなさい。……。ふむ、ふむ。なんと?馬鹿者!そこをどうにかしなさい!」
 カリオペ女史は受話器を投げつけるように通話を終えた。すぐにもう一度電話がチリリリ、と鳴り、カリオペ女史が応えた。
「どうだね、考え直したかい、ゲッポの方は?え?修復中のムハ1号ならなんとか貸せるだと?何十年前のおんぼろ船の話をしているんだ。話にならん、このわからんちんめ!」
 再びカリオペ女史は受話器に怒鳴りつけ、ガチャーンと電話を切った。
「最新のゲッポ艦を、危険な未知の航路には貸せないと言われた」
 憤怒の形相でピムローに告げると、ピムローの方はさもありなん、といった体で頷いた。
「時間的に難しいですな。イタチザメはもうべリンゴンに向かっているのですから。イタチザメの船が仕事を終えて、どこかの陸地に戻ってきたところを、捕えるのがいいんじゃないでしょうか。水の石はさて、いくつ積み込まれてくるでしょうかね」
 揉み手をしながらピムローが言うと、カリオペ女史は机をどしん、と拳で叩いた。ピムローは口をすぼめて飛び上がった。遅れて、再び筆立てがゆっくりと倒れた。
「海賊行為を期待するような発言は慎みなさい。我々は、なんとしてもイタチザメを追いかけて、秋の谷における水の石もどきの使用、すなわち沈んでいる人々を殺す土地の引き上げを阻止する。沈没地域を非人道的な行為から守る、これこそが停止地域特別委員会の活動の大原則です」
「あっ。情報官。非人道的ではなく、非生物道的というべきですよ」
「しゃらくさい!おだまり」
 カリオペ女史はピムローが拾ってくれた筆やペンをひったくった。イタチザメが秋の谷への航路を見出せば、他の海賊たちも後に続くだろう。イタチザメだけを阻止しても、次が来るのだ。国連軍の航海技術では、危険な水没地域である秋の谷の水域に長く留まり、海賊たちを撃退し続けることはできない。イタチザメ捕縛後、その足で速やかに秋の谷の精霊を眠らせる魔法を行い、一刻も早く陸に戻らなければ危険だ。実のところ、無事に秋の谷まで航海できるかもわからないのだから。それにそもそも、精霊を眠らせる魔法には、正統な水の石が一つ必要だ。国連には現時点で水の石のストックがないので、どこかの国に一つ提供してもらわねばならない。このご時世、どこの国が貴重な石を供出してくれるだろうか。問題は山積みだった。
「とにかく、ピムロー審議官。ベリンゴンや秋の谷にまで行けるような、立派な船を手に入れようじゃないか。そういえば、海賊シーランの船がハーテムに寄港しているという情報があるね。この船、前に見かけたがなかなか良さそうだ。ぶんどりたいなぁ。うむ、そうだ。押収手続きを開始しましょう。はい、あんたはもう下がってよいよ。それと、今度来るときはその銀色のとんがった派手な髪型を、なんとかしなさい」
 どっちが海賊だよ、とピムローは口を歪めた。カリオペ女史はもう一度、思いっきり鼻をかむために眼鏡を外した。つぶらな瞳が再び現れる。ピムローはできるだけ女史を見ないように一礼すると、部屋から飛び出すように退散した。
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