フジの数え歌

小烏屋三休

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三十ニ

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 海賊シーランのパドバローダク二号は、五十年前に設計された、長老級の三本マストの船だった。それでも機関だけは最新のものが搭載されているという噂だったが、ただの噂で、実際には二世代前の、いやにガタガタいう魔法動力炉が搭載されていた。古い炉の出力で進むパドバローダク二号は、現代の他の船に比べると格段にのろい。おまけに前人未到の航路を行くことになるため、潮流などの情報が少ない。比べてイタチザメ率いるサローチカ号の方は、魔女の島へ寄り道はするものの、少なくとも国連よりは航路を把握していて、少なくとも十年以上前の動力炉を使っている可能性もなかった。
 さらに、沈んだ土地を百年静かに沈ませておく魔法、百年眠らせ魔法と命名されたが、これを秋の谷に実施するにあたって必要な水の石を準備するのにも時間がかかった。国連が各国へ行った提供呼びかけも、返事が返ってくるのがことごとく遅かったのだ。結局、風の国ただ一国だけが「一つ提供してもいい」という返事だった。受け渡しは無事済んだが、それも秋の谷の代表、すなわちニタカが、この魔法を実施することに承諾した場合にのみ使えるものだった。目下のところニタカからの返事はない。途中で寄港して回答を国連本部に問い合わせると時間がかかるので、魔法鳩を使って連絡を取ることになっている。
 カリオペ女史は甲板で瓶底メガネを光らせては、またしてもピムローに当たっていた。
「遅い!せっかく押収したというのに、こんなぼろ船だったなんて。まったく、シーランも情けなくなったもんだ。 こんなんじゃイタチザメの船に追いつきっこないじゃないか。押収に時間もかかったし、最古参でも、ムハ一号のがまだましだった」
「仕方ありませんよ。ムハ一号だってまだ修復が完了してはいませんでした。実質使えるものは、これ以外になかったんです」
 ピムローはもう何度目かの同じ台詞を返した。
「いや、違う。最新の艦のゲッポは空いていた。あっちは大型なのに十四ノットも出るし、大型な分住みやすいし、見た目も美しい。この船といったら、廃材置き場が動いてるみたいじゃないか」
「情報官が見た目を気になさるとは誰も思いつかなかったのでしょう」
「なんだって?わたしが見た目に気を払わないっていいたいのかい?このポシェットが見えないか!」
 カリオペ女史はいつも肩にかけているパイナップル型のポシェットを掴みあげて、ピムローの眼前に示した。
「もちろん、わたしは存じています」
「ふん、でもこの際見た目は譲歩しよう。しかしこう遅くちゃ、どう計算しても秋の谷につくのは海賊が谷を浮かび上がらせて空っぽにした後だ。嵐で足止め食らってくれるか、引き上げの魔法に失敗するかしない限りね」
「嵐が来たら、この船が先にお陀仏です」
「そりゃそうだ。ゲッポがあればなあ」
「未知の水域で難破する可能性が高いところに、最新艦をよこさないでしょう」
「それだけじゃない」
 カリオペ女史はポシェットから手帳を出して、カレンダーをぱらぱらとめくった。何かをぶつぶつ言いながら、せっせと書き込んでいる。ピムローが辛抱強く続きの言葉を待っていると、
「結局、国連の中にも自国の意向を受けて、海賊が秋の谷を浮かび上がらせてしまえばいいと思ってる人物がいるんだ。秋の谷を浮かび上がらせたすぐ後に、当の海賊を自国船が取り締まってしまえば、押収した水の石が自国の保管庫に入るって塩梅だ。そいつらが、ゲッポを貸さないんだ。おのれ、カリオーピー女史を甘く見おって、今に見ておれ」
「それはどこの国ですか」
 ピムローがいつものように耳を動かしながら訊いた。いよいよ、前代未聞の大量の水の石を、どこかの国が手中に収めるかもしれない。国連であってほしかったが、こうなったら霧の国であってほしい。そしてピムローの母親の住むクーロンの水対策に石が回ってくればいい。まあそんなにうまくことが運ぶわけもなかろうが、期待だけしておいても損はない。
「いや、少し軽はずみなことを言ってしまった。こういうのは近く明らかになるだろう。それよりも、海賊に追いつかなくては。うむ、なんだ」
 士官がやってきて敬礼をしたので、カリオペ女史はそちらに顔を向けた。
「魔女様の使いと思われる鳥が船嘴せんしに止まっています」
 カリオペ女史とピムローが船首甲板へ行くと、すでに人だかりができていた。水夫たちが餌を置いたり、奥から追い込もうとしたりして、鳥を甲板におびき寄せようとしている。目の周りが黒く、首筋に灰色の線が入った、ほっそりしたマナヅルだった。
「両足に書簡がくくりつけられているようですが、誰宛のものかわかりません。一応、捕獲しようとはしているのですが、人に触れられるのを嫌がっていて、手間取っています」
 カリオペ女史は羽ばたいて逃げ回るマナヅルを、まじまじと観察した。
「香る国の、第一魔女の鶴じゃないか。羽が一部乱れているが、怪我をしているのかな」
 士官がぎょっとした顔つきになった。
「そ、そんな高貴な鳥が、この船に」
「この船の人物に用事があるんだろうか」
「では書簡は情報官宛てでしょうか?ご本人じゃないと触れさせないとは、さすが魔女様の使いですね」
「そら、よっと」
 カリオペ女史は山吹茶に塗られた、時代がかった手すりを乗り越えると、階段をおりていった。
「ピムロー審議官。あんたも来なさい」
「いえ、残念ながら小人が鳥を怖がるので」
「あんたが、怖がってるんだろうが」
 マナヅルはロープや船檣せんしょうの高いところを行ったり来たりしている。カリオペ女史は、躓(つまづ)いたり手をついたりしながらカラスを追いかけた。するとそれまで遠慮がちに追い回していた水夫たちも、次第に積極的に跳びかかっていった。
「あっ」
 高みの見物を決め込んでいたピムローは、カリオペ女史がとうとう転んだのを見て、甲高い声を上げた。カリオペ女史の緑色の靴が脱げ、器用に跳ね上がったあと、水夫の青空トイレの便器の穴を通って海に落ちて行った。ピムローは靴の行方と、カリオペ女史が大根足を投げ出して転げているのを見て、口をゆがませて笑いをこらえた。ちょうど同時に、水夫の一人がようやくマナヅルを捕まえた。
なかなか立ち上がらないカリオペ女史には目もくれず、周囲の人間はみな、マナヅルに駆け寄った。
 マナヅルは丁重に甲板に引き上げられ、足につけられた書簡の筒を外された。
「右足の筒の中は空です!左足の筒はまだ外せていません」
「そうか。あれ?情報官はどこだ?」
 士官がきょろきょろと見回すと、カリオペ女史は遅れて手すりを乗り越えてきたところで、のそのそと人を掻き分けながら輪の中心にやってきた。士官は女史の足元を指さした。
「靴を片方どうされたんですか?」
「とれた方の筒を見せなさい」
 恐ろしい形相で乱暴に手を出すカリオペ女史に、水夫たちは肘でつつき合った。
「おい、何をまた怒ってるんだろうな」
「知るかよ。怖いなあ」
「しっ。静かにしろ。怒ってるんじゃなくて、ああいう話し方なんだ」
 地獄耳のカリオペ女史はぎょろりと水夫たちを一睨みしてから、筒を受け取った。銀色の軽い筒には、精緻な模様が彫られている。
「これはユメハジーム公の紋章だね。ふむ。ニタカ殿下が第一魔女の鶴をお使いにやったというわけか。大切な鶴を伝書鳩として使わせてあげるなんて、あながち仲の悪い夫婦でもないじゃないか」
「足にテグスが絡んでいます。途中でカスミ網にかかったのかもしれません。足と羽を負傷しています」
 高みの見物を決め込んでいたピムローが、いつの間にか鳥の横に膝をついて調べに加わっている。ここらでそろそろ自分も乗り出さないとまずいことになると考えたのだろう。
「もう片方の筒はどうしますか。こちらは蓋が開いていないようなので、まだ書簡が入っていると思われます。しかし触れようとした者が、手をはじかれました」
「魔法で保護されているんだろう。どれ、わたしが開けられるか、試してみよう」
 カリオペ女史がマナヅルの左足に触れようとすると、鳥は激しく暴れた。ピムローと水夫がどうにか取り押さえるが、動物に触れるのが嫌いなピムローは、思い切り苦い顔をしている。
「押さえて、押さえて」
 ピムローと士官たちは三人がかりで鳥を押さえ、足を引き延ばしてカリオペ女史の方に差し出した。
 カリオペ女史が鳥の筒に触れようとすると、静電気が走って、カリオペ女史の指をはじいた。続いて、青白い紋様のようなものが一瞬鶴の足の周りに投影される。女史はくぎ付けになったように紋様を凝視した。
「なるほど。これはわたし宛じゃない。浮かび上がった紋様は、宛名だよ。この書簡はフジヤマ姫宛のものです」
 紋様が秋の谷の飾り文字だったため、士官にも読めなかったのだろう。まったく、あの殿下もみんなに読める文字で書けばいいのに、とカリオペ女史は痛む手をすり合わせた。ふとべったりと濡れた感触を感じて視線を手元に移すと、女史の指先に黒インクのようなものがついている。他の水夫たちも、鳥の足に触れようとした者には同じようにインクがついていた。
 士官が胸元からハンカチを取り出して女史に渡したが、インクはいくらこすっても落ちない。
「これは、書簡を横取りしようとした者への焼き印みたいな役目をしている。右足の書簡を無理やり盗み取った不届き物にも、同じ汚れがついているはずだわい。いずれ香る国の調査隊に見つかるだろう。魔女の鳥に無体なことをして、ざまあみろだ。それにしても、ニタカ殿下は、フジヤマ姫の居場所をご存じなんだろうか。ピムローの話は、まだわたししか知らないはずだがね」
 最後の方はカリオペ女史は独り言になった。
 つい昨日得た情報では、フジヤマ姫はなんの由縁か再びサローチカ号に乗船し、一路秋の谷を目指しているという。情報源は、姫を追尾している間に行方をくらました小人だった。この小人は姫を追尾しているうちにサローチカ号に乗り、そのまま下船の機会を逃し続け、ずっとそこで暮らしているらしい。港に停泊許可が下りないことが多い海賊船だが、どうにかして仲間と連絡だけは取った。ただしその情報はピムローと、その報告を受けたカリオペ女史しか知らない。
「確か、ニタカ殿下には抜群に優秀な側近が一人いたね。あの男が調べたのかな。殿下の側近なんて一人だけっきゃいないけど、小人の情報網に引けを取らないとは、恐れ入る」
 しかし鳥に大海原の一点である船を見つけさせるなんて、無茶だ。サローチカ号の進む航路まで鳥に理解させることはできないはずだ。何か特別な方法でもあるのだろうか。
 カリオペ女史は胸の黒曜石のペンダントをマナヅルにかざした。そうして目をすがめて、
「この鳥は、腹にすごいものを持っているな」
 と唸った。
「なるほど、石は近い血を呼ぶというから、これが羅針盤になっているというわけだ」
「情報官、鳥を逃がしていいですか。もう飛びたがっているようです」
 ピムローはいい加減に鳥を放したくてそう言うが、カリオペ女史は許可を与えなかった。
「まずは十分に手当てしてあげなさい。その怪我じゃあ、お役目どころじゃないぞ。かわいそうに、でも殺される前に逃げてきただけでも良かった」
 船医がやってきて、鳥をカゴに入れた。
「とんでもない不届き物がいたものですな。よりにもよって、魔女の使いを傷つけるとは。恐ろしい報復があるでしょうに」
 船医は髭を震わせながら、大切そうにカゴを医務室に運んで行った。ピムローは胸ポケットに隠れている小人に声をかけた後、服や手のにおいを嗅いだり、自分のハンカチで鳥に触れた部分をごしごしとこすった。
「あんた、そんなことして罰があたるよ」
 カリオペ女史が注意した。ピムローはすまし顔を作って、わざとらしくハンカチをはたいてから懐にしまった。
「入っていたはずの書簡は情報官宛だったのでしょうか」
「鶴がこの船に来たんだから、その可能性は高い。正式な文書は国連本部に送られてるだろうから、帰ったらわかるけど、たぶん、以前にうちからニタカ殿下に出した手紙へのご返事だろう」
「はぁ、あれですか」
 国連からニタカへ出した手紙。ピムローは思い出しただけでげっそりした。確か、祐筆のオポッサムのハナピンク氏に新しい部下ができたのだが、これがキツネだったのでハナピンク氏がすっかり怯え、しょっちゅう死んだ振りばかりして、一向に手紙が書きあがらないのだった。では就任したばかりのキツネはどうかというと、このキツネはコネで配属されたので、まだ筆の持ち方も知らない。このキツネの事情と、ハナピンク氏がほぼ一日中擬死状態であることを知った女史はピムローに代筆を命じたが、やれ字が汚いだの形式がなってないだの一晩中書き直しを命じられた。翌朝ようやく出来上がったのを見せた途端、女史はそれをくしゃくしゃに丸めて眼鏡を拭い、自分でやった方が早いわい、と言いながらさらさらと手紙を書いたのだった。
 最初から、そうすればよかったじゃないか。
 ピムローは寝不足の目をぎらつかせたが、カリオペ女史のまあるい目と視線が交差すると、めまいを感じた。
 手紙の内容としては、秋の谷が海賊に荒らされることがないように、精霊を眠らせて百年程しずめていいか、それとも浮かばせて水の石を他国へ寄贈するかどうか、ニタカに判断を仰ぐというものだった。
「魔女の使い鳥でさえ書簡を略奪されているとなると、本部からの魔法鳩も同じ目にあっている可能性が高いですね。すると、我々が秋の谷を百年沈めておく計画は既に、書簡を略奪したものたちによって阻止されたというわけです。寄港して本部に問い合わせていては到底イタチザメに間に合いません。結果を聞かずにこのまま航海を続け、よしんばイタチザメに追いついてきゃつの海賊行為を阻止しても、帰還後に我々の航路をかぎつけたどこかの誰かが、谷を浮上させるでしょうな」
 口角を上げるピムローに、カリオペ女史がぴしゃりと言った。
「「いや、フジヤマ姫がいる!この鶴の腹の中の水の石を使えば、姫一人でも谷を眠らせられるさ」
「腹に石ですか?」
「そう、水の石が入っている。そしてこの石が磁石のようにフジヤマ姫に吸い寄せられているから、鶴はおそらく姫の居場所を嗅ぎ当てる。この石は、姫が谷から離れた温泉地で発見された際に、その手に握っていたものに違いない。ニタカ殿下が個人的にご所有している水の石など、それしかあり得ない」
「秋の谷沈没の際、魔女王が末娘に持たせたという石ですか?」
「さよう。秋の谷は近親者で結婚するため、血が濃い。誰もかれも家族みたいなもんだ。谷の魔女が作った石であれば、フジヤマ姫の血にも引かれるだろう。ニタカ殿下はそれを利用してフジヤマ姫に水の石を届けるんだ。鳥には酷なやり方だがね」
「ということは、ユメハジーム公は、水の石を使って秋の谷を百年鎮めることを決断したのですね。その処置をフジヤマ姫に託すと」
「決断したのか、決断自体を放棄して姫に決断ごと託すのかはわからないがね。なんせわたし宛の書簡がとられてしまったから、詳しいことはわからない」
 カリオペ女史は手を頭の後ろで組んで、海を眺めた。
「秋の谷……か。あの幼い姫の御手にすべてを任せるのは、なんとも哀れじゃないか」
 船のすぐ横を、ウミガメが優雅に泳いでいる。亀はパドバローダク二号よりも早く、すいすいと追い抜いて行った。カリオペ女史は物憂くウミガメを見つめた後、元の姿勢に戻ってピムローににじり寄った。
「マナヅルに我々からのメッセージも託せるだろうか」
「まぁ、怪我の状態次第でしょうな。しかし、今度は初手から情報官が手紙をお書きになれば良いかと」
「いや。手紙の話じゃない。まだ成人もしていない子供に、紙切れ一枚で国の浮沈を処置せよというのは、どうもね。といって、出来ることは限られているから、もう運を天にまかせるしかないが」
 カリオペ女史がぎょろりと目玉を動かして、ピムローの胸ポケットを見据えた。ピムローは後ずさりしながら、ポケットの小人を手で覆い隠そうとした。その手をカリオペ女史はがっしりとつかむ。
「ここに連れてきてるくらいだから、信頼のおける小人なんだろうね」
 カリオペ女史の強いまなざしに、ピムローはたじろいだ。
「鶴も亀も見られて、縁起がいい日だ。きっと悪いようにはならないさ」
 そしてそのまま力任せにピムローを船室に引きずり込んで、扉をばたんと閉めた。
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