フジの数え歌

小烏屋三休

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三十四

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 満腹には程遠いが、ある程度腹に食べ物が溜まったのでひと段落し、船牢で横になっていると、誰かが扉を開けて部屋に入ってくる音がした。さてはとうとうヒューがポウに話をつけて、船牢から出してくれることになったかと期待したが、顔を出したのはサリーだった。暗い船牢を照らすような小さな鏡がちりばめられた服を着ている。いったい海賊船でそんなに着飾る必要があるのだろうか。
「船牢にいると聞いて驚いたよ」
「そうね。水の石入手の功労で、少しはいいように扱ってもらえるのかと思ってたんだけど」
「あとで船長にわたしから話してみよう」
 ヒューに頼むよりも、よっぽど頼りになる。フジはありがとうございます、と深々と頭を下げた。
「これまでにも、色々と、助けていただきました」
 フジはなんせ暇なので、船牢にいる間徒然と考えていたのだった。どうしてあの石がポウの手で爆発しなかったのか。石は一触即発の状態だったから、サリーの手から魔法使いでもないポウの手に移った瞬間に弾けるはずだったのだ。しかし、そうはならなかった。ポウは魔法使いだったのだろうか。そういえば、遊び半分でロディオンをナメクジにする魔法をかけたと言っていた。多少の魔法は使えるような口ぶりだった。船をまとめ、魔法も使うとは、多才な男である。
 でも違う、とフジは思う。そんな怪しげな石を持たされたら、ポウは問答無用でフジを罰するだろう。フジは半信半疑だが、少なくとも、他の海賊たちの言葉によるとそのくらいの厳しさは十分に、いやさ必要以上に持ち合わせているらしい。ポウの手に渡った時には、不安定さは取り除かれていたのだ。
 おそらく、サリーが、以前にハーテムの虹の市で彼にあげた出来のいい方、本物の水の石と、とっさにすり替えて渡したのではないか。だから、石は爆発しなかったし、ヤガーとの契約も終わったのだ。
 石をすり替えずに、その石が危険であることをポウに告げた上でどこかに投げ捨てるという選択肢もあったはずだ。そうしていたら、水の石はサリーの手元に残ったはずだ。一方のフジは過酷な処分をされていたかもしれない。ちょうど今朝がた、航海中の飲料水の源となる水吐き亀を一匹、誤って死なせてしまった男が、海に捨てられたらしい。隣の部屋で誰かがそんな話しているのを、壁に耳を付けて聞き耳を立てていたのだった。まさか、ポウがそんなことをするものか、と思う反面、その時ポウがしたのではないかと思われる表情を想像して、フジはそそけだった。
「あの石と、ハーテムで渡した石ととっさにすり替えて、ポウに渡したの?」
 振り返ってみると、ヤガーから驢馬にされそうになったときも、その後の鬼の追手からも、それからポウからも、この男に守ってもらったことになる。なぜそこまでしてくれるのだろうか。
 サリーは優雅に髪をかき上げると、フジを流し見た。
「君の新しい石には往生したよ。持った瞬間に、手ごとはじけ飛ぶかと思った。とっさに抑えられたのは、運が良かった。あるいは、元はわたしが長年持っていたヘメラだったから、言うことを聞いてくれたのかもしれない」
「あの石はどうなったの?」
「どうしたもこうしたも、こんなところで海にむやみなものを投げ込んだら精霊の怒りを買いかねないからね。安全な海域に行くまで持っているしかないと、必死に魔法を押さえながら胸ポケットにいれておいたんだ。幸いなことに、石自体にかかっていた不安定な魔法はそうしているうちに消えてしまったよ。返すよ、ほら」
 懐からその出来損ないの水の石を取り出すと、厄介払いとばかりな手つきでフジに返した。石は生き生きとした輝きを失って、くすんだ色になってしまっている。生まれた時からいわば傷ついた状態であったにも関わらず、あちこち連れまわされ、生みの親であるフジの手を離れて、死んでしまったようだ。不憫な石だった。フジは石に向かって「おーん」と呟いた。石は無言だった。サリーはおや、という感じで注視した。
「なぜだろう、こうして離れると、ヤガーの石にとてもよく似て見える」
 言われて、フジは確かめるように石のにおいを嗅いでみたが、特に驢馬の乳の匂いも何もしなかった。しいて言うなら、サリーの香水の匂いがほのかに移っていた。
「フジ。こんなたちの悪い石を持ち運んだら、冗談では済まない怪我をするよ。船ごと巻き添えにするかもしれない。気をつけなければいけない」
 はい、そうです。ごめんなさい、とフジもここは殊勝に謝るしかなかった。
「それとイタチザメのポウは、君はそうは思っていないようだけれど、自分と船に仇なす者には容赦しない。慎重に行動しなさい」
「はい、それもなんとなく聞いています。すみません」
 フジはひたすら頭を垂れた。下げすぎて首が痛くなってきた。サリーは腕組みをして大きくため息をついた。
「まったく、ようやく手に入れた一級品の水の石をむざむざ海賊に渡してしまった」
 そして、フジの方をちらりと見た。
「まあいいさ。元は君のものだった。手に入ったのも棚から牡丹餅って感じだったし」
「あの、それに関してですけど」
 フジは石に支払ってもらった代金はそのまま返すと申し出た。律儀なニッキは、きっと手を付けずにとってあるだろう。ところが、サリーは首を振った。
「あんなはした金であれほどの石なんて、もう二度と手に入らないよ、まったく」
「ふむ?」
 ということは、あの大金は、水の石の相場からは程遠いはした金だったというわけだ。本当だったらどのくらいの金額になるのか。はした金でほくほく喜んでいた自分はさぞかし間抜けだったのだろう。しかしまあ、その金額で十分に満足したし、他に売り方もわからないから、あの金額でいいのかもしれない。
 思案した揚句、一応納得した表情で一人頷くフジに、サリーはにやりと笑った。
「君は、本当に人がいいね。育ちは隠せないのかもしれない」
「あらそうぉ?じゃあ、値切ってたことは許すから、お金は返さなくていい?」
 サリーは肩を竦め、
「いや、意外としっかりしている」
 と言いなおした。それから、
「返ってくるならくるで助かるんだがな。まだ色々の支払いも残っていることだし。まあしかし、一度あげたものだし、諦めよう」
 と言うと、フジも安堵した。
「その代わり君が一人前になったらまたヘメラを持ってくるから、その時はきちんとしたのを作っておくれよ。血筋だろうね、君にはたぐいまれな素質があるようだ。今回の石は不良だったが、それでもやはり並大抵の人が作れるものではない。今後も研鑽けんさんを重ねてほしいね」
実を言うと、さんざん助けてもらったにもかかわらず、フジはもうサリーを疎ましく思い始めていた。今現在の彼の軟派な身なりも目障りに思うほどだ。いったい何の目的で着飾っているのだろうか。解せない。なんで助けてくれるのかというところも解せない。
もとはと言えば、この男がウォリウォリに来てヘメラなぞを残していったから、この呪われた現在があるような気がしてくる。あれのせいでフジのどこかしらに眠っていた水の石の魔法が目覚め、自分が海賊に目を付けられるようになったのではないか。コの男に会わずにいたら、自分は今もニッキと二人、揺れない地面に暮らしているはずなのだ。ポウにも会えなかったかもしれないけれど。
「え、それはちょっと、いやなんですけど」
 露骨に嫌そうな顔をすると、サリーは、
「君って、なんだか、本当に」
 と言葉を詰まらせる。フジは肩を竦めて言った。
「わかったよ。作れる気はしないけど、やればいいんでしょう。じゃあさ、その代わり、秋の谷には何も残ってないって、あなたからも船長に言ってくれないかな」
 そしてこのまま霧の国に引き返してほしい。
「はは、その代わりのその代わりを言うの?本当にしっかりしてるね」
 サリーは、けれど眉毛を二、三回動かしただけでフジの要望については何も返事をしなかった。結局、口添えはしてくれないということだろうか。
「では、もう行こう。それと、必要ならこのハンカチを持っているといい。香水がついているから、鼻が楽になるかもしれない」
 男の人って、何を考えているのかわからないな、とフジは思った。サリーもポウもニタカも、ヒューでさえ本当は何を考えているのかわからない。いや、女の人もそうかもしれない。香る国の王宮の女官たちは、フジの聞いたことに何も答えてくれなかった。ニッキや谷の人たちは、もっとわかりやすく返事をくれるのに。
 フジはハンカチを受け取って鼻に当てたが、なんの匂いも感じなかった。ただ、鼻の入り口がさわやかになった感じがして、思わずほうっとため息をついた。サリーは微笑むと、コツコツと気持ちのいい足音をたてて階段を上がって行ってしまった。
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