フジの数え歌

小烏屋三休

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三十八

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 パドバローダクニ号では、二人の小人が出発に向けて準備を進めていた。
 フジヤマ姫へのお使いを務める報酬として、ピムロー審議官からは四頭立てネズミ車と十三世紀ガリバンゾー式の小人用邸宅を約束されている。二つとも、小人たちの積年の憧れだったものだ。もう一刻も早くマナヅルに飛び乗ってしまいたい気持ちだった。また、その報酬とは別に、彼らには以前にハーテムでフジヤマ姫の調査に行ったきり、帰ってこないもう一人の小人を回収するという目的も持っていた。おそらくこれはフジヤマ姫を追っているうちに、帰り方を忘れたのだろう。まだ姫の近くをうろついていればいいのだが。
 彼らはそれぞれ、リーダー格である黒ひげのバダンスキーと、栗毛のマチャルコフという名前だった。
 魔女の使いの鳥に乗って飛ぶという冒険的な仕事は、街中で地味に情報収集をして回る仕事よりも断然魅力があった。加えて、フジヤマ姫へのお使いの内容というのがまたすこぶる冴えている。沈んだ国が海賊に荒らされぬよう、精霊を鎮める魔法のやり方を伝えるというものだ。バダンスキーは海原を見ながら胸を高鳴らせた。一国を救う英雄の旅が、始まろうとしているのだ。
「うむ、ロマンだ」
 すでにマナヅルは応急処置を施され、かごに入れられて船首甲板で出発を今か今かと待っている。むしろ傷の手当など結構!とでもいった雰囲気で、お高く止まっている。人間に媚びていないその鳥の様子もまたバダンスキーの気に入った。傷が完全に癒えていないのが若干不安ではあるが、それもまた波瀾万丈の冒険のスパイスになると考えられるではないか。
 その時、ばたばたと下層甲板で人が騒ぐ音がした。騒ぎ声は次第に上がってきたかと思うと、昇降口から黒いものが勢いよく飛び出した。それに続いて水夫たちがわっと出てきたが、もう一人の小人のマチャルコフまでが、水夫の足に踏まれないようどさくさに紛れながら、何が楽しいのかそこでお祭り騒ぎをしている。バダンスキーは踏まれないように高い場所に移動して様子を探った。
「カラスが厨房を荒らしていたので、とっちめようとしているところです」
 水夫の一人がカリオペ女史に説明をしている。
「こんな大海原にカラス?ふむ。鳥がよく来るねぇ」
 甲板にはあっという間に人だかりができている。水夫たちが棒でつついたり、奥から追い込もうとしたりして、鳥を甲板におびき寄せようとしている。その大ガラスはつやのない黒い羽毛をごわごわに膨らませて威嚇しながら、嘴にくわえた野菜屑や魚の骨を守ろうと必死だ。あんまり餌をくわえているため、飛び跳ねる度に何かしらがこぼれるのだが、水夫の間をかいくぐってそれをいちいち拾い上げては、また別の何かをこぼしている。
「欲の張ったカラスであります!やや、あれはとっておきのトナカイ海老の頭だ。あの野郎、それも食ったのか!」
 いきり立つ士官をよそに、カリオペ女史は羽ばたいて逃げ回るカラスを、まじまじと観察した。
「ワタリガラスじゃないか。それは、渡り鳥だよ。魔女様の使いかもしれん。傷つけるな」
 士官がぎょっとした顔つきになった。
「また渡り鳥ですか!く、くわばらくわばら。じゃ、見ているしかないんですかね」
「もうお腹いっぱいで飛んでいくんじゃないか」
 ところが、ワタリガラスはあろうことか、かごの中にいるマナヅルを認めると猛烈に跳びよって、嘴で攻撃を始めた。マナヅルは狭いかごの中で羽ばたき、羽をかごに激しく打ち付けた。かごが横倒しになり、皆が息を飲む。
「あっあっ。大切な第一魔女様のお使いの鳥に。なんて罰当たりなカラスだ」
 水夫たちは必死の体でカラスを捕まえた。どさくさに紛れて、一発、カラスを小突いている者もいる。カリオペ女史はのっしのっしと歩いていって鳥のお尻を太い指で掻き分けた。
「罰当たりでも、一応はこれも使い魔の鳥だ。まだ使いになりたての鳥だろうか。使い魔の印がくっきりとは出ていないがね。マナヅルよ、新米のやったことです、許しておあげ」
 マナヅルは聞く耳を持ちません、といった風に嘴を空に向けて怒りに打ち震えている。ピムローが、
「カラスを使いにするとは珍しいですね。今現在、諸国で、ワタリガラスを使いにしている魔女はいなかったはずです。新たに魔女の任命があったか、流しの魔女でしょうか」
 と首を伸ばしてきた。
 カリオペ女史は再度カラスをまじまじと観察した。なんの変哲もないただの鳥にも見える。しかし尻には確かに使い魔の印が浮き出ている。カリオペ女史は「面白いね」と呟いた。
 ワタリガラスは、秋の谷の魔女に使われることが多かった鳥だ。悧巧ではあるが魔法との相性が悪いため、使い魔として役立たないと他の国の魔女からは敬遠されている。
「これは、フジヤマ姫が、ひょっとすると、ひょっとするね」
「なんですか、この鳥もフジヤマ姫に関連してるんですか?よっぽど鳥に好かれる姫ですな」
 カリオペ女史が調べを終了し、「もういいよ」とカラスを放すように言ったとたん、カラスは再びマナヅルに向かっていった。
「だから、それはおやめよ!」
 女史を始め水夫たちが止めようとするも、カラスはしつこくその足元をすり抜けて攻撃をやめない。やがてかごが壊れたので、マナヅルもようやく外に出て羽を一回、二回、と優雅に羽ばたかせた。その間もカラスは嘴でその腹や首をつつきまわす。カリオペ女史はどたどたと甲板を駆けて鳥たちの間に入ろうとして、カラスの運んだ残飯に足を取られて滑っていく。
「押さえて!」
 とっさに水夫の一人が滑っていくカリオペ女史のポシェットの紐をひっつかんだ。
「馬鹿もん!わたしじゃなくて、鳥を抑えるんだ」
「どちらの鳥をですか?」
 ピムローが遅ればせながら鳥たちを仲裁すべくやってくる。
「マナヅルに決まってるだろうが。まだ出発の準備が終わっていないのだ」
 鶴の傷はまだ癒えておらず、このまま腹に重たい石を抱えたまま飛行すれば、サローチカ号にたどり着くことはほぼできないだろう。
 あわあわと士官や水夫たちが慌てる中に、マナヅルは羽を震わせ、今にも飛び立とうとしたときだった。
 カラスが大きな声で鳴いた。船上にいる誰もが度肝を抜かれるほど、大きな声だった。それに驚いたのかマナヅルはよろめき、甲板に身を打ちつけるとくわっと嘴を開いた。そこから、どうやってこんな大きなものが喉を通るのか、青く美しい玉が転がり出てきた。
「あっ!」
 カリオペ女史がカラスよりもさらに大きな声で叫んだ。
「か、雷?」
 船員たちはその声に思わず目を閉じて耳をふさいだ。カリオペ女史の雷声に耐性のあるピムローだけはこのとき、目を開けていたので一部始終を確認することができた。
 カラスが転がった玉に素早く走りよると、それをごくりと飲み込んだ。
「ややや!」
 カリオペ女史がカラスをおいかけようとして転んだ。いつも履いている靴の片方が海に沈んでしまったので、慣れない靴をはいていたせいだ。
 腰を抜かしたままのマナヅルを尻目に、カラスは手すりに飛び移った。
「バダンスキー!」
 とピムローの鋭い声が響いた。
「合点」
 バダンスキーは喧騒に浮かれているマチャルコフの襟首を引っ掴むと、まさに飛び立たんとしているカラスに飛び乗った。
 急速に高度を上げるカラスの背から、ピムローがどんどん姿を小さくしていくのが見える。カリオペ女史が大声で操舵室に声を掛けているのが、風の合間に聞こえてくる。なんと気持ちのいい眺めと音であることか。
 カラスは大きな体に似合わず、ハヤブサのように速かった。少なくともその背にしがみついている小人たちにはそのように感じられた。風の勢いに、息が止まる思いだ。やがて船が見えなくなると、追いつかれないと思ったのかカラスは速度を緩めた。
「おい、この鳥は水の石をどうするつもりだ。とにかく説得して一旦引き返して、マナヅルに乗ろう」
 そうだね、と言うとマチャルコフはさっそく不思議な声音で鳥に語りかけた。ところが語りかけは小一時間も続き、その間もカラスは大海原をひたむきに進んでいく。マチャルコフに耳を貸している気配はなかった。
「難渋しているようだな」
 やがてあきらめたようにバダンスキーが言った。
「なんかさ、この鳥もフジヤマ姫のところに行くみたいだよ」
「ふむ。しかし戻ろう。戻りたい」
「でも、マナヅルは怪我してたし、この鳥の方が体力ありそうだよ。僕らの荷物も持ってきてるし、このまま行ってもいいんじゃない?」
「いやだ。この鳥は信用ができない」
「バダンスキーは、この鳥の臭いが気になるんでしょ。僕は気にならないよ。鳥の臭いだ」
「いや、ごみの臭いだ。こいつ、ごみを漁ってただろう」
「それでも、僕は気にならない」
「そんなことを言って、お前はこいつを説得できないだけだろう。動物つかいの小人も、落ちぶれたもんだ」
 マチャルコフは一旦黙り込み、答える代わりにこう言った。
「報酬が少なすぎたと僕は思うよ」
「そうか。まぁ、確かにな」
 バダンスキーは顔を手のひらでなでおろした。しばらく顔を揉んだ後、気を取り直したように言った。
「帰ったらもう少しせびろう」
「僕は銀食器が欲しい。十三世紀ガリバンゾー式邸宅では、やっぱり普通の食器は使いたくないもの。あと、前にバダンスキーがかぶってたガラスの帽子」
「帽子はやめとけ。すぐに壊れる。だが銀食器は追加して交渉しよう。他にはあるか」
「バダンスキーは何か欲しいものあるかい?」
「俺はオフニ山の向こう側で使われているという、透明なゴムみたいな素材の『固い瓶の蓋あけ』が欲しい」
「さっすが!思いつかなかったよ。でもそんなもの、たとえピムローでも手に入るかしらね?」
 二人はもらえるはずの報酬で胸をいっぱいにした。小さな小人は、すぐに感情の貯水池も満タンにしてしまうらしく、先ほどから漠然と感じていた恐怖も不安もすぐに消え去ってしまうのだった。
 しかしそんな希望もやがて来る嵐に一掃される。さらに続いて来る飢えと乾きに、今度はその小さい胸は、この無謀な冒険を言いつけた人間に対する怒りでいっぱいになる。そうしてもう一国を救う使命など放り投げ、二度と人間のために働くものかと毒づくようになるのだった。
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