フジの数え歌

小烏屋三休

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四十

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 犬のボーはどこまでもポウの言いつけを守った。フジが甲板に出てくると、どこからそれを察したのか、ひょろひょろとやってきては船長室の前に腰を据える。フジがそちらをちょこっとでも見ようものなら、目を瞑っていてもそれを察知し、片目を開けてこちらの様子を伺う。そしてそこからフジが一歩でも近づくと、船乗りたちに告げ口するために吠えたてた。これでは手の出しようもない。
 そもそも、フジは船牢から出されたものの、今度は納戸に軟禁されることになっていて自由に身動きはとれない身になっていた。使わない縄がたくさんしまわれている部屋で、一応個室ではあった。トイレの時間が定期的に定められていて、その時だけ外気にあたることはできたが、見張りがついていた。もはやどうしたって水の石もどきを手に入れられそうな機会ななかった。
「小さくなる魔法が船の上で使えたらなぁ!」
 この納戸の扉の隙間から忍び出て、誰かに紛れて船長室に入りこみ、船長が眠るタイミングで歯の箱の鍵を尻のポケットから抜きとって、唾とため息を振りかけられるかもしれないのに。それにしても、考えもなく血判状に拇印を押したことが悔やまれる。変身の魔法さえ使えたら!小さく小さくなれたのに!あ、この海域で魔法を使ってはいけないのか。体が小さい友達がいればなあ!
 それからフジはふと、ぶつぶつと独り言をつぶやくと、顎に手を当てたままその部屋を後にした。
 翌朝、フジは蓋をあけたはちみつの瓶のまわりに、厨房からもらったゴキブリとりの粘着板を張り巡らせて、納戸を後にしてみた。朝のトイレに連れ出してくれる男は、フジに割とよくしてくれる人物であった。ゆったりと外気浴も兼ねさせてくれるので、長い時間甲板にいられるのだ。
 十分に風にあたってから納戸に戻ると、粘着版にガラスの帽子をかぶった三人の小さな人間がくっついて、身動きが取れなくなっている。
 こんなにうまいこといくとは!
 信じられずに目を何度もこすった。それに、一人だけかと思っていたが、三人も潜んでいたとは。
 どの小人もフジの手のひら程もない大きさだ。フジが近づくと三人は目に見えて縮み上がり、顔を蒼白にさせた。どうもフジの角を指さしたり、その身振り手振りから、鬼である彼女を怖がっているのかもしれない、フジは三人を丁寧につまみあげると、用意しておいた虫かごにやさしく放り込んだ。
「あたし、こう見えて人間だからそんな怖がらないでよ。ウォリウォリの町のフジっていうの。友達になろう。きっと仲良くなれるから。それで、さっそくだけど、ちょっとお願いがあるんだ」
 すると小人たちは内輪で議論を始めた。声が小さくてしゃべっている声は聞こえないが、何やら喧嘩をするような勢いで話し合っている。やがて話し合いが収束するような気配が出てきた。フジが鬼ではないとでも結論したのだろうか。ところが、再び一人が両手を広げ、檻に入れられたことを憤慨しているような素振りを見せると、残る二人も再び興奮し出した。
「ねえ、あたしのお願い聞いてくれる?」
 しかし小人たちは顔に手を当てたり腕を振り回したり、そっぽを向いたり、てんで聞く姿勢がない。そこで虫かごを少しゆすると、三人は叫び声をあげているかのように大きく口を開いてぱくぱくさせた。やがて黒い服を着た小人が、わかった、わかった、というようにこちらにうなずいて見せた。
 この小人は灰色のふさふさの頭髪を揺らし、鼻の下と唇の下にちょっとした黒ひげをはやしている。目元や頬に見たこともないような派手な化粧をしていて年齢がわかりづらいが、人間であれば四十代といった年頃だろうか。何かをしゃべっているのか、口を開けたり閉めたりしている。すると茶色い巻き毛の小人が、フジが虫かごに入れておいた野菜屑を、髭の小人の頭にのせた。
「おほん。あー、聞こえるか?」
「あ、聞こえます」
 フジは反射的に返事をした。
「俺はこ」
 髭の小人の声は途中で描き消えた。遅れて届いたフジの吐息がかかり、頭に乗っかっていた玉ねぎの皮が落ちた後、突然声が消えたのだ。巻き毛の小人が慌てたように玉ねぎの皮を髭の小人の頭に乗せ直した。
「おほん、ちょっと息がかからないところまで離れてくれ。鼻息もだめだぞ。この玉ねぎの皮を頭に乗っけていないと、声が拡大されないものでね。植物の共振作用を利用しているのだ。そうそう、そのくらい。俺は花の小人のバダンスキーだ」
 フジは続いて自分も自己紹介をしようとしたが、遮られた。
「知ってる。お前はフジヤマ・デンキテキ姫だろう。まさか鬼の姿になってるとは思わなんだがな。こんな檻に入れるなんて、ゆるすまじき行為だ。早く出しなさい」
「あ、どうぞフジと呼んでね。お願いを聞いてくれたら出してあげるよ」
「断る」
 フジはもう一度虫かごをゆすった。三人はそれぞれむなしく野菜屑にしがみつき、野菜屑と一緒にごとごとと虫かごの中を転げまわった。やがて急にぱさっと音をたてたかと思うと、巻き毛の小人以外の小人が消えている。虫かごの中には野菊の花が一厘と、ザラメのような粒子の粗い粉が山盛りになっている。フジが目をこすっていると、かごの中で吹くはずもない風にそよいだ野菊がみるみるうちにバダンスキーの姿に戻った。遅れて山盛りのザラメが太った小人になる。どんな手品だろうか。
「フジヤマ、お願い事とやらを、まずは話してみろ」
「ねえ、今なんでお花と砂になったの」
「こいつのこれは、砂じゃなくて砂糖だがな。そういう体質なんだ。いいから、話してみろ」
「あ、やっぱりザラメかぁ。ザラメの子は前に船長室で見かけたことがある気がするね。お久しぶり」
「とっとと話せ」
 バダンスキーが苛ついて黒ひげを歪める。フジは、船長室にある水の石もどきを、歯の箱ごと運び出す作業を小人たちにやってもらえないだろうかと頼んだ。
「ポウはほとんど部屋にいないんだから、楽勝、楽勝」
「断る。人間の手伝いなど、もうしないと決めたのだ。人間はあくどい」
「じゃ、手伝ってくれたら、はちみつの瓶をまるごとあげるよ。好きでしょ、これ」
「やや、それは」
 小人たちは三人、顔を突き合わせて相談を始めた。
『船長の部屋には犬がいる。危険の割には報酬が少なすぎやしないか』と栗毛の小人が言う。『はちみつなんて、どの台所にもあるだろう』
 すると、太った小人が意気込んだ。
『おいおい、忘れなさんな、ここが船だということをさ。この船において一番贅沢といえるものはまさしくはちみつ以外の何物でもない。あんたら、いつまでも陸気分でいては、この船では生きていけないぞ。なんせ、俺はサローチカ号で言えばこの中で一番の古株なのだ。ハーテムからずっと乗ってるんだから。船の上の食事のひどさといったら、もうげっそり』
『貴様、まるっきり痩せてないじゃないか』
『うん、健康そうに肥えているよ』
『いや、僕は量は頂きますけどね、味はひどいもんなんですよ。それよりねえ、はちみつ食べたいと思わないの。食べたいじゃないの』
 けんけんごうごう、議論に熱がかかる。実のところ、どの小人も頭に野菜屑を乗せていないので、フジには話の内容は皆目聞こえなかった。まあ右のようなことをしゃべっているのだろうと想像して時間を潰した。しかしそれも飽きて、待ちくたびれて膝を抱えて座り込んだ頃、ようやく結論が出たようだった。
「やろう」
 バダンスキーはしぶしぶといった体で言ったが、肥った小人の方は喜色満面だった。興奮気味にバダンスキーの頭に乗っていた玉ねぎの皮を半分ちぎり取って自分に乗せ、早口に話し始めた。
「話がまとまってよかったぜ。俺は砂糖の小人のターパチキン。冒険を求めてこの船に乗ってたんだけどさ。後からこの二人が来てさぁ。いや、この二人とは前職で一緒だったんだけどね、これがまぁ、人をこきつかう仕事でさ」
「ふぅん。さっきザラメになってたけど、砂糖の小人ってびっくりするとザラメのお砂糖になっちゃうの?」
「なんだい。ぶしつけな奴だな。そんなことは砂糖小人連の企業秘密に決まってるっちゅうの。それから、この巻き毛の、眉毛がつながってる方はマチャルコフって言うのね。かわいい顔してるが腕相撲がやたら強い。そしてこいつの特技は動物が扱えることさね。世に言う動物つかいってやつさ。こいつが言えば、モグラもナマケモノも一日中地面を走り回る、と俺は信じてる。それからこれは本人は言うなって言うんだけどさぁ」
 言葉を続けようとするターパチキンを、マチャルコフが羽交い絞めにした。二人が揉み合っている間に、バダンスキーが咳払いをして後を引き取った。
「お前を助けるために来たのに、罠になんぞかけおって」
「助けに来てくれたの?でも、人間の手伝いはしないと決めてたって言ったじゃない」
「いいから、早く、出せ。そして謝れ」
 フジは三人を虫かごから出して、一応詫びた。三人は口々に不満のようなものを言っていたが、わざわざそれをフジに聞かせるために自分の頭に特大の野菜屑をどこからともなく持ち出してきた。ただ、栗毛のマチャルコフの声はそれでも小さくて、聞き取れなかった。
 ひとしきり悪口が済むと、バダンスキーは本題に戻った。
「歯の箱は、魔法で守られていて、鍵の持ち主でないと触ることすらできない。そして鍵はイタチザメがいつも肌身離さず持ってるんだ。俺は知ってる」
「ああ、やっぱり」
「あいつから盗み取ることなんざできんぞ。油断も隙もないもの。だから無理だな」
「えっバダンスキー、もう諦めちゃうの。本当に、あんたたちは分かってないよ、船の上の暮らしのひどさをさ。来て間もないんだから、先輩の意見を聞いておくもんでしょうが」
 とターパチキンが口を挟む。
「はちみつなんぞ、帰ってからいくらでも食えばいい。犬にやられたら二度と食えないじゃないか。あの犬は小人を目の敵にしている節がある。お前、目先のはちみつに目を眩ませるなよ」
 ぐむぅ、とターパチキンは唸った。どうもこのバダンスキーがリーダー格のようだった。
 フジはふと言ってみた。
「『今このときを忍んで小利口な未来を選ぶなんて、小人のすることである。今を存分に愉快に生き、未来に大いなる敗北を喫する、これこそ大人である』とはある旅芸人の言葉だよ。あ、君たちは小人だから仕方ないのか」
 虹の市で右のような文言を書いた看板を背負った物乞いに、フジは施しをしたことを思い出したのだった。卑しからぬ筆跡の看板で、目を引いた。ただものではないと思ったのだが、やはり小人たちの心の琴線にも引っかかったようだ。もう一押ししてみるか。
「それに航海長のロディオンがさ、たぶん歯の箱の鍵を持ってるよ。腰のところにぶらさげてた。あたし、見たことがあるんだ。あの人の部屋には犬はいないから、寝ている間にちょちょっと鍵をとってきてよ」
「嫌だ。不確かな情報に基づいて、俺は行動を起こさない」
 バダンスキーは言下に退けた。
「バダンスキー。それは本当なんだな。ロディオンの野郎、イタチザメに内緒でスペアキーを作ってるのさ。海賊ってのはお互いをこれっぽっちも信用してないのさ」
 ターパチキンが言ったが、バダンスキーは腕組みをしたまま首を振った。
「ごめんだね。俺は絶対、歯の箱になんて近寄らない。死んだ婆さんが、歯の箱にだけは触るなって言っていたんだ」
「それはまた、なんでよ」
「さあな。婆さんの考えてることは、俺には分からん。分からんが、婆さんの教えに従って生きれば、間違いはない」
 ターパチキンがバダンスキーの肩を叩いた。
「お前、婆さんが敷いたレールに沿って走るなんて、情けなくないの?よく考えてよ、バダンスキー。はちみつだぜ、はちみつ。あんたの長い人生の中で、たった数分ぽっち歯の箱に触るくらい、婆さんも見逃してくれるよ」
「数分も!だめだね。大体、歯の箱くらい大きいものが通れる抜け穴なんぞ、船長室にはない」
 フジは少し思案してから、縄の影に隠しておいた出来損ないの水の石を出した。サリーから返してもらった、魔力を失ったかわいそうな石だ。サリーは、その石がヤガーの水の石もどきにとても似ていると言っていた。歯の箱に入ってしまえば細部が隠れて、ますます似て見えるに違いない。
「こっちの石をさ、船長室のと取り換えたらどう?そしたら歯の箱に触るのは開けるときの一回だけで済むじゃない。そんで水の石もどきだけを持って帰ってきてよ」
「いやだね。おれはちっとでも小人が歯の箱に触れる案を断固拒否する。この話は金輪際終わりだ。大体、やれ石だの鍵だのを取ってこいというが、お前自身は何もしないじゃないか。これだから、お姫様ってやつはだめだ」
「そうか。だったら、他の人に歯の箱を開けさせるしかないな」
 フジは再び考え込んだ。それから
「じゃあさあ、こうするのはどうかな」
 と思いつきの計画を話すと、「やっぱりお前はなにもしないじゃないか!」とバダンスキーは憤慨した。しかし話していくうちに案外に乗り気になってきた。しまいには、ああでもない、こうでもないと熱心に修正をくわえてくるまでになったのは、そこに新しい冒険の臭いを感じ取ったからに違いなかった。
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