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十五 窮地
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アリフレートはことあるごとにアンをあげつらうことに決めたようだ。
この日は実技訓練で、あたしたちは敷地内の裏山で風遁の術を練習していた。一塊の風を当てて相手を怯ませ、そのすきに逃げるという術だが、札を使って、ぽわんとした風を互いの顔に当てる練習をしていた。札がしけっているからか、当たる風は生ぬるく嫌なにおいがして、風の勢いというよりも、その不快さに怯むと言う感じだった。
アンは運動神経に優れておらず、体を動かすことも多いニンジャクラスにおいては熱血教師についていけないことも多かった。もっとも、そういう生徒は他にも大勢いたのだ。でも、アリフレートはアンが失敗したときに限って、わざわざ声に出してこう笑った。
「あんた、このクラス向いてないんじゃない?なんで途中から入ってきたの」
アリフレートはぼそぼそした声で、アンの背後から言った。
「昨今の世界情勢から鑑みるに、自分を守る体力と魔法力をつけることが必要と判断したからよ」
アンは頬を紅潮させて言い返した。
「おとなしく、毒植物でも育ててたらいいのにさ。わざわざご苦労なこった」
余計なことを言うな、とあたしは思った。アンが大毒のバッバドンナオホホンカを育てていることは、あたししか知らないのではないか。そして、あたしは断じて彼にそれを言ったことはない。でもアンはあたしが告げ口したと疑うかもしれないではないか。
「生物兵器でも作る方が手っ取り早いんじゃないか」
「ご心配なく。わたしは卒業後、国の魔法植物研究施設で働くことが決まっているの。生物兵器なら、そこでたんまり作れるわ。なんならあなたの家に、送って差し上げるわよ」
「面白いね」
アリフレートがにやりと笑った。
「魔法植物研究施設といったら、霧の国の軍関連施設じゃないか。あんた、霧の国出身じゃないんだろう?当然、霧の国への愛国心もないだろうな。そこで働く理由が愛国心でないとすると、ただ戦争を糧にして食ってくってだけか。したたかだな、おい。おっと」
アリフレートは軽く身を翻した。あたしが風遁の札に魔法をかけ、風を起こしたのだ。風遁の魔法は、このクラスの中であたしがぶっちぎりの腕前だ。この風もそれなりの風量で、あたればただ嫌な気持ちになる、というだけでなく、たたらを踏むくらいの威力はあるだろう。アリフレートには当たらなかったが、周りの生徒は「すごいねぇ、どうやったらそんなふうにできるの」と、感心している。いい調子である。えっへん、とあたしが咳ばらいをしていると、突然、あたしの前からあたしをほめてくれていた子たちが消えた。
あたしは一瞬のうちに裏の茂みに移動していた。状況を理解できずに茂みの影から皆のいる場所を見ると、あたしの服の中に丸太が入っている。なんとしたことだ。生徒たちは丸太を取り囲んで、何事が起きたのかとわいわい騒いでいる。
そうか。これは先だって授業でやった、身代わりの術だ。素早さといい、完成度といい、見事である。ただし、あたしがかけた魔法ではない。
あたしが茂みの中でぼんやり状況を把握しようかしらんと思っている間に、ちょうど授業終了の鐘がなった。
「先生、またフジが木に化けましたぁ」
「困った奴だ。仕方ない。術が解けるまで、保健室に転がしとけ」
「はあーい」
生徒たちはがやがや言いながら、あたしの服を着た丸太を担いで校舎の方に下りていってしまった。
あたしは元いた場所に戻ることができなかったし、誰かを呼び寄せることもできなかった。なぜか。丸太と入れ替わった後のあたしは、素っ裸だったからだ。逡巡している間に、皆は去っていった。裸で残されたあたしは、どのように下山したらいいのだろうか。日が暮れるのを待ってこっそり寮に入るか?もし人に全裸でいるところを見られたら、なんと思われるだろうか。変質者、露出狂。貧相な体。いや、意外といい体してるじゃないか、とかだろうか。いずれにせよ、ぶしつけに検分されるのは気持ちが良くないし、下山の途中で悪い虫に刺されるのもいやだ。そういえば、お尻の匂いに寄ってくる毒虫というのがここらには生息していたのではなかったか?あたしは途方に暮れて目を閉じた。お尻の穴もできるだけ閉じようと力を入れる。瞼の裏に、波荒れる北の海の崖っぷちが浮かんだ。
しばらくして目を開けると、アリフレートが再び山道を上がってくるのが見えた。彼は躊躇なくあたしの潜んでいる茂みを目指してくる。
ああ、やはり、とあたしは思った。
予想はしていたが、あたしをこんな窮地に立たせた犯人はやはり彼か。許すまじ、とあたしはぎりぎりと歯を鳴らした。
一応礼儀として、また女人のたしなみとして体を隠した。幸い、あたしの胸は片手で簡単に隠すことができる大きさである。あたしは片手で胸を隠し、空いた片手で握りしめていた風遁の札に魔法をかけ始めた。今度は絶対にはずしてはならない。彼の顔が茂みから出てくるのを待ち、そこに思いっきりこの風を当てて、吹っ飛ばしてやる。
ところが敵は一枚上手で、茂みから現れた瞬間にあたしに向かって風遁の術をかけてきた。あたしは手もなくそれを真正面に受け、あられもない恰好で尻もちをついた。でもまあ胸だけはきちんと隠しおおせた。
あたしの風遁の魔法は空へ飛んでいき、札はさらさらと砂になった。
「甘いな」
アリフレートは言いながら、あたしに制服を投げ渡した。なんとか一矢報いたくは思うが、何はさておき、これを着ねばあまりにも間抜けすぎる。あたしは焦って逆にもたもたしながら、服を着た。ひと段落すると、
「アリフレート。今日の君はいつもより百倍意地悪だね!あたしに対してもそうだけど、アンに特別ひどかったよ。なんでそんなことするんだよ」
「お前こそ、あの女が来てからずいぶん態度が変わったじゃないか」
「そっちの態度が悪いからだろ」
あたしは怒っているのというのに、アリフレートは気にも留めない様子で距離を詰めてきた。そしてあたしの制服のボタンが掛け違いになっているのを、直し始めた。
「あ、ありがと」
「どういたしまして」
「あのね。あたし、アンに誤解されるわけにはいかないんだよ。彼女はあたしと君が友達だとおもってるんだからさぁ」
あたしはアリフレートと放課後会っていることをアンに話したことが何度かある。親しくしている友人がいるのかという話題になったとき、あたしは見栄を張って、リューダとか、アリフレートだとか、カエルやカタツムリをくれた顔もわからぬ人物のことを人数として言っておいた。彼らとの親密度においても、少し誇張して伝えておいた。他の誰にそう思われても平気だが、彼女にだけは、友人もできない寂しい人間と思われたくなかったのだ。アリフレートがあたしの友人ならば、友人の友人枠で、もそっとアンにやさしく接するもんじゃなかろうか。
「俺はあの女とどうこうなる気は毛頭ない」
「はぁ?」
突然の言葉に、あたしは気の抜けた声をあげた。
「あの女が俺とあんたのことを疑ったとして、むしろうるさくなくなって好都合だ」
あたしはあんぐりと口を開いたまま、しばし考え込んだ。
つまり、アリフレートは次のように考えているのだろうか。
この日は実技訓練で、あたしたちは敷地内の裏山で風遁の術を練習していた。一塊の風を当てて相手を怯ませ、そのすきに逃げるという術だが、札を使って、ぽわんとした風を互いの顔に当てる練習をしていた。札がしけっているからか、当たる風は生ぬるく嫌なにおいがして、風の勢いというよりも、その不快さに怯むと言う感じだった。
アンは運動神経に優れておらず、体を動かすことも多いニンジャクラスにおいては熱血教師についていけないことも多かった。もっとも、そういう生徒は他にも大勢いたのだ。でも、アリフレートはアンが失敗したときに限って、わざわざ声に出してこう笑った。
「あんた、このクラス向いてないんじゃない?なんで途中から入ってきたの」
アリフレートはぼそぼそした声で、アンの背後から言った。
「昨今の世界情勢から鑑みるに、自分を守る体力と魔法力をつけることが必要と判断したからよ」
アンは頬を紅潮させて言い返した。
「おとなしく、毒植物でも育ててたらいいのにさ。わざわざご苦労なこった」
余計なことを言うな、とあたしは思った。アンが大毒のバッバドンナオホホンカを育てていることは、あたししか知らないのではないか。そして、あたしは断じて彼にそれを言ったことはない。でもアンはあたしが告げ口したと疑うかもしれないではないか。
「生物兵器でも作る方が手っ取り早いんじゃないか」
「ご心配なく。わたしは卒業後、国の魔法植物研究施設で働くことが決まっているの。生物兵器なら、そこでたんまり作れるわ。なんならあなたの家に、送って差し上げるわよ」
「面白いね」
アリフレートがにやりと笑った。
「魔法植物研究施設といったら、霧の国の軍関連施設じゃないか。あんた、霧の国出身じゃないんだろう?当然、霧の国への愛国心もないだろうな。そこで働く理由が愛国心でないとすると、ただ戦争を糧にして食ってくってだけか。したたかだな、おい。おっと」
アリフレートは軽く身を翻した。あたしが風遁の札に魔法をかけ、風を起こしたのだ。風遁の魔法は、このクラスの中であたしがぶっちぎりの腕前だ。この風もそれなりの風量で、あたればただ嫌な気持ちになる、というだけでなく、たたらを踏むくらいの威力はあるだろう。アリフレートには当たらなかったが、周りの生徒は「すごいねぇ、どうやったらそんなふうにできるの」と、感心している。いい調子である。えっへん、とあたしが咳ばらいをしていると、突然、あたしの前からあたしをほめてくれていた子たちが消えた。
あたしは一瞬のうちに裏の茂みに移動していた。状況を理解できずに茂みの影から皆のいる場所を見ると、あたしの服の中に丸太が入っている。なんとしたことだ。生徒たちは丸太を取り囲んで、何事が起きたのかとわいわい騒いでいる。
そうか。これは先だって授業でやった、身代わりの術だ。素早さといい、完成度といい、見事である。ただし、あたしがかけた魔法ではない。
あたしが茂みの中でぼんやり状況を把握しようかしらんと思っている間に、ちょうど授業終了の鐘がなった。
「先生、またフジが木に化けましたぁ」
「困った奴だ。仕方ない。術が解けるまで、保健室に転がしとけ」
「はあーい」
生徒たちはがやがや言いながら、あたしの服を着た丸太を担いで校舎の方に下りていってしまった。
あたしは元いた場所に戻ることができなかったし、誰かを呼び寄せることもできなかった。なぜか。丸太と入れ替わった後のあたしは、素っ裸だったからだ。逡巡している間に、皆は去っていった。裸で残されたあたしは、どのように下山したらいいのだろうか。日が暮れるのを待ってこっそり寮に入るか?もし人に全裸でいるところを見られたら、なんと思われるだろうか。変質者、露出狂。貧相な体。いや、意外といい体してるじゃないか、とかだろうか。いずれにせよ、ぶしつけに検分されるのは気持ちが良くないし、下山の途中で悪い虫に刺されるのもいやだ。そういえば、お尻の匂いに寄ってくる毒虫というのがここらには生息していたのではなかったか?あたしは途方に暮れて目を閉じた。お尻の穴もできるだけ閉じようと力を入れる。瞼の裏に、波荒れる北の海の崖っぷちが浮かんだ。
しばらくして目を開けると、アリフレートが再び山道を上がってくるのが見えた。彼は躊躇なくあたしの潜んでいる茂みを目指してくる。
ああ、やはり、とあたしは思った。
予想はしていたが、あたしをこんな窮地に立たせた犯人はやはり彼か。許すまじ、とあたしはぎりぎりと歯を鳴らした。
一応礼儀として、また女人のたしなみとして体を隠した。幸い、あたしの胸は片手で簡単に隠すことができる大きさである。あたしは片手で胸を隠し、空いた片手で握りしめていた風遁の札に魔法をかけ始めた。今度は絶対にはずしてはならない。彼の顔が茂みから出てくるのを待ち、そこに思いっきりこの風を当てて、吹っ飛ばしてやる。
ところが敵は一枚上手で、茂みから現れた瞬間にあたしに向かって風遁の術をかけてきた。あたしは手もなくそれを真正面に受け、あられもない恰好で尻もちをついた。でもまあ胸だけはきちんと隠しおおせた。
あたしの風遁の魔法は空へ飛んでいき、札はさらさらと砂になった。
「甘いな」
アリフレートは言いながら、あたしに制服を投げ渡した。なんとか一矢報いたくは思うが、何はさておき、これを着ねばあまりにも間抜けすぎる。あたしは焦って逆にもたもたしながら、服を着た。ひと段落すると、
「アリフレート。今日の君はいつもより百倍意地悪だね!あたしに対してもそうだけど、アンに特別ひどかったよ。なんでそんなことするんだよ」
「お前こそ、あの女が来てからずいぶん態度が変わったじゃないか」
「そっちの態度が悪いからだろ」
あたしは怒っているのというのに、アリフレートは気にも留めない様子で距離を詰めてきた。そしてあたしの制服のボタンが掛け違いになっているのを、直し始めた。
「あ、ありがと」
「どういたしまして」
「あのね。あたし、アンに誤解されるわけにはいかないんだよ。彼女はあたしと君が友達だとおもってるんだからさぁ」
あたしはアリフレートと放課後会っていることをアンに話したことが何度かある。親しくしている友人がいるのかという話題になったとき、あたしは見栄を張って、リューダとか、アリフレートだとか、カエルやカタツムリをくれた顔もわからぬ人物のことを人数として言っておいた。彼らとの親密度においても、少し誇張して伝えておいた。他の誰にそう思われても平気だが、彼女にだけは、友人もできない寂しい人間と思われたくなかったのだ。アリフレートがあたしの友人ならば、友人の友人枠で、もそっとアンにやさしく接するもんじゃなかろうか。
「俺はあの女とどうこうなる気は毛頭ない」
「はぁ?」
突然の言葉に、あたしは気の抜けた声をあげた。
「あの女が俺とあんたのことを疑ったとして、むしろうるさくなくなって好都合だ」
あたしはあんぐりと口を開いたまま、しばし考え込んだ。
つまり、アリフレートは次のように考えているのだろうか。
応援ありがとうございます!
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