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十八 戻ってくるウィスキーボンボン

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 その後、アリフレートは人前でのあたしに対する態度を多少改めたようだった。アンにも、わざと辛く当たるようなことはしなくなった。あたしも、彼と再びボート小屋に行くようになった。
 ところが、アリフレートは折さえあると、あたしがこないだやって見せた風の魔法のやり方をしつこく聞くのだった。触媒なしに魔法を使うのはなかなか難しいが、彼が調べたところでは、政府の誰それはそれができる。それから過去にどこそこの英雄も、そういう技を持っていた。そんな話を次から次へとし、あたしはボート小屋でボートを移動させるカートづくりに熱中することも、静かに読書をすることも、両方できなくなってしまった。
「しつこいなあ。もういいよ、その話は」
「いや、もっとさせてくれ。あの風は良かった。うまくやれば、空が飛べるんじゃないか。どうやるのか、コツを教えろよ」
「コツはこう、体の内側にぶばぼ、と力を溜めるんだよ」
「だからあ、それじゃわかんないんだって」
 アリフレートもいいかげんもどかしさに苛ついている。あたしはため息をつきそうになったが、一応こらえた。
「あのさあ、君、足の指開く?」
 あたしは靴下を脱いで、自分の足を開いた。
「あたしの足、左は開くけど、右はどうしても開かないの。指の付け根にぶわって力を入れればいいんだってわかってて、左足はそれができるんだけど、右足はできないんだ。コツって、そんな感じ。うまく言葉にできないし、言葉にできたとしてもなかなか実践には移せないんだな。なんとなくできるようになるのを待ちなよ」
「あんたのその話じゃ、到底納得できないんだけど」
「痛い」
 話しながら集中せずにカートの木材をつなぎ合わせる釘をいじっていたので、あたしは手を傷つけてしまった。
「あー、もう!痛くしちゃったじゃないか」
 別に彼の責任ではないが、あたしは彼に腹を立てた。
「大丈夫?」
 とアリフレートはのそのそと立ち上がって傷を覗き込んできたが、あたしは乱暴に彼に背を向けた。
「もう、ほっといてよ」
「傷を洗いに帰るか」
「まだだめだよ。今日はカートを完成させるって決めてんだから、邪魔しないでよ」
 あたしは布切れを手に巻き付けて血を止めようとしたが、なかなか血は止まらなかった。血をとめようと苦戦しているうちに、頭が冷えてきた。そしてアリフレートにすまない気持ちが芽生えてきたので、あたしは彼に向き直った。
「空を飛びたいんなら、いい考えがあるよ」
「なんだよ」
「先生が、準備室で風遁の札を作ってるの見たんだ」
「札かぁ」
 アリフレートは乗り気でない。
 正直、あのときあたしが彼に向けて放った風は偶然の産物だった。あたしは本当のところ、そよ風程度の風しか吹かせられないのだ。それも洗濯物という目標物があるときだけ、その風が吹かせられる。どうして彼に風を当てられたのか、今もってちっともわからない。それに、一発目はともかく、二発目の切れ味のいい風に、あたしはずいぶんヒヤッとしたのだ。あんなのが髪ではなく肉の部分にあたってたら、怪我をさせてしまうところだった。もう人に向けてこの魔法を使いたくはない。
「あれ以上の風は吹かせられないだろうし、やっぱりうまくコントロールするには先生のいうようにお札が必要だよ」
「札なんて使っても、ちっぽけな風が起きるだけで、消しゴム程度のものを動かすことしかできないじゃないか」
「授業で使ってるお札はね。先生が作ったやつはすっごい威力だよ」
「すごい威力ってどのくらい?」
「あのね、先生は準備室の窓から風遁を使ってたの。試したんだろうと思うよ。しばらくしたら、あの山の上にある雲が消えた」
「うさんくさ」
 アリフレートは鼻を鳴らした。
「本当に見たんだ。それを使えば、空も飛べるよ。試してみようよ」
 アリフレートはしばらく黙っていたが、やがて、
「さすがにそんな物騒な札、いつまでも準備室にないでしょ」
 と言った。
「大丈夫。明日の放課後、南門のところに来て」
 アリフレートは返答の代わりに、あたしの手を凝視した。
「すっごい血がでてるじゃないか。早く帰って洗おうぜ」
「うん」
 鞄を拾ってそそくさと帰ろうとすると、アリフレートが突然、自分の鞄の中から箱を取り出してあたしに手渡した。見ると、ウィスキーボンボンの箱であった。
「やるよ、これ」
 彼には以前、あたしがクセニアのウィスキーボンボンを食べてしまったことを話したことがあった。そのときあたしはアリフレートがウィスキーボンボンというものを知らないと思い、とくとくとそのおいしさについて語った。なんでそう思い込んでしまったのかわからないが、「まあ君なんかは食べたことないだろうけどさ」と少し上から目線で話をしたのだ。ところが彼はそのお菓子を食べたことがあって、あたしがひとしきり話し終えると、自分は特別このお菓子を好きではない、と冷たい感じで言い、あたしは少しばかり恥ずかしい思いをしたのだ。
 アリフレートのくれたボンボンの箱は、真ん中が金粉で飾られていて、とても立派だった。
「もらいもんだけど」
 もらいもの?アリフレートは特別このお菓子を好きではないので、家族がわざわざそれを送ることもなかろう。でも、こんな高価なお菓子を、はたして家族以外の誰がくれるのだろうか。いやしかし、アリフレートはあまりしゃべらないから、家族も彼の好みをあまりよく知らないで送ったのかもしれない。
 あたしは箱を見つめてしばし考えた。アリフレートはさっさと扉を開けて、あたしが出てくるのを待っている。
「これって、クセニアに?」
「あんたにやったんだから、あんたの好きにしろよ。ちなみに、そのチョコには魔法はかかってない」
 アリフレートは待ちきれないのか、バツが悪いのか、押さえていた扉を話すと、そそくさと森を歩き始めた。

 その晩、あたしはクセニアとそのボンボンの箱を開けて、その美しさに歓声を上げた。クセニアが持っていたのはチョコレートの中にウィスキーが入っているものだったが、アリフレートがくれたのは色とりどりジェリーの中にウィスキーが入っているというものだった。
「アリフレートがくれたんだよ」
「ふぅん」
 あたしが告げても、クセニアは特別なんとも思わなかったようで、次の色のボンボンをつまみ上げて、口に放り込んでいる。
「二人は付き合ってたの?」
「遊びよ、遊び」
 アリフレートは目つきが悪いし寡黙なので一見怖く見えるが、実は普通の男子であるようにも思う。彼がクセニアに振られたということをあたしに告げたとき、あたしはそのように感じた。さらに、彼は結構本気でクセニアのことを好きだったような気がする。このウィスキーボンボンをくれたのだって、あたし経由でクセニアを喜ばせたかったのだろう。
「クセニアは彼のこと好きじゃないの?」
「だって、アリフレートって不良じゃない!」
 あたしはその言葉に面食らって、クセニアをまじまじと見た。お酒を飲んで騒いだり、夜に男子寮に忍び込んだり、学院内の池で泳いだりするクセニアも立派な不良に見えるのだけれど。クセニアはあたしの視線には気づかずに続ける。
「何を考えてるかわからないところは、魅力的だわ。でもそんな人、恋人にはできないわねぇ。苦労が目に見えてるもの。何よフジ、あんた彼のこと好きなの?」
「違うよ」
「まーたまたぁ、おませねぇ。でも、悪くなかったわよ、アリフレートったら」
 クセニアはぽってりした唇を三日月型に笑わせた。
「彼はとてもお金持ちだって言うし、あんたが彼と付き合えば、私もこうやって定期的においしいお菓子を食べられるわね。応援するわ、ファイト」
 かわいそうなァリフレート。彼にはクセニアの恋人に返り咲く可能性はなさそうだ。それからクセニアの言ったことにしたって考えものだ。あたしだってできることなら、好きになると苦労する人と付き合うより、ただただ幸せな恋をしたい。
「そうよねぇ。それでも応援しちゃう。だってこのボンボン、とってもおいしいもの」
「そうだね。またくれるかなぁ。あたし個人には、ご縁のない食べ物だよ」
「あら、ある意味あんたに縁があるのよ。だってあんたに食べられてなくなったと思ってたら、こんなに立派になって戻ってきたんだもの、また戻ってくるわよ」
「じゃ、早いとこ戻ってくるように、これ全部なくしちゃおっか」
 あたしたちは二人で二十四個のボンボンを食べつくすと、すっかり酔っぱらって楽しい夜を過ごした。アリフレートに明日会ったら、あたしたちがこうやって楽しんだことを話してあげよう。もちろん、クセニアが彼にまったく気がないことはあえて伝えずに。
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