上 下
2 / 12
プロローグ

面会

しおりを挟む
(さて、この熊はどう処理しようか…)
本当ならすぐにでも殺したいところだが、この熊の子が来るのなら判断に迷ってしまう。
(眠らせておくか…)
熊がかすかに薄緑色に光った。対象を眠らせるこの魔法は一応高等魔法だ。だが、たまたま目に入った高名な魔術師の自伝記を読んだだけで再現してしまったのだった。熊はパタリと倒れた。
(後で子熊を調教しようかな)
大事にもしたくないので彼らが帰るまで隠れようと、そっとその場を離れようとすると御者に呼び止められた。
「是非いらしてください。御子息の命の恩人を招かぬような主人ではありません。」
「…はい…(逆に困るんだけどなぁ…)」
絶対に招くという意気を感じた少年はなされるがままに馬に乗せられた。
馬車は壊れていたが、馬は全て無事だった。
馬車から助け出された少年はとても身分が高いようで、服装と鞍に跨る姿が似合っていた。その男の子は顔色が悪く、一言も話さなかった。


(この方角はどこに向かうというのだろう?王都か?)
王都はこの国の中心で、建前としては貧民はいない。芸術、経済、政治の中心である。だがそのイメージは単に都に入れる人を選んでいるだけだ。だから典型的な乞食の格好をした少年は本来は入れない。しかし後ろの男の子を見るとすんなりと門を通れてしまった。
(どれだけの地位があの子にあるんだ?)
しかも、権力の無いはずの御者が門番の一人に伝令に走らせたところからしても相当な家柄ではないか。
少年は男の子の地位と警護のバランスから、位は伯爵家あたりだと考えていた。
しかし見事にその予想は裏切られることになる。

「…公爵?…」
連れてこられたのは公爵邸だった。
(まさかあの子は王族の親戚なのか?あんな少人数で外に出るのに?)
門番は乞食を連れてきた御者に多少戸惑いながらも丁寧に入れてくれた。
門を通り抜けると何人かのメイドが待っていた。丁重な扱いには程遠いが、これを整えたのは御者だという点、そして何よりも乞食相手だということを鑑みれば信じられない程の扱いと言える。
「シルナ、この子に合う服を繕いなさい。カルナ、客用の部屋と風呂は準備できているな?案内しなさい。」
御者はテキパキと指示を出していて、まるで家の当主か執事であるかのようだった。
「まだお名前をお聞きしておりませんでしたね。お名前は?」
「…ウグルです。」
「…そうですかウグル様。」
そういう彼の目線は鷹のように鋭く、鳥肌が立った。
「それとお言葉ですが、服は結構です。」
「…そうですか。せめて湯浴みはして下さい。主人に会って頂きます。」
「はい。」
カルナと呼ばれたメイドは長く曲がりくねった廊下を案内してくれた。
「ここにお立ち下さい。」
しばらく歩いた後にそう言って呼び寄せられたのは、
暗く赤いカーペットの廊下の突き当たりだった。
彼女の言う通り隣に立つと壁に飾ってある絵に呑み込まれそうだった。戦地の中の一人の武者は印象的だった。
「しばらく目を閉じて下さい。」
「分かりました。」
そうは言ったものの、素直に目を閉じるはずが無い。見えるギリギリまで目を細めた。
(何が起こるんだ?)
そう心を昂らせていると、不意に光に包まれた。とても暖かった。
思わず目を開けてしまうと、目の前にあった壁と巨大な絵は消えていた。
「え!?」
叫んでしまった。
「魔法か?」
(魔力は感じられなかったし、特に大きな音もしなかった。何より運ばれた感覚は無い…)
ハッとしてメイドの方を見た。
目線が合ってしまい、慌てた。
「目を開けてしまってごめんなさい。急に明るくなったのでどこに来たのかと思ってつい…」
「元々、ここに来た後は見てもらっても構いませんでした。気にしないで下さい。」
ようやく目も慣れてきて部屋を見た。食堂ではないが、少人数で人が集まる場所のようだ。窓があり、そこから夕日が差していた。
その部屋から別の緑色基調の廊下に出ると一つの扉の前で止まった。
「今日からこちらのを使っていただくよう伝えられています。」
「今日からって…いつ帰してくれるの?」
「私は存じ上げませんが、御主人様と会われた際にわかるのではないでしょうか。あなたは客人として招かれている以上は心配なさらずにくつろいで下さい。何かご要望がありましたら我々に申し付け下さい。」
「朝は自分で起きるから掃除の時までは入らないで欲しい。」

 翌日、日の出前に起きると暗い部屋の中で胡座をかいた。
多くの人にはただ黙って座っているように見えるのだが、
一部の才あり、見える人たちには素晴らしい魔力の扱いに目を奪われただろう。朧げに現れた光なのに龍の形をしたそれははっきりとその輪郭から鱗の一枚一枚まで見えた。それは尾が把握できない程複雑に絡み合ったが、滑らかに龍は飛んだ。そんな万華鏡のような
少年にも魔力を見る力があったが、魔法を扱う上での致命的な不足があった。それは感覚だ。
身体に例えていうならば、運動神経は通っているが、感覚神経が無いようなものだ。魔力でも身体でも同じだが、力加減が出来なくなってしまう。感覚神経が無くとも、ペンが折れる程度の被害で済むが、魔力の場合はその限りで無い。魔力量が少ない人なら被害が無い可能性もあるが、少年のようにある程度魔力を持っていると人命に関わってくる。
だから彼は人を傷付けないように魔力を感じ取れなくてもパワーを思いのままにできるようになるこの幻を使ったトレーニングしているのだが、それがとんでもない制御能力になっていると気付くのは先の話である。

 しばらくするとカルナに食事室に案内された。
「昨日の事は感謝する。」
昨日あの馬車にいた少年だった。
「いえ、当然の事をしたまでです。(なんで浮浪児を後に招いたんだ?まさか正体を?)しかし何故私如きを最後にお呼びになられたのですか?」
「恩人だからな、当然だ。」
その後は形式的に進んだ。しかし予想外だったのはある程度の上級貴族にもなればある集会堂に呼ばれた事だ。大功労や重大な発表にしか使われない屋敷で最も高貴な部屋に。
しおりを挟む

処理中です...