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よそはよそ、うちはうち。法律なんて僕には関係ない

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よそはよそ、うちはうち。法律なんて僕には関係ない
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「よそはよそ、うちはうち」

 母さんの口癖だった。
 新作のゲームが欲しいって言った時も、スイミングスクールに通いたいって言った時も、そう言われた。
 そして、それは今日も同じだった。

「……そう、だよね」

「隣の芝ばかり羨んでないで、そもそもやることやったの? 宿題出てるんでしょ」

「はい」

 みんなが持っているからなんて、友達を引き合いに出した僕も悪かったのかもしれない。
 でも仕方ないんだ、母さんは僕の話に聞く耳なんて持ってくれやしないのだから。

 そもそも、友達が持ってるから欲しいって気持ちはそんなに悪いことなの?
 そんな疑問が頭の中をぐるぐると回る。
 もっとも口に出した事はない。
 口答えしたところでどうせ殴られるだけ、僕は痛いことは嫌いだ。

 モヤモヤとした気持ちを抱えながらプリントを進める。
 あれ?
 文字が滲んでよく見えないや。

 さっさと終わらせないとまた怒られるのに……

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「なんでこんなことも出来ないの?」

「……ごめんなさい」

 怒られてしまった。
 宿題はやったけど間違っていたみたいだ。

 母さんにやり方を聞いて帰って来た答えがこれだった。
 なんでと聞かれても、そんなものは分からない。
 それが分かれば僕はこの問題を間違えなかったと思う。

 だから、黙って下を向いてただ母さんの怒鳴り声を聞いていた。

「ずっと黙ってないで、なんとか言ったらどうなの!」

 でも、それは間違いだったみたいだ。
 母さんはどんどんヒートアップしていってしまった。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 僕はただその言葉を繰り返すしかなかった。
 それ以外の言葉を言ったら殴られるに決まっている。
 でも、この謝罪も気に食わないみたいで母さんの怒りは収まらない。

 そもそも、こうなった時点で詰んでいて何を言っても意味がないのだ。
 母さんは感情で動いているから、僕の口から出る言葉全てが気に食わない。
 いや、僕の存在そのものが気に食わない。

 昔は父さんがなんとかしてくれていた。
 でも、とっくに愛想を尽かしてしまったのだろう。
 いつの間にかいなくなってしまった。

 母さんは自分が父さんを捨てたなんて妄言を吐いていたりもしたが、客観的に見て捨てられただけだ。

「他のみんなは出来てるのでしょ? 私、恥ずかしくて情けなくて……」

 最終的にはこれなのだろう。
 私が、私が。
 母さんは僕のことなんか考えていない。
 常に自分のことを考えて生きている。

 僕が勉強できないと、母親の自分が恥ずかしい。
 自分が夫を捨てたことにしないと、妻の自分が恥ずかしい。
 恥ずかしいと言うのは、ママ友と比較してだろうか?
 おかしな話だといつも思う。

 よそはよそ、うちはうち。
 そんな言葉を吐きながら、常に他人のことを気にして生きている。
 ただの嘘つきだ。

 そもそも、この言葉は根本からして破綻しているのだと思う。
 だって人間はそういう生き物ではないから。
 だから、こんな言葉を使う人間は、すべからく自分のことしか考えない愚かで醜い奴ばかりなのではないかとすら思ってしまう。

 そして、最悪な事にそんな醜い奴の血が僕に流れている。
 思考がそこに行き着くたびに吐き気を覚える。
 母さんを見ていると自分が生きている価値のない人間だと見せつけられるかのようだ。

「話聞いてるの!?」

「……」

「なに、その目は?」

「……うるさい!」

 だから、言ってしまった。
 イライラしていた。
 自分が生きる価値のない人間だという証拠を長々と見せられ続けて。

 言ってすぐしまったと思った。
 僕は痛いのは嫌いなのだ。
 だが、意外にも殴られなかった。

 あっけに取られたとでも言うべきだろうか。
 そんな顔をしていた。

 ……

 怖くなった僕は逃げた。
 咄嗟にドアを塞ぎ、そのまま自室に閉じこもった。

「出て来なさい、まだ話は終わってない!」

 ゴンゴンとドアを叩く音が聞こえる。
 不安になり、部屋にある動かせるものをとにかくドアの前に重ねていった。
 ドアが開かないように。

 布団に潜りただ震える。
 いつかはバシッと言い返して、そんな妄想は何度も繰り返したことがあった。
 でも、咄嗟に出た言葉はあれだけで僕はそのまま逃げてしまった。

 やっぱり僕はその程度の人間ということだ。
 母さんの子供なのだから当然だ。
 そんなかっこいいこと出来るわけがなかった。

 怖くて、不安で仕方ない。
 所詮僕は子供だ。
 本気になった大人には敵わない。

 体当たりでもされたのか、激しい音が何度か響き僕が即席で作ったバリケードはあっけなく崩壊した。
 ゲームオーバーだ、殺される。
 僕は本気でそう思った。

 ……僕の机の上に、ハサミが置いてあった。

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「よそはよそ、うちはうち。法律なんて僕には関係ない」

 警察の問いに、僕は実に身勝手な答えを出した。

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