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9話 デジタルタトゥー

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9話 デジタルタトゥー
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 8月31日、夏休み最終日。

「夏休みも今日で終わりだね」

「ああ、」

「今日はどこに行こっか」

「そう、だな……」

 小川さんはベットに寝たきりの状態、もうどこかにいくなんて無理だ。

 夏休みの間、無理をしすぎたのだ。
 僕はあの日小川さんの余命を知って、それでも遊ぶことを選択した。
 日が経つごとに小川さんの体調は悪化するばかりで、遊んでいる最中に倒れたことも一度や二度じゃなかった。
 それでも僕達は遊び続けた。

 これで本当に良かったのか、今考えてもそれは分からない。
 でも、夏休みの間小川さんはずっと楽しそうだった。
 楽しそうに笑っていた。
 それに、僕も楽しかった。

 笑顔っていうのは幸せの象徴だ。
 人生笑って終われるのなら、それ以上のことはない。
 そうどこかで聞いたことがある。
 何も分からなくて、理解だって全然できなくて、でもそれぐらいは出来たかなって思う。

 だから、もう心残りなんてない。

 ……

 笑ってお別れしないと。
 笑って、
 僕が笑ってないと、小川さんまで笑えなくなちゃう。
 なのに……

 ……そんなのは嘘だ。
 心残りがないなんて、嘘だ。
 心残りしかない。
 もっとずっと一緒にいたかった。
 延々とこうやって一緒にいられるものだと思っていた。

 余命なんて実際はなんてことなくて、来年も同じように遊べたら。
 そう何度妄想したことか。
 もう一度、一生のお願いって言って来た小川さんに2度目だなって笑って返せたらどれだけ幸せだったか。

 でも、時が経つほどに彼女は弱っていった。
 小川さんのお母さんから聞いた話の正しさを証明するかのように、素人目に見ても健康な状態とは程遠かった。
 それでも僕は小川さんの願いを叶えたかった。

 自ら立てなくなった小川さんを、車椅子を押して色々な場所に行った。
 慣れないことして、真夏の直射日光に照らされて、いつもへとへとだった。
 写真を撮った。
 くだらないどこにでもあるような日常から、滅多に見られないような絶景まで。
 全て。

 車椅子を使っても小川さんを病院から連れ出すのが無理になっても、いろんなものを買ってきた。
 手が動くから、手さえ動けば遊べるものを。
 口が動くから、口さえ動けば遊べるものを。
 約束通り、夏休みの間ずっと。

 横で弱ってく小川さんを見ながら。
 それでも、笑顔で……

「ありがとね、健くん」

「……うん」

「あのね、私……」

「……」

 小川さんが何かを言おうとして、その言葉を引っ込めた。

 彼女にゆっくりと手を握られた。
 弱々しい手だ。
 そっと引っ張られる。

 体を少し動かすことすら辛いはずなのに。
 寝返りももう自分では出来ないほどボロボロなのに。

 僕はそれに身を任せ、彼女にそっと抱きしめられた。
 頭を胸に抱き抱えられた。
 心臓の鼓動が聞こえる。
 温もりに包まれ、ほんのりと温かい。

 僕もそっと抱き返す。
 少しでも力を入れて仕舞えば折れてしまいそう、そんな儚い体。
 僕はその存在を確かめるように、優しくそれでいてしっかりと抱きしめる。

 失いたくない。
 手から凝れ落ちてほしくない。
 そう思って。

「来年の夏休み、お願いね」

「……。ああ、もちろん!」

 抱き合った状態、耳元で囁かれた。
 優しい声だ。
 この声を聞けるのも、もう。

 今は僕の顔は小川さんからは見えない。
 だから少し、気が緩んでしまった。
 抱きしめられて、安心してしまった。

 僕の返事は震えてなかっただろうか。
 涙が、溢れて……

「私ね、重い女だから。来年の夏休みは私のことを思い出しながら毎日写真をアップして、再来年からは毎年それを見ながら私のことを思い出して……」

「うん」

「忘れたりしたら嫌だからね」

「うん」

 これは、小川さんが僕に残してくれた思い出だ。
 小川さんとの最後の日々だ。
 忘れるわけなんてない、忘れられるはずなんてない。

 僕はずっと、彼女だけを見て過ごす。
 この夏休みの思い出を背負ってずっと生きていく。

 正直彼女のいない世界に生きる意味なんて感じない。
 でも、彼女が生きたくても生きられなかった世界に背を向けるほど僕は薄情な人間じゃない。
 僕はずっと彼女のことを思いながら、できる限り長生きして彼女の分まで世界を見て。

 それで……

「私も向こうから一緒に見るから」

「……え?」

「知ってる? ネットはね世界中のどこからでも見られるんだよ。だから、きっとあの世からでも」

 1人じゃない。
 会えないけど、同じモノを見て同じことを思って……
 消えることのないデジタトゥーを見ながら。

 僕は1人じゃない。
 会えないだけで、ずっと一緒だ。

「うん、一緒に……」

「……」

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小川さくら、享年13歳
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