捧げモノの花嫁は一途な理星に想われる

あおまる三行

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18.揺籠の外

 その日は、朝から静かだった。
 塔の外がどうであろうと、この部屋に届く音はいつも限られている。
 けれど今日は、いつも以上に人の気配が少なく、空気が張りつめているように感じられた。

 今日は、花嫁を用いない神域との接続試行の日。
 そしてそのために、リシェルが外出を許される日でもあった。

「計測は、研究局で行います」

 朝、セオはそう告げた。
 神域との接続状況は研究局側で調整され、記録される。

「異変があればすぐ戻ります」

 いつもと同じ、淡々とした説明。
 用意してくれたという平服を身に着けて硝子窓の前に立つと、そこに映るのは見慣れない自分だった。
 どこにでもいる商家あたりの娘のように見える。

(……私、こんな格好もできたんだ)

「セオが用意してくれたんですか?」
「いや……大方は、ジアが。俺は最終候補から選んだだけです」
「……そっか」

 締まりのない笑みがこぼれそうになって、慌てて背を向けた。
 ただ、普通の服を着て、外に出る準備をしているだけ。
 嬉しさと同時に、怖さもあったけれど、何より楽しみだった。

 ヴィンスとジアだけが、手伝いのために揺籠を訪れていた。

 ジアは一瞬、言葉を失ったようにリシェルを見る。
 それから、柔らかく微笑んだ。

「……よく似合っていらっしゃいます、花嫁様」
「ありがとうございます」

 ヴィンスは腕を組んだまま、じっとリシェルを見ている。
 その視線は、何かを噛みしめるような複雑さを含んでいた。

「……」

 だが、彼は何も言わない。
 代わりに、一歩近づいてきて、短く告げた。

「花嫁様。おみ足に、失礼を致します」

 その言葉で、何をされるか理解した。
 ヴィンスが取り出したのは、細く加工された拘束具だった。
 足首に、冷たい感触。
 かちりと小さな音がして、拘束は完了した。

「……」

 セオは、明らかに不快そうだった。
 眉間に皺を寄せ、唇を引き結び、ヴィンスの手元から目を逸らしている。
 怒っている。そう見えた。

「……必要な手順だろう。セオ。そう怒ってくれるなよ」
「わかっている……」

 ヴィンスが言うと、セオは短く息を吐いた。
 そして近づいてきて、次の瞬間、リシェルを抱き上げた。

「……え」

 声が漏れる。
 腕に包まれる感覚。
 床が遠のく。

 足の鎖は、スカートの裾に上手い具合に隠れていた。

「不自由でしょうがお許しください」

 事務的な声だったが、どこか硬い。
 リシェルは一瞬迷ってから、そっとその肩に腕を回した。耳元に囁く。

「……重くないですか?」
「神霊術で支えていますから。落としたりはしません」
「……そういうことじゃない」

 思わず、少しむっとする。
 セオは視線を逸らしたまま、何も言わない。
 だが、その腕は微妙に力が入っていた。

 ヴィンスが肩をすくめた。

「ほんとに……変わったねぇ、お前も」
「なにがだ」
「花嫁様を抱えて歩く研究局長なんて、前代未聞だろ。しかも、そんな顔して」
「……どういう顔だ。そういうことを言うから、お前には任せられないんだ」
「よく言うぜ」

 はぁ、と大きく溜め息をつきつつも、セオは頷いて二人を見た。

「……あとは頼んだ、ヴィンス、ジア」

 セオに抱えられたまま、扉を出る。
 リシェルは当然のように、昇降籠の方へ向かうのだと思っていた。

 けれどセオは、廊下を数歩進んだあと、迷いなく窓の方へ向かった。

「……え?」

 問いかける間もなく、窓が開く。
 冷たい風が一気に流れ込み、視界の向こうに、空が広がった。

「ちょ、ちょっと……!」

 反射的にセオの胸元を掴む。

「外から出入りを視認されると面倒なので。飛ぶのは得意なのでご心配なく」
「と、飛ぶ……?」

 言葉にした瞬間、足元から風の術式が舞い上がる。
 浮いた。
 正確には、浮かび上がったセオの腕に抱かれたまま、空へと飛び込んでいた。

「わ……!」

 風が強い。
 ぎゅっとセオの身体に縋りつく。
 思わず目を閉じかけて、けれど――

 恐る恐る目を開ける。

 眼下に広がるのは、切り立った山々と、それを縫うように続く緑の大地。
 塔はすでに後方にあり、山に沿って建つ王城の全景が見渡せた。
 鳥たちが、すぐそばを飛んでいる。

「……!」

 息を呑んだ。

「……すごい……」

 声が、自然と弾んだ。
 鳥の群れの中に、混ざっているみたいだ。
 翼はないのに、同じ高さで、同じ速度で飛んでいる。

「ね……セオ、鳥と一緒……!」

 セオは一瞬だけ視線を落とした。

「以前、鳥がお好きだと言っていましたから。少しはそれらしいですか?」
「……覚えててくれたんだ」

 風を切って進むうちに、怖さは次第に薄れ、代わりに高揚感が込み上げてくる。

「すごい、すごい……! こんなの初めて……!」

 思わず、少し身を乗り出す。

「危ないです」

 すぐに、セオの腕に力が入った。
 胸の中に抱き込まれ、風圧から守られる。

「……ちゃんと掴まっていてください」
「う、うん」

 そう答えながら、リシェルは自分の体勢に改めて気づく。

 抱き上げられたまま。
 身体の側面が、セオの胸に密着している。
 腕と腕の間に、逃げ場がない。

(……近い)

 今更、どきどきする。

 城と山を抜けると、景色は一変した。
 広がるのは、なだらかな丘と畑、そして人の営みが集まる城下の街。
 赤茶の屋根が連なり、道には人が行き交っている。

「どこへ行きたいですか」

 少し考えてから、リシェルは答えた。

「……街を、歩いてみたいです」

 自分の足ではないけれど。
 それでも、もう一度、街の中に降りてみたい。

 セオは短く頷き、ゆるやかに高度を下げていく。
 人目につかない路地裏へ、そっと降り立った。

 足は地面につかない。
 セオはそのまま、リシェルを抱いた状態で歩き出す。

「……あ」

 街のざわめきの中に出て――その瞬間、リシェルははっとした。

 セオの整った顔立ちに、落ち着いた雰囲気。
 今日は外出用の上着を着ていて、それがまた目立つ。
 そんな男性が、若い女性を抱き上げたまま街を歩いている。
 視線が集まらないわけがなかった。

「……あの」
「はい」
「……みんな、見てませんか……?」
「そうですね」

 セオは一瞬だけ足を止めた。

「……気になりますか?」
「ちょっとだけ」

 正直に言うと、セオは困ったように辺りを見た。

「すみませんが、許してください。リシェル」

 仕方ない、と思いつつ。
 リシェルは、そっとセオの肩に額を預けた。
 女性連れだと、残念そうにセオを見る人がいることは分かっていた。

 こうしていれば彼を独り占めにできるから、案外悪くはないのかもしれない。などと、我儘なことを思った。





 街は、どこも賑やかだった。
 きょろきょろと視線を巡らせる。

「……楽しいです、セオ」
「何よりです」

 胸の奥が、じんわりと温かい。
 今だけは。先のことも、神域のことも。
 全部忘れてしまいそうになるくらい。

(……幸せなのかも)

 通りを少し進むと、小さな広場に出た。
 噴水があり、周囲には露店が並んでいる。
 リシェルが段々と体勢を保てなくなり、セオに掴まっていることに気づいたのだろう。

「少し休みましょうか」

 噴水の傍にあった長椅子に、セオは腰を下ろした。
 もちろん、リシェルを膝の上に抱いたままで。

「……あの」
「はい」
「……セオ、ずっと、重くないですか? 疲れませんか。ここなら下ろしても……」
「いえ。……正直に言いますと、あなたは軽すぎます」
「……」

 冗談ではない声だった。

「ちゃんと食べていますか」
「……食べてます、よ」

 嘘ではない。
 ただ、足りているのか足りないのか、自分でもよく分からないだけだ。
 ――最近、胃の感覚がない。
 喉の渇きもあまり感じない。
 医局の人々が準備してくれる食事は残していないから、不足はないのだろうけれど……

 セオは、それ以上追及しなかった。
 けれど、腕に込める力が、ほんの少し強くなる。

 傍から見れば、日の高いうちから、恥ずかしげもなく逢瀬を楽しむ男女に見えるのだろう。
 それでもいいか、と、リシェルはずっとセオの瞳を見ていた。
 その腕に、すっかり身を預けている。

(……安心する)

 しばらくして、セオが小さく言った。

「……もし」
「?」
「上手くいったら……」

 言葉を選ぶような間。

「……次は、歩けるようにしましょう」
「……ほんと?」
「ええ。……約束はできませんが、努力はします」

 それで十分だった。
 リシェルは、そっと笑う。

「……じゃあ次は、靴も選びたいです。セオ」

 セオは、一瞬目を見開き、それから小さく微笑んだ。

「……そうですね」





 それから、街でまるで普通の――と言うには、いささか距離の近い男女として過ごして。
 セオはしきりに、何か見たいものはないかと尋ねてくれたけれど、リシェルはとても楽しかった。

 日が傾き始めていた。

 城下の通りに、夕刻の影がゆっくりと伸びていく。
 昼の賑わいが少しずつ和らぎ、家路を急ぐ人々の声が混じりはじめた。
 塔の上から見る空とは、色が違う。
 低く、近く、あたたかい。

(でも、疲れた……)
(自分で歩いてもいないのに、こんな……)

 その時――
 セオの胸元で、通信石が剣呑な光を帯びる。

「……!」

 赤い光。リシェルにくれた石の片割れとは違う、緊急を知らせるためのものだ。
 一度、二度、間を置かずに瞬く。
 セオの表情が、即座に変わる。

「すみません。接続値に乱れが出始めています。……流石に一度で上手くはいかないだろうと思っていましたが。しかし……」
「……そっか」

 駄々をこねることはなかった。
 この時間は、仮のものだと分かっている。

「帰ろう、セオ……皆が、神霊術を使えなくなったら大変だもの」
「……」

 その言葉に、セオは悔しそうに頷き、リシェルを抱え直す。
 次の瞬間、風が身体を包んだ。

 夕焼けの空を、再び飛ぶ。
 先程よりも速度が速く、帰路は一瞬で過ぎ去った。
 鳥たちの群れを追い越し、山城に建つ塔が近づいてくる。

(時間切れ……)

 リシェルは、ぎゅっとセオに掴まる腕に力を入れていた。

(……ああ)

 けれど、微細な違和感は否応なく分かった。
 揺籠に入った瞬間、それははっきりと形を取る。

 ――乱れている。

 神域との接続が、不安定だ。
 計測器の数値が、低く警告音を鳴らしていた。
 ヴィンスとジアの顔を見て、リシェルは頷く。

「……ヴィンスさん。私の鎖を解いてください」
「はい」

 セオに抱かれたまま、ヴィンスが足枷を取るのを待つ。

 そして、その腕から逃れるように軽く飛び降りた。

「リシェ――」
「ありがとう、セオ! 楽しかったよ」

 やさしく遮るように、首を振る。

「もう大丈夫。――ただいま、戻りました……」

 リシェルは、ふっと微笑んだ。
 静かに姿勢を正した両手を胸の前で組む。
 祈りの姿勢。

 その瞬間だった。

 白い光が、リシェルを包み込んだ。

「――リシェル、やめ……!」
「セオ!」

 ヴィンスがセオを押さえていた。

 室内の空気が、一変する。
 術士たちが必死に調整していたであろう神域との接続が、整えられていく。
 セオが息を呑む音が聞こえた気がした。
 ヴィンスとジアも、固唾を呑んで様子を見守っている。
 乱れが消える。流れが定まり、力の向きが揃う。

(そう言えば、こうして調整する姿を見せるのは、初めてだ……)
(どう、セオ……私、役に立ってる……?)

「……っ」

 次の瞬間、計測器の数値が、激しく揺れた。
 数値が、上がっては落ち、落ちては持ち直す。
 正常値の範囲に戻ってはくるが、その振れ幅が異常だ。


「……リシェル!」

 思わず、セオが声を上げる。
 ジアはその手を押さえていた。
 消耗と回復が早すぎると、彼女も気がついているのだろう。
 いけません、と叫んだのは、彼女の医師としての責任感だろうか。


 しかし次の瞬間、――

 嘘のように、すべてが収まった。
 白い光が消え、室内は静寂に包まれる。

「……おわりました。しばらくはこれで、だいじょうぶ」

 リシェルは、そう言って微笑もうとして、――そのまま、身体が人形のように前に倒れる。
 セオが駆け寄り受け止めた。

「……リシェル。まさか」
「……」
「最近の、安定は。あなたは、ずっと」
「…………だって」

 セオの言葉の順序が崩れていて、少しおかしい気がした。
 なにもおかしい場面ではないのに、リシェルは少し笑っていた。

「おでかけ……したかったから…………」

 それだけ言って、リシェルは意識を失っていた。

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