捧げモノの花嫁は一途な理星に想われる

あおまる三行

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20.ねがうこと

 しばらく、時間の感覚が失われていた。
 揺籠の中は静かなまま、セオの腕の中に囚われていた。

「……セオ」
「はい……」
「研究……続けてくださいね」

 セオの肩が、僅かに揺れた。

「どうか……止めないで」

 言葉を選びながら、続ける。

「私がいなくなった後も……この塔は、残ります。神域との繋がりがなければ、神霊術も使えなくなって……この国は回らない……」
「……」
「だから……いつかまた、私の「婚礼」がもたらす、蜜月が終わって……次の花嫁を選ばなければならない時が来たら、どうか救ってあげてください」
「……」
「私、それまで神域で、精一杯頑張るから」

 と言っても、神域に魂が明け渡されてしまえば、自我などなくなってしまうのだろうけれど。

(……ああ、嫌だな)

 そう思ってしまったことに、少し驚いた。
 胸の奥に、黒くねばついた感情が生まれる。

 いなくなった後の世界で、セオはいつかリシェルを忘れて、他の誰かにそのまなざしを向けて。
 いつか訪れた次の花嫁を、信念を持って同じように大切にして。
 それが、自分の好きになったセオの姿。
 変わってほしいわけじゃない。でも……
 ……こんな悪いことを考えるから、罰が当たって弱ってしまったのだろうか。

 セオの喉が、小さく鳴った。
 再び強く、リシェルを抱きしめる。

「……っ、無理です」
「セオ……」
「いやです」
「……」
「…………いやだ……」

 彼はただ首を振った。
 抱き締めたまま、何度も、何度も。

(だめだなぁ、私は……)
(…………うれしい、セオ)

 本当は、自分のことなど、忘れてもらうのが、優しさなのに。
 心に残らないように、ただの研究対象として、役目を終えた存在として、静かに彼の前から消える。
 それが、花嫁としての、最後の務めのはずだった。

(なのに……)

 腕の中があまりにも温かい。
 彼の額が、リシェルの肩に触れたまま、低い声が落ちた。

「……遅すぎたんです」
「……え?」

 問い返すと、セオは、腕を緩めなかった。

「気づくのが……覚悟を決めるのが」
「……」
「すべて……ぜんぶ、俺はいつも、遅すぎました」

 震えが、声に混じる。

「ですが……それでも」

 一度、息を吸う音。

「愛しています。――あなただけを」

 セオの額がリシェルの髪に触れる。
 低く、詰まった息が耳元に落ちてきた。

「こんな時に言うのはずるいと、不誠実だと分かっています、……合理的な理由など……ありません。でも、だから……」

 声は低く、震えている。

「……逃げましょう。この国を出て、立場も、何もかも……全部、置いて」

 リシェルは、ゆっくりと瞬きをした。

(……ああ)

 こんなことを言う人ではないのに。
 誰よりも冷静で、現実を直視する人だ。
 それでも今、セオは一人の人間として、縋るような提案をしている。

「……セオ」

 名前を呼ぶと、腕の力が僅かに強まった。

「だめですよ、そんなことは……」

 できるだけ、穏やかに言った。

「リシェル」
「……そんなこと、言わないで」

 リシェルは、セオの胸に額を預けたまま、首を振る。

「私が役目から逃れて、それでたくさんの人が困ってしまって……その責任を、ほんの少しでもあなたが感じてしまったら……私はきっと、……セオの隣に、いられません」
「……俺は」
「知ってます」

 言葉を遮る。

「セオは、間違ってない。何一つ。でも、これは私が選んだことだから。……研究材料としては、優秀でしょ、私……」

 セオの身体が、わずかに揺れる。
 反論したいのに、言葉を見つけられないようだった。

「……ありがとう、セオ」

 小さく言う。

「逃げよう、って言ってくれたこと。忘れません。だって……」

(……最後に)

 リシェルは、微かに笑った。

(夢くらい……見たって、いいよね)


「……私も」

 声が、震える。
 瞳は潤んで見えた。

「セオ。好き……大好きだよ」

 セオがゆっくりと顔を上げた。
 一瞬の躊躇い。
 それから――

「……」

 唇がふれた。

「ん……」

 互いの存在を確かめるように頬と鼻先を擦り合わせて、また、唇がふれた。
 セオの指が、リシェルの背に回る。

 呼吸が、近い。浅く乱れているのが分かる。
 リシェルは目を閉じたまま、身を任せていた。

 ややあって、睫毛がふれあうほど近くで見つめ合いながら、リシェルは小さく息を吐いた。

「……セオ。あのね、お願いが、あるんです」

 セオの動きが止まった。
 拒まれる気配はない。ただ、続きを待っている。

「婚礼の日の……私が身につける、花嫁衣装を……あなたに準備してもらいたいんです」

 言葉にすると、胸が少し苦しくなる。
 抱き締める腕が、わずかに強まる。

 分かっている。どれほど彼を苦しめる、酷な願いであるのかも。

「でも……」

 リシェルは、セオの服を、ほんの少しだけ握った。

 ――私にはもう、機会はないから。

「私は、あなたの選んだ衣装で……花嫁になりたいの」

 声は、ほとんど囁きだった。
 セオは黙っていた。何も言えないのか、否定も肯定もなく、ただリシェルを抱きしめている。

「……お願い、しましたからね」

 我ながら、ずるい言い方をしたと思う。
 けれどそう言った瞬間、胸の奥がふっと軽くなる。
 気のせいかもしれない。けれど、さっきよりも、呼吸が楽だった。

「いいえ、リシェル。けれど俺は……まだ、尽力します。あなたを取り戻すために」
「……」

 セオの真剣さに絆されそうになる。
 けれどその言葉に縋るには、自分はもうあまりに疲れている。
 そして同時に、自分がいなくなった後、彼を苦しめたくはなかった。

「……ううん。もういいんです、セオ」

 難しい顔をしてほしくなくて、すり、と頬を擦り寄せた。

「それより、ね。……もう一回だけ」

 自分でも驚くほど、素直な声が出た。
 欲しいと、言ってしまった。

 セオの動きが、一瞬、止まる。

「リシェル」

 すぐに、また唇が重なった。
 ただ、セオにふれている感覚。それだけを全身で受け止めていた。

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