20 / 31
20.ねがうこと
しばらく、時間の感覚が失われていた。
揺籠の中は静かなまま、セオの腕の中に囚われていた。
「……セオ」
「はい……」
「研究……続けてくださいね」
セオの肩が、僅かに揺れた。
「どうか……止めないで」
言葉を選びながら、続ける。
「私がいなくなった後も……この塔は、残ります。神域との繋がりがなければ、神霊術も使えなくなって……この国は回らない……」
「……」
「だから……いつかまた、私の「婚礼」がもたらす、蜜月が終わって……次の花嫁を選ばなければならない時が来たら、どうか救ってあげてください」
「……」
「私、それまで神域で、精一杯頑張るから」
と言っても、神域に魂が明け渡されてしまえば、自我などなくなってしまうのだろうけれど。
(……ああ、嫌だな)
そう思ってしまったことに、少し驚いた。
胸の奥に、黒くねばついた感情が生まれる。
いなくなった後の世界で、セオはいつかリシェルを忘れて、他の誰かにそのまなざしを向けて。
いつか訪れた次の花嫁を、信念を持って同じように大切にして。
それが、自分の好きになったセオの姿。
変わってほしいわけじゃない。でも……
……こんな悪いことを考えるから、罰が当たって弱ってしまったのだろうか。
セオの喉が、小さく鳴った。
再び強く、リシェルを抱きしめる。
「……っ、無理です」
「セオ……」
「いやです」
「……」
「…………いやだ……」
彼はただ首を振った。
抱き締めたまま、何度も、何度も。
(だめだなぁ、私は……)
(…………うれしい、セオ)
本当は、自分のことなど、忘れてもらうのが、優しさなのに。
心に残らないように、ただの研究対象として、役目を終えた存在として、静かに彼の前から消える。
それが、花嫁としての、最後の務めのはずだった。
(なのに……)
腕の中があまりにも温かい。
彼の額が、リシェルの肩に触れたまま、低い声が落ちた。
「……遅すぎたんです」
「……え?」
問い返すと、セオは、腕を緩めなかった。
「気づくのが……覚悟を決めるのが」
「……」
「すべて……ぜんぶ、俺はいつも、遅すぎました」
震えが、声に混じる。
「ですが……それでも」
一度、息を吸う音。
「愛しています。――あなただけを」
セオの額がリシェルの髪に触れる。
低く、詰まった息が耳元に落ちてきた。
「こんな時に言うのはずるいと、不誠実だと分かっています、……合理的な理由など……ありません。でも、だから……」
声は低く、震えている。
「……逃げましょう。この国を出て、立場も、何もかも……全部、置いて」
リシェルは、ゆっくりと瞬きをした。
(……ああ)
こんなことを言う人ではないのに。
誰よりも冷静で、現実を直視する人だ。
それでも今、セオは一人の人間として、縋るような提案をしている。
「……セオ」
名前を呼ぶと、腕の力が僅かに強まった。
「だめですよ、そんなことは……」
できるだけ、穏やかに言った。
「リシェル」
「……そんなこと、言わないで」
リシェルは、セオの胸に額を預けたまま、首を振る。
「私が役目から逃れて、それでたくさんの人が困ってしまって……その責任を、ほんの少しでもあなたが感じてしまったら……私はきっと、……セオの隣に、いられません」
「……俺は」
「知ってます」
言葉を遮る。
「セオは、間違ってない。何一つ。でも、これは私が選んだことだから。……研究材料としては、優秀でしょ、私……」
セオの身体が、わずかに揺れる。
反論したいのに、言葉を見つけられないようだった。
「……ありがとう、セオ」
小さく言う。
「逃げよう、って言ってくれたこと。忘れません。だって……」
(……最後に)
リシェルは、微かに笑った。
(夢くらい……見たって、いいよね)
「……私も」
声が、震える。
瞳は潤んで見えた。
「セオ。好き……大好きだよ」
セオがゆっくりと顔を上げた。
一瞬の躊躇い。
それから――
「……」
唇がふれた。
「ん……」
互いの存在を確かめるように頬と鼻先を擦り合わせて、また、唇がふれた。
セオの指が、リシェルの背に回る。
呼吸が、近い。浅く乱れているのが分かる。
リシェルは目を閉じたまま、身を任せていた。
ややあって、睫毛がふれあうほど近くで見つめ合いながら、リシェルは小さく息を吐いた。
「……セオ。あのね、お願いが、あるんです」
セオの動きが止まった。
拒まれる気配はない。ただ、続きを待っている。
「婚礼の日の……私が身につける、花嫁衣装を……あなたに準備してもらいたいんです」
言葉にすると、胸が少し苦しくなる。
抱き締める腕が、わずかに強まる。
分かっている。どれほど彼を苦しめる、酷な願いであるのかも。
「でも……」
リシェルは、セオの服を、ほんの少しだけ握った。
――私にはもう、機会はないから。
「私は、あなたの選んだ衣装で……花嫁になりたいの」
声は、ほとんど囁きだった。
セオは黙っていた。何も言えないのか、否定も肯定もなく、ただリシェルを抱きしめている。
「……お願い、しましたからね」
我ながら、ずるい言い方をしたと思う。
けれどそう言った瞬間、胸の奥がふっと軽くなる。
気のせいかもしれない。けれど、さっきよりも、呼吸が楽だった。
「いいえ、リシェル。けれど俺は……まだ、尽力します。あなたを取り戻すために」
「……」
セオの真剣さに絆されそうになる。
けれどその言葉に縋るには、自分はもうあまりに疲れている。
そして同時に、自分がいなくなった後、彼を苦しめたくはなかった。
「……ううん。もういいんです、セオ」
難しい顔をしてほしくなくて、すり、と頬を擦り寄せた。
「それより、ね。……もう一回だけ」
自分でも驚くほど、素直な声が出た。
欲しいと、言ってしまった。
セオの動きが、一瞬、止まる。
「リシェル」
すぐに、また唇が重なった。
ただ、セオにふれている感覚。それだけを全身で受け止めていた。
揺籠の中は静かなまま、セオの腕の中に囚われていた。
「……セオ」
「はい……」
「研究……続けてくださいね」
セオの肩が、僅かに揺れた。
「どうか……止めないで」
言葉を選びながら、続ける。
「私がいなくなった後も……この塔は、残ります。神域との繋がりがなければ、神霊術も使えなくなって……この国は回らない……」
「……」
「だから……いつかまた、私の「婚礼」がもたらす、蜜月が終わって……次の花嫁を選ばなければならない時が来たら、どうか救ってあげてください」
「……」
「私、それまで神域で、精一杯頑張るから」
と言っても、神域に魂が明け渡されてしまえば、自我などなくなってしまうのだろうけれど。
(……ああ、嫌だな)
そう思ってしまったことに、少し驚いた。
胸の奥に、黒くねばついた感情が生まれる。
いなくなった後の世界で、セオはいつかリシェルを忘れて、他の誰かにそのまなざしを向けて。
いつか訪れた次の花嫁を、信念を持って同じように大切にして。
それが、自分の好きになったセオの姿。
変わってほしいわけじゃない。でも……
……こんな悪いことを考えるから、罰が当たって弱ってしまったのだろうか。
セオの喉が、小さく鳴った。
再び強く、リシェルを抱きしめる。
「……っ、無理です」
「セオ……」
「いやです」
「……」
「…………いやだ……」
彼はただ首を振った。
抱き締めたまま、何度も、何度も。
(だめだなぁ、私は……)
(…………うれしい、セオ)
本当は、自分のことなど、忘れてもらうのが、優しさなのに。
心に残らないように、ただの研究対象として、役目を終えた存在として、静かに彼の前から消える。
それが、花嫁としての、最後の務めのはずだった。
(なのに……)
腕の中があまりにも温かい。
彼の額が、リシェルの肩に触れたまま、低い声が落ちた。
「……遅すぎたんです」
「……え?」
問い返すと、セオは、腕を緩めなかった。
「気づくのが……覚悟を決めるのが」
「……」
「すべて……ぜんぶ、俺はいつも、遅すぎました」
震えが、声に混じる。
「ですが……それでも」
一度、息を吸う音。
「愛しています。――あなただけを」
セオの額がリシェルの髪に触れる。
低く、詰まった息が耳元に落ちてきた。
「こんな時に言うのはずるいと、不誠実だと分かっています、……合理的な理由など……ありません。でも、だから……」
声は低く、震えている。
「……逃げましょう。この国を出て、立場も、何もかも……全部、置いて」
リシェルは、ゆっくりと瞬きをした。
(……ああ)
こんなことを言う人ではないのに。
誰よりも冷静で、現実を直視する人だ。
それでも今、セオは一人の人間として、縋るような提案をしている。
「……セオ」
名前を呼ぶと、腕の力が僅かに強まった。
「だめですよ、そんなことは……」
できるだけ、穏やかに言った。
「リシェル」
「……そんなこと、言わないで」
リシェルは、セオの胸に額を預けたまま、首を振る。
「私が役目から逃れて、それでたくさんの人が困ってしまって……その責任を、ほんの少しでもあなたが感じてしまったら……私はきっと、……セオの隣に、いられません」
「……俺は」
「知ってます」
言葉を遮る。
「セオは、間違ってない。何一つ。でも、これは私が選んだことだから。……研究材料としては、優秀でしょ、私……」
セオの身体が、わずかに揺れる。
反論したいのに、言葉を見つけられないようだった。
「……ありがとう、セオ」
小さく言う。
「逃げよう、って言ってくれたこと。忘れません。だって……」
(……最後に)
リシェルは、微かに笑った。
(夢くらい……見たって、いいよね)
「……私も」
声が、震える。
瞳は潤んで見えた。
「セオ。好き……大好きだよ」
セオがゆっくりと顔を上げた。
一瞬の躊躇い。
それから――
「……」
唇がふれた。
「ん……」
互いの存在を確かめるように頬と鼻先を擦り合わせて、また、唇がふれた。
セオの指が、リシェルの背に回る。
呼吸が、近い。浅く乱れているのが分かる。
リシェルは目を閉じたまま、身を任せていた。
ややあって、睫毛がふれあうほど近くで見つめ合いながら、リシェルは小さく息を吐いた。
「……セオ。あのね、お願いが、あるんです」
セオの動きが止まった。
拒まれる気配はない。ただ、続きを待っている。
「婚礼の日の……私が身につける、花嫁衣装を……あなたに準備してもらいたいんです」
言葉にすると、胸が少し苦しくなる。
抱き締める腕が、わずかに強まる。
分かっている。どれほど彼を苦しめる、酷な願いであるのかも。
「でも……」
リシェルは、セオの服を、ほんの少しだけ握った。
――私にはもう、機会はないから。
「私は、あなたの選んだ衣装で……花嫁になりたいの」
声は、ほとんど囁きだった。
セオは黙っていた。何も言えないのか、否定も肯定もなく、ただリシェルを抱きしめている。
「……お願い、しましたからね」
我ながら、ずるい言い方をしたと思う。
けれどそう言った瞬間、胸の奥がふっと軽くなる。
気のせいかもしれない。けれど、さっきよりも、呼吸が楽だった。
「いいえ、リシェル。けれど俺は……まだ、尽力します。あなたを取り戻すために」
「……」
セオの真剣さに絆されそうになる。
けれどその言葉に縋るには、自分はもうあまりに疲れている。
そして同時に、自分がいなくなった後、彼を苦しめたくはなかった。
「……ううん。もういいんです、セオ」
難しい顔をしてほしくなくて、すり、と頬を擦り寄せた。
「それより、ね。……もう一回だけ」
自分でも驚くほど、素直な声が出た。
欲しいと、言ってしまった。
セオの動きが、一瞬、止まる。
「リシェル」
すぐに、また唇が重なった。
ただ、セオにふれている感覚。それだけを全身で受け止めていた。
あなたにおすすめの小説
わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑
岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。
もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。
本編終了しました。
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
【完結】婚約破棄はお受けいたしましょう~踏みにじられた恋を抱えて
ゆうぎり
恋愛
「この子がクラーラの婚約者になるんだよ」
お父様に連れられたお茶会で私は一つ年上のナディオ様に恋をした。
綺麗なお顔のナディオ様。優しく笑うナディオ様。
今はもう、私に微笑みかける事はありません。
貴方の笑顔は別の方のもの。
私には忌々しげな顔で、視線を向けても貰えません。
私は厭われ者の婚約者。社交界では評判ですよね。
ねぇナディオ様、恋は花と同じだと思いませんか?
―――水をやらなければ枯れてしまうのですよ。
※ゆるゆる設定です。
※名前変更しました。元「踏みにじられた恋ならば、婚約破棄はお受けいたしましょう」
※多分誰かの視点から見たらハッピーエンド
余命僅かな大富豪を看取って、円満に未亡人になるはずでした
ぜんだ 夕里
恋愛
傾きかけた家を救うため、私が結んだのはあまりにも不謹慎な契約――余命いくばくもない大富豪の辺境伯様と結婚し、彼の最期を穏やかに看取ることで莫大な遺産を相続する、というものだった。
しかし、人の死を利用して富を得るなど不正義!
そう考えた私が立てたのは、前代未聞の計画。
「そうだ、遺産が残らないくらい贅沢の限りを尽くしてもらえば、すべて丸く収まるじゃない!」
【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない
朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。
婚約七年目、愛する人と親友に裏切られました。
テンテン
恋愛
男爵令嬢エミリアは、パーティー会場でレイブンから婚約破棄を宣言された。どうやら彼の妹のミラを、エミリアがいじめたことになっているらしい。エミリアはそのまま断罪されるかと思われたが、彼女の親友であるアリアが声を上げ……
仮面王の花嫁
松雪
恋愛
婚約者を腹違いの妹に奪われ、新しい相手も見つからず修道院に行く覚悟を決めたルチア。修道女となるため髪を切った日の夜、王城から「国王がルチアを妻に望んでいる」という書簡を持った使者がやって来た。
しかし、従兄弟であり恋仲だったニールが国王のせいで死に至った過去を持つルチアは、国王からの求婚を喜べずーー。