悪役令嬢より悪役な〜乙女ゲームの主人公は世界を牛耳る闇の黒幕〜

河内まもる

文字の大きさ
1 / 49

0 プロローグ

しおりを挟む
 崩れかけのジェンガみたいなものだ。どうにか婚約破棄イベントはおこったものの、乙女ゲーム『ビューティープリンス・ヴァイデンライヒ恋歌』のシナリオは、すでに崩壊寸前だった。

「エリーゼ・フォン・アードルング!貴様との婚約は今日限り破棄するっ」

 いさましく宣言したのは攻略対象キャラにして悪役令嬢エリーゼの婚約者、ディートハルト皇子である。白銀の髪がまばゆく輝き、生意気そうな顔立ちが見る者の嗜虐心サディズムをそそる美男子だ。

 『学園』の生徒たちが見守るなか、講堂の真ん中に立ちすくんでエリーゼは震えた。黄金の髪の下で白磁の肌が青ざめる。

「ディートハルトさま、なにゆえのお沙汰なのですか…?私がなにか、貴方のご機嫌を損ねるようなことをいたしましたでしょうか」

 もっともな疑問だった。なにせこの世界線におけるエリーゼは。皇子の前では尽くす女を演じてきたし、主人公のハンナ・フォン・グレッツナーをイジメてなどいないのだ。むしろハンナとエリーゼは良き友人だった。どうして自分が婚約を破棄されるのか、エリーゼには意味不明だっただろう。

「それは、そのう…」

 ディートハルトが口ごもる。そのそばに控えている近衛騎士団長の息子、ケヴィン・バルツァーが気まずそうにエリーゼから目をそらした。

 なぜ婚約破棄をするのか━━言えるわけがなかった。

 ディートハルトとケヴィンは

 ブラウンの髪を短めに刈り、いかにも強者つわものらしい引き締まった肉体をもつケヴィンは、すでにディートハルトをベッドの中でだった。本来なら彼もまた、攻略対象キャラのひとりだったはずなのだが。

「と、とにかく、この婚約はなかったことにしてもらいたい!」

 ディートハルトにはそれしか言えなかった。まさかケヴィンと結ばれるためにエリーゼが邪魔になったなどとは、口が裂けても言えない。それは父親である皇帝や、アードルング公爵に対しても同じことだった。誰もが同性愛に理解をもつ世界ではないのだから。

 ゆえにこの婚約破棄イベントなのだ。こうして『学園』に通う貴族の子女たちの前で公言してしまえば、婚約破棄を既成事実化できるとディートハルトは考えた。エリーゼに迷惑がかかることもわかっていたが、このまま結婚するよりマシだった。

 その意味では、ディートハルトは真面目で誠実だろう。エリーゼと仮面夫婦を続け、ケヴィンを愛人として囲うことだってできたのだから。しかしそれではエリーゼがあまりにも可哀想だとディートハルトは思った。帝国三大美女とうたわれたエリーゼが、いちども男性から愛されないまま、老い朽ちていくのは忍びない。

 だからこれは、エリーゼのための婚約破棄なのだ。

 と、言い訳をしてみたところでエリーゼの負債が減るわけもない。これから先、エリーゼは『皇子に婚約破棄された女』という不名誉な称号をはりつけられたまま、生きてゆかねばならないのだから。

 帝国三大美女の呼び声は伊達ではない。この世界の女性としてエリーゼは今日まで、ずっと最高値をつけられてきたのだ。ところがこの日、エリーゼの価値は大暴落した。こうしたとき、男性側より女性側に問題があったと見なされがちなのが男性社会の常で、それが皇族ともなればなおさらだ。

 いまやエリーゼは、女としてだった。実家のアードルング公爵家で一生飼い殺しにされても文句は言えず、評判のしごく悪い男に嫁がされることになっても受け入れるしかない。

 事情を知らない『学園』の生徒たちは、すでにヒソヒソ噂話をはじめていた。こうなると、エリーゼを華やかに飾ってきたすべてが反転する。公爵家たかいみぶんの出身であることも、皇子の婚約者だったことも、その美しささえも━━ねたそねみの感情が裏返しになって、人々は悪意を増大させて陰口をたたく。

 エリーゼばぎゅっと目をつむり、ふくらんでゆく悪意にたえた。それでもこれから待ち受ける過酷な運命を思うと、とうてい正気を保てそうになかった。

「助けて、ハンナ…!」

 思わずこの場にいない友人の名を呼んだのは、それが彼女が弱さをさらけだせる、唯一の存在だったからだろう。

 その瞬間とき、講堂の扉が大きな音たてて開いた。扉の向こうには赤い髪とルビーの瞳をもつ少女が、仁王立ちで存在感をあらわしていた。

「このアタシに断りもなく、勝手なことをしたモンだねぇ、ディートハルトォ!」

 友人の正体が何者であるか、エリーゼは知らなかった。だがいま、怖気おぞけをふるうほどの凶相を表情に浮かべ、全身から闇のオーラを漂わせている、小柄なひとりの少女が、エリーゼのよく知るハンナ・フォン・グレッツナーだった。

 

「かよわい女をよってたかって追い詰めて、善人気取りたぁ、どういう了見だっ」

 すべてを見透かすハンナの姿に、ディートハルトは気圧された。彼はこの少女の正体を知っていた。ハンナは━━『』は、けっして怒らせてはならない存在だった。

 帝国の真の支配者。
 闇の黒幕。
 最後のフィクサー。
 ヴァイデンライヒに巣食う悪魔。
 魑魅魍魎。
 悪鬼羅刹。

 逆らえば帝国が終わる━━皇子として、皇帝ちちおやからそう聞かされてはいたが、こうしてその圧力を目の当たりにすると、ディートハルトはすでに失禁寸前だった。

「第3皇子とはいえ皇族が、こういう真似をするのかい。そりゃあ、エリーゼがこのアタシの友人だと知ってのことだろうねぇ?」

 怒っている。ハンナが怒っている。獣のような殺意を、この国の皇子である俺に向けて放っている━━ディートハルトは恐怖のあまり半笑いになった。ハンナの赤い髪は血で染めあげたものだと言ったのは誰だったか。彼女の丸く愛らしい瞳には、地獄の炎が宿っている。

 勇士であるケヴィンすら、身じろぎもできないありさまだった。ケヴィンは騎士として将来を嘱望しょくぼうされ、16歳にしてモンスター討伐にも幾度となく参加してきたが、これほどの強敵をいまだ知らなかった。殺気だけでこの私をすくませるとは━━せめてディートハルトだけは護らねばならない。ケヴィンは覚悟を決めたが、覚悟だけで終わった。実際のケヴィンは奥歯をガチガチ鳴らして、その場に棒立ちしているだけだった。

 ハンナがフン、と鼻を鳴らした。

 これが乙女ゲームの主人公だ。幼いころグレッツナー伯爵家に庶子しょしとして引き取られた、平民出身の貴族令嬢。健気で頑張り屋。さまざまな問題を抱えた攻略対象キャラの心を癒やし、『学園』で恋に勉強に奮闘する、素敵な女の子。

 そのが、いまのハンナだった。彼女の魂には、前世で暗黒街の顔役だった『金貸しのしらみ』が宿っている。このハンナは悪役令嬢などよりも、はるかに悪役なのだ。

「エリーゼ、暗い顔をするんじゃないよ。せっかくの美人がだいなしだ」

 ハンナに言われて、エリーゼの身体に生気が戻った。むしろその頬には赤みがさしている。ハンナに美人と言われたからだ。

 そのハンナは、さっきまでの凶暴なオーラが嘘のように鳴りを潜め、柔らかい声でエリーゼに語りかけるのだった。

「あんなロクデナシに嫁ぐこたぁない、アタシと一緒に来な」

 エリーゼはハンナの手をとった。そうすることが唯一、エリーゼが選びうる選択肢だった。彼女は未来をつかみ取るためにそうしたのだ。なぜならば━━ハンナは言ったのだから。

「アタシがあんたを幸せにしてやる」

 こうしてふたりの少女は、手に手を取り合って講堂から走り去った。まるで天使がふたり舞い降りたような━━人々の心に暖かな余韻を残す後ろ姿だった。その場に取り残されたディートハルトたちが良い面の皮だ。

 …なぜこんなことになってしまったのか。それは誰にもわからないのだ。ディートハルトにもケヴィンにもエリーゼにもわからない。彼らは物語の登場人物であって、作者でもなければ読者でもない。ゆえに元の物語シナリオを知らないのである。

 唯一、ハンナだけはこちら側の人間だったが、彼女は転生前『ビューティープリンス・ヴァイデンライヒ恋歌』をプレイしたことがない。だからハンナは無自覚なまま、ゲームシナリオをめちゃくちゃにしてしまった。

 なぜこんなことになったのか。その疑問に応えるため、作者としてはこの婚約破棄イベントからさかのぼること数カ月前━━彼らが『学園』に入学したところから物語をはじめようと思う。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

異世界に落ちて、溺愛されました。

恋愛
満月の月明かりの中、自宅への帰り道に、穴に落ちた私。 落ちた先は異世界。そこで、私を番と話す人に溺愛されました。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

「貴女じゃ彼に不釣りあいだから別れて」と言われたので別れたのですが、呪われた上に子供まで出来てて一大事です!?

綾織季蝶
恋愛
「貴女じゃ彼に不釣りあいだから別れて」そう告げられたのは孤児から魔法省の自然管理科の大臣にまで上り詰めたカナリア・スタインベック。 相手はとある貴族のご令嬢。 確かに公爵の彼とは釣り合うだろう、そう諦めきった心で承諾してしまう。 別れる際に大臣も辞め、実家の誰も寄り付かない禁断の森に身を潜めたが…。 何故か呪われた上に子供まで出来てしまった事が発覚して…!?

図書館でうたた寝してたらいつの間にか王子と結婚することになりました

鳥花風星
恋愛
限られた人間しか入ることのできない王立図書館中枢部で司書として働く公爵令嬢ベル・シュパルツがお気に入りの場所で昼寝をしていると、目の前に見知らぬ男性がいた。 素性のわからないその男性は、たびたびベルの元を訪れてベルとたわいもない話をしていく。本を貸したりお茶を飲んだり、ありきたりな日々を何度か共に過ごしていたとある日、その男性から期間限定の婚約者になってほしいと懇願される。 とりあえず婚約を受けてはみたものの、その相手は実はこの国の第二王子、アーロンだった。 「俺は欲しいと思ったら何としてでも絶対に手に入れる人間なんだ」

「わざわざ始まるまでまたないで、今のうちに手を打ったってよくない?」

イチイ アキラ
恋愛
アスター公爵令嬢エステルは、夢をみる。それは先を映す夢。 ある日、夢をみた。 この国の未来を。 それをアルフレッド王太子に相談する。彼女を愛して止まない婚約者に。 彼は言う。 愛する君とぼくの国のためなら、未来を変えるのも仕方なくない?

虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...