恨み

純一

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恨み

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私は父に恨まているだろう

私が18の時父が交通事後で死んだ42だった死ぬ間際父は私に何かを訴えかけようとしていた、しかし私にはさっぱりわからなかったし分かろうともしなかった、なぜなら私は全くもって父を尊敬していなかったからだ周囲にすぐに頭を下げる父、母には逃げられ男として格好悪いと思っていたそのこともあり私は父に対する扱い言動は酷かったと思う。「お前の子に産まれなければよかった」「お前はダサい人間だな」など育ててくれた親に対する発言ではなかったと思う。

だからこそ私は父に恨まれている思う。今思えば最後に言おうとしていた言葉は「お前なんか産まなければよかった」なのかもしれないと思う。父が死んでから父の部屋を掃除していた、殺風景な部屋、特に何か趣味があったわけではなくただひと昔のやらないゲーム機と机とソファと本棚ぐらいであった私はおもむろに机の引き出しを開けると一枚の手紙が入ってあった、そこには「お前が生まれてきてくれてよかったお前のことは何があっても愛している」そう書いてあった日付には私の生まれ日が記載されていた。

涙が溢れた


私は父に恨まれているだろうと思うと感じた時同時にとてもつない罪悪感にも襲われたもっと優しく接するべきだった感謝を伝えるべきだったと、だがそう思い後悔するのが怖ったそんな遅すぎる後悔は意味はないと、だからこそあの時父が最後に言った言葉に対してもどうでも良いと考えるようにしていたし父の死にもどうでもよいと言い聞かせようとしていた



泣いた大声で泣いた、今までのこと後悔しても遅い遅すぎるこの感情涙が止まらなかった。











あれから6年経った私は24歳、妻にも出会い子にも恵まれた、そしてあの時のことを思い出して私は息子に父と同じように愛情を持とうと生まれた日に「お前が生まれてきてくれてよかった、何があってもおまえをあいしている」と手紙を書き自分の部屋の机にしまった。











それから5年経った
私は仕事のストレスで家庭がうまくいかず妻との喧嘩も増えた、子供の泣き声もうるさい。


7年経った
家庭はそのまま悪くなる一方で妻にも出て行かれ残るは子供と私二人となった。
おかしいなぜだ、こんな人生のはずじゃなかったのに。


またそれから月日が流れた私はかなり疲労していた何があればすぐに謝るようなりしかしその反面自分のプライドを傷つけられたと内心怒りに燃えていたそして子供にも同様プライドを傷つけられるようになった「お前の子に生まれなければよかった」「お前はダサい人間だな」苦労して子供のために働いている親に対してなんてことを言うんだと、怒りで狂いそうになっていた。

そしてある日私は交通事故にあったもう死ぬのかと思った、なんて最悪な人生なんだと狂いそうであったそして死ぬ間際子供が近づいてきたそして私は声にならないような声で必死に訴えかけた







「お前なんか産まなければよかった」と
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