44 / 87
第44話【マグカップ】
しおりを挟む
食器を片付け終え、幸は二つのマグカップにコーヒーを注いだ。
湯気と香ばしい香りが、ふわりと二人を包む。
匠はマグカップを受け取り、軽く手を添える。
「……いい香りだな」
思わず目を細め、幸をちらりと見る。
幸の視線は、リビングから見える夜景に向けられていた。
吸い寄せられるように、幸はマグカップを手に、大きな窓のそばへと歩み寄る。
最上階から見下ろす夜景は、美しく――幻想的だった。
「綺麗……」
幸は思わず呟いた。
すると、すぐ後ろから、
「そうだね」
匠の穏やかな声が、幸の鼓膜を震わせる。
振り返るよりも早く、背中にふっと温もりが触れた。
近づいた匠の熱が伝わり、幸の体は戸惑いと緊張で固まる。
ゆっくりと目線を上げると、窓ガラスに映った匠の視線とぶつかった。
――この状況は、まずいのでは。
幸は瞬時にそう思い、慌てて視線をマグカップへと落とす。
匠は、そんな幸の焦る様子を見て、静かに目を細め、口角をわずかに上げた。
――まだ早い。
匠は心の中で、静かに呟く。
幸もまた、恋人同士にはなったものの、まだ互いの信頼は十分ではないと感じていた。
互いの信頼がなければ、この先には進めない。
匠も同じ思いだった。
幸とは、ゆっくり関係を育んでいきたい――そう考えていた。
そして今はただ、この穏やかな時間を心ゆくまで味わいたかった。
夜景を眺めながら、コーヒーを飲む。
会話のない静かな時間が、ゆっくりと流れていく。
最後の一口を飲み終えた匠は、
「コーヒー、ごちそうさま。それじゃ、今日はこれで」
そう言って、幸の側から離れた。
背中に感じていた温もりが、ふっと遠ざかっていく。
まだ、この関係、この距離のままでいい――そう思っていたはず。
なのに、その熱が離れた瞬間、幸の胸に静かなざわめきが生まれた。
寂しいような、もう少しこのままでいたかったような。
そんな気持ちを持て余しながら、幸は匠を玄関先まで見送った。
「明日、七時には出るから。それじゃ、また明日。……おやすみ」
「わかりました。おやすみなさい」
匠は、帰っていった。
ドアが閉まると、部屋にしんとした静寂が訪れ、胸の奥に寂しさが広がった。
圭吾と暮らしていた頃、最後の方はほとんど一人暮らしのようなものだった。
一人で過ごすことには、慣れているはず。
なのに――今は、どういうわけか、妙に人恋しい。
――最近、一人で家にいることがなかったからなのだろうか。
幸は、その寂しいような、ざわざわした感情を、そうやって自分なりに解釈した。
小さく「ふぅ」と息を吐き、キッチンへと戻る。
使ったマグカップ二つをスポンジで洗い、流しの水切りに並べて置いた。
幸は、並んだマグカップを見つめながら、ふと考える。
――圭吾と一緒にいた頃も、こんな風に並んでいたな。
二つのカップが並ぶことが、当たり前だと思っていたあの頃。
でも、いつの間にか、カップは一つだけになった。
そして今、違う相手とのカップが、一緒に並んでいる。
このカップは、このまま二つ一緒に並びつづけるのだろうか。
それとも――。
「ふぅ」幸は小さく息を吐いた。
思考はそこで途切れ、並んだマグカップから視線を外す。
「明日から、仕事だ。頑張らなきゃ」
幸はそう呟き、気合いを入れるように、両手を上に伸ばした。
湯気と香ばしい香りが、ふわりと二人を包む。
匠はマグカップを受け取り、軽く手を添える。
「……いい香りだな」
思わず目を細め、幸をちらりと見る。
幸の視線は、リビングから見える夜景に向けられていた。
吸い寄せられるように、幸はマグカップを手に、大きな窓のそばへと歩み寄る。
最上階から見下ろす夜景は、美しく――幻想的だった。
「綺麗……」
幸は思わず呟いた。
すると、すぐ後ろから、
「そうだね」
匠の穏やかな声が、幸の鼓膜を震わせる。
振り返るよりも早く、背中にふっと温もりが触れた。
近づいた匠の熱が伝わり、幸の体は戸惑いと緊張で固まる。
ゆっくりと目線を上げると、窓ガラスに映った匠の視線とぶつかった。
――この状況は、まずいのでは。
幸は瞬時にそう思い、慌てて視線をマグカップへと落とす。
匠は、そんな幸の焦る様子を見て、静かに目を細め、口角をわずかに上げた。
――まだ早い。
匠は心の中で、静かに呟く。
幸もまた、恋人同士にはなったものの、まだ互いの信頼は十分ではないと感じていた。
互いの信頼がなければ、この先には進めない。
匠も同じ思いだった。
幸とは、ゆっくり関係を育んでいきたい――そう考えていた。
そして今はただ、この穏やかな時間を心ゆくまで味わいたかった。
夜景を眺めながら、コーヒーを飲む。
会話のない静かな時間が、ゆっくりと流れていく。
最後の一口を飲み終えた匠は、
「コーヒー、ごちそうさま。それじゃ、今日はこれで」
そう言って、幸の側から離れた。
背中に感じていた温もりが、ふっと遠ざかっていく。
まだ、この関係、この距離のままでいい――そう思っていたはず。
なのに、その熱が離れた瞬間、幸の胸に静かなざわめきが生まれた。
寂しいような、もう少しこのままでいたかったような。
そんな気持ちを持て余しながら、幸は匠を玄関先まで見送った。
「明日、七時には出るから。それじゃ、また明日。……おやすみ」
「わかりました。おやすみなさい」
匠は、帰っていった。
ドアが閉まると、部屋にしんとした静寂が訪れ、胸の奥に寂しさが広がった。
圭吾と暮らしていた頃、最後の方はほとんど一人暮らしのようなものだった。
一人で過ごすことには、慣れているはず。
なのに――今は、どういうわけか、妙に人恋しい。
――最近、一人で家にいることがなかったからなのだろうか。
幸は、その寂しいような、ざわざわした感情を、そうやって自分なりに解釈した。
小さく「ふぅ」と息を吐き、キッチンへと戻る。
使ったマグカップ二つをスポンジで洗い、流しの水切りに並べて置いた。
幸は、並んだマグカップを見つめながら、ふと考える。
――圭吾と一緒にいた頃も、こんな風に並んでいたな。
二つのカップが並ぶことが、当たり前だと思っていたあの頃。
でも、いつの間にか、カップは一つだけになった。
そして今、違う相手とのカップが、一緒に並んでいる。
このカップは、このまま二つ一緒に並びつづけるのだろうか。
それとも――。
「ふぅ」幸は小さく息を吐いた。
思考はそこで途切れ、並んだマグカップから視線を外す。
「明日から、仕事だ。頑張らなきゃ」
幸はそう呟き、気合いを入れるように、両手を上に伸ばした。
478
あなたにおすすめの小説
フッてくれてありがとう
nanahi
恋愛
「子どもができたんだ」
ある冬の25日、突然、彼が私に告げた。
「誰の」
私の短い問いにあなたは、しばらく無言だった。
でも私は知っている。
大学生時代の元カノだ。
「じゃあ。元気で」
彼からは謝罪の一言さえなかった。
下を向き、私はひたすら涙を流した。
それから二年後、私は偶然、元彼と再会する。
過去とは全く変わった私と出会って、元彼はふたたび──
今さらやり直しは出来ません
mock
恋愛
3年付き合った斉藤翔平からプロポーズを受けれるかもと心弾ませた小泉彩だったが、当日仕事でどうしても行けないと断りのメールが入り意気消沈してしまう。
落胆しつつ帰る道中、送り主である彼が見知らぬ女性と歩く姿を目撃し、いてもたってもいられず後を追うと二人はさっきまで自身が待っていたホテルへと入っていく。
そんなある日、夢に出てきた高木健人との再会を果たした彩の運命は少しずつ変わっていき……
身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~
椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」
私を脅して、別れを決断させた彼の両親。
彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。
私とは住む世界が違った……
別れを命じられ、私の恋が終わった。
叶わない身分差の恋だったはずが――
※R-15くらいなので※マークはありません。
※視点切り替えあり。
※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。
仕事で疲れて会えないと、恋人に距離を置かれましたが、彼の上司に溺愛されているので幸せです!
ぽんちゃん
恋愛
――仕事で疲れて会えない。
十年付き合ってきた恋人を支えてきたけど、いつも後回しにされる日々。
記念日すら仕事を優先する彼に、十分だけでいいから会いたいとお願いすると、『距離を置こう』と言われてしまう。
そして、思い出の高級レストランで、予約した席に座る恋人が、他の女性と食事をしているところを目撃してしまい――!?
これって政略結婚じゃないんですか? ー彼が指輪をしている理由ー
小田恒子
恋愛
この度、幼馴染とお見合いを経て政略結婚する事になりました。
でも、その彼の左手薬指には、指輪が輝いてます。
もしかして、これは本当に形だけの結婚でしょうか……?
表紙はぱくたそ様のフリー素材、フォントは簡単表紙メーカー様のものを使用しております。
全年齢作品です。
ベリーズカフェ公開日 2022/09/21
アルファポリス公開日 2025/06/19
作品の無断転載はご遠慮ください。
さようなら、お別れしましょう
椿蛍
恋愛
「紹介しよう。新しい妻だ」――夫が『新しい妻』を連れてきた。
妻に新しいも古いもありますか?
愛人を通り越して、突然、夫が連れてきたのは『妻』!?
私に興味のない夫は、邪魔な私を遠ざけた。
――つまり、別居。
夫と父に命を握られた【契約】で縛られた政略結婚。
――あなたにお礼を言いますわ。
【契約】を無効にする方法を探し出し、夫と父から自由になってみせる!
※他サイトにも掲載しております。
※表紙はお借りしたものです。
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
婚約破棄の代償
nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」
ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。
エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる