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第53話【幸の拒絶】
――黒田圭吾。
匠がその男を認識した瞬間、
圭吾の腕が勢いよく伸び、幸の腕を掴もうとした。
しかし、その手が触れるよりも早く――匠の大きな手が圭吾の手首を掴み、動きを封じた。
「……!」
掴まれた圭吾は、怒りの炎を宿した目で匠を睨みつける。
対する匠は、氷のように冷めた目で圭吾を見返す。
「黒田社長」
声は低く、落ち着いているのに、言葉には圧がある。
「俺の秘書に――気安く触らないでもらえるかな」
怒気を含んだ声が響いた瞬間、周りの空気が一気に凍りつく。
その異様な空気に、周囲の視線が一斉に二人へと集中した。
「なんだ? どうした?」
「……あれ、水沢社長と黒田社長じゃないか」
「雰囲気がヤバいな、揉めてるのか?」
匠と圭吾のただならぬ気配から、誰もが状況がまずいことを悟る。
「西村は俺の秘書だ」
圭吾が掴まれている手を振りほどき、反論した。
匠は微動だにせず、静かな声で応じる。
「おかしいな。彼女は一ヶ月前にはすでに退職しているはずだが」
淡々とした声なのに、底に沈む怒気だけは確実に伝わる。
その言葉で、圭吾の表情が一瞬ひきつった。
だがすぐに、いつもの尊大な笑みを取り繕い、
「退職したからといって、元社員に握手を求めるのもダメなのか?」
と、周囲を味方につけるように、軽い調子で笑ってみせる。
巧妙に場の空気を操作しようとする“立ち回り”。
――黒田圭吾……絶対に許せない。
幸は胸の奥で、怒りが沸々と込み上げてくるのを感じた。
守ってくれた匠を、心が狭い上司にするわけにはいかない。
幸は匠の前に出て、
「黒田社長。私は、あなたとの握手を辞退させて頂きます!」
強い口調で、握手を拒んだ。
その言葉には確固たる拒絶が込められている。
その瞬間、圭吾の笑顔が固まり、顔が引き攣った。
幸が自分に反発するとは、夢にも思っていなかったからだ。
一方の匠は、幸が自分の前に立ち、堂々と圭吾に言い返す姿を見て、
――さすがだな。
――これで、形勢逆転。
思いがけない幸の行動に、目が細まり口角が上がる。
「あの西村さんが拒むって……よほど嫌なことでもされたのか?」
「西村さんに嫌われるなんて……黒田社長、何をしたんだ?」
周囲から、ひそひそと幸を擁護する声が漏れ始める。
この場の空気を察した片桐秘書が、そっと圭吾の横へ歩み寄り、声を落として囁くように言った。
「社長……今日はもうこの辺で……」
圭吾を刺激しないよう、この場から去ることを促す。
圭吾は、悔しげに匠を睨みつけ、その後ゆっくりと幸へと視線を向ける。
その目には、はっきりとした怒りと執着が宿っていた。
――絶対に連れ戻すからな。
そう告げるような視線。
そして圭吾は背を向け、足早に会場を後にした。
片桐秘書は、匠と幸に何度も頭を下げ、慌てて圭吾を追って出て行った。
圭吾が去り、会場の空気は元に戻ったかのように見え、パーティーは和やかに進んでいるようだった。
だが、招待客たちは――
水沢ホールディングスの御曹司・水沢匠と、黒田ホールディングスの黒田圭吾。
どちらにつく方が有利かを、密かに思案していた。
さきほどのやり取りを見ていた、【NexSeed黒田】と取引のある会社の社長たちは、西村幸が黒田圭吾を拒絶した様子を見て、元々鼻につく態度の彼に見切りをつけた。
さらに、匠が部下を守ろうとする姿勢にも、共感を覚えたのだった。
パーティーの間中、匠の周りは業務提携を希望する社長たちで溢れ、熱気に包まれていた。
こうして、設立記念パーティーは大盛況のうちに幕を閉じたのだった。
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