Yの遺伝子 本編

阿彦

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1章

5話 左遷

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「花城部長、これでよろしいでしょうか? 決裁をお願いします!!」

 直属の部下である秋谷が、新たなプロジェクトの最終決裁の可否を求めてきた。

 嫌な案件がまわってきた……。いや、ついにまわってきたというべきか。営業担当である雨池専務のゴリ推し案件だ。よくわからない共同開発会社を連れてきて、専務が強引に進めたがっているという報告は前から来ていた。改めて、ゆっくりと書類に目を通してみたが、正直なんの面白みもなければ、斬新さもない。
 稟議書の中には、『初期の共同開発費は高いが、早期に収益で回収できる優良案件』、つまり、確実に儲かると書かれている。

 普通に考えれば、こんなクソ案件は「没!」だ。ただ、私が否決したとしても、役員に書類が上がり結果としては強引に進められるだろう。

 雨池専務は社長の縁戚、いわゆる創業家……。

 我が社は上場会社とはいえ、オーナー企業の側面が強い。

「……わかった。進めてくれ」

 それにしても、私の教育が悪いのだろうが、秋谷が作成した稟議資料は拙いものだ。誤字脱字が多く、なにを言いたいのかもよくわからない文面。こんなしょうもない書類のために、先週から彼に残業代を払っていたかと情けなく思う。先日の検査会社のプレゼン資料のほうが、遥かにレベルは上だ。

 専務からは、とにかく早く進めろとの一点張りの指示もあり、手直しすることなく、承認欄に私の判子を押した。秋谷は、自分の実力が認められたかのように意気揚々と自分のデスクに戻った。

 赤海理事長と会ってから、私は何者なのだろうかと考えることが多くなった。彼が話したことをすべて信じているわけではない。

 自分なりに遺伝子、Y染色体について調べてみたが、それなりに正しいものであった。ただ、Uタイプの存在も、そもそも20億もの資金力がある財団法人の存在も探し出すことさえもできなかった。詐欺ではないが、オカルト宗教の一種ではないかとも疑った。

  帰り際に理事長はこう話した。

「私共は、遺伝子検査サービスを開始することで、あなたを含め約500名の同胞を全国各地から発見することができました。Uタイプは、詳細な解析を進めることで、より細分化することができます。我々の財団法人の序列は、そのUタイプでも古くに分岐したものから序列が決まっていきます。あなたの解析結果が出れば、いずれご報告します。もちろん、追加検査による料金はいただきません。進捗度はホームページで確認できますので、楽しみにしてください」

  久しぶりに、w社のホームページを開いてみた。再解析進捗率は46%となっていた。


 この時季としては強い寒気が日本列島を覆い、日本海側の地域には雪雲が次から次へ向かっていた。東京も薄暗い雲がかかってきた。

  秋谷が血相をかえてやってきた。

「は、花城部長!!」

「どうした? 」

「プロジェクトの提携先が、朝から連絡が取れないので、おかしいなと思っていたのですが…このFAX……」

 手渡されたFAXをみると、「破産手続開始について」と書かれていた。

 頭が真っ白になった。

「共同開発費の支払いはどうなっている?」

「先週、着手金として2億支払いました………」

「な、なんで、こんなことに。一体、どうなってるんだ!!  2億も支払ったんだろ。その後に破産だなんて、完全な計画倒産ではないか。とにかく、会社に向かうぞ。雨池専務にも報告しとけ!なにか、知ってるかもしれん」

 時すでに遅かった。

 意気消沈し、全く動くこともできなくなった秋谷を引き連れて、その会社に向かった。会社の入り口には、破産をしましたとの貼り紙が貼ってあった。会社の辺りには、私らのような債権者や柄の悪いものも何人かいる。外では激昂しながら電話しているものもみられる。 

 ……完全に騙された……

 法的整理に入った会社には簡単には手出しはできない。事前に取り受けした財務諸表を見返してみるが、そこまで財務悪化の兆しは見られない。会社の業歴もあるほうだ。粉飾決算か………それとも計画倒産を疑うべきだ。

 それならば、やるべきことがあると判断し、顧問弁護士との徹夜の日々が続いた。

 しかし、私は大事なことを見過ごしていた。今回の件において、社内の根回しまで、頭が回らなかったのだ。

 徐々に回収は絶望的だとわかってきたが、弁護士と打ち合わせを重ねているうちに、私の処遇は固まりつつあった。

 稟議書の決裁権限者は、あくまで部長職である私にあり、専務は自己保身のため、すべてを私の責任に作り上げた。雨池専務は実力がないくせに、社内政治家と呼ばれていたが、見事な役回りだった。



  昨日も徹夜であったため、栄養ドリンクを何本も飲みながら、最終報告を仕上げて申請した。ふっと気が緩んだ瞬間、睡魔を吹き飛ばすように内線が鳴った。

「いまから、私の部屋に来てほしい」

 あまり、面識のない人事担当役員からだった。背が小さくせっかちそうな男は、席に着くなり、この件についての尋問を始めた。

「今回の件、君自身はどう考えている?」

「はい。今回の件は、深く受けとめています。もっと共同開発会社を慎重に信用調査するべきでした。会社に2億もの損失を与えた重さを十分に認識しています」

 このやり取りを何度繰り返しただろうか。この部屋に入ってから、どれくらい経ったのかもわからないくらい尋問が続いた。私は、報告書を作成しながら、部下のせいにするつもりはさらさらないが、雨池専務の責任は重いと思っていた。

 この案件の共同開発会社は、当社にとっては、取引のない全くの新規先であったが、この会社を選んだ根拠はない。専務が連れてきたというそれだけだ。

 開発費の支払い方も、プロジェクトの進捗度合いを確認しながら支払うべきだった。それも、専務がごちゃごちゃいうな!で一蹴された。

 こんな馬鹿げた話を報告書に盛り込もうとも考えたが、私の部門で起きた事故案件。所詮、会社組織とはそんなものだという諦め、責任を取ることの潔さが大事だとその時は思った。

「……最後に聞く。この案件の責任は誰か分かるな」

「部門の責任者である私にあります」

 人事担当役員の口元が緩んだのを見過ごさなかった。この時点で、完全に私の処遇が決まったのだ。

「分かっていれば、それでいい。君にはこの案件の責任を取って、うちの関連会社に出向してもらう」

「……………」

  何もいえなかった。相手が時計をみた。ちょうど、時計の針は、11時ちょうどを指そうとしている。

「そろそろ時間だな。金川社長が部屋でお待ちになってる。ついてこい……」

 社長室へつながる赤絨毯を歩く足取りはきわめて重かった。

 妻にはなんて報告をしようか?

 出向先の関連会社は、名前は聞いたことはあるが、なにをやるのだろうか?そもそもどこにあるのだろうか?

 私の人生はどうなるのだろうか?

「社長、花城を連れてまいりました」

 金川社長は、書類に目を通したままで、目線どころか顔もあげなかった。

「彼から報告があった。君への処分案も聞いた。今回の件に対して、弁明、おまえの意見はあるのか? 」

「特にありません。私の責任としてとうけとめています…」

「おまえは、それでいいのか?」

「向こうにいっても、一生懸命に励みます」

「わかった。おまえはもういらん。さがれ!!」

  20年近くこの身を会社に捧げてきた。この会社には誰一人として私を守るものは現れなかった。これが、会社内の私の価値である。

 思ったよりも、左遷されることにショックはない。いつかこのようなことが起きるのではないかと思っていたからだ。

 後ろの方から、雨池専務が私の肩を叩いた。

「あの会社が、まさかこんなことになるなんてな……」

「専務は、なにかご存知だったんですか? 」

「知ってるわけないだろ!!  ま、新規事業は難しいってことだ。とにかく残念だ…。向こうで頑張ってくれ。必ず、俺がお前のことを呼び戻すから!!」

 三文芝居だとは分かっているが、このわざとらしさには虫唾が走る。

 普通ならば、このような懲罰人事は、査問委員会が開催され、この事故案件の中身を吟味したうえで確定する。この短期間で処分されるなど、ありえない。

 目の前のこの男や人事担当役員などが示し合わせたのだろう。よく、そんなことが言えると、顔は引きつり、殺意を覚えた。

 救いは、稟議書を上げてきた秋谷が涙ぐんでいたことだ。

「私のせいで申し訳ありません。雨池専務もひどいですよ……無理難題案件を持ってきて、全部、部長の責任にして……私には何もできません。ほんと、悔しいです…」
   
 いつも、自己中心的で、なにを考えているのかわからない奴だったが、かわいいところもある。今度、自分の下についたら、稟議書の書き方でも教えてやろうと思った。


  数日後、日本海側にある地方の関連会社への出向の辞令が渡された。

 社内を挨拶回りしていると、みな、腫れ物に触るような対応だった。この会社で、ハッピーリタイアしたものを、ほとんど見たことがない。分かってはいたが、さすがに惨めだった。
 
  会社の引き継ぎよりも、家庭内での問題のほうが混迷を極めた。社長からお前はいらんと言われたその夜、地方へ出向となりそうだと妻に告げた。

 会社での出来事を、社会経験の少ない妻に話しても理解してもらえるはずもない。あえて、出向になった理由は伝えなかった。

  私としては、まだ幼くて、一番かわいい時期の光輝とは、どうしても離れたくなかった。家族とは一緒に住むのが当たり前だと前から思っていた。出向だろうが、地方だろうが、光輝とともについてきてほしかったのだが、妻は頑固として反対した。

「いつになったら戻ってこれるの? 」

「これから、私たちどうすればいいの? 」

「この家もまだローンを抱えているし、これからどれだけかかるかわかってるの? 」

「給料はどれだけ下がるの? 」

「歳だし再就職できるの? 」

  妻は旦那の都落ちに、この世の終わりかと思うほど嘆いた。言っておくが、失業をしたわけではない。さすがに、困った話は聞き流す特技を発動するわけにもいかない。

  本当に、変なキャラクターに騙されて、20万の英会話教材を買わなくて良かった。金の問題ならば、お前もパートなんかで働けばいいだろうとも思ったが、この状況下では火に油を注ぐようなものだ。

「あなた一人でいって! そんな田舎なんて、私行かないから。ちゃんと、生活費は今まで通りの金額になるように送って! 」

「お前、そんなこと言っても。光輝を一人で育てられるのか? 」

 あまりにも、身勝手な言い方に、私も苛立ちを隠せなかった。

「こっちは、実家のお母さんに来てもらうから。大丈夫!」

 この歳になって、自分の高齢な母親に面倒を見てもらうなんて、そんなかっこ悪い真似やめろと言いたかった。

 だが、かつてないほどのアゲインストの風が吹いている。妻は一度決めたら、絶対に折れない。いまは、私のことよりも、自分のことしか頭が痛くまわらないのだろう。あとで、妻の気持ちが変わって家族を呼び寄せることができるかもしれない。

 出向までは、あまり時間を与えられなかった。

 妻は引越しの手伝いをする気もなければ、会話もなくなった。私は黙って、簡単おひとりさま引越しパックに、自分の荷物を詰め込んだ。結局、お金だけを送金し続けるATMのような、単身赴任生活することになった。



  何はともあれ、会社が用意したアパートの一室で、孤独な一人暮らしが始まった。

 従業員50名くらいの出向先では一応役員待遇ではあったが、いかにも窓際族という単純作業ばかりであり、退屈なものだった。

 ただ、田舎暮らしは初めてということもあり、都会に疲れた私にとっては気楽であり新鮮だ。新任地は、山が富んでおり、水が澄みきって、美しい。

 唯一の心配は、幼い光輝が寂しがっているのではないかと心配であったが、こちらから電話やLineをしているにもかかわらず、妻からの連絡はそっけのないものばかりだった。妻の性格はよく分かっている。光輝は、私一人で大丈夫だと言いたいのだろう。

 一通の封書が届いた。「x財団法人  定期総会の案内状」だった。激動の時間のせいで、完全に存在を忘れていた。しかし、なぜ、出向先であるこの住所がわかったのだろうかと思った。
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