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夏の終わりは、いつだって言いようの無い寂寥感が襲うから。

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もう、無理しなくていいから。
朔は、朔の人生を生きていかなきゃ…。

数年前の俺が、朔に偉そうにも言った言葉だった。
よくもまぁ、と今なら思える。
俺の彼氏である、朔は本当に器用で。
苦しみの微塵も感じさせては、こないから

朔の家の中での事には、なおさら
俺はキッチリと線を引かれていたんだろう。

お墓参りに行く朔の背中は、いつもどこか
寂しさを感じさせていた。

一人きりで、向き合いたい時間があると
俺も朔の心に配しているつもりだった。

でも、時々言ってくれる

『央未、たまには…墓参り来ないか?』
って聞いてくれる、朔の心に
素直に頷いて、ついて行っていた。

お盆以外にも、朔はよく足を運んでいたことを
俺は、知っていた。

だから、朔が仕事の関係で3年もの間、空白の期間が
あったことを気に掛けていた。

『落ち着いたら、行こうって言ってたよな。』

朔が帰国してから、数日が経ってそろそろ住む部屋を探すと
言い出した時期でもある。

寂しい、とは言っちゃいけない気がして。
俺は朔の自由を望む生き方を、よく理解して
様子をうかがっていた。

夕方に出掛けた、お墓参り。まだまだ地面からの熱は
容赦なく照り付けてくる。

「暑い…」
霊園は、朔の実家の裏にある。
そう、朔の実家はお寺さんだった。
朔は、家を継がない事をもう何年も前から明言していた。
なので、お姉さんはお婿さんを貰って
暮らしているみたいだった。

朔は、家の事も自分の事も
全てを選んで、生きている気がした。

俺は、側で朔を見てきていつも
驚かされる事ばかりだった。

特別、何かを持たずに。朔はそれでも
ボトムのポケットから、紫檀の数珠を取り出して
お墓の前に屈んで、手を合わせる。

朔の声はしないけれど、後ろに立っている俺には
心からの朔の想いが、聞こえた様な気がしたんだ。

と、鼻の頭に雨の一滴が落ちてきた。
夏の夕立だろう。
きっと、すぐに勢い良く降って
一瞬の地熱を奪っていくんだろう。

合掌を解くと、朔が俺の手を引いて
御堂の大きな屋根の下まで、走った。

肌に落ちた、雨のしずくはぬるくて、
軽く首を振るうと
朔が静かに笑った。

『珍しい事、するもんじゃなかったか?』
朔なりの、自身への皮肉だと分かる。

「涙雨かも、しれないよ。お帰りって…」
『届きゃしないって、』
「いつだって、見守ってるよ…。朔の事。」

朔にフェイスタオルを渡して、デイパックを直す。

『待たせたよな、お前も…お袋も』
「待てる相手が居るって…ある意味では、幸せなのかも。」

『何でもかんでも、幸せって言うなよ。俺なら…俺みたいな奴とは
絶対に付き合いたくないけどな。』

朔は、どこか困ったような笑みで俺を見ていた。
濡れた黒髪を拭いている姿は
相変わらず、男くさくて。

「贅沢だよ、望みすぎるのは…。今は側に朔がいる。」
雨は、ゆっくりと小雨に変わっていく。

「朔、挨拶とかしていかないの?久しぶりの実家だよね?」

『俺は、墓参りさえできればいい。ありがとうな、央未。たまに…こうやって
また来てくれ。俺も、一人じゃ脚が重い時もある。』

ずっと、張り詰めていたんだろうと考える。
突然、異国に移り住んで生活して。
帰国してからの、朔は穏やかな風を身にまとい
帰って来た気がする。

人として、円熟味が増したのか。
この前まで、クソ彼氏と呼んでいたものの
今の朔を見ていると、
「全然、クソ彼氏じゃない。」

『…俺は元からクソ彼氏じゃない。』
「朔は、素直で正直すぎるんだよ。」

目の奥が、優しくなってきている。

『俺より、央未の目の奥の方が…見てて心配になるけどな。』

朔が言うには、俺の瞳の奥には
寂しさとか、切なさを感じるらしくて。
朔は、こんな俺の顔と眼に
グラッと来るらしい。

お互いに、かなり物好きの部類に入るだろう。

「なんて言えばいいのかな?覗き込んだ人の、心を映す鏡みたいなものだよね、
瞳って。」

俺の言葉に、朔は一瞬目をみはって
『…心当たりあるな。』
「伝わったみたいで、良かった。」

『央未って、時々…ハッとする様なこと言うからなぁ。』

雨が上がり、朔は家の前を通って
バイクに戻ってくると
ヘルメットを着けた。

「今度は、お花とお線香…持ってこよっと。」
『ありがとな。これは、俺の我がままなのに。』
「朔の、お母さんだよ?…俺もちゃんと手を合わせたかったから。」

『俺に足りない所を、央未が持ってくれてる…だな。』
「腐れ縁だもん…。でも、そう言ってくれるのは嬉しい。」
『さ、帰んぞ。』

慌てて俺もヘルメットを被って、朔のバイクの
後ろに乗せてもらって、帰路についた。


家に帰ると、ソッコーでシャワーを浴びた朔と。
俺は、カラッカラの洗濯物を取り込んで
朔の着替えを準備していた。

熱さをもった洗濯物に触るのは、気が滅入るけど。
少しずつ冷房の効きだした部屋で、
洗濯物をたたんでいると、シャワーから出て
半裸状態の朔が、居間に出て来た。

「すっきりしたっぽいね。」
『焼けるかと思った…』
「俺もシャワー浴びよっと。朔の着替え、ここにあるから。」

すっ、と立ち上がると
朔に不意に抱きすくめられた。

「…!ちょ、汗かいてるから…朔、離せ」
『…お前の汗なら、気にしない』
「お、れ、が…気にするから…」

『汗かいて、央未の体冷えてるな。』
「だから、シャワー浴びてくるって。」

なんなんだろ?
朔の気まぐれは、知っていたけどさ。

俺はそのまま、脱衣所に行って
着替え、浴室にてシャワーを浴びながら
考え事をしていた。

「もう、ここ…出ていくからかな。」
いい物件があったと、不動産会社との連絡を
密にしていた朔は、引っ越しの段取りをしていた。

そっか。
以前みたいに、同棲できていたのは
本当にすごい事だったのかもしれない。

もしかしたら、朔も俺と同じように
感じ始めているのかな?

もやもやしながら、シャワーを済ませてタオルで体を
拭いていると
『央未、』
!?
「ぇ、朔?どうした…ぅわ、開けるなよ!」

ドアが開いて、まだ髪の湿ったままの朔が
顔をのぞかせた。
『ぁ、ごめん。ちょっと眼鏡忘れてないか?そこに』

あぁ、と洗濯機の上に置いてあった朔の
細いリムの眼鏡をそっと手にして
朔へと手渡した。

「どうぞ。」
『ありがとな。』

緩く笑みを浮かべて、朔はドアを閉めて居間へと
戻って行った。

内心、ドキドキしたのは言うまでも無かった。
脱力して、着替えを済ませてから
髪をドライヤーで乾かした。

居間に戻ってみると、朔が冷凍庫を開けていた。
ほんっと、自由人。
まるで、子供だなぁ…と
『ぁ、央未の食べるか?アイス』
昨日、一緒に選んだアイスの箱をあさる朔。

「食べる。えっと、メロンがいい。」
『俺は、チョコにしておこ…』

ほいっ、と個装の一口で終わりそうな
アイスを一つ朔が、俺に放った。

俺は、左手でパシッと受け取って
封を切ると、口内に投げ入れた。

熱い口内の粘膜が、程よく冷えて心地よかった。

さっきから、何気なくチラチラと
朔からの視線を感じる。

『で、引っ越すこと…決まったって言ってたろ?』
「ぁ、うん。」
『でも、別々に暮らすのって無駄だと思って…まぁ、そういう
つもりで部屋探したけど。』

「うん。」
『勝手に決めるんじゃ、またお前にクソ彼氏って言われる。』
「あはは、…そんな事ないよ?」
『ちゃんと、一緒に住みたい。央未と…』

朔、本当に変わったんだなぁ。
「俺は、どうしたらいいかな?」
『俺は、人の自由を奪うのは…駄目だと思ってる。』
「…朔がどうしたいのか、聞いてから俺の考えは、聞いてくれればいいよ。」

俺は、結構…朔が俺に対する独占欲が強い事も
知っているから。

遠慮なんかしないで。

聞いてくれたらいいのに。

ソファーの前に、座る朔の髪を
持って来ていたタオルで、丁寧に拭く。

「俺は、いつも朔に大事にされてきたよ…。」
『央未、』
「今日は、朔…少しだけいつもと違う。でも、そんなの関係ない。」
『…甘い匂いする。』
「へ?あぁ…メロンだね。もう、とけて無くなっちゃったけど。」

唇を重ねて、深く熱をとかし合う。
朔とのキスは、いつだって
何度も特別にしかならなくて。

思考をおぼろげにされてしまう。
朔の眼鏡は、テーブルの上に置かれたままだった。
体は、まだ暑さが残るのに。

この先の事を容易に予想が出来てしまう。

頬が熱くて、互いの吐息がわずかに
冷気を含んでいる事を感じる前に、絡む舌に
無意識に目を閉じた。

着ていたTシャツの裾をめくられて
無防備にさらされた素肌に、埋もれるように
朔が胸元に唇を寄せた。

「ぁつ…っ、」

朔の悪戯な指先は、俺の耳朶をふにふに触っている。

まだ、もう少し…朔の心の声を聞くまでには
時間がかかるだろうな。
と、朔がもたらす快楽のひと時に
没頭する事に心を決めた。
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