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マグノリアの誘惑

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長い夢の果ては、いつも冷たい現実が待っていた。
夏休みも、後半に差し掛かり相変わらずの宙ぶらりんな関係で
俺と先輩は、ゆるい付き合いをかろうじて続けていた。

夏の大会が終わった先輩は、剣道部を引退してから
少しだけ気落ちしていた様子で。
俺には、どうにもしてあげる事が出来ないからますます先輩から
遠ざかっていく日々だった。

一緒に居たかったけど、先輩が苦しいと俺も苦しい。
互いに、良くない方への引っ張り合いが怖くて
夏休みも数回しか会えなかった。

先輩は、俺の夏休みの課題を手伝ってくれると言って
家にまで来てくれた。
成績も優秀で、人柄も良く本当に文武両道を地で行く人だから。

もう、進学する大学も決まっているし先々の事は心配無さそう。
本当に、自分の好きな人がここまで優秀だと
嬉しい反面、自分の至らなさが歯がゆくもある。

後、1週間程で夏休みが終わる。

いまだに、現実味が無い。
数学の課題に大いにつまづいていると、先輩は本当に丁寧に
解き方を教えてくれる。

俺の部屋で、エアコンの快適な室温の中
眼鏡を掛けた先輩は、すぐ隣で真面目な表情で教科書を見ている。
『どこまで解ってるん?』
「…それすら分かんないと言うか、」

俺の返答に、先輩は苦笑いして
『ガッコ、またサボってたん?行きたない気持ちは、少し分かるけど。そんでもなぁ…』
「説教ですか…?」
『説教は、せぇへんよ。ほんまもんの説教なら…したってもえぇけど。』
ゆるい手つきで、俺の頭を撫でる。
「嫌なんですよ。俺にはもう、目標もないし。」
『努力できる子やって、俺は知ってるよ。ここは、進学校やのに俺と同じ所に行きたくて
受験頑張ったんやから。後の高校生活で見つけたらえぇ…。』

大体の人は、俺の事を内側まで見てくれない。
でも、先輩はやっぱりどこか違う。
否定を持って来ないで、俺の気持ちに触れようとする。
そういう所が、とにかく好きだ。

「…先輩が居る人生だから、俺は頑張れる。」
『嬉しいけど、人一人の存在感て…やっぱり大きいねんなぁ。』
「高校には、先輩が居るから行きたいよ。行かなきゃって思う。でも…来年には」
これ以上の言葉を察した先輩が、
『こんなん勉強にならへんやろ…。さきっから、可愛い事ばっかり言うて』
どうしたいん?と困った顔をする。

「好きな人と居ると、頭の中がヘンになるって本当だ。」
テーブルの上には広げられた教科書と、課題のプリント。
麦茶の入ったグラスが2つ。
先輩と目が合うと、何にも言えずに目を伏せる。
どうしてもドキドキしてしまう。
誤魔化す事も出来なくて、
『雪緒は、違う勉強に興味あるみたいやから…なら、今日はそっちでもえぇよ。』
顔が熱い。

何て事言うんだろう。
「何で先輩は、俺と…」
『何回も言わせんで?雪緒やから、や。』
こんな季節に、イチャイチャする事自体考えられなかったけど
意外と当事者になってしまえば、気にはならなかった。

肩を引き寄せられると、何の抵抗も無くすんなりと
先輩の方を向いて、目の前には白いシャツが見えて
のぞく鎖骨に、頭がクラクラする。
俺の背中は床と仲良しして、先輩からの体圧が心地いい。

『背中、痛ない?』
「まだ…平気。」
『辛なる前に言うてな。』
フワっと、かすめる匂いはマグノリアと言うらしい。
「良い匂い、木蓮だっけ…」
『実家の匂いが、何してても線香くさいから。せめて、この匂いならって』
そんな事、気にしてるのかと思っていると
首元にキスをされて、体が少しだけ跳ねる。

「ん…くすぐったい、」
『何にもせーへん思てた?』
先輩が顔を上げて、スッと眼鏡を外しテーブルの上に置く。
「真面目ぶるの、上手いから。光冥…」
『俺、大学行ったら一人暮らしするし。いつでも、2人で居られるようにな。』
思ってもみない言葉で、俺が目を瞬かせてると
頬に手を添えられて、
「嘘みたい…」
『嘘でも、夢でもあらへんよ。いつかは、こうしたかった。』
視線を合わせながら話す、先輩の瞳は漆黒ながらも細かな光の粒がいっぱい
散らばっていてとても綺麗だ。

現実に、こんな事が起こるなんて思ってもいなかった。
望むことは、多少あったけれど先輩がちゃんと俺と言う存在を
見つめていてくれる事が、ただ嬉しくて何だか泣き出しそうだ。

「好きになった方の、負けなんだと思ってた…」
先輩の手のひらは、少しひんやりとしてて手つきは優しい。
『俺も、負けてるから。同じ』

キスの感覚は、初めてでは無いにしろ幸福感ですぐに頭の中がいっぱいになる。
最近の先輩は、俺を遠ざける発言もかなり少なくなってきて
同性である事を前は何度も、口にしていたけれど言わなくなった。
心が離れてしまう事が怖くて、本当に距離を取りながら居たけれど
焚きつけてるのは、いつでも俺の方だって言われて
何にも言い返せなかった。

「好きって、言えてた頃が一番良かった。」
『今でも、言うてるのに?』
「光冥先輩、時々切なそうに俺を見てるでしょ。そんな時だよ。ぎゅーってしたくなる。」
俺は、先輩のシャツのボタンを外す。
『雪緒のも、見たい…』
俺のシャツの裾を捲り、露わになった腹部にキスをされて
「ひゃ…っ、…」
恥ずかしさに身を捩る。
『想いの丈って、見せられへんのが残念やな。』
胸に先輩の手が這うだけで、この先を知るのが怖くて目をギュッとつむる。

「そんなトコも、触るの…?」
『ぁ、まだ知らんのか雪緒は…。あんまり一人で自分の体、触ったりせん?』
「うん。そんなには、」
『…じゃ、止めとくわ。雪緒がもう少し大人になるまで、俺は待てるし。』
するすると、裾から手は引っ込んでいき俺は
ゆっくりと体を起こす。
何となく、申し訳ない気もして居たたまれずにいると
先輩に抱き締められた。

『そんな顔せんと…これは、お互いの為や。正直、俺も理性がある内で良かった思てる。』
しっかりと抱き締める先輩と、体が密着してて
俺は気が付いてしまった。
「…ごめんなさい。」
『もー、めっちゃ恥ずかしいけど…でもそんくらいに、雪緒の事想ってて』
先輩も、少し顔が赤い。
俺も、つられて赤くなってしまう。

「あの、…ソレ、手伝うならできますけど」
『アカンて。それは、さすがに。雪緒に悪いし…俺の罪悪感が残るから。』
先輩は口元を手で隠しながら、俺の視線から逃れる様に背を向ける。
「…光冥先輩、」
何て言ったらいいのか分からないけど、少し嬉しかった。
先輩が自分との関係を望む事も、まだ待てると言ってくれる事も。

「決めませんか?その…ここまではOKっていうラインを。」
『肉体の威力が、凄すぎるわ。』
「うん。俺も、そう思った。…じゃ、キスまで?」
『ぁ~、ハグとキスだけで。雪緒が高校の間は、そうしよか。』
随分と可愛い関係だと思って、俺はこの頃何にも知らないで承諾した。

「光冥先輩、可愛い~」
『揶揄っとるやろ…、あ、ちょ…あんまり今は』
俺は、先輩を後ろから抱き締めて顔を覗き込む。
先輩みたいな、非の打ち所がない人をちょっと困らせるのが
楽しくなりそう。








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