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第九話 新たなる道を照らす光。

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「そんなに伊月先生と作品が好きなんだったら、お姉ちゃんも小説書いて見たら?」
 洗面所で顔を洗って戻ってきた優が、タオルを丁寧に畳んでテーブルに置いた。
「え? 何よ急に? 書ける訳ないじゃない? 書いた事ないんだから」
「誰だって、最初は書いた事ないよ。でも、好きな人と同じ事をしたいと思うのは、別に不思議な事じゃないと思うけど」
 確かに、共通の趣味を持つのは仲が深まるし、相手の事を理解するのにはうってつけだ。何が楽しくて、何が大変なのかを理解する事は大切だ。なによりも、伊月康介のように、美しい世界を描くことができたら、きっと楽しいだろうなと、考えたことはある。優の突然の提案に、公香は俯き、小説をペラペラ捲る。何度も何度も読み返している為、言葉一つ拾うだけで、情景が頭に浮かぶ。
「あ、別にそんなに深く考える事でもないよ。趣味の一つとして、やってみたらって思っただけ。誰かに見せる必要もないし、読んで欲しいと思ったら、小説の投稿サイトがあるからね」
「え? そんなのあるんだ? もしかして、優は小説書いてるの?」
「私は、読専。少し書いた事あるけど、私は読む方が好きだね」
 優は、スマホを操作して、画面を公香に見せた。
「へーこんなにあるんだ。知らなかった。どこがお勧めなの?」
「私は、この二つに登録してるよ。使いやすいからね。投稿する側だとまた違うかもしれないから、色々試してみたら良いと思うよ」
 公香は自分のスマホを手に取り、画面をのぞき込む。優は、公香の隣に座った。
 優は、兎に角、公香の事が心配でならなかった。なんでも良いから、夢中になれるものを見つけて欲しかった。勿論、色々と落ち着いたら、職について前のように、明るく活発な姉に戻って欲しい。その点、小説の執筆は、うってつけだと思った。小説(だいぶ偏りはあるが)に興味を持ってくれたし、執筆はお金がかからない。スマホでも執筆はできるし、本格的に続けるなら、パソコンをプレゼントしても良い。それくらいの稼ぎと蓄えはあると、優は公香の横顔を眺めた。以前は、アクティブであった公香は、パソコンを持っていない。
 何よりもやはり、小説を好きになってくれた事が嬉しい。伊月康介の作品は面白いけど、他にも面白い作家や作品は、山のように存在する。公香にもっと色々教えたくて、優はウズウズしていた。
 このまま、真っ当な読書好きに染めてやろうと、ほのかに企んでいた。それは、優自身の為でもあるし、公香の為でもあると確信している。
「小説書いてる人って、こんなにいるの!? 知らなかった。このサイトに投稿してる人達って、皆プロじゃないって事?」
「そんな事ないよ。書籍化作家さんも沢山いるよ。プロとアマが、混在しているの」
「へーそうなんだ。今までの人生で、小説書いてる人に会った事ないんだけど」
「まあ、あまり書いてますって、宣言する人はいないんじゃないかな? やっぱり、恥ずかしいと思うし。SNSでも、専用のアカウントを作って、リア友には内緒にしてる人って結構いると思うよ」
 そうなんだ、と呟き公香は、優が勧めたアプリを取得する。
「取り合えず、色んな作品を読んでみると良いよ。全部無料で見れるしね。伊月先生も面白いけど、他にもお勧めの小説は沢山あるから、今度持ってくるよ」
「小説を書いたら、伊月先生は読んでくれるかな?」
「うーん・・・それは、どうだろう? 難しいと思うけど、可能性はゼロじゃないと思うよ。書かなかったら、百パーセント見られないけどね。『無い作品には、誰も感動しません』ってね」
「お! なにそれ!? 誰かの名言?」
「え? あ、ごめん。適当に言ってみただけ」
 公香と優は、じゃれ合うように笑いながら、後ろに倒れた。二人は仰向けになって、脇腹を突いたり、こそぐったりしてはしゃいでいる。すると、公香は突然立ち上がり、ソファへと飛び移った。
「なんだか、面白そうだし、挑戦してみよっかな!?」
 公香は、勢い良く拳を天井へと振り上げる。起き上がった優は、体の目で手を叩く。
「うん、応援するよ!」
「三か月経てば、失業保険出るしね。一年くらいなら、働かなくてもやっていけるだけの貯金はある!」
「それは、賛同しかねるけど」
 公香が明るく前を向いてくれたのは嬉しいけど、手放しで喜べない優は、拍手を止める。
「もう一生分の恥はかいた! 今更、怖い物なんかないよ!」
 元気溌剌の公香とは対照的に、複雑な心境の優であった。
 色々気になるけど、怖くて聞けない優は、唇を噛んだ。
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