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第十四話 偶然の糸は、手繰り寄せられた。

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「さてさて! メインディッシュの次は、デザートでございます」
 公香は、浮かない表情の優を気にも留めず、紙袋から雑誌を取り出した。
「デ、デザート?」
 目を丸くする優に、公香は両手で掴んだ雑誌を前に押し出した。
「そう! 新作発売記念で、伊月様は対談をしているのです!」
 雑誌の表紙には、モデル顔負けの容姿をした伊月康介と人気女優が、それぞれタキシードとドレスを着て、豪華なソファに腰かけている。
「私、戸枝梨花も好きなんだよね! 確か、戸枝梨花も二十八歳だったよね? こんなタメ羨まし過ぎるよ! 超可愛いし、超スタイルいいし、演技上手いし! この二人のツーショットって、絵になるよね! まさに神回だよ!」
 興奮気味で、手に汗握る公香は、表紙を自分の方へと向け、穴が空きそうな程見つめる。整った二つの顔が、挑発的な笑みを浮かべ、公香を見つめ返している。
「へえ? そうなんだ?」
「あれ? 優は、興味なし?」
「ごめん。テレビ見ないから、分からないよ」
 苦笑いの優を置き去りにして、公香は雑誌を開いた。勿論、優は人気女優の事は、詳しくはないが認知している。テレビは見ないけれど、電車や町のあちこちに掲載されている広告は目にしている。その企業広告に、人気女優の戸枝梨花は起用されている。しかし、優はそれどころではない。人気作家の新作と公香の作品が酷似している問題を抱えている。見た所、公香は微塵も感じていないようである。
 優は、大きく深呼吸をし、ベッドで横になる公香の隣に飛び込んだ。雑誌を覗き込んで、日常的な会話をかわす。きっと、考え過ぎだと優は、自分に言い聞かせ、忘れる事にした。
 きっと、勘違いだ。ただの偶然に決まっている。優は、自分に言い聞かせた。

 自宅の近所にあるファミレスで夕食を取り、優は帰宅した。公香は、コンビニに立ち寄り、ジュースやお菓子を買い込み自宅のマンションへと戻った。ベッドに飛び込み、伊月康介の新作を開く。もう一度、読んで今日は眠ろう。なんなら、寝落ちしたっていい。頭の中を伊月作品で満たし、今日を終えよう。なんて、贅沢な一日だったのだろう。公香は、そう思いながら、表紙を捲る。
 小説を読み終え、今日は自作を執筆していないし、投稿もしていない事に気が付いた。でも、今日は、それでいいと思った。伊月康介以外の文章に触れる気になれない。公香は、小説を枕元に置いて、眠りについた。
 明くる日、サイトを立ち上げ、公香は首を傾ける。いつもより、コメントが多く寄せられていた。首を傾げながらも、『ああ』と見当がついた。公香は、伊月康介のファンである事を公言しており、同じ伊月ファンが自身の作品を読みに来ている事も知っている。『伊月蜜柑』のペンネームも伊月康介から、拝借している事を発信している。だから、伊月康介の新作が発売され、感想コメントが多く寄せられたのだと思った。
 コメントを読んでいる公香は、次第に眉間に皺が寄っていく。
『伊月蜜柑さん。いつも楽しく作品を拝見させて頂いてます。ところで伊月康介の新作は、もうお読みになりましたか? その作品が、伊月蜜柑さんが以前書かれた、『黄昏時の君』に良く似ていました。これは、偶然なんですか? もしかして・・・盗作かな? と思いました。失礼だとは思ったのですが、あまりにも良く似ていたので・・・。勿論、伊月蜜柑さんの方が、先に発表していますし、伊月康介の方は書下ろしだから、どっちかと言うと、向こうの方が・・・すいません。どうしても、気になってしまい、不躾なコメント失礼しました』
 息を飲んだ公香は、慌てて自身の作品を開いた。文字を目で追って行く。今まで全く気が付かなかったが、指摘された通り良く似ていた。主要人物の男女が入れ替わっていたり、場所の設定が変わっているけれど、台詞回しなど類似点が多い。公香は、もう一度小説の投稿サイトを開いて、全てのコメントに目を通した。そのコメントの全てが、伊月康介の新作が類似しているというものだった。
 認知度が低い伊月蜜柑なので、炎上しているという訳ではない。そして、素直に喜べはしないのだが、公香を非難するコメントは一つもなかった。
 伊月康介が、伊月蜜柑の作品を盗用しているのでは? というものばかりだ。混乱する公香は、震える手でスマホを叩く。
『ただの偶然です。勿論、伊月康介先生とは、面識ありませんし。あちらは、プロの作家さんなのですから、認知のないアマチュアの私の作品を盗用する訳がありません。混乱させてしまい申し訳ありません。取り合えず、『黄昏時の君』を非公開にします。私は、伊月先生のファンなので、迷惑をかけたくありません。どうか皆様も、静観していただけると、嬉しいです』
 公香は、コメントを発信し、作品を非公開に切り替えた。その後も、様々なフォロワーからコメントが寄せられたが、どれも読む気になれなかった。公香は、買ったばかりの伊月作品を開く。
「伊月様が、私なんかの作品を盗用する訳ないじゃん! 皆、何言ってんのよ!」
 自分に言い聞かせるように、公香はページを捲っていく。しかし、読めば読むほどに、類似点が多い事に気づかされる。公香は、途中で本を閉じ、ベッドに仰向けになった。
 伊月康介の作品を読む事が、これほどまでに辛くなったのは、初めての事だ。すると、突然、スマホが着信した。
『お姉ちゃん、大丈夫?』
「え? 何が?」
『あ、いや、サイト見たよ。コメントも見た。黄昏時の君もなくなってるし』
 あまりに早い反応に驚き、言葉が出てこない公香は、無意識の内に部屋中を見渡した。監視カメラでも、仕掛けられているのかと疑ったが、そんな訳がないと我に返る。
「・・・優?」
「なに?」
「ひょっとして優は、昨日気づいてた?」
「・・・うん。でも・・・言い出せなくて」
 それはそうだろうと、公香は目を閉じ納得する。公香は、伊月の新作に浮かれに浮かれて、目の前の事にしか意識がなかった。きっと、世界中の誰よりも公香を応援してくれているのは、優であるはずだ。現段階で冷静になって確認し、公香ですら似ている事に気が付いた。ならば、優なら、とっくに気づいているに決まっている。
 優は、公香の事を心配して、慮って内緒にしてくれていたのだ。
 そんな事は、公香には十分伝わっていた。優を責めるはずがない。
「ごめんね。お姉ちゃん」
 耳元から聞こえる怯えた様子の優の声に、公香は心臓を握り潰されたような感覚に襲われた。公香に不安を与えない為に、配慮してくれた優に、謝らせてしまった。公香の混乱による沈黙によって、怒っているように取られてしまったのかもしれない。
「ど、どうして、優が謝るのよ? 気を使わせてしまって、私の方こそごめんね。でも、暫くは・・・」
「お姉ちゃん! お願いがあるんだけど」
「え? あ、うん、なに?」
「お願いだから、小説を書くのを止めないでね。きっと、ただの偶然だよ。たいした問題じゃないよ。だから、お願い」
 正直、公香にとっては、たいした問題だ。しかし、今にも泣き出してしまいそうな優の切実な想いが、公香の目頭を熱くする。優の声が、息遣いが、沈黙に纏う空気感が、切なる想いを訴えている。
 暫く、小説を書くのを止めようと思う。
 飲み込んだ言葉でさえも、優にはお見通しだったのかもしれない。そして、先回りして、公香の後ろ向きな気持ちを断ち切った。
「もちろんだよ。私の生きがいだからね。だから、これからも応援してね」
 そう言って、公香は通話を切った。それから、そのまま小説投稿サイトを開く。目を背けようとした現実に、向き合う事にした。まずは、コメントをくれた人へ、返信をする。すると、その中の一つのコメントに目が止まって、公香は背筋が凍るような感覚に陥った。
『伊月康介のSNSに、DMで確認しようと思います』
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