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第二十話 重ねる嘘。

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「それで? 私を誰だと思ったの?」
 公香の自宅にやってきた優が、開口一番詰め寄った。真っすぐに見つめて来る優の視線から逃げるように、公香は玄関からベッドへと足早に移った。防御力があるようには見えないが、公香はクッションを抱く。玄関を施錠した優が、小走りでソファへと向かい座った。そして、軽く握った右手を耳元に当てる。
「『もしもし!』なんて、あんな高くて可愛い余所行きの声なんか、聴いた事ないんだけどお?」
「べ、別に普通だよ。私は、いつでも可愛いでしょ?」
「絶対違いますう! ひょっとして、彼氏でもできた?」
「は? そ、そんなんじゃないよ!」
 そんな色っぽい話ではないが、公香は明らかに動揺している。伊月からの電話だと勘違いし、出来る限り全力で可愛く作りこんでしまった。その声を妹に聞かれ、叫び出したい程に恥ずかしい。公香は、分かり易く顔を背けた。優は、溜息を吐いて、優しく微笑んだ。
「まあ、いいけど。とにかく、元気そうで良かったよ」
 優の言葉の意味が分からず、公香は首を傾げた。現状、公香はこれ以上ない程に、元気溌剌だ。公香の姿に、今度は優が首を捻った。
「それで、大丈夫なの?」
「だ、大丈夫って、何が?」
「何がって、伊月先生の盗用疑惑だよ。投稿サイトにコメント来てたじゃんか?」
 ああ、その事かと、ようやく思い出した公香は、数度頷いた。その事なら解決し、とんでもない方向へと話が進んだ。ここ最近は、執筆に没頭していた為、投稿サイトを開いていない。若干騒ぎ出したフォロワー達が、その後どうなったのか知る由もない。伊月は、様々な人からメッセージが来たと言っていたが、そう言えばどのように対処したのか聞きそびれた。きっと、相手にしなかったのだろうと、予想はつく。
「最近、猛烈に執筆してて、そんな事忘れてたよ。偶然に決まっているし、ほっとけばその内静まるんじゃないの? 伊月さんが私の作品なんか盗用すると思う? プロアマ含めて、どれだけの作家がいると思ってんのよ? 仮に伊月さんが私の作品を見つけて、気に入って盗作する確率って、どれほどのものよ? 天文学的数字って奴だよ。隕石が頭に落ちて来るくらいの確率じゃない? ありえないありえない」
「まあ、それはそうなんだけど・・・あ、確か宝くじが当たる確率って、隕石が直撃するくらいの確率じゃなかった?」
「いや、それは知らない」
 公香は、右手を顔の前で振った。それでは、公香は宝くじが当選したようなものだ。奇跡中の奇跡が起こっているのだと、改めて思うと顔がにやけてしまう。
「それはそうとして、もう止めたの?」
 優は、ソファから身を乗り出して、ニヤニヤ笑っている。眉間に皺が寄ってしまう程、不快な表情だ。その表情だけで、小馬鹿にされているように感じる。クッションを投げつけてしまおうか。
「何をよ?」
「伊月『様』!」
 『様』を強調して言う優に、公香は反射的にクッションを投げつけた。顔面に直撃した優は、ソファにもたれこむ。
「ちょっと! なにするのよ!?」
「あ! ごめん、つい。あまりにも顔がムカついたから」
「もう酷い事する」
 優は、手櫛で乱れた髪を整えながら、唇を突き出す。公香は、顔の前で両手を合わせて、声を出して笑っている。反省の色が見えない公香に、優は呆れたように溜息を吐いた。
「それで? どうして、『様』を止めたの? お姉ちゃんも、伊月康介を見限ったの?」
「は? 別に見限ってないし。ってか、優は、見限ったの? 最低」
「え? あ、いや・・・その・・・ぶっちゃけ、最近の作品面白くないし、それに・・・私は、康介よりも蜜柑の方が好き」
 伊月康介を見限った事実を突きつけられ、湧いてきた怒りであったが、直後に顔を引っ込めた。さすがに、面と向かって、好きと言われると照れる。優は、伊月康介の作品よりも、伊月蜜柑の作品の方が好きのようだ。その事実を知り、公香は複雑な心境になった。
「で、でも、新作は、面白かったでしょ?」
「それは、お姉ちゃんの作品に、似ていたからだよ」
 優が言うなら、本格的にそうなのだろう。公香は、ぐうの音も出ない。世間の声や公香自身の感想よりも、優の感想が一番信用できる。
「や、やっぱり、プロの作家さんでも、当然スランプがあるんだよ。これから、面白くなっていくんじゃない?」
 公香は、取り繕うように、伊月康介のフォローを入れる。しかし、あまり優には響いていないようで、腕組みをして首を捻っていた。
 これまでも、そしてこれからも、公香は伊月康介のファンだ。優の本音を聞いて、彼女と同じように感じているファンは、沢山いるのかもしれない。伊月康介の汚名返上を出来るのは、私しかいないと、公香は密かにやる気をみなぎらせる。伊月康介を紹介してくれたのは、優であり、そのお陰で生活どころか人生が一変した。その優が、もう伊月康介を好きではないという事実は、公香にとって非常に重い問題だ。
「面白い作品書くから、楽しみにしててね」
「うん! 楽しみにしてる!」
 沈んでいた優の顔が、パッと花が咲いたようであった。優の満面の笑みに、公香は胸がキュッとして、笑顔が引きつっていないか心配になった。
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