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プロローグ
しおりを挟むゴーストアップル
「ねぇ、ゴーストアップルって聞いたことある?」
そう彼女は足元に降っては消える雪をながめながら質問を投げかけた。この街で雪が降るのは数年ぶりだった。
「―いや、知らないな」
確かにそれは今までの人生の中で初めて耳にした単語だった。ただ、なぜかそれ以上その話を続けたくなくて素っ気なく返事をした。
彼女はそれを察したのかは分からないが一瞬こちらを見てから数秒の間を置いて、また同じように続けた。
「そっか。―それね、腐ったリンゴの表面にまるでチョコレートでコーティングするように氷雨が伝って凍りつくんだってさ。でね、その
後に中身がドロドロに腐ったやつが隙間から流れ出て残った氷のリンゴをそう呼ぶんだってさ。ねぇ、どう思う?」
「―綺麗なんじゃないかな」
そう在り来りな返答をすると彼女は少し不満げに
―みんなと同じ事言ってるー。と言った。僕に期待していた返答と違っていたようだった。正直に思ってるいる感想を言えば満足するだろうけど、さっきも言ったが僕はこの話をあまり続けたくなかった。
「私はね、『寂しいリンゴ』だなって思うの。だって、中身が腐ってなくなってすっからかんなのよ?まるで綺麗な部分だけ残して表面だけとりつくろってるみたいに。それって―」
「うるさい―。」
それは独り言のような声だったが二人しかいないこの場所で彼女の言葉を遮るのには十分だった。
彼女は驚いてこちらを見ていたけれど、僕自身も驚いていた。その時はなぜそんなに腹が立っているのかはわからなかった。ただ、そう咄嗟に出てしまった言葉を拭いとるかのように
―ごめん。とだけ言い残してその場を立ち去った。
家に帰ってからふと彼女が言っていた言葉を一人思い返した。なぜか妙に一字一句違わず覚えていた。
「僕とそっくりじゃないか。」
あの時の彼女の言葉はリンゴに対しての感想だった。ただ、今まで仮面を被るように他人の表情を伺い自分を取り繕って生きてきた僕にとってはまるで自分の隠したい弱い部分を間接的に公表されているような気がしてたまらなかった。
彼女とはそれから何回か会うことはあったがもう言葉を交わすことは無かった。彼女に悪気はない事は今までの付き合いでわかっているつもりだったが、どう声をかけていいのかわからなかった。ただ雪が降っては消えてしまうように時間だけが過ぎていった。
「よっ、今日は遅かったな」
そう気さくに声をかけてきた彼は高校からの友達である。
「ちょっとな、ところで盛り上がっているが何話してたんだ?」
部屋にの前からでも楽しそうな雰囲気が伝わって来るほどだ。
普段黙々と文字に目を追ったり、文を書いているだけの部屋にしては珍しく騒がしかった。
「あぁ、大した事じゃないけど、このパッとしない大学を選んだ理由をみんなで話してたら意外と盛り上がってさ」
と目を絞らせ笑いながら言っている彼の隣で他の部員が
「こいつの理由知ってるか?お前がいっつもつまんなそうな顔してるから何となく大学もサークルも同じとこに入ったって言ってんだよ。
愛されてんなーお似合いだぜ?」
とからかい気味に茶化してきた。
周りも同じようにくすくす笑っていた。
―俺にそんな趣味はない!と反論したかったが、その馬鹿みたいな理由がシンプルに嬉しかった。今までで心を許せる相手なんて彼ともう一人くらいしか―。それから同じような口調で続け
「で、お前はどうなのさ。あ、もしかして同じ理由だったり?」
と、僕にも質問を振ってきた。ただそのからかいを受け流せばいい。心ではわかっていたが、その質問は僕にとってあまり触れられたくないもので、ほんの数秒の間、部室に少し気まづい雰囲気が訪れた。
「―。何となくだよ。」
そう誤魔化すように言って視線をそらすと彼と少し目が合った。何か物言いたげな目をしていたが僕は黙って自分の席に着いた。
この大学を選んだ理由なんて本当に深い理由はなかった。ただ、あの街から逃げて誰も知らない所で今までと違う人生を歩かった。それだけの為に東京の大学を受験しまくって受かったのがここだ。それを誰かに言うのは少し違う気がした。
「なぁ、やっぱあの事が―」
と彼が小声で話しかけてきたが僕は
―違うからと告げそれ以上の会話を遮断した。彼が言いたかったのは多分高校二年の冬に起きた彼女との事を言っているのだろう。
彼が言おうとした内容が主な原因なのは確かだ。あの街からではなく彼女から逃げてきたって言う方が正しいかもしれない。それ自体大した出来事でも無い。自分でもそれは理解してるつもりだ。なのにそれを今も引きずってると思われたくなくて彼の言葉を否定した。
人付き合いが苦手だという自覚はあるんだ。どうしたら上手く付き合えるのか?
もしかしたらこの世界が僕に適してないのかもしれない。もっと自分に自信が着くような出来事がぽんぽん起こるラノベ主人公のような人生だったら僕でも上手くいくのか、若しくはもっと愛想よく振る舞えば何か変わるだろうか、答えは至って単純。後者だ。けど僕にはサークル仲間ですら難しい。極度の人見知りとでも言っておこうか。
このサークルは言ってしまえば小説を書いたり読んだりするだけのサークルだ。小説を読むと作者の世界観を見る事が出来る。小説は一度きりの人生でも、ただ読むだけで他の人の人生を経験出来る最高のツールだと僕は思っている。読んでいると誰か他の人になったように感じて気分が良かった。
「お前もそんなに小説好きなんだったら書いてみたらいーじゃん。案外楽しいぞ?」
「いや、いいよ僕は読むだけで十分だから」
すぐ誘いを断ってしまうのは僕の悪い癖だ。
「そうか、珍しく誘ってきたのがこのサークルだから小説書くのも好きだと思ったんだけどな。まぁ気が変わったら言ってよ。」
「サークルに誘ったの僕なのになんか悪いね。」
と言いつつも小説を書こうとしたことはあった。だが、どうも上手くいかなかった。小説を書こうとする時一般の人なら自分の体験や思いついたネタを広げて書いていくのがセオリーだろう。
彼が言うに最高の小説を書くには自分が最高に面白いと思いながら書くことだ!と書き始めて間もない頃、自信ありげに言っていた。
それを聞いて最高に面白いものを自分なりに考えてみたがダメだった。僕が面白いと思えるのは他人の世界観を覗いた時だけだった。自分の中から出てきた世界観ではどうも納得いかなかった。
そんな僕とは裏腹に今まで小説を書く事なんて無縁だった彼は意外にも小説を書く才能があったらしく新作を毎月のように出してはみんなに読ませていた。最近出した作品がかなり良かったらしく遂には新人賞を受賞して作家としてデビューが決まっていたりする。確かにその作品は僕から見ても面白かった。彼の人生は華やかしい限りであった。
それに比べ僕は―。
いや羨ましいとかはない、けど自分もこうであれたらと思った事はある。親友の成功を素直に喜べない自分が卑しかった。
そんなことを考えながら僕はまた誰かの世界へのめり込んでいった。
「―なぁ、おい、聞こえてるか?」
「ん、あぁ悪い」
彼の声で再び現実に引き戻された。窓から差し込む日差しはもうなく薄暗くなっていた。
「ほんっと本の虫だな。その本そんなに面白いのか?」
「まぁ、お前が書くよりは面白いよ。」
「はぁ?言ったな?絶対それより面白いの書ける自信あるし。」
「なんだよそれ―。」
―じゃあ書いてみろよって言うと多分書いてくるんだろうなと思った。そういう奴なんだなこいつは。今だって結構悔しそうだ。
多分、顔に出やすい彼だから一緒にいて心地いいんだろう。
「てか、そんな古い本よく持ってるよな。どこで買ってんだよ」
「それは、内緒ってやつだ」
そうはぐらかすと
「えー、」とバツが悪そうに顔を顰めた。
「あ、やっば。編集者と会議あるんだった。じゃあな!後のことは頼んだ!」
そう言い残して転けそうな足取りで部室を飛び出して言った。
―全く騒がしいやつだよ。そう言いながらも窓に映る僕は少し笑っていた。
彼には言わなかったが、この本は最近見つけた古本屋に売っていたものだ。
そう、見つけたのは偶然だ。決して帰り道で道に迷って見つけた訳では無い。
偶然だ。
本当に。
―ゴホン。
そんな訳で最近はここに通うのが日課になっている。路地に入る目印はあのボロボロのカーブミラーだ。オレンジなのか茶色なのかよくわからない色をしている。その路地を抜けて坂のような階段を登った先にそれはある。
今日もそのまま帰るつもりが、吸い込まれるようその場所に立っていた。ボロボロのトタン屋根に日焼けして色あせた木造の一階建て。入口の上には『叶書店』と書かれているやたらデカい看板がたれかけてある。
外観ボロボロの癖に店名はやけにオシャレで時代風景とは全く合ってない感じがまた、自分好みであった。
店に入ると、古い紙やインクが入り混じった独な匂いが鼻腔をくすぐった。乱雑に積み上げられた本がどこまでも続き、この中から名作を見つけるのはいつも苦労する。興味が無い人から見たらただのゴミの山に見えるだろうが、僕から見たら宝の山のように見えた。
いつもなら半分くらい入ったところで店主の爺さんが「お前さん、また来たのか」とかなんとか言ってくるのだが今日は不思議となんとも言ってこなかった。
居ないのかと思ったが、店の奥にはやっぱりいつもの赤い腹巻きをした爺さんが畳の上で寝転がって本を読んでいた。
赤い腹巻きは孫からもらったのだと前に聞いたことがある。孫を溺愛してるようで嬉しそうに語ってくれたのをよく覚えている。
「あー、いらしゃい。―今日も誰かの『人生』を漁りに来たのか?」
「あ、はい、それが今の楽しみなので」
おじいさんの何かがいつもと違った。ハッキリとは分からないけど、声のイントネーションがちょっと若々しく感じた。なんか会話の中に妙な間もあったし、まるで僕が誰かを確認してから言葉を選んでいるみたいな感じだった。その違和感が気持ち悪く原因を突き詰めようとした。
「今日なんか少し若々しいですね、なんというか説明するのは難しいですけど」
「いや~、―。」
爺さんは少し苦笑いしながら小声で何かを呟いたが、ハッキリとは聞き取れなかった。
ただ、―わかるのか。と聞こえたような気がした。何が分かるのかなんだ?色々な疑問が頭の中をよぎっていたが、それは次の瞬間違う思考へとすり替えられていった。
「ねぇ君、人の人生を代行してみたくはないかい?」
―え?何だって?
「だから、他人の人生を代行するんだよ。あー、見せた方がはやいかな、よっと。」
「え、なに?え?うわぁぁぁああーっ。」
爺さんの外見をした人物は意味のわからないことを言いながら爺さんだったものをまるで着ぐるみを脱ぐかのように脱ぎ出した。
―え、本の読みすぎで遂に幻覚とか見えてる?病院行った方がいい?爺さんが、青年が、爺さん?・・・。
変な夢でも見てるのかと思った。だって爺さんの中から若い青年が出てきたんだぞ?
そんな理解不能な現実を目の当たりにして普通の人なら腰抜かす。僕も地面とお尻が友達になったように離れず口が開きっぱなしのアホ面をかいていた。
「へへ、驚いたでしょ。もう想像通りの反応すぎてウケるわー」
そう言いながらゲラゲラ笑ってる青年に驚きを通り越してっ腹が立ってきた。。
「な、なんだこれ!どうなってんだよ!爺さんは?てか、君は誰なんだよ」
「まぁ落ち着きなって」
―落ち着けるか!
「俺は代行屋で仕事している者さ、年齢は君より少し上くらいだね。落ち着いて少し俺の話を聞いてくれ──。」
青年は俺が落ち着くのを見計らってから説明をしだした。
「俺達、代行屋はこの透明な特殊スーツを身に付けて依頼者の人生を少しの間代行するってことよ。スーツの材質とかは企業秘密だし、俺も詳しく知らないから説明は勘弁してくれ。今日俺はこの爺さんに一日店番を任されたって事。んで、本題はここからだ。」
グイッと身を乗り出してから続けた。
その本題と言う言葉に嫌な気しかしなかった。
「このおじいさんからお前が人の人生に興味があるって聞いてたから、もしお前が来たら勧誘しようと思ってさ。実を言うと結構人手不足だったりしてさ、スーツ着て代行出来るの俺含め三人しか居ないんだわ。それにこれ知ってる人って結構限られてて、お前、俺がスーツ脱ぐとこ見ただろ?だからだな、そういう事だ!」
―いや、どういう事だよ!
多分青年が言いたいことは俺にその仕事をやって欲しいんだろう。いや、それしかない。確かに本で読むよりは実際に他人の人生を体験できるなんて僕にとっては願ったり叶ったりだ。断る理由もない。それに返答を待っているだろう彼の眼差しが痛い。
「そ、それって危なくないんですか?」
「あぁ、もちろんだ!まだ、事故とかはないぞ。」
「・・・まだ?」
「大丈夫だ!」
そして半ば言いくるめられて、いや、ほぼ強制的に僕は代行屋で仕事をする事が決まった。青年は二十時におじいさんが帰って来るからそれまで待ってて欲しいと言いながらまたあのスーツに身を包んだ。改めて見るとほんとに生身の人間と区別が出来ないほどよく出来ていた。爺さんが帰ってくるとまた混乱しそうになって爺さんに笑われた。
「じゃあ、俺たちの会社に行こうか」
そう言われ僕は爺さんの姿をした青年の後を追った。
会社は想像していたような近未来的な所ではなく、平凡な古びたビルの三階にオフィスがあった。正直なんか拍子抜けだ。見た事のないスーツを商売道具にしているのだから会社も想像外の風貌だろうと思っていた。ある意味想像外ってのはあっていたのだろう。なんだか残念な気持ちになった。
部屋に入るなりネクタイの歪みひとつないスーツを身にまとい胡散臭い七三の髪型をした社長っぽい人が出迎えてくれた。
そして一言僕に言い放った。
「ようこそ我社『ゴーストアップル』へ!」
それは懐かしい響きだった。それと同時に苦い記憶も蘇った。まさか人生でその単語を二回も聞くとは思ってもみなかった。
社名のゴーストアップルの由来は透明な特殊スーツに身を包んで他人に成り代わるからだと適当な説明をあの青年にあとから聞いた。
この出会いから僕の世界で何かが確かに変わり始めた。
応援ありがとうございます!
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