Sissy

ROSE

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Sissy

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 人と違うことを間違いだとは思っていない。
 個性という物は限界まで尖らせるべきだ。
 隣に座るはるかを見て、りんは溜息を吐く。
 また「定期演奏会のお知らせ」と書かれたプリントを見て真っ青になっている。このあがり症。
 実力は十分あるくせに意気地なし。
 凜はこの遙をどうしても放っておくことが出来ない。

 幼馴染みの遙はなんというか自己肯定感が極端に低い。人前に立つことが苦手で、酷いときは嘔吐するレベルだ。
 なぜそうなってしまったのか。
 少なくとも出会った時点で極度の人見知りだった。父親の方は過剰なほどに自信家なので少しは父親に似ればいいのにと思えるほど正反対に見える。
 遙の家は所謂成金だ。父親が不動産業で大成功して地元ではかなり有名だ。悪名も高いが。
 それを考えると幼少期から見られることに慣れていそうなのに、遙は人の視線を恐れている。
 笑われるのが怖い。
 失敗が怖い。
 完全な意気地なしだ。
 誰よりも練習を重ねていることを知っている。
 常に音楽のことばかり考えているから、その思考の隙間に無理矢理入り込んでいかないと他人との接触を一切しなくなるだろうと言うくらい音楽に恋している子だ。

 放っておけない。
 遙がひとりぼっちになるのを黙ってみていられない。
「ひとりでひっそりゆくりのんびり弾いていたいのにどうして人前に引きずり出されるの?」
 恨めしそうに言う遙は相変わらず自分の装いに気を使わない。
 演奏の邪魔にさえならなければいいと言うように、細身のパンツに無地のシャツ。似た服を数着着回すだけで殆ど服を持っていない。父親が相当仕送りしてくれているはずなのに、いつも楽器のメンテナンスばかり考えて自分のメンテナンスに気を使わない。
 勿体ないと思う。折角美人なのに。
「そりゃあ上手に弾けるようになったら他人に聴かせたくなるからじゃない? 普通は」
 凜ならば遙ほど弾ければ喜んで人前に出るだろうし、コンクールにも参加するだろう。
 遙は凜の持たない物をたくさん持っている。
 才能、美貌、お金。そして万が一の将来の逃げ道。
 父親がワンマン社長とは言え成功している会社だ。もし芸術で食べていけなければ父親の会社という逃げ道がある。それだけでも羨ましい。
 そのくせに自分に自信がないのが勿体ないと思うし、腹が立つ。
 遙の才能が彼女自身の手で殺されていくことに腹が立つ。
「どうせ学校行事じゃない。失敗したって平気」
 本番になると頭が真っ白になって楽譜すら見えなくなるとよく言っているが、残念ながら凜にはその感覚が理解出来ない。
 
 凜は目立つことが好きだ。
 注目を集めると気持ちがいい。
 人と違っていて少しはみ出しているくらいが快適だと思うし、個性は限界まで尖らせるべきだと思っている。
 遙には隣に立つのが恥ずかしいと言われてしまうこともあるが、好きな格好を止めるつもりもない。

 子供の頃、かわいい服を着たらみんな褒めてくれた。
 フリルたっぷりのワンピースもふわふわ素材のパジャマもサクランボ柄の浴衣だってよく似合うとみんな褒めてくれた。
 けれども、中学生になる頃にはそういった格好は止めなさいと言われるようになった。
 学生服は最悪だ。学校で校則違反だと何度も髪を切られたことがある。
 学校は窮屈だった。
 家に帰ってすぐに着替えて、化粧もこの頃に覚えた。
 遙はそんな凜になにも言わなかった。なにも言わないでくれた。
 それが心地よかった。
 思い返せば遙は最初からそうだった。
 凜がままごとに誘っても大人しく付き合ってくれたし、お化粧遊びを始めた時は大人しく顔や爪を貸してくれた。
 毎日会っていたのに、ある日突然お稽古が増えて遊ぶ時間がめっきり減ったと思ったら、凜のライバルが出来た。
 言葉も話さず、自分で全く動かない、遙の
 遙の一番の理解者は凜だと思っていたのに、遙はそいつにすっかり夢中になっていった。
 どうかしている。目立つのが大嫌いなくせに楽器だなんて。
 最初の頃はそう思っていたけれど、遙のチェロへの恋は本物だったらしい。
 めきめきと上達していった。もともとピアノ教室にも通っていたけれど、ピアノは凜の方がマシなレベルだったはずだ。
 遙は学校から帰るとすぐに練習をしたがった。だから凜はほぼ毎日遙の家に入り浸っていた。
 綺麗だと思った。
 見られると緊張するというくせに、凜のことは空気のように扱う。
 親に見られるだけでも派手に音を外すくせに、二人きりの時はいつだって完璧な演奏を聴かせてくれる。
 演奏しているときの表情が好きだと思う。
 どう表現するべきなのだろう。
 この世の全てに苦悩してもがき続けているような雰囲気だ。
 その光景を留めたいと思う。
 初めのうちは遙の演奏を聴きながらネイルやメイクの練習をしていたが、次第にデッサンの練習に変わった。
 そして遙を描いた絵が美術コンクールで入賞してしまったときに、肖像権の侵害だと怒られてしまったが、なんとなく自分の進みたい方向を理解出来た気がした。

 腐れ縁。
 遙はそう表現することが多い。お互い他に友人らしい友人がいないのだから仕方がない。
 遙はそもそも人付き合いが苦手だ。
 凜は社交的に振る舞っているつもりだが、やはり格好のことをからかう人も多い。
 男なのか女なのかわからない。
 よく言われる言葉だ。遙だって時々口にすることがある。
 不思議なことに遙に言われるときは気にならない。けれども他の人間にそんなことを言われると不快に感じる。
 戸籍上は男性。自分自身女性ではないと思っているし女性になりたい願望があるわけでもない。
 ただ、似合ってしまうから着ている。かわいい格好をするのが好き。美しく見えるならそう努力するのが好き。
 その感覚を理解してくれる他人はほぼ存在しないだろう。
 だから空気のように扱ってくれる遙の側が心地いい。

 練習を録音したデータを無言で渡された。
 長い付き合いだからなんとなくわかる。
 自信がないのだ。
 遙は無自覚に凜に対して甘えている部分がある。
 背中を押して欲しいのだろう。もしくは尻を叩かれたい。
 いつの間にかピアノも遙の方がずっと上達した。
 それもそうだ。凜はネイルをしたかったから止めてしまったのだから。
 録音を聴きながら遙の指先を見る。
 細くて長い綺麗な指だ。深爪気味に切られた爪を勿体ないと思ってしまう。
「遙の練習付き合ってあげるから私の課題のモデルやってよね」
「許可しなくたって勝手にするくせに」
「目の前に実物が居た方が捗るの」
 絵画Ⅰの課題は人物画だ。自画像でなければ誰を描いてもいいことになっている。
 最高のミューズを描きたいと思った。
 たぶん、凜にとってそれは遙だ。
 尖っていたいから芸術の道を選んだ。
 才能がないことなんて自覚している。
 けれども、凜には普通の生き方が出来ない。
 自分を殺して、他人と同じ格好をして生きる人生なんて耐えられない。
 美術はただの手段だ。
 だからこそ。結果を出さなくてはいけない。
「演奏しているときの遙が好き」
「……励ましのつもり?」
 酷い顔してるの知ってるよと遙は言う。
 美人なのに勿体ない。磨けばもっと光るのに、それを怠る。
「遙の才能を埋もれさせたくないから、私はここにいるの」
 芸術で食べていけるほどの才能はない。
 イラストレーターとしてもう少しカジュアルな方向を目指すとしても、それ一本で食べていけるだけの才能はない。精々小遣い稼ぎ程度だろう。
 凜にはあまり時間がない。
 遙の才能とは違う。
「才能がある人って言うのは自分から人前に出られる人のことだよ」
 遙は発表会参加者リストの名前を指でなぞる。
 まるで今なぞった人達こそが才能ある人だと言わんばかりに。
 たぶん、このリストに名前のある誰もが、遙の実力を知らない。本番でいつも失敗ばかりしてしまう遙しか見ていないのだから。
 けれども、遙の言葉も理解は出来る。
 人前で堂々と発表できることも才能の一つだ。
 勿体ないと思ってしまう。
 音楽の神にこれでもかと言うほど愛されているはずなのに、自己否定が強すぎる。
「私は、遙を独占できるの嬉しいけど、みんなに自慢したい気持ちもあるの」
 なんとか遙に自信を付けさせる方法はないだろうか。
 座学は満点を取れるのに実技が落第寸前ばかりだ。正直おつむも交換して欲しい。
「あ、憲法のレポート……遙、もう終わってる?」
 課題を思い出して訊ねる。遙と一緒に履修できる講義はできるだけ選択している。コースこそ違えど、学部共通科目は多い。
「うん。練習時間減るからさっさと終わらせた」
 さらりとトートバッグからファイルを取り出す。
「丸写しさせたら両方不可だって言ってたから丸写しはだめだから」
 釘を刺しつつも見せてくれるらしい。
 夏休みの宿題はいつも遙のを丸写ししていた気がする。自力で出来たのは絵日記とポスターくらいだ。
「私の親友ってば最高にいい女」
「耳が悪くなりそうなこと言わないで」
 冷たい言葉が返ってくるのに、表情は微かに嬉しそうに見える。
 という表現は彼女にとって好ましいものだったらしい。
「じゃあ、遙の家行くよ。練習聴きながらレポートやるから」
「馬鹿、電子ピアノはヘッドフォンだよ」
 隣に怒られると言う。
「聴かせてあげればいいじゃないの。拍手を貰えるかもよ?」
 迷惑と罵るには腕が良すぎる。時間帯さえ気をつければそこまで苦情にはならないだろうに遙は遠慮が過ぎる。
「どうせ今日はもう講義ないんでしょ?」
 時間割は把握してると告げれば諦めたような溜息。
 まだ昼間の時間帯だ。それにどうせ隣も近隣大学の学生だろう。留守の方が多い。スピーカーの向きを考えればそこまで隣の部屋に影響はないはずだ。
「そろそろレポートくらい自力でやらないと来年大変だよ?」
 あまり表情は変わらないが、心配してくれているらしい遙に嬉しくなる。
「座学はできるだけ遙と一緒にする」
「専攻違うんだから」
「いいじゃない。それともなに? 私が邪魔になった? カレシ? できたの?」
 居るわけがないとわかっていながらからかえば、溜息を吐かれる。
「凜のファンに殺されそう」
 意外だった。
 遙がそんな風に考えるなんて。
「大丈夫。みんな私が女性に興味ないって思ってるから」
 遙の父親だって凜が遙の家に泊まったところでなにも言わない。
 たぶん女性になりたい人だと思われている。
 いや、もしかすると……遙との交際を認めてくれる気なのかもしれない。
 不器用な人だ。娘に全く気持ちが伝わっていないだろうし、娘の気持ちもたぶん伝わっていない。
 両親が通知表を見てくれないとよく口にしていた。
 頑張っても頑張らなくてもなにも言われないと。
 けれどもそれはなにも言わなくても遙は頑張るからだろう。
「遙って生真面目過ぎるのよ」
「は?」
「なんでも完璧じゃなきゃって思いすぎているんじゃないの?」
 文法は完璧なくせに会話になると全く言葉が出なくなる英語の授業を思い出してしまう。
 筆記は満点取れるくせに、英会話になるといつも補講組だった。
「人間なんだから全部を完璧になんてできないでしょ。だいたい、完璧な演奏聴きたいなら機械に演奏させればいいじゃない。遙、そういうのもできるでしょ? ほら、なんだっけ? パソコンでたまにやってるやつ」
 既に楽器が弾けなくたって曲が作れる時代だ。完璧だけを求めるのなら、パソコン上で機械に演奏して貰えばいい。
 演奏家がいなくならないのは、完璧だけを求められているわけではないからだろう。
 きっと絵も同じだ。デジタルアートが発達しているのに、凜は絵の具で絵を描く。
 偶発性を求めるのか、空気感なのか。
 生身で触れることを求めるときに、完璧すぎる物は味がなく感じられてしまう気がする。
「機械だってまだ満点は取れないよ。それに……審査する人の好みが絶対に入る」
 芸術は残酷だ。
 自由を求めてその道を選ぶはずなのに、常に他人の評価が必要になる。
 自己との対話だけで終わらせてくれない。
 自分の全てを曝け出した上で他者に評価される。時に理不尽な評価をされることだってある。
 最高の演奏に点が付かなかったら?
 たぶん遙が恐れているのはそれだろう。
 人生を、人格を否定された気分になる。
「私が審査員なら間違いなく満点を付けるのに。常に」
「それは贔屓とか忖度とかそういうものじゃないの?」
 もしくは同情。
 そんな言葉に、凜の方が傷ついてしまう。
「遙の演奏を一番好きなのは私だと思ってる。遙が居るから頑張れてる。だからこそ、もっとみんなに知って欲しいと思ってるのに、遙……そのあがり症ぜんっぜん治らない!」
 ああ腹が立つ。
 思わず声が大きくなった。
 遙は反射と言う様子で耳を押さえる。
 大声が苦手なのを知っているのに、やってしまったと反省した。
「ごめん」
「……気持ちは嬉しいけど迷惑」
 真っ直ぐな言葉が突き刺さる。
 気持ちが伝わらないのがもどかしい。
「今のままでいい」
 遙の視線が落ちる。
 嘘つき。
 本当は誰よりもたくさん語りたいことがあるくせに。
 普段押し殺している感情や思考を全て吐き出すように、言葉の洪水という印象の音。
 本当は多くの人に演奏を聴かせたいはずだ。たくさん発信していきたい。けれども、勇気が出ない。
 凜が遙から感じ取っているのはそんな感情。
 世界の舞台で戦える実力はある。はずだ。問題は本人のメンタル。
 そう、メンタルだ。
 遙に必要なのは衝撃だ。
 人生を左右するような、隕石と衝突しないと。
 凜は隕石になれない。
 けれども芸術系のこの大学なら、遙の人生を揺さぶってくれるような出会いもあるはずだ。
 例えば、で浮かぶのは作曲ゼミのわし准教授。自称「天が万物を与えた男」なだけありインパクト特大の自信家だ。彼の髪の毛一本分でも自信を身につければ遙だってコンクールで常勝できるはずだ。
 ただあのインパクトは遙には刺激が強すぎるだろう。あんなのに遭遇して気を失わないか心配になってしまう。
 不機嫌な顔をした遙が帰ると荷物を纏めはじめる。
 置いて行かれては大変だ。
 凜も慌てて支度を済ませ、遙の後を追った。



 意外な事に、遙と鷲尾准教授は気が合ってしまったらしい。
 と言うよりは、鷲尾准教授が遙を随分気に入った様子だった。
 人見知りの遙にしては珍しく、彼に懐いているようにも見える。
 なんというか、敬意だとかそう言った感情を抱いているように思えた。
 噂の残念なイケメンが、意外と真面目に教員をやっているという事実にも驚いたし、日に日に遙の顔色がよくなっていく気がする。
 隕石は彼だったのか。
 そう思うと少しだけ悔しい。
「最近どうなの? しゆうちゃん先生と」
「どうって、いつも通りだけど。あの人やっぱ変」
 発声練習と称して一種の宗教みたいなことをやらされるなんて聞いたときは笑ってしまった。
 自己肯定感を高める訓練と称して「鷲一先生かっこいい」「鷲一先生は天才」なんてことを言わせているらしい。
「嘘でも自分を褒めろ。その間に私を褒めろって変なこと言うよね。嘘の間に真実を混ぜれば嘘を信じやすくなるって……嘘でも褒められたいだけなんじゃないかって思った」
 遙は楽譜を広げながら大きな溜息を吐く。
 編曲課題なのだろうか。楽譜にいくつも赤字が書き込まれている。
「でも遙、前より楽しそう」
「そう?」
「なんだろう、前より上を向いていられる時間が長くなってる」
 姿勢がよくなっただとかそういうことなのかもしれない。
 鷲尾准教授はそう言うところにうるさそうだ。
「よくわかんない」
 興味のなさそうな声で返事をする。
 なんだかすごく悔しい。
 遙を支えるのはずっと凜でありたかったのに。
 けれど、めそめそなんてしない。
「最近の遙、前より創作意欲を刺激してくれるの。デッサン付き合いなさいよ」
 自分の才能の限界は常に感じている。
 同じ専攻の同級生と比べたって特別秀でている訳ではない。
 けれども。
 遙を描くことだけは誰にも負けたくないと思う。
 あの子を一番理解しているのは凜だと、そういう類いの優越感に浸りたい。
「変なの。他にいいモデルがたくさん居るのに」
「私は遙が描きたいの」
 そう言ったって、ポーズ指定なんて受け付けてくれない。
 だから、楽譜に視線を戻した遙を勝手に描く。
 いつか遙が凄い演奏家になった時、この子を一番たくさん描いた画家は凜だと言えるように。
 なんて、ただの言い訳。
 好きな物を描きたいだけだ。
 そして、それが少しでも遙の自信に繋がって欲しい。
 今はまだ、難しいのかもしれない。
 けれども、この先遙が自分を愛して胸を張って歩けるように。
「課題でいい成績取れたらコンクールも遙をモデルにするわ」
「……迷惑」
 本当にうんざりした顔を見せてくれる。
 今はまだそれでいいことにしよう。
 いつか遙が世界の舞台に立つことを信じて。
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